58 / 146
第四章 くるみパン大人形
第五十七話 A組、B組、D組
しおりを挟む
瀬名と別れ、自分の教室に向かおうとした矢附だったが、その足でそのまま奈菜の姿を探しに行こうと決めた。だが、数歩踏み出したところで、ふと、妙な違和感に気づく。
──自分の教室に戻る。
瀬名にそう言われ、矢附も頷いていた。けれど、それはおかしい。
瀬名と矢附は、同じクラスだったはずだ。バレーボール部の部長と部員。監視する側とされる側。そういう関係だった。
にもかかわらず──さっき、階段を上った先で瀬名と別れたとき、彼女は矢附とは違う方向に歩いていったのだ。
瀬名の向かう先は、C組やD組の教室が並ぶエリア。けれど、二人が所属するはずの教室は、二年B組。奈菜がいると思われる二年A組は、そのさらに奥にある。
このズレは、偶然のはずがない。
──追いかけるべきか?
それとも、まず西生奈菜に会いに行くべきか?
迷った末に、矢附は踵を返した。これ以上、他人任せにするわけにはいかない。どうにもできなくなる前に、自分で動き、確かめなければ。
瀬名の後ろ姿を探し、廊下を進む。すぐに追いつけると思っていたが、思ったよりも距離が離れていた。
やがて、瀬名は二年D組の教室に入っていった。
そこは、二人の教室ではない。まるで当然のように違う場所へと向かうその様子に、矢附は胸の奥がざわめくのを感じた。
早足になりながら、教室の入り口まで近づく。
「おはよう、朋美。まぁた眠そうな顔して。昨日もバイト遅かったの?」
瀬名の声が聞こえる。教室の中にいるのは、笠原朋美。
茶色のショートボブに、くりっとした瞳。柔らかそうな唇に、どこか可愛らしい丸みを帯びた体型。座っていても背が高めなのがわかる。
「うん、そうなの。今のバイト先さ、すごくいい雰囲気でね。つい、残業も引き受けちゃって。あ、高校生がやっちゃいけない時間まで働いてたのはナイショね。ワガママ言って無理に残らせてもらってるから、あんまりバラすとバイト先に迷惑かかるかも」
矢附にとって、笠原は「どこかで見かけたことがある」程度の存在だった。
名前も、誰かから聞いた記憶があるような──そんな、ぼんやりした印象しかない。
中学時代は別の学校、高校ではクラスも部活も違い、特に係で関わったこともない。なのに、どこかで確かに、対面した記憶がある。それがなんだったのか、思い出せないまま胸の奥に引っかかっていた。
「……あれ、矢附さんだよね?」
覗き込むようにしていた視線に気づいたのか、笠原が小さく手を振ってくる。
その言葉に瀬名も気づき、軽く目を見開いた。
「どうしたの、矢附? ……私、何か忘れてたっけ?」
瀬名が口にしたその問いに、矢附はさらに違和感を覚える。
彼女は常に部長として上に立ち、相手に落ち度を問う立場を崩さないはずだった。だが今の口調は、まるで自分に非があるかのような、そんな言い方だった。
「違うの……その、笠原さんに用があって」
「え、私?」
咄嗟に出た言い訳。けれどもちろん、笠原に何か用があるわけではない。次の言葉をどう続けるか、矢附は内心で焦った。
交流もない相手に話題を繕うのは難しい。それでも、笠原は不思議そうな顔をしながらも席を立ち、入り口まで歩み寄ってきた。
笠原自身、矢附に特別な印象は持っていなかったが、どこかで見たような気がした。最近、瀬名に声をかけられるようになってから、少しだけ周囲に目を向けるようになっていたこともある。
「えっと……笠原さん、西生奈菜さんがどこにいるか、知ってますか?」
思わず出たのは、さっき迷ったもう一つの選択肢だった。
偶然かもしれない。でも、何かがこの流れに繋がっているような気がした。瀬名、笠原、奈菜──その関係に、導かれているような。
「西生さん? えーと……あんまり詳しくないんだよね」
だが、その“知らない”という一言もまた、矢附にとっては一つの収穫だった。
違和感を覚えたものの、そこに何もないと判断できるなら、それも前進だ。
「教室にいなかったなら、登校してないか……あ、図書室は? 西生さんって図書委員なんだよね。私も同じ図書委員なんだけど、私とかは仕事サボりぎみでさ。西生さんが私たちの分まで真面目に働いてて、放課後の準備とか、朝のうちにやってるって聞いたことある」
そう言って、笠原は窓の向こう──校舎の四階隅にある図書室の方を指さす。
「バイト始めてから、仕事の大切さ、準備の大切さを実感してるんだよね」と照れたように笑った。
「ありがとうございます。図書室、行ってみますね」
矢附は深く頭を下げた。話の断片が、またひとつ繋がったような気がしていた。
「あ、待って。せっかくだし、私も行くよ。……ほら、図書委員の仕事、やるチャンスって感じで」
笠原の申し出に、矢附は頷いた。断る理由もなかった。
二人が並んで廊下を歩き始めると、背後から瀬名の声が飛ぶ。
「時間、気にしなよー!」
いつものような調子で、けれどどこか、見守るような響きが混じっていた。
──自分の教室に戻る。
瀬名にそう言われ、矢附も頷いていた。けれど、それはおかしい。
瀬名と矢附は、同じクラスだったはずだ。バレーボール部の部長と部員。監視する側とされる側。そういう関係だった。
にもかかわらず──さっき、階段を上った先で瀬名と別れたとき、彼女は矢附とは違う方向に歩いていったのだ。
瀬名の向かう先は、C組やD組の教室が並ぶエリア。けれど、二人が所属するはずの教室は、二年B組。奈菜がいると思われる二年A組は、そのさらに奥にある。
このズレは、偶然のはずがない。
──追いかけるべきか?
それとも、まず西生奈菜に会いに行くべきか?
迷った末に、矢附は踵を返した。これ以上、他人任せにするわけにはいかない。どうにもできなくなる前に、自分で動き、確かめなければ。
瀬名の後ろ姿を探し、廊下を進む。すぐに追いつけると思っていたが、思ったよりも距離が離れていた。
やがて、瀬名は二年D組の教室に入っていった。
そこは、二人の教室ではない。まるで当然のように違う場所へと向かうその様子に、矢附は胸の奥がざわめくのを感じた。
早足になりながら、教室の入り口まで近づく。
「おはよう、朋美。まぁた眠そうな顔して。昨日もバイト遅かったの?」
瀬名の声が聞こえる。教室の中にいるのは、笠原朋美。
茶色のショートボブに、くりっとした瞳。柔らかそうな唇に、どこか可愛らしい丸みを帯びた体型。座っていても背が高めなのがわかる。
「うん、そうなの。今のバイト先さ、すごくいい雰囲気でね。つい、残業も引き受けちゃって。あ、高校生がやっちゃいけない時間まで働いてたのはナイショね。ワガママ言って無理に残らせてもらってるから、あんまりバラすとバイト先に迷惑かかるかも」
矢附にとって、笠原は「どこかで見かけたことがある」程度の存在だった。
名前も、誰かから聞いた記憶があるような──そんな、ぼんやりした印象しかない。
中学時代は別の学校、高校ではクラスも部活も違い、特に係で関わったこともない。なのに、どこかで確かに、対面した記憶がある。それがなんだったのか、思い出せないまま胸の奥に引っかかっていた。
「……あれ、矢附さんだよね?」
覗き込むようにしていた視線に気づいたのか、笠原が小さく手を振ってくる。
その言葉に瀬名も気づき、軽く目を見開いた。
「どうしたの、矢附? ……私、何か忘れてたっけ?」
瀬名が口にしたその問いに、矢附はさらに違和感を覚える。
彼女は常に部長として上に立ち、相手に落ち度を問う立場を崩さないはずだった。だが今の口調は、まるで自分に非があるかのような、そんな言い方だった。
「違うの……その、笠原さんに用があって」
「え、私?」
咄嗟に出た言い訳。けれどもちろん、笠原に何か用があるわけではない。次の言葉をどう続けるか、矢附は内心で焦った。
交流もない相手に話題を繕うのは難しい。それでも、笠原は不思議そうな顔をしながらも席を立ち、入り口まで歩み寄ってきた。
笠原自身、矢附に特別な印象は持っていなかったが、どこかで見たような気がした。最近、瀬名に声をかけられるようになってから、少しだけ周囲に目を向けるようになっていたこともある。
「えっと……笠原さん、西生奈菜さんがどこにいるか、知ってますか?」
思わず出たのは、さっき迷ったもう一つの選択肢だった。
偶然かもしれない。でも、何かがこの流れに繋がっているような気がした。瀬名、笠原、奈菜──その関係に、導かれているような。
「西生さん? えーと……あんまり詳しくないんだよね」
だが、その“知らない”という一言もまた、矢附にとっては一つの収穫だった。
違和感を覚えたものの、そこに何もないと判断できるなら、それも前進だ。
「教室にいなかったなら、登校してないか……あ、図書室は? 西生さんって図書委員なんだよね。私も同じ図書委員なんだけど、私とかは仕事サボりぎみでさ。西生さんが私たちの分まで真面目に働いてて、放課後の準備とか、朝のうちにやってるって聞いたことある」
そう言って、笠原は窓の向こう──校舎の四階隅にある図書室の方を指さす。
「バイト始めてから、仕事の大切さ、準備の大切さを実感してるんだよね」と照れたように笑った。
「ありがとうございます。図書室、行ってみますね」
矢附は深く頭を下げた。話の断片が、またひとつ繋がったような気がしていた。
「あ、待って。せっかくだし、私も行くよ。……ほら、図書委員の仕事、やるチャンスって感じで」
笠原の申し出に、矢附は頷いた。断る理由もなかった。
二人が並んで廊下を歩き始めると、背後から瀬名の声が飛ぶ。
「時間、気にしなよー!」
いつものような調子で、けれどどこか、見守るような響きが混じっていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
10年ぶりに現れた正ヒロインが強すぎて、10年来のダメ系幼馴染型ヒロインが敗北しそうな件について。
神崎あら
青春
10年ぶりに再会した彼女はまさに正ヒロインと呼ぶにふさわしい容姿、性格、人望を手にしていた。
それに対して10年間一緒にいた幼馴染は、堕落し酒に溺れ、泰平の世話なしには生きられないペットのような生き物になっている。
そんな対照的な2人のヒロインが戦う(一方的にダメ幼馴染が社会的にボコられる)物語が今始まる!!
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる