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1巻
1-1
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「どうして、うちにはお母さんがいないの?」
これを尋ねたのは、わたしが五歳のときだった。
子供ながらに聞いてはいけないことだと思っていたのだろう。幼稚園に入った頃から疑問に思いつつも、心の中に秘めていた。
「沙織のお母さんは、沙織を産んだときに空のお星さまになってしまったんだ。お母さんは沙織が生まれてくるのを楽しみにしていたよ。今でも空の上で沙織のことを大切に思っているんだ」
優しく頭を撫でられて、こくりと頷く。
そして、こう続ける。
「じゃあ、どうしてうちにはお父さんが二人もいるの?」
目の前に並んでいる二人のお父さんたちを見上げた。
なぜだか、うちにはお父さんが二人いる。
娘一人と父二人。家族三人で生活していた。
幼稚園の行事にも、ほとんど揃って二人で来る。
この日の二日前も、幼稚園の運動会にお父さんが二人やってきて、わたしが走ったり踊ったりするのを大声で応援していた。
だけど、次の登園日。同じれんげ組の男の子に言われたのだ。
どっちがお前のお父さんなの、と。
きっと、どちらかは親戚のおじさんかなにかだと思ったのだろう。
どっちもお父さんだと答えたら、お父さんは一人のはずだと言われ、終いには嘘つき呼ばわりされた。
すっかり頭に血が上ったわたしは、男の子に掴みかかる。
結局、先生に止められるまで、男の子と髪の引っ張り合いのケンカをしたのだった。
「えーとね、沙織ちゃん。お父さんたちはどちらもお父さんよ」
女の人のような口調のお父さんが言う。
「そうだ。お母さんが空に行ったとき、沙織はお父さんたち二人の娘になったんだ」
もう一人のお父さんは腕を組んで言う。
「どうしてうちにはお父さんが二人いるのか。その答えは二人とも沙織のお母さんのことが大好きだったからだ」
「そう。だからどっちが本物とか、どっちが偽物とかはないのよ」
別にそこまで聞いていないけれど、お父さんたちが言うのだからそうなのだろう。
幼いわたしは納得する。
このときは知らなかった。
――どうしての本当の答えが、十年後に明かされることを。
1
ジリリリッと枕元の目覚まし時計が、けたたましく午前六時を知らせる。
「ううーん、あと五分」
手でまさぐり、てっぺんのボタンを押して黙らせた。裏のスイッチを切らないと五分後にもう一度鳴るように設定している。だから安心。
フカフカのお布団が、もう一度わたしを夢の中へと誘う。
やっぱり二度寝は最高――
だけど、ぬくぬくした幸せは、ほんの一瞬のことだった。
「起きなさーい!」
そう聞こえるや否や、一気に布団を引きはがされた。暖かい空気があっという間に去っていく。
わたしは寝ぼけまなこで、布団を奪った犯人を見上げた。
「酷いよ、あっちゃんパパ。お休みなんだから、まだ寝ててもいいでしょ」
あっちゃんパパは少し長めの茶色い髪をかき上げ、呆れたような口調で言う。
「なにを言っているの? 春休みは昨日で終わりました。今日から新学期。沙織ちゃんはもう中学三年生です」
わたしは目をこすりながら上半身を起こす。
「うーん、三年生……」
言葉にした途端に脳が覚醒した。
「そうだ! クラス替え!」
クラス替えが今年一年の命運を握っているといっても過言ではない。できれば親友の陽菜と同じクラスであって欲しい。
すっかり目が覚めたわたしはベッドから飛び出した。
「ハイハイ。急ぐんだろうと思って、もうご飯は用意してあるわよ」
あっちゃんパパは可愛い熊がプリントされているエプロンをつけていた。朝ご飯を準備していた証拠だ。
「ありがとう、あっちゃんパパ!」
部屋から出て階段を下り、顔を洗いに行く。
ちょうど洗面所からもう一人の家族が出てきた。
「おはよう、裕二お父さん」
「おはよう、沙織」
裕二お父さんは、わたしのもう一人のお父さん。まだ青いストライプのパジャマを着ていた。眼鏡の奥の瞳はどこか眠たげだ。
洗面所の鏡の前に行き、小鼻にそばかすが散っている自分の顔を見つめる。
「中学三年生っていうことは、もうすぐ十五歳かぁ」
わたしの誕生日は約二か月後、六月十五日だ。
十五歳になるということは、義務教育ももうすぐ終わり。大人に一歩足を踏み入れるということだと、中二のときの先生は最後のホームルームで言っていた。
でも、中三になった今も実感は湧かないのだから、二か月経ったぐらいじゃ変わらないだろう。
そう思って、バシャバシャと顔に水を浴びせ始めた。
部屋でセーラー服に着替えたあとダイニングに行くと、そこには香ばしい匂いが漂っていた。テーブルではスーツに着替えた裕二お父さんが新聞を読んでいる。
裕二お父さんはわたしに気づくと新聞を畳んだ。
「今日は始業式か」
「うん。だから早く行かないと。すぐにグループができちゃうから」
わたしは裕二お父さんの隣の椅子に座る。目の前に、ホカホカと温かい焼き立ての食パンが出された。
あっちゃんパパは最近買ったホームベーカリーにはまっている。そのせいで、このところ朝はご飯ではなく、パンの確率が高かった。
「仲良しグループって三年生になっても気にしないといけないのね。沙織ちゃんも大変ね」
あっちゃんパパは手を頬に当てた。見た目は完全に男の人なのだけれど、どことなく仕草が女の人っぽい。
「大変って言うほどでもないよ。陽菜と一緒のクラスになるのが一番いいけど、部活の友達もいるから誰かと一緒になる可能性は高いし。いただきます」
ご覧の通り、わたしには二人のお父さんがいる。
あっちゃんパパこと早坂暁也と、裕二お父さんこと秋月裕二。
わたし、秋月沙織は苗字からも分かるように、裕二お父さんの娘ということに一応なっている。
そう、一応。
お母さんは美織という名前の人だ。リビングにある小さな仏壇に、写真が飾られている。美織お母さんは妊娠しているときに交通事故に遭い、わたしを産むと同時に亡くなってしまった。
――わたしが誰の子供か言わずに。
だからわたしは二人のお父さんのうち、どちらの子供か分からない。
分からなかったけれど、美織お母さんが大好きだった二人は、赤ん坊のわたしを引き取りたがった。二人とも絶対に譲らなかったらしい。
だから、わたしは二人の父親に育てられることになる。美織お母さんも小さいときに両親を交通事故で亡くしていて、親しい身内がいなかったから、誰も文句を言わなかったそうだ。
そうして、わたしは二人の父親の子供として育てられた。
ほかほかの食パンを手でちぎりながら、二人の顔をチラリと見た。二人のお父さんはどちらかというと、整った顔立ちをしている。
あっちゃんパパは少し吊り上がった切れ長な目。
わたしの目は大きくも小さくもない中途半端な目だ。しかも、奥二重。
裕二お父さんはスラリと高い鼻をしている。
わたしの鼻はちょこんと低い上に、二人には全くないそばかすが小鼻の周りにうっすら散っている。
二人と似ているところなんて、全然ない。
かといって、美織お母さんと似ているところもあまりなく、強いていえば、肩より少し長くなった直毛の髪ぐらいだ。あ、でも薄い唇の形は似ているかも。
「どうしたの沙織ちゃん、ぼーっとして。パパのご飯、美味しくない?」
「ううん! 今日も美味しいよ! ね! 裕二お父さん」
わたしは慌てて裕二お父さんに同意を求める。
「そうだな。暁也には、これぐらいしか取り柄がないからな」
「なんですって? もう一度言ってごらんなさい」
裕二お父さんの軽口に一気に場が険悪になる。
「もう! 裕二お父さん、素直じゃないんだから! ご飯、冷めちゃうよ!」
お互いそっぽを向く二人。わたしは焼き立てのパンを口に放り込んだ。程よく甘く、香ばしくて、とても美味しい。
二人ともいい年した大人なのだから仲良くしたらいいのに。毎朝ケンカの間に立たされる身にもなって欲しい。
年がら年中こんな調子なので、娘のわたしは困っていた。
学校へは自転車で行く。
わたしが住む町は坂が多い。行きは下り坂だから、ブレーキを掛けながら下っていく。タイヤとアスファルトが擦れる音が心地よい。
スピードに乗って十分で学校に着いた。ゆっくりペダルを漕いで、登校する生徒たちの間を縫っていく。
駐輪場に自転車を停めていると、後ろから声をかけられた。
「おはよう、沙織」
「あ! おはよう、陽菜」
陽菜はショートカットの似合う、八重歯が特徴的な女の子だ。身長はわたしより頭一つ分低い。陽菜が小柄というより、わたしが平均よりも高いせいだ。
陽菜も押していた自転車を停めて、二人で並んで靴箱へと向かう。
「聞いて、沙織! ビッグニュース掴んだよ!」
「えー。またガセネタじゃないの」
陽菜は新聞部に入っている。
口コミに、ネット、SNS。いろんな情報網を持っているから、学校内の情報を一早く入手して、こっそり教えてくれる。
「違う違う。確かな情報。あのね、三年生に転入生が来るんだって! しかも」
「しかも?」
陽菜はもったいぶるように少しの間沈黙して間をためる。
「美少年」
「ほほう。美少年ですか」
わたしはノリノリで返してみた。ニヒヒと二人で笑い合う。
「なんでも春休みに、部活に来ていた人が見たんだって。色白ですごく綺麗な男子。先生に案内されて校長室に入っていってさ。こっそり聞き耳立てたら三年に転入してくるって」
「へー、でも美少年なんて、生まれてこの方見たことないな」
わたしがそう言うと、陽菜は首を傾げる。
「沙織のお父さんたち、美形じゃん」
「美形というか、確かに整っているとは思うけど。美少年っていったら儚げなイメージあるよね」
お父さんたちは結構ガタイがいい。でもそれは大人だからだ。
昔は美少年と言われるぐらい、線が細くてかっこ良かったのかな。そういえば二人の少年時代の写真を見たことがない。今度聞いてみよう。
「あ、クラス分け、貼り出されている」
靴箱には、人だかりができていた。わたしは少し飛び出した頭をいかし、ずらずらと並んでいる小さな名前の列を目で追う。
「どう? 見える?」
「一組は二人ともいないね。二組も、ない」
三組の文字を追っていると、秋月沙織と浜田陽菜の文字を見つけた。
わたしは振り返る。
「やった! 二人とも三組だよ!」
「本当⁉ 中学最後に沙織と一緒でよかった!」
わたしたちは靴を履き替え、意気揚々と教室に向かった。
教室に入ると、半分ぐらいのクラスメイトがすでに登校していた。当然ながら見知った顔もいれば、よく知らない顔もある。
陽菜と二人で黒板に書かれている座席の指定を確認する。予想通りわたしは廊下側の一番前の席だ。秋月は『あ』で始まるから、いつも出席番号一番になる。
わたしの左隣の席を見ると、高田と書かれていた。その後ろの人が佐藤さんだから、『こうだ』と読むのだろう。
頭の中の名簿を開いてみても出てこない。知らない人だ。とりあえず陽菜と別れて、自分の席に鞄を置く。
そのとき、教室の後ろの方がざわついた。
「ねぇ。あの人、はじめて見るよね」
「例の転入生かな」
ああ、転入生って三組だったんだ。そう思って後ろを振り返る。
そこに、美少年がいた。身長はそこまで高くない。間違いなくわたしよりも低かった。色白で黒い髪が艶々していて、目が大きい。学ランじゃなくて、セーラー服の方が似合いそうだなとか、ちょっと失礼なことを思う。
みんな、すぐに話しかける勇気はないようで、遠巻きに見ているだけだ。
その美少年が教壇の前にやってきて、席を確認している。すぐに振り返るとわたしの隣の席に鞄を置いた。ふと美少年がこちらを向いたので視線が合う。
わたしは笑みを浮かべて話しかけた。
「もしかしなくても転入生の高田くんだよね」
あれ? 返事がない。でも、話しかけた以上は続ける。
「わたしは秋月沙織。一年間よろしくね」
当たり障りのない社交辞令だ。しかし、返ってきた言葉は――
「そう」
の、一言だけ。高田くんは席に座って、鞄から文庫本を取り出した。しおりを挟んでいたページを開き、めくり始める。
とても転入初日に取るような行動ではない。
わたしはしばらく呆けていた。
そう、とはなんだ。いくら初対面で緊張していても、その素っ気なさすぎる態度はありえない!
あんまりな態度に、一気に頭に血が上る。とはいえ、相手に直接ぶつけるといささか問題になる。怒りを堪えて立ち上がり、足早に後方に座る陽菜のところに向かった。
興味津々といった様子で陽菜が聞いてくる。
「沙織、あの子と話したでしょ。なにを話したの?」
わたしは胸の前で腕を組んで、ふんと鼻を鳴らした。
「それが挨拶の一つもないんだよ! こっちが名前を言ったのに名乗るどころか、そう、だって」
わざとらしく声真似をしてやった。陽菜はクスリと笑う。
「へー、それじゃあクラスに馴染むの大変だね」
わたしは「その通りだよ」と陽菜に頷く。あれでは誰も相手にしてくれなくなる。ずっとあの態度を続けていくつもりなのだろうか。
始業式が滞りなく終わると、教室でホームルームが始まった。ふんわりとしたボブカットが女性らしい宮部先生が新しいクラスの担任だ。
さっそく宮部先生が出席番号順に自己紹介をしましょうと言う。
「秋月沙織です。中一のときにバスケ部に入って、今は副部長をしています。一年間、よろしくお願いします」
わたしは後ろを向いて、クラスの皆に聞こえるように用意していた言葉を話す。自己紹介をするだろうと予想していたから、あまり緊張しなかった。
言い終わるとパチパチと拍手がされる。陽菜が後ろの席で小さくピースをしていたので、わたしも笑顔を送った。
そのあと、五人の生徒がそつなく自己紹介をすると高田くんの番になった。
「……高田千晴。十四歳」
十四歳だなんて、クラスにいるほとんどがまだ十四歳なのだから言う必要はない。
そう思ったのはわたしだけではないだろう。みんな、どう反応していいか分からないといった顔をしている。
宮部先生が少し焦ったように付け加えた。
「高田くんは三年生からこの丸花中に転校してきました。分からないこともあるだろうから、みんな、この学校のことを教えてあげてね。高田くん、なんでもいいからもう少し詳しく自己紹介して。部活はなにをしていたとか、なにが好きだとか」
これを尋ねたのは、わたしが五歳のときだった。
子供ながらに聞いてはいけないことだと思っていたのだろう。幼稚園に入った頃から疑問に思いつつも、心の中に秘めていた。
「沙織のお母さんは、沙織を産んだときに空のお星さまになってしまったんだ。お母さんは沙織が生まれてくるのを楽しみにしていたよ。今でも空の上で沙織のことを大切に思っているんだ」
優しく頭を撫でられて、こくりと頷く。
そして、こう続ける。
「じゃあ、どうしてうちにはお父さんが二人もいるの?」
目の前に並んでいる二人のお父さんたちを見上げた。
なぜだか、うちにはお父さんが二人いる。
娘一人と父二人。家族三人で生活していた。
幼稚園の行事にも、ほとんど揃って二人で来る。
この日の二日前も、幼稚園の運動会にお父さんが二人やってきて、わたしが走ったり踊ったりするのを大声で応援していた。
だけど、次の登園日。同じれんげ組の男の子に言われたのだ。
どっちがお前のお父さんなの、と。
きっと、どちらかは親戚のおじさんかなにかだと思ったのだろう。
どっちもお父さんだと答えたら、お父さんは一人のはずだと言われ、終いには嘘つき呼ばわりされた。
すっかり頭に血が上ったわたしは、男の子に掴みかかる。
結局、先生に止められるまで、男の子と髪の引っ張り合いのケンカをしたのだった。
「えーとね、沙織ちゃん。お父さんたちはどちらもお父さんよ」
女の人のような口調のお父さんが言う。
「そうだ。お母さんが空に行ったとき、沙織はお父さんたち二人の娘になったんだ」
もう一人のお父さんは腕を組んで言う。
「どうしてうちにはお父さんが二人いるのか。その答えは二人とも沙織のお母さんのことが大好きだったからだ」
「そう。だからどっちが本物とか、どっちが偽物とかはないのよ」
別にそこまで聞いていないけれど、お父さんたちが言うのだからそうなのだろう。
幼いわたしは納得する。
このときは知らなかった。
――どうしての本当の答えが、十年後に明かされることを。
1
ジリリリッと枕元の目覚まし時計が、けたたましく午前六時を知らせる。
「ううーん、あと五分」
手でまさぐり、てっぺんのボタンを押して黙らせた。裏のスイッチを切らないと五分後にもう一度鳴るように設定している。だから安心。
フカフカのお布団が、もう一度わたしを夢の中へと誘う。
やっぱり二度寝は最高――
だけど、ぬくぬくした幸せは、ほんの一瞬のことだった。
「起きなさーい!」
そう聞こえるや否や、一気に布団を引きはがされた。暖かい空気があっという間に去っていく。
わたしは寝ぼけまなこで、布団を奪った犯人を見上げた。
「酷いよ、あっちゃんパパ。お休みなんだから、まだ寝ててもいいでしょ」
あっちゃんパパは少し長めの茶色い髪をかき上げ、呆れたような口調で言う。
「なにを言っているの? 春休みは昨日で終わりました。今日から新学期。沙織ちゃんはもう中学三年生です」
わたしは目をこすりながら上半身を起こす。
「うーん、三年生……」
言葉にした途端に脳が覚醒した。
「そうだ! クラス替え!」
クラス替えが今年一年の命運を握っているといっても過言ではない。できれば親友の陽菜と同じクラスであって欲しい。
すっかり目が覚めたわたしはベッドから飛び出した。
「ハイハイ。急ぐんだろうと思って、もうご飯は用意してあるわよ」
あっちゃんパパは可愛い熊がプリントされているエプロンをつけていた。朝ご飯を準備していた証拠だ。
「ありがとう、あっちゃんパパ!」
部屋から出て階段を下り、顔を洗いに行く。
ちょうど洗面所からもう一人の家族が出てきた。
「おはよう、裕二お父さん」
「おはよう、沙織」
裕二お父さんは、わたしのもう一人のお父さん。まだ青いストライプのパジャマを着ていた。眼鏡の奥の瞳はどこか眠たげだ。
洗面所の鏡の前に行き、小鼻にそばかすが散っている自分の顔を見つめる。
「中学三年生っていうことは、もうすぐ十五歳かぁ」
わたしの誕生日は約二か月後、六月十五日だ。
十五歳になるということは、義務教育ももうすぐ終わり。大人に一歩足を踏み入れるということだと、中二のときの先生は最後のホームルームで言っていた。
でも、中三になった今も実感は湧かないのだから、二か月経ったぐらいじゃ変わらないだろう。
そう思って、バシャバシャと顔に水を浴びせ始めた。
部屋でセーラー服に着替えたあとダイニングに行くと、そこには香ばしい匂いが漂っていた。テーブルではスーツに着替えた裕二お父さんが新聞を読んでいる。
裕二お父さんはわたしに気づくと新聞を畳んだ。
「今日は始業式か」
「うん。だから早く行かないと。すぐにグループができちゃうから」
わたしは裕二お父さんの隣の椅子に座る。目の前に、ホカホカと温かい焼き立ての食パンが出された。
あっちゃんパパは最近買ったホームベーカリーにはまっている。そのせいで、このところ朝はご飯ではなく、パンの確率が高かった。
「仲良しグループって三年生になっても気にしないといけないのね。沙織ちゃんも大変ね」
あっちゃんパパは手を頬に当てた。見た目は完全に男の人なのだけれど、どことなく仕草が女の人っぽい。
「大変って言うほどでもないよ。陽菜と一緒のクラスになるのが一番いいけど、部活の友達もいるから誰かと一緒になる可能性は高いし。いただきます」
ご覧の通り、わたしには二人のお父さんがいる。
あっちゃんパパこと早坂暁也と、裕二お父さんこと秋月裕二。
わたし、秋月沙織は苗字からも分かるように、裕二お父さんの娘ということに一応なっている。
そう、一応。
お母さんは美織という名前の人だ。リビングにある小さな仏壇に、写真が飾られている。美織お母さんは妊娠しているときに交通事故に遭い、わたしを産むと同時に亡くなってしまった。
――わたしが誰の子供か言わずに。
だからわたしは二人のお父さんのうち、どちらの子供か分からない。
分からなかったけれど、美織お母さんが大好きだった二人は、赤ん坊のわたしを引き取りたがった。二人とも絶対に譲らなかったらしい。
だから、わたしは二人の父親に育てられることになる。美織お母さんも小さいときに両親を交通事故で亡くしていて、親しい身内がいなかったから、誰も文句を言わなかったそうだ。
そうして、わたしは二人の父親の子供として育てられた。
ほかほかの食パンを手でちぎりながら、二人の顔をチラリと見た。二人のお父さんはどちらかというと、整った顔立ちをしている。
あっちゃんパパは少し吊り上がった切れ長な目。
わたしの目は大きくも小さくもない中途半端な目だ。しかも、奥二重。
裕二お父さんはスラリと高い鼻をしている。
わたしの鼻はちょこんと低い上に、二人には全くないそばかすが小鼻の周りにうっすら散っている。
二人と似ているところなんて、全然ない。
かといって、美織お母さんと似ているところもあまりなく、強いていえば、肩より少し長くなった直毛の髪ぐらいだ。あ、でも薄い唇の形は似ているかも。
「どうしたの沙織ちゃん、ぼーっとして。パパのご飯、美味しくない?」
「ううん! 今日も美味しいよ! ね! 裕二お父さん」
わたしは慌てて裕二お父さんに同意を求める。
「そうだな。暁也には、これぐらいしか取り柄がないからな」
「なんですって? もう一度言ってごらんなさい」
裕二お父さんの軽口に一気に場が険悪になる。
「もう! 裕二お父さん、素直じゃないんだから! ご飯、冷めちゃうよ!」
お互いそっぽを向く二人。わたしは焼き立てのパンを口に放り込んだ。程よく甘く、香ばしくて、とても美味しい。
二人ともいい年した大人なのだから仲良くしたらいいのに。毎朝ケンカの間に立たされる身にもなって欲しい。
年がら年中こんな調子なので、娘のわたしは困っていた。
学校へは自転車で行く。
わたしが住む町は坂が多い。行きは下り坂だから、ブレーキを掛けながら下っていく。タイヤとアスファルトが擦れる音が心地よい。
スピードに乗って十分で学校に着いた。ゆっくりペダルを漕いで、登校する生徒たちの間を縫っていく。
駐輪場に自転車を停めていると、後ろから声をかけられた。
「おはよう、沙織」
「あ! おはよう、陽菜」
陽菜はショートカットの似合う、八重歯が特徴的な女の子だ。身長はわたしより頭一つ分低い。陽菜が小柄というより、わたしが平均よりも高いせいだ。
陽菜も押していた自転車を停めて、二人で並んで靴箱へと向かう。
「聞いて、沙織! ビッグニュース掴んだよ!」
「えー。またガセネタじゃないの」
陽菜は新聞部に入っている。
口コミに、ネット、SNS。いろんな情報網を持っているから、学校内の情報を一早く入手して、こっそり教えてくれる。
「違う違う。確かな情報。あのね、三年生に転入生が来るんだって! しかも」
「しかも?」
陽菜はもったいぶるように少しの間沈黙して間をためる。
「美少年」
「ほほう。美少年ですか」
わたしはノリノリで返してみた。ニヒヒと二人で笑い合う。
「なんでも春休みに、部活に来ていた人が見たんだって。色白ですごく綺麗な男子。先生に案内されて校長室に入っていってさ。こっそり聞き耳立てたら三年に転入してくるって」
「へー、でも美少年なんて、生まれてこの方見たことないな」
わたしがそう言うと、陽菜は首を傾げる。
「沙織のお父さんたち、美形じゃん」
「美形というか、確かに整っているとは思うけど。美少年っていったら儚げなイメージあるよね」
お父さんたちは結構ガタイがいい。でもそれは大人だからだ。
昔は美少年と言われるぐらい、線が細くてかっこ良かったのかな。そういえば二人の少年時代の写真を見たことがない。今度聞いてみよう。
「あ、クラス分け、貼り出されている」
靴箱には、人だかりができていた。わたしは少し飛び出した頭をいかし、ずらずらと並んでいる小さな名前の列を目で追う。
「どう? 見える?」
「一組は二人ともいないね。二組も、ない」
三組の文字を追っていると、秋月沙織と浜田陽菜の文字を見つけた。
わたしは振り返る。
「やった! 二人とも三組だよ!」
「本当⁉ 中学最後に沙織と一緒でよかった!」
わたしたちは靴を履き替え、意気揚々と教室に向かった。
教室に入ると、半分ぐらいのクラスメイトがすでに登校していた。当然ながら見知った顔もいれば、よく知らない顔もある。
陽菜と二人で黒板に書かれている座席の指定を確認する。予想通りわたしは廊下側の一番前の席だ。秋月は『あ』で始まるから、いつも出席番号一番になる。
わたしの左隣の席を見ると、高田と書かれていた。その後ろの人が佐藤さんだから、『こうだ』と読むのだろう。
頭の中の名簿を開いてみても出てこない。知らない人だ。とりあえず陽菜と別れて、自分の席に鞄を置く。
そのとき、教室の後ろの方がざわついた。
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「例の転入生かな」
ああ、転入生って三組だったんだ。そう思って後ろを振り返る。
そこに、美少年がいた。身長はそこまで高くない。間違いなくわたしよりも低かった。色白で黒い髪が艶々していて、目が大きい。学ランじゃなくて、セーラー服の方が似合いそうだなとか、ちょっと失礼なことを思う。
みんな、すぐに話しかける勇気はないようで、遠巻きに見ているだけだ。
その美少年が教壇の前にやってきて、席を確認している。すぐに振り返るとわたしの隣の席に鞄を置いた。ふと美少年がこちらを向いたので視線が合う。
わたしは笑みを浮かべて話しかけた。
「もしかしなくても転入生の高田くんだよね」
あれ? 返事がない。でも、話しかけた以上は続ける。
「わたしは秋月沙織。一年間よろしくね」
当たり障りのない社交辞令だ。しかし、返ってきた言葉は――
「そう」
の、一言だけ。高田くんは席に座って、鞄から文庫本を取り出した。しおりを挟んでいたページを開き、めくり始める。
とても転入初日に取るような行動ではない。
わたしはしばらく呆けていた。
そう、とはなんだ。いくら初対面で緊張していても、その素っ気なさすぎる態度はありえない!
あんまりな態度に、一気に頭に血が上る。とはいえ、相手に直接ぶつけるといささか問題になる。怒りを堪えて立ち上がり、足早に後方に座る陽菜のところに向かった。
興味津々といった様子で陽菜が聞いてくる。
「沙織、あの子と話したでしょ。なにを話したの?」
わたしは胸の前で腕を組んで、ふんと鼻を鳴らした。
「それが挨拶の一つもないんだよ! こっちが名前を言ったのに名乗るどころか、そう、だって」
わざとらしく声真似をしてやった。陽菜はクスリと笑う。
「へー、それじゃあクラスに馴染むの大変だね」
わたしは「その通りだよ」と陽菜に頷く。あれでは誰も相手にしてくれなくなる。ずっとあの態度を続けていくつもりなのだろうか。
始業式が滞りなく終わると、教室でホームルームが始まった。ふんわりとしたボブカットが女性らしい宮部先生が新しいクラスの担任だ。
さっそく宮部先生が出席番号順に自己紹介をしましょうと言う。
「秋月沙織です。中一のときにバスケ部に入って、今は副部長をしています。一年間、よろしくお願いします」
わたしは後ろを向いて、クラスの皆に聞こえるように用意していた言葉を話す。自己紹介をするだろうと予想していたから、あまり緊張しなかった。
言い終わるとパチパチと拍手がされる。陽菜が後ろの席で小さくピースをしていたので、わたしも笑顔を送った。
そのあと、五人の生徒がそつなく自己紹介をすると高田くんの番になった。
「……高田千晴。十四歳」
十四歳だなんて、クラスにいるほとんどがまだ十四歳なのだから言う必要はない。
そう思ったのはわたしだけではないだろう。みんな、どう反応していいか分からないといった顔をしている。
宮部先生が少し焦ったように付け加えた。
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公爵家の家政を10年回した私が出ていったら、3ヶ月で領地が破綻しました
歩人
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エレナは公爵家に嫁いで10年、夫は愛人に入れ込み、義母には「家政婦代わり」と
罵られた。だが領地の財務も、商会との交渉も、使用人の管理も、全部エレナが
やっていた。ある日、義母から「あなたの代わりなんていくらでもいる」と言われ、
エレナは静かに離縁届を出した。「では、代わりの方にお任せください」
辺境の町で小さな商会を開いたエレナ。10年間の実務経験は伊達ではなかった。
商会はたちまち繁盛する。一方、エレナがいなくなった公爵家は3ヶ月で経営破綻。
元夫が「戻ってこい」と泣きつくが——
「お断りです。あと、10年分の未払い給金を請求いたしますね」
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
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【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
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