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遠方の隣国マルト王国の懐事情

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 マルト王国の魔法師シルクは市井でかなり噂になっていた。
 その美貌は女性だけではなく、男性をも赤面させるほどなのに、まったく浮いた噂ひとつない。見た目もそうだが、高潔なイメージで人々を魅了していた。

 そして、数々の功績も聞かれるようになっていた。
 孤児院も彼によって大幅に良くなり、彼自身が孤児を教えたり、それを担う人材を育てていた。
 そんな噂を聞いたのが、この国の宰相オニールだった。
 シルクを宮廷に呼び出した。
 マルト王国はちょうどこの世界のアマテミス山の麓にあり、真横には4つの国の間を流れる大河シトラス川の上流の方に位置している国だった。

 山と川に挟まれ、豊かな自然があり、ある程度安定している国だったので、伝説の飛人ひじんが不在であっても、あまり問題にはならなかった。

 ほとんど伝説ととらわれており、実際にそのようなものが来るとはまったく信じられていないということもあったかもしれない。
 だが、マルト王国は、魔術などを応用した技術進化への取り組みは著しく、なるべく新しい物や技術は率先して、一般市民に取り入れられていた。

 だから、一般的な市民の生活はなかなか高水準であった。
 例えば、各家庭に水道水が繋がっていた。温水シャワーも使用できる。

 そして、この世界で魔術魔法を使った技術はマルト王国が世界一と思っていたところに思わぬ情報が流れてきた。

 あの大国グレンビィア王国で(大国というのは時にして、技術的進歩が遅くなるのだが……)カレンダアなるべきものが発明された。しかも、体温計と室温計も発明されたというではないか。

 この国の宰相は大いに悩んだ。

 わが国は技術を外国に売ることで大きなる利益を生んできた。
 また大いなる魔的技術があるということは、その国の軍事力の大きさをも推し測れるものとなっていた。

━━グレンビィア王国の軍事力が上がってきたのか?

 ここの王子は聡明だかまだ七歳であり、国王は四十五歳で男盛りであるが、国を護れるだけの魔力はなかった。
 それを補ってきたのが、マルト王立魔法師団である。
 この国では魔法師のほうが、騎士よりはるかに地位的には上であり、軍事面でも、圧倒的に魔法師達に支えられていた。

 新たに、我がマルト王国の魔法師達を強化させなくてはならない。
 偵察に誰かをグレンヴィアに送りたかった。
 でも、王立魔法師団の面々は、有力なものほど、面があちらに割れていた。
 いかに友好国でも、スパイを住まわせるだけの度量があちらにあるかどうかわからなかった。

 

 そんな風に思案しているとき、市井で噂をきいた。
 氷の微笑の魔法師……。

 「よく参られたな……。かねがね、お前には会いたかったのだ。シルクっといったな」
 
 白髪混じりの宰相オニールは、その自分のあご髭を満足そうに撫でながら言った。

 「……はい、宰相オニール様。  シルクと申します。今日は私のようなものをお招きいただきまして、光栄に存じます」

 さすがに氷の微笑と呼ばれるだけあって、こんな王宮の謁見室でも、緊張もないような微笑を浮かべている。

 ━━この者は一体、何者なのだ。この余裕な態度、何なのだろうか? 噂には聞いていたが。

 シルクの言葉は丁寧にだが、超然とした態度にオニールが驚いていた。

 ほとんど高貴な者でも、王室内で、権力者の宰相オニールと一対一で話せば、震えだすと言われるくらいに、オニール自体の評判が悪かった。

 単なる爺さんしか見えない宰相だが、あまり魔力をもたない王室を支えるため、表でも裏でもいろいろな手を使い王室を護ってきた。時には汚いことにも手を染めた。

 だから、オニールの微笑みは恐ろしいと、宮廷では噂されていた。

 それなのに……この男は、緊張さえも感じさせない。

 大した者だ。  

「シルクと申したな。最近、カレンダアというものをみたことがあるか?」

「かれんだあ……ですか? いえ……ありません」

「ふむ。そうじゃろ。まだこれはわが国には入っておらん」

 どうだこれを見てみろっと言って、後ろの書類棚から、おもむろに、グレンビィア王国特製のカレンダーをシルクこと、忍に渡した。

 カレンダーの表紙には、

「わが愛しのグレンビィア王国」

と書かれている。

━━なんだ。これは。

 いままで鉄面の顔していた忍の顔がちょっと崩れた。

━━カレンダーだ。

そして、おもむろにページを見ていく。

 一月、二月……これは完全な暦ではないか……確かにこの世界には暦がなかった。

 忍もカレンダーがないこの世界は面倒だなとは思っていたが、魔女との訓練と孤児院の方が忙しくて暦の作成までが及ばなかった。

 しかし、この暦の絵柄……アニメっぽい。
 なんだか懐かしい。
 国の名前はもちろん知っている。
 グレンビィア王国は行ったことがないが、こういうカルチャーの国なのか?

 疑問が忍の中で増えていく。
 どんどんめくっていく。
 そして、十二月にきた。

 手が止まる。
 凝視をする忍。

━━潤いのあるあの唇。

━━艶のある美しい黒髪。

━━愛らしいくりくりとした瞳。


 カレンダーを持つ手が震えだした。
 肩まで震えている。


━━こ、これは……。


 宰相からはカレンダーが邪魔して、忍の表情が見えない。

「あの……宰相様私はどうしてここによばれたのでしょうか?」

 宰相は、この氷の微笑と呼ばれるシルクにとっても、このカレンダアとなるものがいかに大発明なのかが分かって、衝撃で震えてると勘違いしていた。

 「ああ……それなんだがな。それは最近発明されたカレンダアというものだ。一年を十二で割った後、更にひとなるものを三十日としたらしい。なぜこんなにグレンビィア王国の発明が最近あるのか実は、お前に調べに行って欲しいのだ。いま我がマルトの魔法団は、北方の隣国ガシュアの動きが怪しくて、そちらのほうで手がいっぱいなんじゃ。この前、お前の師匠がこちらに来た時にな、なにかあればお前を役立てていいと言われたんだ」


━━あーーこれが孤児院のときの取引に使われたんだなと忍は直感した。

 「幸い、あの国には留学制度があってな……優秀なものは王室内で研究が許されているんだ」

 忍はその色気のある唇を横にニヤっとあげた。

 ふっふふふふっ。
 はははははははっっっ。

 不気味な声をあげながら、明らかにこれ以上ない微笑みを浮かべている。
 宰相はギョっとして、忍を見返した。

━━やっと見つけた。

━━あの魔女は正しかった。

━━俺の念が届いた。

━━やっぱり 離れなれないんだよ。

━━ごめんね。カナ。一人にしちゃって。


 お兄ちゃん、絶対に迎えに行くよ。カナがいない世界なんていらないし。

 忍が美しい微笑みをうかべた。

「宰相様。いますぐにでも、グレンビィア王国にいく覚悟ございます。どうぞ宜しくお願いいたします」

 華麗に最高の敬意を払いながら、忍は、宰相オニールにお辞儀をした。

「そ、そうか。気に入ってもらってよかった。こちらもすぐに準備を整える」

 笑みを浮かべて「では後ほど」と言うや否や、あっという間に宮殿を後にした。
 その笑みは神秘的であり、また壮絶な美しさとその奥に秘めたる何かを感じ、宰相はその何かに寒気を感じていた。
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