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盲目の騎士〜第一章〜

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「あの頃の自分に言えることがあったとしたらなんだろう。そんなこと考えたこともなかった。もうちょっとおしゃれしたり、彼女作ったりしとけば良かったのかなぁ。親友の高真にはもっと感謝しとけば良かった。」
そう言って青柳聖人は笑った。
今、私が来ているのは彼の個展だ。サングラスをした彼は失明していた。
それでもこの個展には色鮮やかな沢山の作品が並んでいる。
「作画風景の写真を頂きたいのですが。」
「えー恥ずかしいなぁ。お姉さん、声からして美人でしょう?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。」
私は笑った。
「ほらー笑ってるじゃん。」
「すみません、聖人はもう休まないと。昨日の夜も作品作ってたんで。」
親友の高真だった。
「なー高真。このお姉さん美人でしょう?」
「おー美人だな。うちの嫁より美人だな。」
「ほらー。」
失明した画家、話題性はトップクラスだった。
それでもサングラスをした彼に対して世間は本当は見えているんじゃないのか?そう言ってその話については相手にしなかった。
個展の会場はバリアフリーになっていて彼自身、杖をついて歩いていた。
途中途中で、人にもぶつかる。
嘘をついているようには見えなかった。
「最後にお伺いしますが貴方にとって絵とは何ですか?」
「考えたことない。」
こうして私の取材は終わった。
「作画風景だけどね。何か好きなの1枚買ってくれたら来てもいいよ。」
そう言って彼は笑った。
「冗談だからね~。」
好きなの1枚と言っても、ほとんどの作品に買い手はついている。
「作画風景は適当に書いといてよ。」

「お疲れー山本さん。また青柳?」
会社につくなり政岡が絡んできた。
「そうですね。盲目の天才ですからね。」
「ガセだって言うけどね~。」
政岡はエレベーターのボタンを押した。
「私は賭けてみたいんです。」
そう言って政岡を避けて階段に向かった。青柳の話は青柳の同級生達から聞いた話だ。
ユーチューブに上がった作画風景は再生回数が億を超えた。
しかし、盗撮だったことから私が目にする前に動画は消えていた。
その内容は本当かどうかが疑わしい話だった。
失明宣告を受けた青柳は親友の高真と一緒に部屋に籠もるようになり、しばらくして保健室登校ならぬ美術室登校を始めたのだ。
高真のサポートを受けて青柳は絵を描いていた。事実とは異なるかもしれないがそんな話を聞いた。

「あー山本さんだねー。また来てくれたんだ。明日までだから閑散としてるでしょう?」
翌日、個展にまた顔を出した私に青柳はそう言って笑った。青柳は私の顔に触れて黙り込んだ。
「これは相当の美人さんだね。失礼。」
「作画の…。」
私はそこまで言って黙り込んだ。見えていたってここまで人気の作品を描くんだ、と政岡が言っていたのを思い出した。
何か言いかけた私を見て青柳は話した。
「見えないよ。でも沢山描いたからね。手にも足にも感覚は残るんだ。」
青柳はそう言うと静かな笑みを浮かべた。
「盲目の画家、それだけで美味しいんだろうねぇ。ネタになるなる。」
青柳は笑った。
「そういう問い合わせは昔から頻繁でね。いい加減うんざりしてるんだ。」
青柳は杖をカンカンと鳴らした。
「見えなければ歌えばいい。そんな声もあったよ。」
私は黙り込んだ。
「日に日に太陽が遠ざかっていくんだ。お前には光を分けてやらないと言って。それがどれだけ怖いことか…。今でもあの頃の夢は見るよ。」
青柳は伸びをした。眠いのだろうか、ぼんやりとしていた。
「それでも俺は準備期間があったからね。もし即日失明していたら自殺してたよ。」
そう言って青柳はまた笑った。
「ふたりで絵を描いてるって…。」
私はおずおずと話しだした。
「仮に見えていたとしても充分人気がある作品だと世間様からは言われていますよね。」
「見えていたら新しい世界が広がるだろうなぁ。コピペみたいな絵だからさ。」
青柳はあくびをしながらサングラスを取った。
「重たいもんだよねー、眼鏡とかサングラスって。」
その眼を見て私は確信した。見えていないのだと。
「お姉さん、仕事なんだろうけど、結構貴女は失礼な人だね。」
「え。」
「出版社の取材って言うなら正式に申し込んでくれればいい。貴女は俺に名刺を差し出してどんな文字で貴女の名前を書くかどこの取材か何も語ってくれなかった。あとから高真に聞いたんだ、全部ね。」
「私は職場に居場所がないんです。スクープが取れたら返り咲けると思うんです。」
「その程度の理由で盲目の画家を追うのかい?自分の力なんて殆ど使わずに?」
「あの、それは…。」
「高真ー。お帰りだ、見送っておくれ。」
奥から高真が出てきた。
「ああ山本さんですか。いらしていたなら一声頂けたら飲み物でも用意したのに。」
「あの、青柳先生ですか?」
高真の後ろから女子高校生の二人組が出てきた。
「若い声だなぁ、中学生かい?おじさんドキドキしちゃうよ。」
そう言って青柳は女子高校生二人組と笑い、絵の解説へと席を立った。
「悪く思わないでくださいね。」
小さな声で高真は言った。
高真は私に付き合って玄関まで出てきた。来るときは降ってなかった雨が降ってきた。
「聖人は気に入ったら必ず本音を出すんです。山本さんのことは信用してるんだと思います。また個展を開いたら遊びにでもいらしてください。」
高真はそう言うと深々とお辞儀をして私を見送った。

私が青柳を取材してから半年がたった。記事らしい記事は書けないまま、私は更に居場所を失っていた。
「山本さん、もうじき青柳先生の個展ですね。」
同期の神林は飴を差し出した。
「謎の作画風景だけどね。」
私は飴を受け取ってその場で開いて口にした。ピーチのふんわりとした味と香りがする。
「その件なんですけど…。」
神林はこそこそと私の側まで来た。
「役割分担しているらしいんです。」
「1人で描いてないってこと?」
「それとはちょっと違うんですけど相方の高真さんっていらしたじゃないですか?あの方が指示してるって。」
「その話ならもう聞いてる。」
私はそう言って、ふと思った。指示があっても盲目の人間に絵が描けるのだろうか。
「どこで描いてるか分かればなぁ…。」
「ユーチューブで上がってから転々としてるって噂ですからね。」
私はデスクの引き出しからグミを出して神林に差し出した。
「有難うね。」
閑職に就くかクビになるか、私には時間がない。そう思った。

「山本さんって今回は招待状送ったの?」
青柳はポロポロこぼしながらオムライスを食べていた。
「お前、山本さん結構好きだろう?」
「バレたか~。」
高真と、青柳は笑った。
「逆境を跳ね返す力のある人って俺は好きだなぁ…。」
ストローのついた子ども用のマグで青柳はお茶を飲んだ。
「高真さぁ、嫁さん大丈夫?最近、俺とずっとアトリエにこもってたけど…。」
「いつものことだろ。それに嫁はお前の作品が家に増えるたびに泣いて喜ぶんだ。」
「あははー。嬉しいな。」
「次は何を描くんだ?」
「ユニコーンって言うか馬かなぁ。」
青柳はゲップをした。
「失礼。青い馬とかピンクの馬が描きたいんだよ。」
「サイズはいくつだ?」
「F30くらいでいいかなぁ。」
「描きたいのは分かるが途中で寝たり倒れたりするなよ。くれぐれもするなよ。」
「もう昔の話だろー。」
高真は青柳の食が細くなっていることに気付いていた。
年齢的には20代後半。まだまだ若い。だが青柳には時間がなかった。
「高真ーティッシュくれ。」
「へいへい。」
青柳はオムライスを平らげて口元を拭いた。
「さぁて始めますか。」
そう言って青柳は席を立った。

F30号のキャンバスを前にして青柳はその位置を入念に確認した。
「3番の筆とバジターブルーを。」
高真は青柳の指示に従って筆と絵の具を用意していく。
「ウォーターブルーの方がお前らしくないか?」
「これは山本さん用なんだよ~。」
「告白でもするのか?」
「するわけないだろーあははー。」
気力も体力も絵を描くだけでこんなにも消費するものかと高真は何度も思った。
「あの頃さ、絵の具をご飯にするのかってくらい毎日見てたもんなぁ…。」
「セルリアンブルー、次くれ。」
「量は?」
「5センチくらい欲しい。」
「筆は?」
「6番。」
真っ白だったキャンバスに色鮮やかな世界が広がっていく。
「見えてたら競馬とか行って散財するおっさんにでもなってたのかなぁ。」
「次は?!」
高真はいつもより口数の多い青柳に語尾を強めた。
「やっぱり俺は馬なんだよなぁ。」
「集中!」
「ルミナスピンク2センチ。」
青柳はいつにも増してイキイキとしていた。キャンバスには2匹の馬が仲良く並んでいる。
「見えてる頃に競馬とか行けたらよかったなぁ。」
そう言って青柳は筆を進めた。

青柳の個展が始まった。初日は大変混雑するが作品を買う人たちは列を作ってでも買いに来る。高真はたくさんの人から青柳が受け取った花束を抱えてバタバタとしていた。
「山本さん!」
私は出来るだけ目立たないように会場に来たつもりがすぐに高真に見つかった。
「今回の個展には山本さんに向けた作品があるんです。是非見ていってください。あ、どれがその作品かっていうのは当ててくださいね。」
高真はニコニコとしながら会場内を移動していった。
青柳は会場の一番奥でマイクを片手に座ってスピーチをしていた。今回も多くの方に支えられてこの個展がひらけたこと、たくさんの方が来てくれること、いろんなことに感謝していると、そんなことを話していた。
ああ、そうか。彼は私と本来関わることのない人なのだ。それが、この個展にあらわれていた。
スピーチを終えた青柳は高真に支えられながら、作品解説へと移った。皆、拍手しながら作品の解説を聞いていた。もう帰ろう。そう思って、ふと視線を上げると1枚の作品が目に留まった。
それはひとりの女性の姿だった。
「私…?」
肌の色や髪の色は違えど、それは確かに私だった。
「あーその声は山本さんだー。」
青柳は私に気がついた。周囲の視線が全て私に向けられる。
「私が初めて人物を描いたモデルの山本さんです。私と違って美人でしょう?」
青柳がそう言うと会場は笑いに包まれた。
「目が見える時に出会っていたら良かったのにと何度も思いました。前回の個展ではほぼ毎日のように足を運んで頂いて大変感謝しています。」
青柳は笑った。
「青ってどんな色?」
母親らしき人物に付き添われて来た少年が青柳に尋ねた。視力はあるようだが様子がおかしい。
「すみません。色盲なんです、この子。」
それを聞いた青柳は杖をカンカンと鳴らして話した。
「自然界での青っていうのは広がる色だなぁ。海や川、空や地球そういうものは青いんだよね。」
「見たことないから分からないや。」
「青はいい色だよ。君は何が好きかな?」
「僕は電車が好きです。」
「ほーいい趣味だね。お母さん彼を連れてきてくれてどうもありがとうございます。」
青柳は微笑んだ。
そうして初日の個展は大盛況のうちに幕を閉じていった。
会場には私と青柳と高真が残った。
「勝手にモデルにしてごめんね~。」
殆ど、悪びれもせず青柳は笑った。
「あの、自分の家に自分の絵を飾るって言うのはちょっと…。」
それを聞いて2人は笑った。
「あげるとかお買い上げとか言ってないじゃーん。」
「これは聖人の家に飾るんですよ。」
高真が馬の絵の前に立って、
「この絵を差し上げます。」
と言った。
私は暗闇に光を灯すような不思議な感覚にとらわれた。
「これですか…。」
「気に入りませんか?」
「欲しいですけどお値段は…?」
「山本さんが我々の作画風景を追わないと約束してくだされば差し上げます。」
「記事にしないから、見るというのもだめですか?」
「だめですね。」
高真は壁に寄りかかった。2人とも初日とは言えど疲れ切った様子だ。
「我々は見えないのに絵が描けると言うのを売りにしているんです。」
「私だってこんな形で出会わなければ素直に引き下がってます。」
「え?」
自分でも何を言っているか私は分からなくなっていた。
「私だって青柳先生が好きです。大好きです。個展に足を運んでいるうちに毎回、笑ったり励ましたりしてくれて、どこにそんな余裕があるのかって思うくらい優しくて。」
「へーそうなんだ。」
青柳は他人事のように話しながら完全に浮かれていた。それを見抜いた高真は青柳の手の甲をつねった。
「でも貴方が芸術家だと言うなら私だってプロのライターです。絵は描けなくても文章は書ける。それが私の存在価値です。」
私は泣き出した。
高真が慌ててティッシュを持ってきた。私のそばにティッシュとごみ箱が置かれた。
「個展の最終日にこれを持って帰るか、取材を続けるか判断してください。」
高真は青柳のそばに来て何か耳打ちしていた。そうして私は会場を後にした。

寝耳に水とはどんな言葉だっただろう。私は改めてその言葉の意味を探した。
個展の3日目、それは唐突にやってきた。
政岡は苦い顔をして私に近寄ってきた。
「盲目の天才はお前だけが追ってた訳じゃないからなぁ。気にするな。」
スクープだ。
他社に負けた。
青柳の作画風景が撮られていた。
私は言葉を失った。そうして絞り出した言葉は、
「クビ…ですか?」
だった。
「分からん。上が決めることだ。」
政岡は他社の週刊誌を置いてその場を去った。私は社内から逃げるように青柳の元に向かった。個展の会場は施錠されていて人だかりが出来ていた。
私は大声で青柳の名を呼んだ。だが、個展の会場に人の気配はなかった。
そのまま青柳は世間から姿を消した。

個展の最終日に作品を梱包している高真を見付けた。
「山本さん…。」
あのシャキシャキとした高真が少しやつれていた。
「あの後、大丈夫何ですか?青柳先生はどこに行ったんですか?」
私は泣きながら話した。
「スクープの翌日に倒れたんです…。」
私は息を呑んだ。
「聖人の失明は病気によるものなんですけど心臓とか肺とかも徐々に動かなくなっていくんです。」
私は泣いた。高真は私にハンカチを差し出して梱包作業に戻った。
「聖人は絵画の売上の大半をこの病気にかかっている子どもたちに募金する活動に参加していて…。」
そこまで言うと高真は深呼吸した。目にはうっすら涙が浮かんでいる。
「今、どこにいるんですか?!お願いします!会わせてください!」
「集中治療室なんです。」
私は神様に祈った。どんな形であれ、私と彼は出会ったのだ。未来がある。まだ私には出来ることがあるはずだ。そう思った。
私は高真から青柳が入院した病院の名前を聞き出した。いや、聞き出したと言うより教えてもらえた。そんなニュアンスだった。
私は青柳の記事は書かない、高真とそう約束した。

病院に着いて看護士に青柳のことを聞いた。しかし有名人だった青柳の追っかけか何かに間違われて怪訝そうな顔をされた。
それでも私は青柳の居場所を聞き続けた。
「山本が来たって青柳先生に伝えてください。私は先生の絵のモデルにもなっているんですから!」
私はそう言い切った。少しして他の看護士が私を呼びに来た。
「少ししか話せませんけどそれで良ければ。」
「ありがとうございます。」
私は何度もお礼を口にした。

私が集中治療室に入ると青柳は体中に管を通されて酸素吸入器をつけてベッドに横たわっていた。
「山本さんかぁ…。良くここが分かったねぇ…。」
青柳はボソボソと話した。
私は泣きながら手を握った。
「あの頃の自分かぁ…山本さんがよく聞く取材ネタだよね。」
「今は話さなくても良いんです。」
「貴女と出会った頃に戻れたら、きちんと口説いてたよ。ははは。」
私は何をしてきたんだろう。何のためにライターになったのだろう。自責の念にかられた。
「もう会えないかもね。」
「そんなこと…そんなこと無いです。また会えます。」
「すみませんがそろそろ…。」
看護士が入ってきた。
「結婚してください!」
私はそう叫んだ。青柳は目を丸くして大きく息を吸って吐いた。
「こちらこそ、結婚してください。」
青柳は少し笑って目を伏せた。
「ほら、また会えるでしょう?」
私はそう言って涙を拭いた。
集中治療室から出るとそこには高真がいた。
「僕は何も聞いてませんから。」
そう言って高真は涙ぐんだ。

1週間後、私は献身的な高真の記事を出した。通るかどうか微妙だったが、私の熱に押されて記事は誌面に出ることになった。
スクープが出た後、青柳に対する世間の評価はふたつに別れた。
独りで描いてなくて落胆したと言う評価と、あれだけのサポートで絵が描けるなんてと言う評価だ。
私は記者だ。高真には了解を取った。
「そんなに格好いいものでもないんですけどね。」
そう高真は、はにかんでいた。

1か月後、私と、青柳は式を挙げた。彼はこれからも命ある限り絵を描くのだろう。高真は泣いていて、お嫁さんらしき人が世話を焼いていた。あの頃の自分に何か言えるなら、貴女の選んだ道は間違ってない。私はきっとそう言うだろう。
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