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サラマンダー編
第5話 狼に出会いました
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街道の端にあった切り株に腰かける。エルメラも目の前の切り株に座った。暗かった辺りは明るくなってきている。もう灯りはいらない。
わたしは静かに目を閉じ、ナレーションの落ち着いた声を意識しながら語り始めた。
「むかしむかし、ある村に赤い頭巾をかぶった女の子が暮らしていました」
「これもあにめ?」
エルメラが口を挟むが、わたしは続ける。
「ある日、お母さんが言いました。赤ずきん、これから森に住むおばあちゃんのお見舞いにパンとワインを届けてくれる?」
お母さんのセリフは、優し気な大人の女性の声を意識した。エルメラがキョロキョロと辺りを見回す。誰か他にいると思ったのかもしれない。
「おばあちゃんの家ね。赤ずきんは頷きます。寄り道はしてはいけませんよ。特に森の深くに入ってはだめよ。はーい」
赤ずきんの声とお母さんの声を繰り返す。
ぽかーんとした顔でエルメラがわたしを見つめていた。
「赤ずきんはおばあさんの家に向かいました。途中、森の中にとても綺麗なお花畑を見つけます。わあ、おばあちゃん喜ぶかな。赤ずきんは言いつけを破って、おばあさんの為に摘んでいこうと森の中に入りました。それを、一匹の狼が見ていました」
エルメラのハッと息を飲む音が聞こえた。ハラハラする展開が続く。
「狼は赤ずきんに近づいて言います。美味しそう、じゃなかった可愛らしいお嬢さん。こんな所で何をしているんだい」
わたしは狼の低い、それでもフレンドリーな声を出す。
「これからおばあさんの家にお見舞いに行くの」
ゴクリと息を飲みそうな真剣な表情で、わたしを見つめるエルメラ。
「狼が」
続きを話そうとすると、わたしの眼に何かが映った。
「狼が……」
「狼がなに?! どうしたの!? まさか、赤ずきんを襲ったの?!」
「狼がいる!」
「え?」
わたしは立ち上がって杖を構える。エルメラも後ろを振り返った。一匹の狼がこちらに向かって唸り声を上げている。
「普通の狼じゃない」
眼を剥いた狼は毛色が輝くような青で、口からコポコポと泡を出していた。
エルメラがすぐにわたしの肩の上に乗る。
「これは水の精霊に憑りつかれているね」
青い狼は間髪入れずに飛び上がって襲い掛かってきた。
「きゃあ!」
わたしは杖を盾にしながら横に避ける。爪が杖をかすって冷や冷やした。
ドキドキする心臓と態勢を整えながら、エルメラに尋ねる。
「憑かれてって、精霊ってなんにでも憑くの?」
「昨日の火の精霊だって、かまどの火に宿ったって言っていたでしょ。ユメノに下ったホムラは元々蛇に憑りついた精霊だった。その上、かまどに宿ったから、あれだけの大惨事になったの。普通は動物たちに憑りついて、人を襲ったりする。でも、大丈夫。あの水の精霊は見たところ火の精霊よりもずっと弱いから」
確かに昨日のホムラと比べると、目の前の狼はそれほど脅威には感じない。
「じゃあ、昨日みたいに言霊で!」
わたしは杖を狼に向けて突き出す。
「ううん。せっかくだから違うことを試してみましょう」
「違うこと?」
「そう。火の精霊を使役してみるのよ」
わたしは杖の先のクリスタルを見つめる。透明のクリスタルの中には赤い球が一つ浮かんでいた。これは火の精霊のホムラのはずだ。
「使役って、どうするの?」
「一度、ユメノに下っている精霊だもの。名前を呼んで命令すれば、その通りにするはずよ」
「簡単な仕組みね。それじゃ、いっちょやってみますか!」
わたしは杖のクリスタルに手をかざした。ユーリの声を意識する。
「火の精霊、ホムラ。出てきなさい!」
するとクリスタルが赤く光り、私の目の前に火の蛇が出てきた。
成功だと思ったわたしは瞬きを数度する。
「なんだか小さくない?」
出てきた火の蛇は両手で抱えられるほどの大きさだ。家を覆い隠すほど巨大だった炎の大蛇とは雲泥の差だ。エルメラは言う。
「昨日は時間が経って成長していたのね。でも言霊で大きく出来るはずだよ!」
なるほどと思ったが、目の前の青い狼は火の精霊を出現させたことで、余計に興奮しはじめた。
唸り声を上げて、わたしたちに泡を飛ばしてくる。
「わっ! 守れ、ホムラ!」
向かって来るいくつもの泡をホムラは口を開けて潰すように食べていく。
だけど、ホムラからシュウゥと音を立て、蒸気が上がる。心なしか一回り小さくなった気もした。
「よく考えたら、火と水じゃ、圧倒的に火が弱くない?」
エルメラに聞くと、彼女は考える仕草をしながらあっちこっちに飛び回った。
「え! う、うーん。でも、まだ一体しか精霊いないし、使役する練習もした方がいいし」
そうこう言っている間にも青い狼は再び襲ってくる。爪と泡が交互に飛び交った。
命令通り、ホムラはわたしを守ってくれるけれど防戦一方だ。防ぎきれなかったバブルを何とか避けながらエルメラに尋ねる。
「どっ、どうすればいいの?」
「えーと、言霊! 言霊でホムラを成長させることが出来るよ!」
「分かった。えーと」
成長させる言霊。つまり、成長するようなセリフをホムラに言えばいい。
わたしは記憶の中の漫画のページをめくる。それは戦う姫ユーリが戦場で兵士を鼓舞するシーンだ。セリフを決めたわたしは集中する。
「兵たちよ!」
「わっ。また、あの声」
わたしはホムラに向けて杖を突き出す。
「臆するな! 敵は強く見えるかもしれない。だが、それはお前たちの弱い心が見せるまやかしだ。ここを突破すれば勝利は目前! わたしの後に続け!」
セリフを言い切ると、ホムラは激しく燃え上がった。
炎が蛇の形にかたどられる。腕に収まるほどの大きさだったホムラが、二倍、三倍と膨れ上がっていく。わたしの身長ほどの大きさになった。
「これなら。ホムラ! 狼の周りを囲んで!」
さすがは元が蛇なだけあって素早い。ホムラは言われた通り、スルスルと動いて、青い狼の周りを取り囲んだ。
対して相手は水属性でも狼は狼。これほどの火は怖いようだ。
その場でソワソワと戸惑っている。
「そのまま、火力アーップ!!」
今度はユーリの声ではない。わたしの地声だ。
それでも、ホムラはボウッと大きく燃え上がった。
大きな炎は水を蒸発させる。青い狼の身体からも、ジュウゥと音を立てて蒸気が発生した。あっという間に、姿かたちごと消え去ってしまう。
そして、昨夜と同じように透明な球が浮かび上がった。エルメラが教えてくれる。
「今なら水の精霊が使役できるよ。ユメノ! 名前を付けて!」
「あ、そっか、名前、えーと」
突然言われると、いいネーミングが浮かんでこない。迷っている内に透明な球は消えていこうとしている。
「ス、スイリュウ! わたしの精霊に下りなさい!」
水の流れで、スイリュウ。またしても安直な名前になってしまった。
それでも、透明な球はわたしの元に飛んできた。ホムラのときと同じように、杖のクリスタルに吸い込まれる。クリスタルを覗き込むと、青い小さな球が浮かんでいた。
「ホムラも、戻って」
ホムラも小さな赤い球になって、クリスタルに吸い込まれる。これで二体の精霊を使役することが出来るようになったはずだ。
エルメラも興奮したように、クリスタルの中を覗く。
「すごい、すごい! 来たばかりなのに、もう二体も精霊を使えるなんて!」
「そんなにすごいの?」
「もちろん! 村の人は精霊に憑りつかれた動物が出たら、祈祷が出来る人以外は逃げるだけだもん」
逃げるだけという言葉に引っかかりを覚える。
「どうして戦わないの?」
大の大人が武器でも、クワでも戦わないのだろうか。
「精霊って寿命が無いでしょ。だから、すっごく体力があるの。精霊使い以外が戦ってもほとんど無駄。言霊で遠くに行くように念じることぐらいは何とか出来るけれどね」
そもそも精霊が暴れているこの世界では、精霊使い自体が最強だということだ。
「ねえ、ユメノ。さっきのお話の続きを話してよ」
「ああ。赤ずきんちゃんね。どこまで話したかな?」
「花畑で狼に会った所!」
どうやらエルメラは童話に夢中になったみたいだ。ニコニコと自分が声優に対して失礼なことを言ったこと自体を忘れている。
少しはイラっとするけれど、見た目は十二歳でも、わたしは大人だ。
切り株に腰を下ろし直す。
「いい? 狼は言いました」
「うん、うん!」
わたしの声に夢中なエルメラはとても可愛い。
わたしは静かに目を閉じ、ナレーションの落ち着いた声を意識しながら語り始めた。
「むかしむかし、ある村に赤い頭巾をかぶった女の子が暮らしていました」
「これもあにめ?」
エルメラが口を挟むが、わたしは続ける。
「ある日、お母さんが言いました。赤ずきん、これから森に住むおばあちゃんのお見舞いにパンとワインを届けてくれる?」
お母さんのセリフは、優し気な大人の女性の声を意識した。エルメラがキョロキョロと辺りを見回す。誰か他にいると思ったのかもしれない。
「おばあちゃんの家ね。赤ずきんは頷きます。寄り道はしてはいけませんよ。特に森の深くに入ってはだめよ。はーい」
赤ずきんの声とお母さんの声を繰り返す。
ぽかーんとした顔でエルメラがわたしを見つめていた。
「赤ずきんはおばあさんの家に向かいました。途中、森の中にとても綺麗なお花畑を見つけます。わあ、おばあちゃん喜ぶかな。赤ずきんは言いつけを破って、おばあさんの為に摘んでいこうと森の中に入りました。それを、一匹の狼が見ていました」
エルメラのハッと息を飲む音が聞こえた。ハラハラする展開が続く。
「狼は赤ずきんに近づいて言います。美味しそう、じゃなかった可愛らしいお嬢さん。こんな所で何をしているんだい」
わたしは狼の低い、それでもフレンドリーな声を出す。
「これからおばあさんの家にお見舞いに行くの」
ゴクリと息を飲みそうな真剣な表情で、わたしを見つめるエルメラ。
「狼が」
続きを話そうとすると、わたしの眼に何かが映った。
「狼が……」
「狼がなに?! どうしたの!? まさか、赤ずきんを襲ったの?!」
「狼がいる!」
「え?」
わたしは立ち上がって杖を構える。エルメラも後ろを振り返った。一匹の狼がこちらに向かって唸り声を上げている。
「普通の狼じゃない」
眼を剥いた狼は毛色が輝くような青で、口からコポコポと泡を出していた。
エルメラがすぐにわたしの肩の上に乗る。
「これは水の精霊に憑りつかれているね」
青い狼は間髪入れずに飛び上がって襲い掛かってきた。
「きゃあ!」
わたしは杖を盾にしながら横に避ける。爪が杖をかすって冷や冷やした。
ドキドキする心臓と態勢を整えながら、エルメラに尋ねる。
「憑かれてって、精霊ってなんにでも憑くの?」
「昨日の火の精霊だって、かまどの火に宿ったって言っていたでしょ。ユメノに下ったホムラは元々蛇に憑りついた精霊だった。その上、かまどに宿ったから、あれだけの大惨事になったの。普通は動物たちに憑りついて、人を襲ったりする。でも、大丈夫。あの水の精霊は見たところ火の精霊よりもずっと弱いから」
確かに昨日のホムラと比べると、目の前の狼はそれほど脅威には感じない。
「じゃあ、昨日みたいに言霊で!」
わたしは杖を狼に向けて突き出す。
「ううん。せっかくだから違うことを試してみましょう」
「違うこと?」
「そう。火の精霊を使役してみるのよ」
わたしは杖の先のクリスタルを見つめる。透明のクリスタルの中には赤い球が一つ浮かんでいた。これは火の精霊のホムラのはずだ。
「使役って、どうするの?」
「一度、ユメノに下っている精霊だもの。名前を呼んで命令すれば、その通りにするはずよ」
「簡単な仕組みね。それじゃ、いっちょやってみますか!」
わたしは杖のクリスタルに手をかざした。ユーリの声を意識する。
「火の精霊、ホムラ。出てきなさい!」
するとクリスタルが赤く光り、私の目の前に火の蛇が出てきた。
成功だと思ったわたしは瞬きを数度する。
「なんだか小さくない?」
出てきた火の蛇は両手で抱えられるほどの大きさだ。家を覆い隠すほど巨大だった炎の大蛇とは雲泥の差だ。エルメラは言う。
「昨日は時間が経って成長していたのね。でも言霊で大きく出来るはずだよ!」
なるほどと思ったが、目の前の青い狼は火の精霊を出現させたことで、余計に興奮しはじめた。
唸り声を上げて、わたしたちに泡を飛ばしてくる。
「わっ! 守れ、ホムラ!」
向かって来るいくつもの泡をホムラは口を開けて潰すように食べていく。
だけど、ホムラからシュウゥと音を立て、蒸気が上がる。心なしか一回り小さくなった気もした。
「よく考えたら、火と水じゃ、圧倒的に火が弱くない?」
エルメラに聞くと、彼女は考える仕草をしながらあっちこっちに飛び回った。
「え! う、うーん。でも、まだ一体しか精霊いないし、使役する練習もした方がいいし」
そうこう言っている間にも青い狼は再び襲ってくる。爪と泡が交互に飛び交った。
命令通り、ホムラはわたしを守ってくれるけれど防戦一方だ。防ぎきれなかったバブルを何とか避けながらエルメラに尋ねる。
「どっ、どうすればいいの?」
「えーと、言霊! 言霊でホムラを成長させることが出来るよ!」
「分かった。えーと」
成長させる言霊。つまり、成長するようなセリフをホムラに言えばいい。
わたしは記憶の中の漫画のページをめくる。それは戦う姫ユーリが戦場で兵士を鼓舞するシーンだ。セリフを決めたわたしは集中する。
「兵たちよ!」
「わっ。また、あの声」
わたしはホムラに向けて杖を突き出す。
「臆するな! 敵は強く見えるかもしれない。だが、それはお前たちの弱い心が見せるまやかしだ。ここを突破すれば勝利は目前! わたしの後に続け!」
セリフを言い切ると、ホムラは激しく燃え上がった。
炎が蛇の形にかたどられる。腕に収まるほどの大きさだったホムラが、二倍、三倍と膨れ上がっていく。わたしの身長ほどの大きさになった。
「これなら。ホムラ! 狼の周りを囲んで!」
さすがは元が蛇なだけあって素早い。ホムラは言われた通り、スルスルと動いて、青い狼の周りを取り囲んだ。
対して相手は水属性でも狼は狼。これほどの火は怖いようだ。
その場でソワソワと戸惑っている。
「そのまま、火力アーップ!!」
今度はユーリの声ではない。わたしの地声だ。
それでも、ホムラはボウッと大きく燃え上がった。
大きな炎は水を蒸発させる。青い狼の身体からも、ジュウゥと音を立てて蒸気が発生した。あっという間に、姿かたちごと消え去ってしまう。
そして、昨夜と同じように透明な球が浮かび上がった。エルメラが教えてくれる。
「今なら水の精霊が使役できるよ。ユメノ! 名前を付けて!」
「あ、そっか、名前、えーと」
突然言われると、いいネーミングが浮かんでこない。迷っている内に透明な球は消えていこうとしている。
「ス、スイリュウ! わたしの精霊に下りなさい!」
水の流れで、スイリュウ。またしても安直な名前になってしまった。
それでも、透明な球はわたしの元に飛んできた。ホムラのときと同じように、杖のクリスタルに吸い込まれる。クリスタルを覗き込むと、青い小さな球が浮かんでいた。
「ホムラも、戻って」
ホムラも小さな赤い球になって、クリスタルに吸い込まれる。これで二体の精霊を使役することが出来るようになったはずだ。
エルメラも興奮したように、クリスタルの中を覗く。
「すごい、すごい! 来たばかりなのに、もう二体も精霊を使えるなんて!」
「そんなにすごいの?」
「もちろん! 村の人は精霊に憑りつかれた動物が出たら、祈祷が出来る人以外は逃げるだけだもん」
逃げるだけという言葉に引っかかりを覚える。
「どうして戦わないの?」
大の大人が武器でも、クワでも戦わないのだろうか。
「精霊って寿命が無いでしょ。だから、すっごく体力があるの。精霊使い以外が戦ってもほとんど無駄。言霊で遠くに行くように念じることぐらいは何とか出来るけれどね」
そもそも精霊が暴れているこの世界では、精霊使い自体が最強だということだ。
「ねえ、ユメノ。さっきのお話の続きを話してよ」
「ああ。赤ずきんちゃんね。どこまで話したかな?」
「花畑で狼に会った所!」
どうやらエルメラは童話に夢中になったみたいだ。ニコニコと自分が声優に対して失礼なことを言ったこと自体を忘れている。
少しはイラっとするけれど、見た目は十二歳でも、わたしは大人だ。
切り株に腰を下ろし直す。
「いい? 狼は言いました」
「うん、うん!」
わたしの声に夢中なエルメラはとても可愛い。
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