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10月3日(月)
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……ん、もう朝……か。
カーテンから射し込む朝の光で真琴は目を覚ます。
目覚まし……携帯電話のアラームをセットしていなかったので真琴は慌てて時計を見る。
7時50分……。講義初日から遅刻するのは免れそうだけど、慌ただしい朝になりそうだ。
朝ごはんは途中のコンビニで買おう。そうすれば少し早めに1コマ目の教室に着けるはず。
1コマ目は総合科学部で一般教養の講義……。愛も早紀も一緒だ。早めに着いてお互いの状況を話そう。
真琴はラインで愛と早紀にメッセージを送る。
『おはよ。1コマ目、出る?』
返事はすぐに来た。
『出るよよ~ん』
『よよよよ~ん』
……あれ? なんだこのノリ。
〝よよよよ~ん〟って……愛?
送るグループを間違えたのかと真琴は思わず確認した。
いや、間違ってない……。
これ……早紀はいいとして、愛は……。いつも冷静で、どちらかというと冷めた感じの愛がこんなノリで返事を返してきたこと、今までにあったっけ?
少し考えたが、真琴の記憶のかぎりでは前例がなかった。
なんだ? この違和感……。
まあいいか。不機嫌なのよりは千倍マシだ。それに、あの愛が上機嫌なんだから、よっぽど良い報せがあるのかもしれない。
真琴は少し期待をしながら身支度をした。
1コマ目の教室には講義が始まる20分ほど前に着いた。
広い教室の窓際に早紀の姿を認めたので、真琴は後ろから「おはよ」と声をかけて隣に着席した。
レタスサンドと野菜ジュースが入ったコンビニ袋を机上で広げる。
「ね、そっちはどんな感じ?」
「ん? なにが?」
「なにがって……。例の……カレコレよ」
真琴がそう尋ねると、早紀は眠そうな笑顔で応じる。
「ああ、カレコレ? う~ん……。まあまあ、なのかな?」
「まあまあ?」
「うん。だってさ、そもそもさ、うちらにさ、なくない? ……やる理由」
「え? どういうこと?」
「ま、たしかに運営はウチらの嫌なもの握ってるよ、だけど業が少ないなら処刑されないじゃん? カレン見るかぎりじゃ」
「……まあ、そだね」
「愛のゴリ押しで平野とチーム組んだけどさ、うちらのチーム、誰も困ってないんだよね、実際」
「そうなんだ……。あ、そうだ平野よ。どうなってんのよ? 平野とは」
ここで早紀の顔がみるみるだらしなくなる。
「ん~。それも……まあまあ、かな」
今度の「まあまあ」は、かなり良い意味でのまあまあのようだ。
「付き合うことになったのね?」
「えーと……うん。いちおうね」
どうやら早紀の頭の中は、ひょんなことから付き合うことになった彼氏……平野が占める場所が大きいらしい。
……カレコレなんかより、ずっと。
まあ、たしかに今のところカレンでは、業が500を超えている人について10月10日からプライバシーを晒すと宣告されている。
でもそれは、そもそもの敵である運営の言葉。これまで……そう、まるで気まぐれにルール変更をしてみせている運営の言葉によれば、の話だ。
信じて安心なんかできるものじゃないはず……。
「早紀、業が少なければ大丈夫って思ってんの?」
これには早紀も少し考えてから応じる。
「……真琴。ならさ、今度はさ、カレコレ頑張れば安心なの? って話にならない?」
「え……」
「だってそうでしょ。ただでさえコロッコロ変わるルールにみ~んな振り回されんのに、せっかく今のところ大丈夫そうなのにわざわざ慌てんのもバカバカしくない?」
「それは……」
真琴が返すより前に早紀が畳みかける。
「慌てんのはさ、それこそまたデタラメなルール変更があって、ホントに自分たちがヤバくなった時でいいんじゃない?たとえば……えっと……『徳が200ない人は処刑しますよ』とかさ。そうじゃなきゃやってらんないし、もうやりたくないよ。あんな、暗くなるだけのゲーム」
そう、たしかにそうかもしれない。
業の特典、その執行……処刑の対象から外れているのに無理してカレコレを進めるのは……ただ無駄に陰鬱な気分になるだけなのかもしれない。
でもそうなると、必死でカレコレをやっているのは結局のところ業を減らす必要に迫られている人たちだけになる。
だけど、その人たちは……。そうだよ、その人たちがカレコレをやる理由は、それこそ純粋に「業を減らす」ことが目的……。
ストーリーを進めることなんて二の次だ。
それでもその人たちはカレコレをやらざるを得ない状況にあることは間違いない。
じゃあ、イヤな物語がたくさん詰まっているらしい「カレンコレクション」というゲームは、業を抱えた学生に説教するために運営が用意した罰ゲームでしかない……のか?
それは違う……。
真琴の脳裏、理屈ではない何かがそう告げた。
それは根拠を説明する術のない直感、あるいは情とでも呼ぶべきものだった。
あ、そうだ、愛……。カレコレを「運営の本命」と断じた愛はなんと言っているんだろう。
愛……。あの朝のメッセージのノリといい、愛とチームを組んでいる早紀のこの主張といい、今の愛が何を考えて、どんな心理になっているのか想像できない。
聞かずとも、じきに愛はここに来るだろう。しかし真琴は早紀に尋ねずにはいられなかった。
「ねえ、愛……は、なんて言ってんの?」
「ん? カレコレのこと?」
「あ、うん」
「……『だよね~』って」
んん? カレコレをやる必要がないという早紀の主張に……あの愛が『だよね~』とか言ってんの?
あれ? なんか……なんかおかしいぞ。
「ねえ早紀、なんかおかしくない? 愛」
「うおっ鋭いね、さすが真琴。まだ見てもいないのに」
「……どうなってんの?」
「うん。なんかね……なんか元気なんだよ、愛」
「……元気?」
「うん。元気ってか……ゴキゲンってカンジ?」
ゴキゲン? ……愛が? この状況で?
ええと……なにそれ。ヤバい。想像できない。
それに、なんでだろう……いい予感がしない。
真琴の頭がその先の追及に追い付かないでいるうち、教室の、前の入口から愛が入ってきた。
前から入る……。そんな些細ことにも真琴は違和感を禁じ得ない。
愛は教室の前中央、そこに立ってキョロキョロと教室を見渡して真琴と早紀を見つける。そして満面の笑顔で手を振った。
誰だよこの爽やか女子大生……。
なんか憑いてんじゃないの? 愛……。
「は~間に合った。わたし今日、真琴のラインで起きたんだ。サンキュ、真琴」
愛は真琴の右に座り、ドサッと音を立てながらバッグを机に置き、そして大きく息を吐く。
「……らしくないじゃん。寝坊なんて」
「昨日……てか今日か。3時過ぎまで起きてたからね」
「3人でやってたの? ……カレコレ」
「ああ、うん。私はカレコレの時間が終わってすぐに帰ったけどね。だからね、もしかしたらね、寝不足なのは早紀の方かもよ」
そう言いながら愛は前のめりになり、真琴の胸元越しに上目遣いに早紀を覗き込む。
いたずらっぽい笑顔……。そこにはカレンにかかる心配など微塵もない。純粋に友だちをからかってる顔だ。
直前に聞かされていたとはいえ、確かに愛はゴキゲンだ。一言交わしただけで判る。
そもそも登場の仕方から普段と違っていた。
目の当たりにして内心で戸惑いながら、真琴は努めて普通に愛に問う。
「平野んちで集まったの?」
「うん、そう。そして邪魔者はフェードアウトしたの」
「邪魔者とか言ってないじゃん」
早紀が反論する。わりと本気の語勢なのだが、愛に動じる気配はない。むしろ好戦的に受ける。
「ひひ、いいのよ早紀。で、どうなったのよ? 私が帰ってから」
「……なんもないし」
「ん~? ホントに~?」
「ホントだよ。だいたい……なにしても安心な場所なんて、探さなきゃ……ないよ、もう」
「ああ、うん。それは……そうだね」
……うん。どうやら冷静を失っているわけじゃないらしい。
確かになんだかノリが変だけど、これは愛だ。
目の前で飛び交う愛と早紀のやり取りを聞いて、真琴はそう判断した。
愛は自棄になったわけじゃない……。
「……ねえ、愛」
「ん?」
「愛たちは、その…もうやらないの? カレコレ」
「え? う~ん……。私はやるよ。……いちおうね」
「私は……って、どういう意味?」
「ああ、うん……。えっと……ひとりでやるのもいいかな。なんて……」
「なにそれ聞いてないし」
早紀がすかさず割って入った。わずかに申し訳なさそうな顔をして愛が受ける。
「うんゴメン。言ってない。でもね早紀、アンタが言うとおり、無理してやる必要なんかないと思うんだよ、ホントに。私もね」
「……愛、もしかして怒ってんの?」
「え? いやいやいやいや、そうじゃない、そうじゃないよ早紀。ええと……ヘンかもしんないけど、私たぶん……やりたいんだよ。アレを」
「アレって……あの、ムカつくゲームを?」
「……うん」
愛の顔が、真琴のよく知る愛の顔に戻る。
賢者……。やっぱり愛には私と違う「なにか」がある。
真琴はそう確信した。
「……やる必要はないんでしょ?」
問う真琴を愛がまっすぐ見つめ返す。
「うん、ない。あえてやるのは……そう、なんかの答えがあるかもしれない気がするから、かな」
「答えって……なんの?」
聞き返しながら真琴にも解っていた。
そう、「なんか」は「なんか」なんだ。
それがなにかを知りたいんだ。
真琴も愛の瞳を見つめ返す。そこには覚悟のようなものが宿っているように見えた。
そしてそこに悲観の色はない。
愛の心境はきっと、怖れから探求に変わったんだ。
……何かしらのきっかけで。
「要は、この騒ぎの目的を知りたい。だよね、愛」
「うん。まあ……だいたいそんなところだね。真琴は?」
私? 私……私は……どうなんだろ?
「え……と、まだよくわかんないや。たぶん今日もチームで集まると思うけど」
「どこまで進んだ?」
「まだ法学部に入ったばっかだよ。昨日の終わりは全員でパチンコしてたし」
パチンコというワードに、愛と早紀の両方が食い付いた。
「マジで? 真琴のチームもパチンコしたの?」
「え? うん。……じゃ、愛たちも?」
「うん。ヤバいよね、あれは。ハマりそう」
「ってことは……勝ったの? 愛たちも」
愛はおもむろに携帯電話を取り出してカレンを開く。そして真琴に差し出した。
これ……は、所持金ランキング。
……え? これ、もしかして……。
真琴の目はランキング表示の7位で停止した。
7位「三中」 381,455円
「この三中って……」
「うん、ウチらだよ」
すごい……。いや、でも自分たちは昨日の終わりの2時間だけで20万円近くまで増えたんだ。だから驚くほどの額じゃない。
驚くポイントは……そうだよ、あの愛が、もはや目立つことすらも憚らなくなってる点だ。
「……目立っちゃダメなんじゃなかったの?」
「ん? ああ、うん。まずい目立ち方とそうじゃないのがあるんじゃないかな……ってね」
ブレてる……ような気がするけど、あれほど目立つことのリスクを説いていた愛がそう容易く主張を翻すとは思えない。
ここまで愛の心理を動かしたものは何だ?
この変わりよう……。何か相当なことがあったはず。
そして、今の愛が発する言葉の端々には、それを濁そうという響きがある。
早紀はさっき、この愛を「なんかゴキゲン」と言った。
つまり、原因となった出来事を早紀も知らないんだ。具体的には。
聞けばいい……。「なにがあったの」って聞いてしまえば案外、たいした理由じゃないのかもしれない。
でも、いいのかな? 聞いても……。
……よし、聞こう。言いたくないことなら……そう、きっと、はぐらかされて終わり……。
そこでしつこく食い下がらなければ険悪にはならないはず……。
携帯電話を愛に返しながら真琴がまさにその問いを口にしようとしたとき、ガヤガヤしていた教室の騒音が止む。
前を見ると1コマ目の担当教授が教室に入ってきていた。そのまま講義が始まる。
機を逃した……。携帯電話を渡し終えた真琴の手のひらにそんな感触が残った。
聞くのはそう、いつでも……講義が終わったときでも、お昼ごはんのときでも聞けるけど、でも……。
でも、愛がなにかをポロッとこぼすなら、聞くタイミングは今しかなかった……。そんな感触……。
愛は今、なにか確かめるように私を見て携帯電話を受け取った。そして教授が入ってくるとすぐに前を向いてしまった。
私が聞こうとしたこと……たぶん愛は察した。
しっかりと……何を聞こうとしたのかまで……。
そして講義は淡々と進む。始業に先立って教授の口からカレン騒動について触れられるようなことはなく、何事もないかのように始まり、みんなは何事もないかのように講義を受けている。
それは次の講義も同じで、後期日程最初の平日、大学は本当に普通に動き始めたようだった。
さすがに講義の合間、学生たちの話題はカレンのことで持ちきりのようだったが、それ以外は全くの通常運行……。
カレンは話の種に過ぎない。個々の胸中はさておき、大学を覆う全体の雰囲気はそんな風だった。
……異様だ。ある意味、これは……。
それが真琴の感想だった。
カレン運営の毒……そしてカレコレという枷は、見事に大学のど真ん中に軟着陸してみせたんだ。
おそらく……運営の狙いどおりに。
とんでもない大きな異物を飲み込みながら、それでも大学は秩序を維持しようとしている。
標的である学生たちまでがそう動いている。いや、これは正確じゃない。そう動くように誘導されてるんだ。
パニックになっちゃいけないという心理を巧みに操られて……。
カレンのことで取り乱すのは恥……そんな空気を感じる。
ホントはみんな、心中穏やかじゃないのはずなのに……。
それで……どうなるんだ? これから10月10日……執行が始まるその日まで。
なんにも起きないはずない。それもみんなは分かってるんだ。……絶対。
午前の講義を終え、真琴たちは3人で学食に入り、四人がけのテーブルに着く。
食事中も相変わらず愛は陽気だ。興味津々で真琴に島田のことを尋ね、平野をネタに早紀を冷やかす。
そして愛は、カレンやカレコレのことも抵抗なく語る。
真琴は愛から、愛たちのチーム「三中」の3人が、みんなで法学部ステージを終えたところまで進めてから平野の提案でパチンコに行ったということを聞いた。
それを聞いて真琴は法学部ステージのストーリーを尋ねたが、愛に「ネタバレはしないよ、難しいわけじゃないんだし」と言われてしまった。
「でもさ、そんなに稼いでどうすんの?」
「ん? 稼ぐつもりで稼いだわけじゃないよ。平野に言われてみんなでパチンコ行ったらみんな勝った。それだけよ」
「ああ、そっか」
「でもね真琴、貯めて損はないよ、カレコレのおカネ。……たぶん」
「そう……なの、かな」
「うん。持ってる額で買えるものだけしか売店で表示されないから、いっぱい貯めた先に何かあるかもしれないし、それにこれ、おカネじゃ買えないおカネだしね」
「あ……そうか」
「たぶんカルマトール買ってる人には……現金よりも価値があるんじゃない? これ」
「……そうかもね」
「だからね、失敗したなって思ってんだ」
「なにを?」
「チーム名」
「チーム名って……三中?」
「そ。ウチらだってバレバレじゃん。カネ目当てでちょっかい出してくるのがいそうじゃない?」
「そんな……」
いや、あり得る。そう思って真琴は言葉を止めた。
そして別の質問を投げる。
「でもさ、チームのお金が狙われたとしても、盗まれたりはしない……でしょ?」
「うん。だから考えられるやり方は、交渉か脅し、かな」
「交渉してどうなんの? あのおカネって、よそに移せるの?」
「えっと……いい? 真琴、あれはね、チームの財産なんだよ」
「……そうだね」
「でね、誰かがチームを抜ける申請をして、他のメンバーが承認すればチームを抜けられるんだよ。抜けたところにひとり入れれば、その入った人はチームのおカネを使えるよ」
「そんな手間……交渉してくる?」
「するよ、たぶん。だってさ、そうね……あり得ないけど、たとえばチーム全員に百万円ずつくれるっていう人がいたら、私はオッケーするよ」
「まあ…そうだね。なんせ困ってないからね、今のところは」
「あと……あ、そうよ。めんどくさいのは、泣きついてこられたときじゃない? 『おねがい助けて』って」
「うわあ……それはヤだね。……しかも、ありそうだね、それ」
「ね、絶対あるよね。ホント失敗だわ。このチーム名」
「そうだね。学科のみんなは分かるから、先輩たちにもすぐにバレちゃうね」
「うん……。泣き付かれても断るけど、イヤな気分にはなるだろうね」
「だね。まだ交渉の方がいいね、よっぽど」
黙々とカツ丼を飲みこんでいた早紀がここで箸を止めた。
「ねえ愛、そういう話はさ、平野に押しつけちゃえばいいじゃん。『窓口は平野です』って」
「ん? ……うん。まあ、それもアリ……かな」
「あいつ、たぶん喜んで引き受けるよ。今なら」
「なによ早紀、もう尻に敷いてんの?」
「ん? そんなことないけど、あいつ、ウチらの頼みならヤル気出すよ。ね? 愛」
「まあそうね。案外頼りになるしね。あいつ」
「へえ、そうなんだ。……まあ、意外とそうかもね。普段はフザけてるけどね」
「真琴、それは早紀の前だからだよ。あいつ子供っぽいんだよね、ちょっと」
「……そんなことないし」
「そりゃ早紀と比べれば……ね」
「ムキーッ。私あんなにガキじゃないもん」
付き合い始めたばかりの自分の恋人をガキ呼ばわりするのもいかがなものか。
まあ、私と島田くんの組み合わせよりノリがいいことは間違いないな。きっと。
「そういやさ、真琴のチームはなんていうの?」
「あ、そうだよ教えてよ」
う……。チーム名の話題は去りかけてたのに逃げ切れなかった……。
真琴は答えを濁す。
「え? わたし? わたしは……いいよ、その話は」
「なにその返事。カンジ悪くね?」
「え……あ、そんなつもりない……けど」
「けどなによ」
早紀が真琴を追及する。
できれば答えなくない……。真琴は言葉に窮する。
「早紀、やめとこ。これは真琴が正しいよ」
「は? なに言ってんの愛」
「他人が知らないことは漏らさない。真琴は正解だよ」
「え? なにそれウチらにも秘密ってこと?」
違う。そんなんじゃない。そんなんじゃないけど……。
迷う真琴は何も言えない。
「そ。まあ、ちょっと寂しいけどね」
そう言う愛の声には落胆の色が混じる。
誤解だ……。真琴は気持ちを口にする。
「違う。秘密なんかじゃない」
愛と早紀、4つの瞳が真琴に向く。
「秘密じゃなきゃ、なによ」
「…………。」
早紀は言葉で、愛は視線で真琴に詰め寄る。
「え……と……その……恥ずかしいから」
「………は?」
「どういうこと?」
早紀の顔には驚きが、そして愛の顔には心配の色が浮かぶ。
ああ理沙……全部、全部アンタのせい……。
「……分かった。……言うよ」
「なにもったいぶってんのよ」
「…………。」
「……いい? ……言うよ?」
「……なによ真琴。……たかがチーム名でしょ」
「…………つるぺた」
真琴を射る瞳が見開いた。
愛と早紀は一旦顔を見合わせてから視線を真琴に戻す。
一寸の沈黙の後、早紀が恐る恐る口を開く。
「え……っと。あの……さ、もしかして真琴、サークルだとそういうキャラ?」
「いや、キャラは同じだよ。ああもう、だから言いたくなかったのに……」
真琴の様子を見て、謎が解けたような顔で愛が言う。
「ああそっか。真琴……いるのね? 早紀みたいなのが」
「うん、そう。それ、あたり」
「な~んだ。心配して損したよ」
「……なによ愛、どういうことよ」
「あんたみたいなキャラがいるんだよ、サークル……てかチームに」
「……私みたいなって、具体的にどんなキャラよ」
「………いいのかしら? ……言っても」
愛は少し顔を上に向け、無理やり見下しながら早紀に言う。
「……なんか……聞かない方がいい気がするね」
「それが賢明よ、早紀」
「うおおお、なんかムカつく」
なんとか誤解されずに済んだ。
それに……うん、やっぱり愛は愛だ。冷静で聡明……。
なんとなく雰囲気が変わったけど、それはむしろ良い変化……。
まとっていた影が消えた……。そんな雰囲気だ。
「ねえ愛、なんかあった?」
真琴は、自分でも重さを量りかねる問いを、できる限り静かに、そっと投げた。
愛の動きが一瞬だけ止まる。
「ん? ないよ、なんにも。なんで?」
「あ、いや、なんか元気だなって……。なんかこう、いいことでもあったみたいに見えるから……」
「そう? ああ、うん。……まあ、そうかもね」
「……教えてよ」
「え? なによ真琴、なんにもないよ、ホントに。あえて言うならアンタたちに彼氏ができたことくらい、かな?」
……これは、引き際か?。
いや、もうちょっとだけ……。
「カレンは関係ない……の?」
愛の表情が一旦停止する。
まずい、しつこかったか……。
「ああ、カレン……。さすがに鋭いね、真琴」
ん、何か聞けるのか?
真琴が食い下がっても愛の表情は曇らない。焦りも苛立ちもない。
「鋭くなんかないよ。ただ、カレンのことがあるのに愛は心配じゃないのかなって」
「心配じゃないって言ったら嘘だけど……。そうね……自分より明らかにヤバい状態の人がたくさんいるってのと、あと、運営は嘘をつかない……ような気がしてきたのかな? うまく言えないけど」
「運営が、嘘を……つかない? 信用できるってこと?」
「ん? 信用ってか、なんかこう……運営が定めたルールは、運営にとっても絶対なんじゃないかなって……そんなカンジ」
「なに? どういうこと?」
「え……と、なんて言ったらいいんだろ……。カレコレやってて思うんだよね。運営は、義憤を煽ってるっていうか、共感を募ってるっていうか」
「ああ、うん、まあ……なんとなく分かる」
「だからね、そういうことがしたいなら、筋の通らない裏切りとか、いきなりの処刑とかは厳禁だと思うんだ。反感買うだけだから。ま、弱味握って脅しといて、なにをいまさら……とも思うけどね」
「……うん」
「運営は……そう、宗教みたいなもん。そんな気がしてきたんだよ」
「……宗……教」
「なにそれなんのカルト?」
「カルトかどうかはまだ判んないよ。でも、業に縛られた人たちは、洗脳っていうか……ほぼ強制的に入信させられそうになってて、そうじゃないウチらみたいな人には選択の余地が残されてる。うん。もしかしたら今、ホントに宗教が産まれる瞬間を見てるのかもよ、ウチらは」
カレンが……宗教……。
だとすればカレコレは、さしずめ洗脳ツールか。
でも愛は……。選択の余地があると言う愛はさっき、カレコレを続けると言った。
つまり、自主的にやるんだ。
「じゃあ……つまり愛は、運営が何を言いたいのかを知ろうとしてんだね?」
愛が少し考える。
「まあ…そういうことになんのかな? うん。それに、どんなかたちであれ私たちの弱味を手放してくれないと無視できないしね、運営」
「お説教!」
「……なによ早紀、いきなり」
「新しい宗教の名前だよ。ピッタリくない?」
「まあ……たしかに……そんなカンジよね」
なるほど……。愛は考えた末、運営の性質を見切ったということか。
その上でカレコレを進めるということは……つまり、カレンが宗教であるとするなら、その教えを知ろうということだ。
自覚があるかはさておいて、愛は運営の行為に一定の理解を示してるんだ。
そして、たぶん愛にはその自覚がある。だってチームメイトの早紀と平野は無理してカレコレを進めなくていいと言ったんだから。
身に差し迫った危険がなく、カレンの全てを否定するなら、カレコレを放棄して静観すればいい……。
それを愛は解っているんだから。
カレンの功罪……。ふと、そう言って思案していたバイト隊長、伊東の姿が真琴の頭中で愛と重なる。
そういえば昨日、伊東先輩もなんか変だったな……。
まあ、カレンのせいでみんな大なり小なり心を揺さぶられてるんだろうけど。
愛の変化……。これは松下刑事に報告すべきなんだろうな。大丈夫かな? 報告しても。
害はない……はず。愛は怪しい存在じゃないんだから。
うん、後でひとりになったときに松下さんに電話しよう。松下さんから何か教えてもらえるかもしれないし。
そんなことを考えながら昼食を済ませ、真琴たちは学食の席を立った。
カーテンから射し込む朝の光で真琴は目を覚ます。
目覚まし……携帯電話のアラームをセットしていなかったので真琴は慌てて時計を見る。
7時50分……。講義初日から遅刻するのは免れそうだけど、慌ただしい朝になりそうだ。
朝ごはんは途中のコンビニで買おう。そうすれば少し早めに1コマ目の教室に着けるはず。
1コマ目は総合科学部で一般教養の講義……。愛も早紀も一緒だ。早めに着いてお互いの状況を話そう。
真琴はラインで愛と早紀にメッセージを送る。
『おはよ。1コマ目、出る?』
返事はすぐに来た。
『出るよよ~ん』
『よよよよ~ん』
……あれ? なんだこのノリ。
〝よよよよ~ん〟って……愛?
送るグループを間違えたのかと真琴は思わず確認した。
いや、間違ってない……。
これ……早紀はいいとして、愛は……。いつも冷静で、どちらかというと冷めた感じの愛がこんなノリで返事を返してきたこと、今までにあったっけ?
少し考えたが、真琴の記憶のかぎりでは前例がなかった。
なんだ? この違和感……。
まあいいか。不機嫌なのよりは千倍マシだ。それに、あの愛が上機嫌なんだから、よっぽど良い報せがあるのかもしれない。
真琴は少し期待をしながら身支度をした。
1コマ目の教室には講義が始まる20分ほど前に着いた。
広い教室の窓際に早紀の姿を認めたので、真琴は後ろから「おはよ」と声をかけて隣に着席した。
レタスサンドと野菜ジュースが入ったコンビニ袋を机上で広げる。
「ね、そっちはどんな感じ?」
「ん? なにが?」
「なにがって……。例の……カレコレよ」
真琴がそう尋ねると、早紀は眠そうな笑顔で応じる。
「ああ、カレコレ? う~ん……。まあまあ、なのかな?」
「まあまあ?」
「うん。だってさ、そもそもさ、うちらにさ、なくない? ……やる理由」
「え? どういうこと?」
「ま、たしかに運営はウチらの嫌なもの握ってるよ、だけど業が少ないなら処刑されないじゃん? カレン見るかぎりじゃ」
「……まあ、そだね」
「愛のゴリ押しで平野とチーム組んだけどさ、うちらのチーム、誰も困ってないんだよね、実際」
「そうなんだ……。あ、そうだ平野よ。どうなってんのよ? 平野とは」
ここで早紀の顔がみるみるだらしなくなる。
「ん~。それも……まあまあ、かな」
今度の「まあまあ」は、かなり良い意味でのまあまあのようだ。
「付き合うことになったのね?」
「えーと……うん。いちおうね」
どうやら早紀の頭の中は、ひょんなことから付き合うことになった彼氏……平野が占める場所が大きいらしい。
……カレコレなんかより、ずっと。
まあ、たしかに今のところカレンでは、業が500を超えている人について10月10日からプライバシーを晒すと宣告されている。
でもそれは、そもそもの敵である運営の言葉。これまで……そう、まるで気まぐれにルール変更をしてみせている運営の言葉によれば、の話だ。
信じて安心なんかできるものじゃないはず……。
「早紀、業が少なければ大丈夫って思ってんの?」
これには早紀も少し考えてから応じる。
「……真琴。ならさ、今度はさ、カレコレ頑張れば安心なの? って話にならない?」
「え……」
「だってそうでしょ。ただでさえコロッコロ変わるルールにみ~んな振り回されんのに、せっかく今のところ大丈夫そうなのにわざわざ慌てんのもバカバカしくない?」
「それは……」
真琴が返すより前に早紀が畳みかける。
「慌てんのはさ、それこそまたデタラメなルール変更があって、ホントに自分たちがヤバくなった時でいいんじゃない?たとえば……えっと……『徳が200ない人は処刑しますよ』とかさ。そうじゃなきゃやってらんないし、もうやりたくないよ。あんな、暗くなるだけのゲーム」
そう、たしかにそうかもしれない。
業の特典、その執行……処刑の対象から外れているのに無理してカレコレを進めるのは……ただ無駄に陰鬱な気分になるだけなのかもしれない。
でもそうなると、必死でカレコレをやっているのは結局のところ業を減らす必要に迫られている人たちだけになる。
だけど、その人たちは……。そうだよ、その人たちがカレコレをやる理由は、それこそ純粋に「業を減らす」ことが目的……。
ストーリーを進めることなんて二の次だ。
それでもその人たちはカレコレをやらざるを得ない状況にあることは間違いない。
じゃあ、イヤな物語がたくさん詰まっているらしい「カレンコレクション」というゲームは、業を抱えた学生に説教するために運営が用意した罰ゲームでしかない……のか?
それは違う……。
真琴の脳裏、理屈ではない何かがそう告げた。
それは根拠を説明する術のない直感、あるいは情とでも呼ぶべきものだった。
あ、そうだ、愛……。カレコレを「運営の本命」と断じた愛はなんと言っているんだろう。
愛……。あの朝のメッセージのノリといい、愛とチームを組んでいる早紀のこの主張といい、今の愛が何を考えて、どんな心理になっているのか想像できない。
聞かずとも、じきに愛はここに来るだろう。しかし真琴は早紀に尋ねずにはいられなかった。
「ねえ、愛……は、なんて言ってんの?」
「ん? カレコレのこと?」
「あ、うん」
「……『だよね~』って」
んん? カレコレをやる必要がないという早紀の主張に……あの愛が『だよね~』とか言ってんの?
あれ? なんか……なんかおかしいぞ。
「ねえ早紀、なんかおかしくない? 愛」
「うおっ鋭いね、さすが真琴。まだ見てもいないのに」
「……どうなってんの?」
「うん。なんかね……なんか元気なんだよ、愛」
「……元気?」
「うん。元気ってか……ゴキゲンってカンジ?」
ゴキゲン? ……愛が? この状況で?
ええと……なにそれ。ヤバい。想像できない。
それに、なんでだろう……いい予感がしない。
真琴の頭がその先の追及に追い付かないでいるうち、教室の、前の入口から愛が入ってきた。
前から入る……。そんな些細ことにも真琴は違和感を禁じ得ない。
愛は教室の前中央、そこに立ってキョロキョロと教室を見渡して真琴と早紀を見つける。そして満面の笑顔で手を振った。
誰だよこの爽やか女子大生……。
なんか憑いてんじゃないの? 愛……。
「は~間に合った。わたし今日、真琴のラインで起きたんだ。サンキュ、真琴」
愛は真琴の右に座り、ドサッと音を立てながらバッグを机に置き、そして大きく息を吐く。
「……らしくないじゃん。寝坊なんて」
「昨日……てか今日か。3時過ぎまで起きてたからね」
「3人でやってたの? ……カレコレ」
「ああ、うん。私はカレコレの時間が終わってすぐに帰ったけどね。だからね、もしかしたらね、寝不足なのは早紀の方かもよ」
そう言いながら愛は前のめりになり、真琴の胸元越しに上目遣いに早紀を覗き込む。
いたずらっぽい笑顔……。そこにはカレンにかかる心配など微塵もない。純粋に友だちをからかってる顔だ。
直前に聞かされていたとはいえ、確かに愛はゴキゲンだ。一言交わしただけで判る。
そもそも登場の仕方から普段と違っていた。
目の当たりにして内心で戸惑いながら、真琴は努めて普通に愛に問う。
「平野んちで集まったの?」
「うん、そう。そして邪魔者はフェードアウトしたの」
「邪魔者とか言ってないじゃん」
早紀が反論する。わりと本気の語勢なのだが、愛に動じる気配はない。むしろ好戦的に受ける。
「ひひ、いいのよ早紀。で、どうなったのよ? 私が帰ってから」
「……なんもないし」
「ん~? ホントに~?」
「ホントだよ。だいたい……なにしても安心な場所なんて、探さなきゃ……ないよ、もう」
「ああ、うん。それは……そうだね」
……うん。どうやら冷静を失っているわけじゃないらしい。
確かになんだかノリが変だけど、これは愛だ。
目の前で飛び交う愛と早紀のやり取りを聞いて、真琴はそう判断した。
愛は自棄になったわけじゃない……。
「……ねえ、愛」
「ん?」
「愛たちは、その…もうやらないの? カレコレ」
「え? う~ん……。私はやるよ。……いちおうね」
「私は……って、どういう意味?」
「ああ、うん……。えっと……ひとりでやるのもいいかな。なんて……」
「なにそれ聞いてないし」
早紀がすかさず割って入った。わずかに申し訳なさそうな顔をして愛が受ける。
「うんゴメン。言ってない。でもね早紀、アンタが言うとおり、無理してやる必要なんかないと思うんだよ、ホントに。私もね」
「……愛、もしかして怒ってんの?」
「え? いやいやいやいや、そうじゃない、そうじゃないよ早紀。ええと……ヘンかもしんないけど、私たぶん……やりたいんだよ。アレを」
「アレって……あの、ムカつくゲームを?」
「……うん」
愛の顔が、真琴のよく知る愛の顔に戻る。
賢者……。やっぱり愛には私と違う「なにか」がある。
真琴はそう確信した。
「……やる必要はないんでしょ?」
問う真琴を愛がまっすぐ見つめ返す。
「うん、ない。あえてやるのは……そう、なんかの答えがあるかもしれない気がするから、かな」
「答えって……なんの?」
聞き返しながら真琴にも解っていた。
そう、「なんか」は「なんか」なんだ。
それがなにかを知りたいんだ。
真琴も愛の瞳を見つめ返す。そこには覚悟のようなものが宿っているように見えた。
そしてそこに悲観の色はない。
愛の心境はきっと、怖れから探求に変わったんだ。
……何かしらのきっかけで。
「要は、この騒ぎの目的を知りたい。だよね、愛」
「うん。まあ……だいたいそんなところだね。真琴は?」
私? 私……私は……どうなんだろ?
「え……と、まだよくわかんないや。たぶん今日もチームで集まると思うけど」
「どこまで進んだ?」
「まだ法学部に入ったばっかだよ。昨日の終わりは全員でパチンコしてたし」
パチンコというワードに、愛と早紀の両方が食い付いた。
「マジで? 真琴のチームもパチンコしたの?」
「え? うん。……じゃ、愛たちも?」
「うん。ヤバいよね、あれは。ハマりそう」
「ってことは……勝ったの? 愛たちも」
愛はおもむろに携帯電話を取り出してカレンを開く。そして真琴に差し出した。
これ……は、所持金ランキング。
……え? これ、もしかして……。
真琴の目はランキング表示の7位で停止した。
7位「三中」 381,455円
「この三中って……」
「うん、ウチらだよ」
すごい……。いや、でも自分たちは昨日の終わりの2時間だけで20万円近くまで増えたんだ。だから驚くほどの額じゃない。
驚くポイントは……そうだよ、あの愛が、もはや目立つことすらも憚らなくなってる点だ。
「……目立っちゃダメなんじゃなかったの?」
「ん? ああ、うん。まずい目立ち方とそうじゃないのがあるんじゃないかな……ってね」
ブレてる……ような気がするけど、あれほど目立つことのリスクを説いていた愛がそう容易く主張を翻すとは思えない。
ここまで愛の心理を動かしたものは何だ?
この変わりよう……。何か相当なことがあったはず。
そして、今の愛が発する言葉の端々には、それを濁そうという響きがある。
早紀はさっき、この愛を「なんかゴキゲン」と言った。
つまり、原因となった出来事を早紀も知らないんだ。具体的には。
聞けばいい……。「なにがあったの」って聞いてしまえば案外、たいした理由じゃないのかもしれない。
でも、いいのかな? 聞いても……。
……よし、聞こう。言いたくないことなら……そう、きっと、はぐらかされて終わり……。
そこでしつこく食い下がらなければ険悪にはならないはず……。
携帯電話を愛に返しながら真琴がまさにその問いを口にしようとしたとき、ガヤガヤしていた教室の騒音が止む。
前を見ると1コマ目の担当教授が教室に入ってきていた。そのまま講義が始まる。
機を逃した……。携帯電話を渡し終えた真琴の手のひらにそんな感触が残った。
聞くのはそう、いつでも……講義が終わったときでも、お昼ごはんのときでも聞けるけど、でも……。
でも、愛がなにかをポロッとこぼすなら、聞くタイミングは今しかなかった……。そんな感触……。
愛は今、なにか確かめるように私を見て携帯電話を受け取った。そして教授が入ってくるとすぐに前を向いてしまった。
私が聞こうとしたこと……たぶん愛は察した。
しっかりと……何を聞こうとしたのかまで……。
そして講義は淡々と進む。始業に先立って教授の口からカレン騒動について触れられるようなことはなく、何事もないかのように始まり、みんなは何事もないかのように講義を受けている。
それは次の講義も同じで、後期日程最初の平日、大学は本当に普通に動き始めたようだった。
さすがに講義の合間、学生たちの話題はカレンのことで持ちきりのようだったが、それ以外は全くの通常運行……。
カレンは話の種に過ぎない。個々の胸中はさておき、大学を覆う全体の雰囲気はそんな風だった。
……異様だ。ある意味、これは……。
それが真琴の感想だった。
カレン運営の毒……そしてカレコレという枷は、見事に大学のど真ん中に軟着陸してみせたんだ。
おそらく……運営の狙いどおりに。
とんでもない大きな異物を飲み込みながら、それでも大学は秩序を維持しようとしている。
標的である学生たちまでがそう動いている。いや、これは正確じゃない。そう動くように誘導されてるんだ。
パニックになっちゃいけないという心理を巧みに操られて……。
カレンのことで取り乱すのは恥……そんな空気を感じる。
ホントはみんな、心中穏やかじゃないのはずなのに……。
それで……どうなるんだ? これから10月10日……執行が始まるその日まで。
なんにも起きないはずない。それもみんなは分かってるんだ。……絶対。
午前の講義を終え、真琴たちは3人で学食に入り、四人がけのテーブルに着く。
食事中も相変わらず愛は陽気だ。興味津々で真琴に島田のことを尋ね、平野をネタに早紀を冷やかす。
そして愛は、カレンやカレコレのことも抵抗なく語る。
真琴は愛から、愛たちのチーム「三中」の3人が、みんなで法学部ステージを終えたところまで進めてから平野の提案でパチンコに行ったということを聞いた。
それを聞いて真琴は法学部ステージのストーリーを尋ねたが、愛に「ネタバレはしないよ、難しいわけじゃないんだし」と言われてしまった。
「でもさ、そんなに稼いでどうすんの?」
「ん? 稼ぐつもりで稼いだわけじゃないよ。平野に言われてみんなでパチンコ行ったらみんな勝った。それだけよ」
「ああ、そっか」
「でもね真琴、貯めて損はないよ、カレコレのおカネ。……たぶん」
「そう……なの、かな」
「うん。持ってる額で買えるものだけしか売店で表示されないから、いっぱい貯めた先に何かあるかもしれないし、それにこれ、おカネじゃ買えないおカネだしね」
「あ……そうか」
「たぶんカルマトール買ってる人には……現金よりも価値があるんじゃない? これ」
「……そうかもね」
「だからね、失敗したなって思ってんだ」
「なにを?」
「チーム名」
「チーム名って……三中?」
「そ。ウチらだってバレバレじゃん。カネ目当てでちょっかい出してくるのがいそうじゃない?」
「そんな……」
いや、あり得る。そう思って真琴は言葉を止めた。
そして別の質問を投げる。
「でもさ、チームのお金が狙われたとしても、盗まれたりはしない……でしょ?」
「うん。だから考えられるやり方は、交渉か脅し、かな」
「交渉してどうなんの? あのおカネって、よそに移せるの?」
「えっと……いい? 真琴、あれはね、チームの財産なんだよ」
「……そうだね」
「でね、誰かがチームを抜ける申請をして、他のメンバーが承認すればチームを抜けられるんだよ。抜けたところにひとり入れれば、その入った人はチームのおカネを使えるよ」
「そんな手間……交渉してくる?」
「するよ、たぶん。だってさ、そうね……あり得ないけど、たとえばチーム全員に百万円ずつくれるっていう人がいたら、私はオッケーするよ」
「まあ…そうだね。なんせ困ってないからね、今のところは」
「あと……あ、そうよ。めんどくさいのは、泣きついてこられたときじゃない? 『おねがい助けて』って」
「うわあ……それはヤだね。……しかも、ありそうだね、それ」
「ね、絶対あるよね。ホント失敗だわ。このチーム名」
「そうだね。学科のみんなは分かるから、先輩たちにもすぐにバレちゃうね」
「うん……。泣き付かれても断るけど、イヤな気分にはなるだろうね」
「だね。まだ交渉の方がいいね、よっぽど」
黙々とカツ丼を飲みこんでいた早紀がここで箸を止めた。
「ねえ愛、そういう話はさ、平野に押しつけちゃえばいいじゃん。『窓口は平野です』って」
「ん? ……うん。まあ、それもアリ……かな」
「あいつ、たぶん喜んで引き受けるよ。今なら」
「なによ早紀、もう尻に敷いてんの?」
「ん? そんなことないけど、あいつ、ウチらの頼みならヤル気出すよ。ね? 愛」
「まあそうね。案外頼りになるしね。あいつ」
「へえ、そうなんだ。……まあ、意外とそうかもね。普段はフザけてるけどね」
「真琴、それは早紀の前だからだよ。あいつ子供っぽいんだよね、ちょっと」
「……そんなことないし」
「そりゃ早紀と比べれば……ね」
「ムキーッ。私あんなにガキじゃないもん」
付き合い始めたばかりの自分の恋人をガキ呼ばわりするのもいかがなものか。
まあ、私と島田くんの組み合わせよりノリがいいことは間違いないな。きっと。
「そういやさ、真琴のチームはなんていうの?」
「あ、そうだよ教えてよ」
う……。チーム名の話題は去りかけてたのに逃げ切れなかった……。
真琴は答えを濁す。
「え? わたし? わたしは……いいよ、その話は」
「なにその返事。カンジ悪くね?」
「え……あ、そんなつもりない……けど」
「けどなによ」
早紀が真琴を追及する。
できれば答えなくない……。真琴は言葉に窮する。
「早紀、やめとこ。これは真琴が正しいよ」
「は? なに言ってんの愛」
「他人が知らないことは漏らさない。真琴は正解だよ」
「え? なにそれウチらにも秘密ってこと?」
違う。そんなんじゃない。そんなんじゃないけど……。
迷う真琴は何も言えない。
「そ。まあ、ちょっと寂しいけどね」
そう言う愛の声には落胆の色が混じる。
誤解だ……。真琴は気持ちを口にする。
「違う。秘密なんかじゃない」
愛と早紀、4つの瞳が真琴に向く。
「秘密じゃなきゃ、なによ」
「…………。」
早紀は言葉で、愛は視線で真琴に詰め寄る。
「え……と……その……恥ずかしいから」
「………は?」
「どういうこと?」
早紀の顔には驚きが、そして愛の顔には心配の色が浮かぶ。
ああ理沙……全部、全部アンタのせい……。
「……分かった。……言うよ」
「なにもったいぶってんのよ」
「…………。」
「……いい? ……言うよ?」
「……なによ真琴。……たかがチーム名でしょ」
「…………つるぺた」
真琴を射る瞳が見開いた。
愛と早紀は一旦顔を見合わせてから視線を真琴に戻す。
一寸の沈黙の後、早紀が恐る恐る口を開く。
「え……っと。あの……さ、もしかして真琴、サークルだとそういうキャラ?」
「いや、キャラは同じだよ。ああもう、だから言いたくなかったのに……」
真琴の様子を見て、謎が解けたような顔で愛が言う。
「ああそっか。真琴……いるのね? 早紀みたいなのが」
「うん、そう。それ、あたり」
「な~んだ。心配して損したよ」
「……なによ愛、どういうことよ」
「あんたみたいなキャラがいるんだよ、サークル……てかチームに」
「……私みたいなって、具体的にどんなキャラよ」
「………いいのかしら? ……言っても」
愛は少し顔を上に向け、無理やり見下しながら早紀に言う。
「……なんか……聞かない方がいい気がするね」
「それが賢明よ、早紀」
「うおおお、なんかムカつく」
なんとか誤解されずに済んだ。
それに……うん、やっぱり愛は愛だ。冷静で聡明……。
なんとなく雰囲気が変わったけど、それはむしろ良い変化……。
まとっていた影が消えた……。そんな雰囲気だ。
「ねえ愛、なんかあった?」
真琴は、自分でも重さを量りかねる問いを、できる限り静かに、そっと投げた。
愛の動きが一瞬だけ止まる。
「ん? ないよ、なんにも。なんで?」
「あ、いや、なんか元気だなって……。なんかこう、いいことでもあったみたいに見えるから……」
「そう? ああ、うん。……まあ、そうかもね」
「……教えてよ」
「え? なによ真琴、なんにもないよ、ホントに。あえて言うならアンタたちに彼氏ができたことくらい、かな?」
……これは、引き際か?。
いや、もうちょっとだけ……。
「カレンは関係ない……の?」
愛の表情が一旦停止する。
まずい、しつこかったか……。
「ああ、カレン……。さすがに鋭いね、真琴」
ん、何か聞けるのか?
真琴が食い下がっても愛の表情は曇らない。焦りも苛立ちもない。
「鋭くなんかないよ。ただ、カレンのことがあるのに愛は心配じゃないのかなって」
「心配じゃないって言ったら嘘だけど……。そうね……自分より明らかにヤバい状態の人がたくさんいるってのと、あと、運営は嘘をつかない……ような気がしてきたのかな? うまく言えないけど」
「運営が、嘘を……つかない? 信用できるってこと?」
「ん? 信用ってか、なんかこう……運営が定めたルールは、運営にとっても絶対なんじゃないかなって……そんなカンジ」
「なに? どういうこと?」
「え……と、なんて言ったらいいんだろ……。カレコレやってて思うんだよね。運営は、義憤を煽ってるっていうか、共感を募ってるっていうか」
「ああ、うん、まあ……なんとなく分かる」
「だからね、そういうことがしたいなら、筋の通らない裏切りとか、いきなりの処刑とかは厳禁だと思うんだ。反感買うだけだから。ま、弱味握って脅しといて、なにをいまさら……とも思うけどね」
「……うん」
「運営は……そう、宗教みたいなもん。そんな気がしてきたんだよ」
「……宗……教」
「なにそれなんのカルト?」
「カルトかどうかはまだ判んないよ。でも、業に縛られた人たちは、洗脳っていうか……ほぼ強制的に入信させられそうになってて、そうじゃないウチらみたいな人には選択の余地が残されてる。うん。もしかしたら今、ホントに宗教が産まれる瞬間を見てるのかもよ、ウチらは」
カレンが……宗教……。
だとすればカレコレは、さしずめ洗脳ツールか。
でも愛は……。選択の余地があると言う愛はさっき、カレコレを続けると言った。
つまり、自主的にやるんだ。
「じゃあ……つまり愛は、運営が何を言いたいのかを知ろうとしてんだね?」
愛が少し考える。
「まあ…そういうことになんのかな? うん。それに、どんなかたちであれ私たちの弱味を手放してくれないと無視できないしね、運営」
「お説教!」
「……なによ早紀、いきなり」
「新しい宗教の名前だよ。ピッタリくない?」
「まあ……たしかに……そんなカンジよね」
なるほど……。愛は考えた末、運営の性質を見切ったということか。
その上でカレコレを進めるということは……つまり、カレンが宗教であるとするなら、その教えを知ろうということだ。
自覚があるかはさておいて、愛は運営の行為に一定の理解を示してるんだ。
そして、たぶん愛にはその自覚がある。だってチームメイトの早紀と平野は無理してカレコレを進めなくていいと言ったんだから。
身に差し迫った危険がなく、カレンの全てを否定するなら、カレコレを放棄して静観すればいい……。
それを愛は解っているんだから。
カレンの功罪……。ふと、そう言って思案していたバイト隊長、伊東の姿が真琴の頭中で愛と重なる。
そういえば昨日、伊東先輩もなんか変だったな……。
まあ、カレンのせいでみんな大なり小なり心を揺さぶられてるんだろうけど。
愛の変化……。これは松下刑事に報告すべきなんだろうな。大丈夫かな? 報告しても。
害はない……はず。愛は怪しい存在じゃないんだから。
うん、後でひとりになったときに松下さんに電話しよう。松下さんから何か教えてもらえるかもしれないし。
そんなことを考えながら昼食を済ませ、真琴たちは学食の席を立った。
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