【完結】変わり身

九時千里

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夏籠り

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2年の夏休みが始まった。
沖田は少しずつだが世間に認知されていった。特に彼の描く夕暮れ時は高い評価がついた。小さい頃はよく父に釣りに連れて行ってもらったという彼は海と空を描いた。
オレンジ、紫、青、黒、全ての色が混ざったり主張したりしてその世界は組み上がっていた。
「沖田ー。いるかー?」
アパートには時々、先輩が訪ねてきた。
合コンに沖田を連れて行こうというのだ。若き芸術家、それだけで話題になる。
しかし沖田は居留守を使う。
自然の流れの中で出逢いたい、そう言って合コンには決して参加しない。
そのうちに先輩たちもしびれを切らして俺か永崎に白羽の矢が立つ。
奢りなら行きますよ。そう言って俺達は交代で、合コンに参加していた。
日向はと言えば、その後も沖田の動画を撮り続けた。しかし沖田の絵は売れなかった。
「完璧過ぎるのかもしれないわ…。」
そう言って日向はサラダチキンをかじっていた。一応、女子なんだな、俺はそう思った。
確かに沖田の絵は完璧だった。緻密で正確で、もうどこに手をいれる必要もない。家に飾るには大層な代物だった。
サイズが大きいというのも買い手がつかない理由の1つだったのだろう。
日向は沖田にもう少し小さいサイズを描くように勧めた。
しかし、沖田は、
「売れないならそれでも良い。描きたいように描かせてほしい。」
そう言って譲らなかった。
その日は大学内で沖田に会った。
沖田は戦艦テメレールの模写をしていた。しかし、空や海は沖田の色彩だった。
「描いた先に何があると思う?」
沖田は珍しく俺に答えを求めた。
「達成感とかやりがいじゃないかなぁ…。」
「僕はゼロだと思うんだ。」
「ゼロって?」
「絵を描き始める時って砂時計の上に積もった砂を下に落としていくようにサラサラと絵が出来ていくんだ。そして筆を置くと絵が完成するんだよ。」
俺はこの時、ああ、だから沖田の絵は完璧なんだな、そう思った。
俺は自分の持ってきたクロッキー帳をパラパラと捲り、一番上手く描けていたオウムの絵を出した。
「これもゼロか?」
沖田は楽しそうに、
「いい作品だね。これはゼロかなぁ…?」
そう言って苦笑いした。
「やっぱり言葉は難しいね。」
「お前の考え方が突拍子もないだけだと思うぞ。」
そう言ってふたりで笑った。そしてその日の夜、沖田の絵は初めて買い手がついた。
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