獣吼の咎者

凰太郎

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~第三幕~

銀弾吼える! Chapter.2

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「ほら」
 同僚の年配刑事が珈琲を手渡す。
「……どうも」
 憔悴しょうすいながらに受け取った冴子は、両手持ちに温もりをすすり飲んだ。心身疲弊に染みる。
 冴子の直感通りに、署内は安全を確保していた。
 押し寄せる死者達を阻むバリケードは急造策ながらも強固に機能し、籠城をしている分には問題は無い。
 してや、刑事部屋は最上階だ。
 安全性は確保されている。
 そう、籠城に徹している限りは……。
 それは、いつまで・・・・続く?
 刑事部屋には普段の面子メンツが集合していたものの、それでも聞き込みに出ていた数人は居ない。織部刑事もだ。
 末路は想像が着く。
 自分は幸運だったのだ。
 まだ近所へ出向いたばかりの段階で悪夢が生じたのだから。
 あるいは、この流れも〈戌守いぬもりさま〉の御加護であろうか。
(それにしても、つくづく不可思議な性質……)
 こんな状態にっても状況分析に思考が巡る。
 職業病だ。
(此処も、そうだけど……建物内部や車内には魔気が入って来ていない。地続きな一階いっかいロビーですら)
 あるいは、人工的な領域には侵入出来ないのかも知れない──そう演繹えんえき着く。
(だけど〈黒霧〉はそうだとしても〈死体・・〉はそうじゃない)
 温もりを一口ひとくちすする。
(互いの性質をフォローしあっているかのようね……霧と死体が…………)
 有り得ない……そう思いつつも、すぐに頭を切り替えた。
 有り得ない・・・・・のではない。
 信じられない・・・・・・のだ。
 事実、ここまでことごとく〝常識〟は無視され続けたではないか。
 ただ、おのれ自身が〝常識〟から脱却出来ぬだけだ……いまだに。
(まるで生き物・・・……)
 軽くゾッとした。
 これまでの人生経験から培ってきた常識観念が、次々と打ち砕かれる。
 あたかも、悪魔の遊戯ゲームのように……。
 虚脱の感慨に眺める自分のデスクは、雑多な散らかり様に普段を刻んでいた。
 資料の下から顔を覗かせているのは、密かな息抜きと隠していた映画雑誌。
 それを見るなり、冴子には乾いた苦笑が染まる。
 ゾンビ映画の表紙であった。



「ハリー・クラーヴァル、何が起きているの」
 鉄格子に隔たれながら、冴子は毅然きぜんと睨み据えて問い詰める。
 まるで彼自身を〝元凶〟と糾弾するかのように……。
 直感から無関係ではないと判断し、冴子は留置場へと足を運んだ。
 銀の弾丸による射殺──〈狼男〉──致命箇所を一撃で射止いとめる連続殺人──〈狼男〉──裏世界の住人とおぼしき素性──非現実的なオカルト趣向にもとづいた犯罪を起こした男。
 そして、現状にて世界を蹂躙じゅうりんしている災厄は、非現実的オカルト以外の何物でもない。
 ともすれば、無縁と考える方が愚かしい。
 少なくとも、何らかの〝糸口いとぐち〟ではあるはずだ。
 ベッドへ腰掛けていた男は、静かに顔を向けた。
 その沈着な微笑を見て、冴子は一瞬にして汲み取る──この男は外界の騒動を知っている。
 いな、むしろ予測していた・・・・・・
「どうやら始まったようだね」
「やっぱり……」
 反目はんもく牽制けんせい
「今日は相方の刑事は見えないようだが? 確か〝織部刑事〟と言ったか……」
「何を企んでいるの」
「誤解があるようだな、夜神刑事。コレは私が仕組んだものではない。予見こそしていたがね」
「予見ですって?」
現在いまは、何年何月だね?」
「一九九九年七月──」思い当たってハッとする。「ふざけないで! コレが『ノストラダムスの大予言』だとでも言うの! そんなバカげた話が──」
「だが、現実・・として起こっている」
「──ッ!」
 息を呑んだ。
 ぐうの音も出ない。
 紛れもない〝現実〟を突きつけられては……。
 いや、何よりも彼の鋭い眼差まなざしは〝真実〟を宿し、そこに虚偽きょぎ姦計かんけいが含まれていない事を物語っている。
 途方もない理不尽に絶望感が増長する。
 ドス黒い荒波が心を難破船と呑んだ。
 無力にたたずむ理性を呼び戻したのは、持ち前の使命感であった。
 深呼吸を自己鼓舞とし、冴子は気丈を取り戻す。
「……話して頂戴、知っている事を洗いざらい」
 瞳に宿る正義の意志。
 決して折れる事は無いであろう芯の強さ。
 嗚呼、気高い……この者ならば、選ばれる・・・・であろう。
 そう確信したからこそ、ハリー・クラーヴァルは賭けてみても良いと思えた。
 しんば外れたとしても、して大きな損失ではない。
 すでに〈地獄の門〉は開かれているのだから。
 世界は〝新たな時代の幕開け〟へと進んでいる。
 破滅という名の〝幕開け〟へと……。



 カーラジオから流れてくる緊急生放送。伝えてくるのは刻一刻こくいっこくと猛威を増す世界情勢と、日常の瓦解具合。パーソナリティーは極力冷静を装っているが、興奮帯びる語気が切羽詰まった緊迫を感受させる。
 死体とはいえ、無差別に跳ね殺すのは気分のいいものではなかった。すでに、どれだけの頭数をころしたかは判らない。
 それでも冴子はアクセルをゆるめなかった!
「……馬鹿げている」
 爆走するパトカー!
 規律性を強調する白と黒のツートーンカラーが、赤黒い押し花で汚されていく!
「馬鹿げている!」
 また一体を跳ねた。
 フロントガラスから視界を奪う赤をワイパーで払う。
 殺戮さつりくの暴走は、そのまま彼女の心情のように……。
「飛ばすのはいいが、事故を起こさないでくれたまえよ? わずかながらも、まだ生き残った者・・・・・・もいる」
 助手席から釘を刺すのは、同行したハリー・クラーヴァルであった。
「だって、馬鹿げているわよ! こんなの!」
 いきどおりを吐き散らす!
 かろうじて興奮を抑えているも、理性的にるだけで精一杯のようだ。
「魔術秘密結社〈薔薇十字団ローゼンクロイツ〉……そんなものが!」
るのさ。そもそも〈現代科学〉の基礎は、広義に〈魔術〉と定義されている〈錬金術〉が発生源だ。とかく〈眉唾まゆつばオカルト〉と捕らえられる〈錬金術〉だが、実際には〝脱オカルト思想〟──つまり、それまで〈魔術〉が信憑性を誇示していた時代にいて、化学反応を根とした合理的プロセスによって万事を立証しようとした新鋭学門だったのだよ」
鉄屑てつくずから金を産み出そうとしたような連中が?」
「時代的な価値観差だな。現代では稚拙ちせつなオカルトにしか映らないだろうが、全盛期当時を背景に考えれば充分に〝化学的〟だった。事実、いくつかの元素や蒸留技術といった諸々の基礎知識は〈錬金術〉が確立したものだ」
「……学校じゃ教えてくれなかったわよ」
 露骨に皮肉めいて返す。八つ当たりだ。
 それでも、彼は何も言わずに受け止めた。
 真実味を欠く説明に、彼女は常識と現実の狭間を葛藤している。なればこそ、無理からぬ……と。
 その上で、彼は淡々と補足を続けるのである。
 必要な事だ。
 これから先、この〝夜神冴子〟という娘には……。
「魔術秘密結社〈薔薇十字団ローゼンクロイツ〉──彼等は常に〈真理〉を求め、そのために〈叡智えいち〉の発展を貪欲に求める。そうした概念故がいねんゆえに、既存常識には捕らわれない独自の価値観を持っているのさ。現代人には〝眉唾まゆつばオカルト信者〟としか映らぬだろうがね」
「あなたは、その組織の一員……だった」
「ああ。確かに、かつてはせきを置いていたが……現在いまたもとを別っている」
「何故?」
「不毛に思えたのだよ。とりわけ〝永遠の生命いのち〟を追い求めるなど……」フロントガラス越しに虚空を眺める表情は、穏やかに渇いていた。「さて、話を本題に戻そうか。そうした背景から〈薔薇十字団ローゼンクロイツ〉では、今回の事象も予見していた。そもそも君達きみたちが発端と認識している〝ノストラダムス〟も、かつては〈薔薇十字団ローゼンクロイツ〉の一員だ。私同様の脱退者──裏切者だがね。そして、彼の啓蒙けいもうした終末予言も、本来は〈薔薇十字団ローゼンクロイツ〉が秘匿していた極秘情報になる。それを全人類への共有情報として開示したに過ぎないよ。こうした反組織者からの示唆は、さかのぼるに『聖書』にも織り込まれている」
「……これが『終末の日アルマゲドン』とでも?」
 反抗的にける一瞥いちべつを横顔に受け止め、ハリー・クラーヴァルは続ける。
「組織では事象そのものを予測していたが、災厄の原因までは探究していない。彼等が重要視したのは〝未然に防ぐ事〟ではなく〝如何いかにして顕現けんげんの世界で台頭するか〟なのだから。しかし、この災厄が、どのような展開を見せるのか……彼等は把握していた」
「この状況を?」
「いいや、現状況は発端に過ぎない」
「何ですって!」
 驚愕に染まる冴子!
 まだ、これ以上の災厄が訪れると言うのか!
 絶望と恐怖を噛み締める様を目の当たりにしながらも、ハリー・クラーヴァルは平然と続ける。
「やがて〈死者〉よりも恐るべき怪異が人類を襲う。それは現世を喰い潰し、程無ほどなくして文明は滅びるだろう──いや、人類の支配権が剥奪はくだつされると言った方が正しいか」
「何なの……それ・・は!」
「…………」
 無言。
 回答は無かった。
「夜神刑事」おもむろに沈黙を破ったのは、ハリー・クラーヴァルの方であった。「コレをきみに授ける」
 そう言って懐中から取り出したのは、件の銀銃だ。
 大方、署内の混乱に乗じて奪還して来たのであろう。
らないわよ、そんななまぐさ玩具オモチャ
 嫌悪感もあらわ一瞥いちべつが拒否した。
「これから先、必要になる」
「ナンブが有る」
「いいや、この銀銃は〈人外じんがい〉に対して圧倒的に有効ゆうこうだ」
「引けないでしょ!」
きみなら引ける」
「何でよ!」
きみならば、この銃に選ばれるからだ」
 ハリー・クラーヴァルから注がれる目力めぢからは、確信めいた強い意志力いしりょくを帯びている。
 だから、冴子は気迫呑まれに確認した。
「……それ・・って、もしかして?」
「名は〈ルナコート〉──きたるべき〈闇の時代〉を見据えて〈薔薇十字団ローゼンクロイツ〉が造り上げた武器だ」
「やっぱり〈錬金術〉絡みか……胡散うさんくさいデザインとは思っていたけれど」
「私が組織逃亡時に強奪し、ついでに量産不可能となるように設計図も燃やし尽くした。すなわち、唯一ゆいいつ現存する一丁いっちょうさ」
「何故、設計図も?」
「新たな時代の幕開けは、有象無象の混沌から始まるだろう。そんな中で、こんな優勢で武装した組織力そしきりょくを発揮されれば、世界は瞬く間に〈薔薇十字団ローゼンクロイツ〉の掌中に治められてしまう。あの歪んだ組織による世界制圧だけは未然に防ぎたかったのでね」
「随分と毛嫌いしたものね」
 淡く苦笑にがわらいつつ、銀銃へと一顧いっこいだく。
「ルナコート……か」
 はたして、それはどちら・・・の意味であろう?
 ルナか?
 狂気ルナか?
 しばしの黙考に、冴子は天秤を計った。
 多少でも『ゾンビ退治』に効果的ならば、騙されたと思って使用するのも悪くない。
 何よりもニューナンブの手頃感は心許こころもとさもあった。玩具オモチャ染みているとはいえ、この武骨さは魅力だ。
 スッと伸ばした手が重みを受取り、ももの上へと寝かせる。
 気が付けば、いつしかラジオは無言と化していた。
 時折聞こえてくるのは、物品が崩れる乾音と低い唸り声のみ──そういえば、数秒前に悲鳴に彩られた喧騒が流れていたようにも思う。
 目的地までの疾駆を重い沈黙が支配した。

 そう、目的地──〈戌守神社いぬもりじんじゃ〉まで。



 自分が〈刑事〉としての道を歩んでから、実家の責務である神事は妹へと継承された。
 とはいえ、妹は現在高校三年生──一昨年おととしからの御務めとはいえ、未成年者ゆえに休みの時にしか祭事奉仕のタイミングは無い。逆を言えば、青春期に大切な〝自由〟は、総て家系のしがらみにえと還元されてしまっているという事だ。
 卒業すれば、そのまま跡継ぎとなってしまう──これは冴子にしても後ろめたい負い目であった。
 みずからの自由のために、妹を人身御供ひとみごくうとしたようなものだ。
 それでも、妹は笑顔に言ってくれた──「お姉ちゃんは、やりたい事をやればいいんだよ」と。
 どうして?
「だって、お姉ちゃんには〝自由〟が一番似合うもん」
 ごめん。
「それに、お姉ちゃん〈刑事〉になるんでしょ? それって〈正義の味方〉じゃない? かっこいいもん!」
 そう……かな?
「うん!」
 屈託の無い微笑ほほえみ。
 愛しい。
「あーぁ……私も、お姉ちゃんみたいに〈正義の味方〉になりたいなぁ」
 ……ごめん。
「ほら、またヘコむ! そういう意味じゃないってば!」
 でも……。
「私は私で〈巫女〉になるの! それで、困っている誰かを助けるの! お姉ちゃんみたいに!」
 そして、また無邪気に微笑ほほえんだ。
「頑張ろうね? 私達、二人で〈正義の味方〉だよ?」



 自宅内に人の気配は無かった。
 しかしながら、冴子には軽く心当たりが浮かぶ。
 大会堂──本堂裏からの渡り廊下で境内奥へとつながっている集会場だ。主に迷いをいだく信者が、母や妹から〈戌守いぬもりさま〉の神託にすがる宗教的意味合いの強い場所であった。
 この神託相談を、夜神家では〝御務おつとめ〟と称していた。
 さりながら〈宗教〉と〈信仰〉は密接にありながらも、厳密には異なる──と冴子自身は思うのだが。
 ともあれ二人の探索者は、そこへと足を運ぶ。
 はたして妹はた。
 まともに妹の巫女姿を見たのは、おそらくこれが初めてになる。仕事柄、家族と擦れ違う時間が増え、ことに神事に関してはノータッチであった。
 いなあるいは無意識に黙殺していたのかもしれない。
 自身の後ろめたさから……。
 純白の清廉さが無垢な性格に映え、緋袴ひばかまが神聖な高貴さを演出する。
 姉である自分でさえ見惚みとれる清廉せいれん──そして、護ってあげたくなる小柄な愛らしさ。
 こんな局面でなければ、きっといとしさに抱き締め撫でていただろう。
 そう、こんな局面・・・・・でなければ……。
「な……何を……しているの?」
 ようやく絞り出した冴子の声は、ワナワナと震えていた。
 信じ難い光景に……。
 慄然と驚愕に……。
 そんな姉の動揺を感受する事もなく、愛らしい巫女は柔和に微笑ほほえんだ。
「お姉ちゃん、今日は早かったんだね?」
 童顔が内包する深い慈母性。
 だからこそ、ゾッとする。
「何を……何をしているのかっていているのよ!」
 憤怒ふんぬまかせに向ける白銀の銃口じゅうこう
 妹の背後にるのは──多数の死体であった!
 老人もいる! 子供連れもいる!
 知った顔も見知らぬ顔も!
 ある者は毒薬の吐血に息絶え、またある者は腹部を刃物でさばき……自害である!
 直感が悟らせる!
 これを先導したのは……妹だ!
 これだけの血臭けっしゅうに居合わせながらも、一切、血のけがれを浴びていない妹だ!
「どうして? 何で、そんな物を向けるの?」
 無垢な表情が小首を傾げる。
 戦慄に拍車が掛かった!
 そこに演技は無い。
 心底、本当の疑問だ!
「集団自殺……か。うながしたのかね?」
 並び立つハリー・クラーヴァルが平静な抑揚で追求するも、その眉間は不快を刻んでいた。
「おじさん、誰?」
 戦慄の無垢が怪訝けげんを向ける。
「この状況を利用して、絶望をあおった……大方、この者達は悲観に暮れていたのだろう。生きる気力すらえた心には、付け入る神託にあらがすべなど無い」
「うん、そうだよ?」満面の微笑ほほえみ。「だって、この世・・・は無くなっちゃったんだもの……どうせ生きてても〝希望〟なんて無いでしょう?」
「何て……事を!」
「ねえ? お姉ちゃん、見て! わたし、こんなに、たくさんの人を救った・・・んだよ!」
 嬉しそうに……誇らしそうに両手を広げて回り、おのれの功績を披露していた。
 しかし、純潔が誇示するのは鮮血の悪夢!
 それ以外の何物でもない!
「あなたは……あなたは、自分が何をしたか分かっているの!」
 吠える激昂!
 円舞が止まった。
「お姉ちゃん、何を怒っているの?」
 まただ。
 また邪気無き悪意が無垢に向けられた。
 やめて──それ以上、私の内・・・けがさないで!
「みんな沈んでいた……みんな嘆いていた……『もう終わりだ』って……『明日なんか来ない』って…………」
 ふくうれいは、掛け値無しの同情。
 心底からの慈愛。
 それは一転して屈託の無い邪気へと明るく歪んだ。
「でもね? だったら早々に〈戌守いぬもりさま〉へすがって、その御側に仕えた方が幸せだよ? そこには希望・・があるもの」
 違う──。
「そうだよ。これは御慈悲。これは〈戌守いぬもりさま〉の御加護……アハハハハハ……アハハハハハハハ…………」
 ──違う!
 何故なら〈戌守いぬもりさま〉は、此処・・る!
 私のかたわらにる!
 怒りにたぎっていらっしゃる!
 あなたへ牙を剥き出している!
「信仰は生きるため・・・・・にあるの! 心を正しく保ち、明日へ臨むために! その心を……魂を奈落へ叩き落とすためじゃない!」
 狂乱の笑いから一転に鎮まり、妹は不思議そうな表情を向けた。
「どうして? どうして、お姉ちゃんはそんな事を言うの? お母さんは褒めてくれたのに?」
「……え?」
「だって、そうでしょう? わたし達・・・・と知り会えたから、みんなは〈戌守いぬもりさま〉へ仕える事が出来たんだから。お母さんは、そう教えてくれたよ?」
「お母……さん?」
 まさか?
 そんな?
 いつから?
 いいや、いつしか・・・・
 この家は……この信仰は歪んでいた・・・・・
きみは……いや、君達・・は、いったい〝何〟を崇めているのだね?」
「決まっているでしょ? 〈戌守いぬもりさま〉だよ? だって、うちは代々〈戌守いぬもりさまの巫女〉なんだもん」
「はたして、そうかな?」
 意味深な指摘に、妹はピクリと反応する。
 ハリー・クラーヴァルの示唆は、微かにあわれみを帯びていた。
 それでも、次の瞬間には再び狂喜が踊り舞う。
 まるで不都合な言葉を忘却しようとするかのように……。
「みんな幸せ……みんな救われた! わたし達だって、そう! きっと〈戌守いぬもりさま〉だって喜んで下さる! よくぞ、これだけの信仰を捧げてくれた──って! アハハハハ……アハハハハハ!」
 冴子は見た──その演舞にまとわりつく薄黒いもやを!
 外界を賑わす魔気とは微々と異なる瘴気しょうきを!
 ──けがれ。
 考えてみれば、感じる・・・者は、自分〝夜神冴子〟だけであった。
 言い替えれば、如何いかに巫女神職とはいえ〝凡人ひと〟に過ぎない。
 なればこそ、わずかに歪みが生じただけでも〈信仰〉の有り様が大きく狂うのも無理からぬ。
 例え、小石程度のつまずきであっても……。
 してや、まだ妹は高校生だ。
 謳歌おうかすべき青春を犠牲にして、古き伝統と課せられた家訓へと身を捧げる──その理不尽なかせは、どれだけの重荷であっただろうか?
 優しい子だ──。
 自分を殺してしまう子だ──。
 私とは違う────。
 嗚呼、未熟な心に鬱積うっせきした負念は如何いかほどであったであろうか?
 その苦しみを想うと、冴子の自責は心を濡らし染めた。
 この子を台無しにしてしまったのは、私の──母の──夜神家の──エゴイズムだ!
「……ねえ? お姉ちゃん?」疲れ果てたかのように鎮まり、すがるような愁訴しゅうそたずねる。「わたしも、お姉ちゃんみたいな〝正義の味方〟になれたのかな? 誰か・・を救える──」

 ──銃声!

 慟哭に崩れ落ちる残酷な英断を、ハリー・クラーヴァルは憐憫れんびん眼差まなざしで見つめ続ける。
 それしか無かった。
 掛ける言葉すら見つからぬ。

 左胸を射抜かれる瞬間の寂しそうな微笑ほほえみは、夜神冴子の心を殺すには充分な罪状であった。
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