藤枝蕗は逃げている

木村木下

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嘘つき

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 騎士たちはローラン様の命令で来たという。ポケットから鼠が顔を出し、しきりに前足で俺の太ももを叩いた。
「ローラン様が、俺を連れて来いと言ったんですか?」
 茶髪の騎士は言いよどんだが、仕方ないという風に肩を落とすと「はい」と答えた。
「あなたを遠ざけたことを知り、お怒りになってもうひと月も断食しておられます」
「ひ、ひと月⁉」
 驚いて声がひっくり返る。俺がローラン様から離れてだいたいひと月になるので、別れてからずっと断食しているということだ。大丈夫なのか? 心配のあまり、眩暈がする。
「さすがに水分は摂られていますが、他の物には一切口をおつけにならず、王が頭を下げても、あなたが戻らないならこのまま飢えて死ぬ覚悟だと聞く耳持ちません」
 あれほど温和で穏やかなお方が、それほど意地を張るなんて信じられなかった。茶髪の男は言い終えると、おもむろに両膝を地面について頭を垂れた。ぎょっとして思わず後ずさる。
「無礼な言葉をお許しください。そしてどうか我々と登城して頂きたい」
「で、でも、俺がくっついていると邪魔になるのでは……」
「我々が間違っていました」
 それは、ローラン様のおそばにいても邪魔にならないということか? それなら、もちろん俺はローラン様のおそばにいたかった。今すぐにでもシンディオラの城に向かって走り出したい。しかし、俺の胸には太く鋭い、まさにチオンジーの持つような棘が深く刺さっていた。それは本来王宮で育つべきだった主人を、俺の愚かさのせいで森のあばら家育ちにしてしまったことだった。彼の分厚く、ざらついた手のひらを思い出すだけで、じくじくと心が痛んだ。それは羞恥にも似ていて、いざローラン様に会えるという選択肢を前に、足踏みしてしまった。
「お、俺はみなしごだけど……身分もないし、学もないし……」
 なぜか普段は気にもしないことを口にして、嫌がるようなそぶりをしてしまう。正確に言うと俺はみなしごではなく、七歳から三十一まで迷子になり続けているだけなのだが、それを説明する気にはなれなかった。ローラン様にさえ説明したことがない。
「俺が言ったことを気にしているのなら、謝ります」
 膝をついたまま、騎士が深く頭を下げた。旋毛が丸見えになり、ローラン様が腹を空かせているというのに、俺はますます後に引けなくなった。
「邪魔になるかもしれないし、迷惑をかけるかもしれないし、お、王宮に行かない方が良いかもしれないし、」
「申し訳ありませんでした」
「それに、それに、」
 いい加減にうんと頷いてローラン様に会いに行きたいくせに、俺は意味もなく嘘をついて騎士に頭を下げさせた。ローラン様は一月も物を食べておらず、俺は今すぐにでも自分の体面や気持ちなどかなぐり捨てて駆けつけるべきなのに、なんだってこんな最低な振る舞いを? その報いを受けるかのように、つい今しがたまでやや離れた場所で騎士団長と戦っていたチオンジーが、こちらへ猛烈な勢いで向かってきた。両膝をついていた男が素早く立ち上がり、剣を構える。チオンジーは恐れ知らずにも、騎士に向かって前足を振り下ろした。俺のことは眼中にないかのように、なぜか茶髪の騎士だけを執拗に攻撃している。俺は呆然と化け物の後姿を見た。
「あなたは嘘をついている」
 不意に響いた声に振り向くと、騎士団長が馬から飛び降りるところだった。彼は剣を腰の鞘に納め、横目でチオンジーを警戒しながら近づいてきた。
「あれは嘘つきに味方する魔物だ。人間が言い合いをしていると、誠実な方に襲いかかる」
 まるで俺が誠実でないかのような物言いで腹が立ったが、事実だった。羞恥で顔が赤らむ。思わず俯き、こぶしを握る。騎士団長は俺の反応には全く興味がないらしい。手を伸ばせば触れそうな距離まで近づくと、まっすぐに俺の目を見て用件だけを手短に話した。
「ローラン殿下がお呼びだ。お前の給仕でないと物が食べられないと言っている。我々と城に来てほしい」
「ローラン様は花屋のマリーでも粉屋のローズでもパンを焼けばおいしいと言って食べるお方ですけども……」
「来たくないのか?」
 真正面から聞かれて、答えられずに口ごもる。行きたい。騎士団長は答えない俺をその透き通った金の目で見つめていたが、しばらくすると待つのが無駄だと悟ったのか「行きたいはずだ。チオンジーがまだあなたの味方をしているから」と俺を嘘つき呼ばわりした。
「あなたが来ないと、ローラン殿下は飢えて死ぬと思う。王や宰相は彼に食事をさせるためにあらゆる手を尽くしたが、彼は今日まで何も口にしていないから」
 俺は俯き、必死に言い訳を探したが、そんな俺を咎めるかのようにポケットの鼠が太ももをつついた。
「じゃあ……」
 騎士団長の刺すような視線を頬に感じながら、俺はさも仕方なくというように「じゃあ、行きます」と言った。頷いた彼が、しゃん、と澄んだ音を立てて剣を抜き、馬に飛び乗った。
 あっというまの討伐劇だった。騎士団長は馬を操ってチオンジーに近づくと、応戦していた茶髪の騎士の前に躍り出て、出し抜けに「私は女だ」と大声で言った。目に見えて化け物が動きを止める。好機を見逃さず、騎士団長は鮮やかな剣戟で獣の牙を折り、前足を切り落とした。次の瞬間には突き立てた剣の刃が化け物の上顎を貫通し、獣は全身を二、三度おおきくびくつかせ、二度と動かなくなった。
 彼は倒れた化け物の体から剣を抜くと、なにかを茶髪の騎士に言いつけ、こちらへ戻ってきた。その姿を見ながら、あの時俺が彼を引きずり倒せたのは彼が俺相手に騎士道精神を遵守していたからだと気づいた。
「今馬を手配させる。一人で乗れるか?」
 首を振る。オルランドは「わかった。ロニーと乗れ」と言った。ロニーが誰だかわからなかったが、大人しく頷く。言われた通り待っていると、馬を引いて戻ってきたのは茶髪の騎士だった。彼がロニーだった。
 馬での移動はこれ以上ないほど気まずかった。俺が意地を張って嘘をついたせいで、ロニーの整った顔には切り傷や擦り傷が無数についていた。が、彼は文句ひとつ言わず、俺を後ろに乗せて馬を走らせた。
 王都までは馬で二日かかり、中一日を騎士たちの駐屯所で過ごした。王都の中心で働く彼らは駐屯所でも良い部屋を使えるらしく、客人扱いの俺も恩恵にあずかり、信じられないほど柔らかいベッドで眠った。
 多分、城のベッドはもっと柔らかく、シーツもつるつるとして肌触りが良いだろう。こうした環境の違いを感じて、俺はさらに激しく、ローラン様に麻の服を着せたり、粗末な寝床に寝かせたりしたことを恥ずかしく、申し訳なく思った。鼠は駐屯所にいた仲間をみつけ、世間話に忙しそうだった。
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