神明の弁護者

鐘古こよみ

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1・磔の王女

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 初めにロウありき。
 ロウロウにして万物の創始者なり。
 すべからくロウを讃え、ロウに仕えよ。

     *

 気味の悪い鳴き声を上げながら、黒っぽい翼影が視界の端を過ぎ去っていった。
 エゼルディアは大きな碧眼でそれをひと睨みし、正面の曇り空に視線を戻す。
 今にも嵐が来そうな、不吉な空模様だった。

 吹き荒れる風が淡い金髪をかき乱し、細い首や白い頬に絶えず絡み付かせている。
 薔薇色の名残を残す青ざめた唇にも、柔らかな髪が張り付いているが、当の本人は時折うるさそうに首を振るうだけで、手で払い除けようとはしない。

 それもそのはず、彼女は縛られていた。
 ひと抱えもある丸い石柱の中ほどに、申し訳程度に飛び出た小さな足場を頼りにして立ち、両手両足の自由を奪われていたのである。

 屋根はなく、防風のための壁もない。
 床はあるが遥かに遠く、緞帳のように立ち込める黒雲のほうが近く見えるほどだ。
 もしも天気が悪化し、雷が発生したら――と、考えずにはいられない。
 稲妻は何より真っ先に、自分が縛られているこの柱に落ちることだろう。
 この<天罰の御柱>は、他の建物より明らかに高く聳えているのだから。

(そうすれば私に天罰が下されて、王妃派の面々は万々歳ってわけね。)

 精一杯の虚勢として、彼女は鼻を鳴らした。
 せいぜい期待しているがいい。自分はこの程度のことで死にはしない。
 必ずや生きて王宮に戻り、神明裁判などという前時代的な手法を、このサスキア王国から撤廃してやるから。

(それより先に、お父様を殺した真犯人の鼻面を、太陽の下に引きずり出してやる!)

 エゼルディアの父、つまりサスキア国王が何者かに殺害されたのは、一昨日の夕刻のことだった。
 敬愛する父の死に衝撃を受けた彼女が、悲しみに暮れる間もなくこんな場所で縛られているのは、殺害した張本人であるとの疑いをかけられたためだ。
 悪いことに状況は、全てが彼女の犯行であることを示していた。もちろん本人は、自分が犯人ではないことを知っている。知ってはいるのだが……。

(他に説得力のある容疑者の名を、挙げることができなかった。私を陥れて喜びそうな人の顔なら浮かぶけれど、あの状況でどうお父様を殺したかまでは……)

 すっかり血の気が引いた唇を強く噛みしめる。
 客観的に考えて容疑が濃厚で、しかし自分では決して罪を認めようとしないエゼルディアを、王国の最高裁判官でもあるラーフィー神殿の大神官は、神明裁判にかけることにした。
 事が国王の殺害という大事件であり、容疑者が第一位王位継承権を持つ人物である以上、審議を長引かせてはいられなかったのだ。

(玉座が長いこと空席では民が不安になる。誰が次の王位に就くのかを、早急にはっきりさせる必要があるわ。それはわかっているけれど、でも、こんなのって!)

 今さらのようにエゼルディアは憤慨し、それと同時に急激な心細さに襲われた。
 神明裁判とは文字通り、真偽を神の御手に委ねて、明らかにする裁判のことだ。
 被告人は<天罰の御柱>に縛り付けられ、風雨に曝されたまま五日間、飲まず食わずの状態で過ごさなければならない。
 罪がないのなら神がその者の命を守るだろうし、罪を犯していれば命をもって償うことになる、という発想である。

 容疑濃厚なのが身分の低い者であれば、即断即決で処刑されていただろう。
 王族であっても第一位王位継承者でなければ、幽閉された状態で新王の処断を待つことになったはずだ。
 エゼルディアがこんな状況に陥っているのは、ひとえにその身分と立場による。
 生き残れば民は自分を、身の潔白を神に証明された統治者として受け入れるだろう。それ以外の道は死だ。だが、最後まで耐えることができるだろうか。

(神よ、私は無実です。どうかお気付きください!)

 碧い瞳を天に向け、エゼルディアは神に呼びかけた。
 たとえ無実であっても、神がこの裁判に気付いてくれなければ意味がないのだ。
 もちろん裁判自体は、神殿が定めた形式に則って正しく行なわれている。
 しかし、近年腐敗が著しく、ただの権力機関となりつつある神殿の形式を、神が認めてくださるだろうか。

(お願いです、サスキアの神よ。どうか私に力を……!)

 ぎゅっと目をつむり、エゼルディアは強く祈った。
 今や世界中に版図を広げるラーフィー神殿の神ではなく、かつてサスキアに息づいていた、古い神に向けて。

 ――ふいに耳の近くで、大きな羽音がした。

 罪人の死を待ち、その屍を食らう不吉な鳥が、空腹に耐えかねて襲ってきたのだろうか。
 慌てて目を開けた途端、思いがけない強い光が瞳に飛び込んできた。
 白っぽい風景の中に、背の高い人影を見た気がして、エゼルディアは顔を背けながら眉をひそめる。

(こんな空中に、人影?)

 馬鹿馬鹿しい。単なる見間違えだと、自身で一蹴しかけたときだ。

「僕に弁護を依頼するか?」

 聞き覚えのない青年の声が、耳に飛び込んできた。
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