かれん

青木ぬかり

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10月5日(水)

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 目が覚めるとベッドには真琴ひとりだった。
 枕元の目覚まし時計で時刻を確認すると、すでに午前9時を過ぎていた。
 ……ガッツリ寝ちゃったな。
 理沙……は、どこ行ったんだろ。

 寝ぼけた頭で部屋を見渡し理沙の姿を探すが見当たらない。
 室内は静か……鳥のさえずりが窓ガラス越しに聞こえていた。
 気配がない……。理沙、大学に行ったの?
 ……私を起こさずに。

 久しぶりに熟睡した真琴は、自分の体を軽く感じながら身を起こし、そしてガラステーブルの上に紙切れを見つける。

  〝行ってきます。ゆっくりしときな〟

 ……なるほど、あえて起こさなかったんだ。
 それにしても……。
 真琴は紙切れの後段、PSと書かれた部分を見る。

  〝きのうの真琴、スゴかった ♀ 〟

 理沙は相変わらずだ。

 笑みとともにわずかに息を吐き、真琴は自分が今からやるべきことを考え始める。
 どうせ大学には行かないんだ。今日は。
 どのみち夕方までカレコレはできないし、時間はたっぷりある。
 まずは……そう、現状把握かな。
 それと「徳の特典」か……。
 もしかしたら少しは真相に近付けるかもしれない。


 勝手に手をつけたら悪いとは思いながら、真琴は理沙の冷蔵庫を漁る。
 その中に電子レンジで温めるだけのパスタを見つけ、それを朝食にすることに決めた。
 こんなことに目くじらを立てる理沙じゃない……。

 そうして温まったパスタを前に、真琴は携帯電話でカレンを立ち上げる。
 個人ステータスは昨日のままだ。


   287718B
   小娘(箱入り)
   徳:461
   業:066


 ん? 今、徳の1位ってどれくらいだっけ……。
 よく確認しなかったな。そういえば。

 そうして真琴はまず、徳のランキングの上位を開いてみる。

     1位 264235K:721
     2位 268914S:716
     3位 269908D:697
     4位 263636C:695
     5位 265111G:648

 学籍番号が26、ってことは上位は軒並み3年生……。
 この人たちが、「運営からなにか宿題を課された人たち」なんだろうか。

 真琴は画面をスクロールさせていく。
 結果、ランクインしているのはほとんどが3年生だった。
5人ほど2年生がいたものの、1年生は真琴ひとりだった。

 私が徳は今461だから……今日のカレコレで星を徳に替えれば、かなり上位に行けそうだ。
 もしトップ集団に食い込むことがあったら、私にも何らかの「お誘い」があるのかな……。
 ともあれ、それは今夜、実際にやってみないと分からない。


 他に手に入れた「徳の特典」は……「任意の掲示板ひとつの匿名解除」ってのがあったな。
 でもこれは、「あの人の片思い」を書き込んだ人を知った今、もうどうでもいい。
 またいつか、どうしようもなく醜い掲示板があったら使えばいいんだ。

 あとは、「業の特典の匿名サンプル」と「ユーザの各種統計データ」か……。
 どっちも気になるけど、どっちから見ようかな。


 そこで真琴はあることに気がつく。
 それは真琴が手に入れたもうひとつの徳の特典……「他のユーザの個人ステータスを見る」だった。
 そうか、徳と業のランキングは学籍番号で公表されてるんだから……見られるんだ、私は。
 それに気がつくや否や、真琴は再度「徳」のランキングに戻り、上位数名の学籍番号をメモする。
 そして何かに急かされるようにトップページに戻り、新たに加わった入力フォームに学籍番号を入力する。


 …………なるほど。これが「今の運営」なんだ。
 徳の上位ランカーたちのステータスを見て、真琴はこの人たちが置かれている状況をおぼろげに理解した。
 最も……というより唯一参考になったのはこの人たちに付与された「肩書き」だった。

 1位の人が「助言者」、2位も「助言者」……。
 ……3位が「委ねる者」で、4位はまた「助言者」だ。
 5位以下は様々だったが「知る者」という肩書きが目立った。

 つまり、この上位4人がカレン運営から何かの決定を強いられていて、決定権は現在3位の人にあるんだ。
 そして「委ねる者」という肩書きが示すところ……。
 この人はなにかを「委ねる」ことを決めなきゃいけないんだ。
 でも委ねるって、なにを? ……どこに?
 まだ漠然としてる……けど、少し前に進んだ気がする。
 この人たちが誰なのか探し出して尋ねてみたいとも思ったが、「そうじゃない」と真琴は結論を出す。
 
 この人たちは警察を避け、そしておそらく学生との接触も絶ってこの課題に向き合ってるはずだ。
 委ねる者……か。


 ここで真琴は次……「業の特典の匿名サンプル」を見ることにした。
 真琴は「あなたへのお知らせ」でその特典の通知を開き、サンプルのリンクをタップする。
 タイトルは「サンプル1」「サンプル2」……どうやらサンプルは2つあるようだ。
 真琴はとりあえず「サンプル1」を開く……。

 それはまさしくサンプルで、実際に撮影された動画などではなく、絵で描かれたストーリーだった。
 真琴が抱いた感想は、マンガというより「紙芝居」だ。
 かなりの腕前を持つ者によって登場人物が描かれている。

 そこで展開される物語は、女の子の家庭教師を務める男子学生が女の子の部屋にカメラを仕掛け、撮影された動画をネタに関係を迫るというものだった。
 そして案の定、単なる肉体関係の強要だけに留まらず、男子学生は女の子に対し次々と恥ずかしい行為を迫る。
 下着を着けずに外出させられたり、男子学生の前で排泄など、女の子が目に涙を浮かべている状況までが細やかな線で描かれていた。

 まるで真琴が衝撃を受けた「理学部ステージ」を思い出させる展開だが、運営がこれを「サンプル」と謳っている以上、これは紛れもなく「事実」なのだろう。
 ……ヒドい。最低の人間だ。これは。
 携帯電話を持つ真琴の手に力が入る。 
 
 なんとか冷静を保ち、真琴は「サンプル2」を開く。

 形式は「サンプル1」同様、紙芝居のようなものであり、今回はひとりの学生が外国人留学生から大麻草の種をもらう場面から始まった。
 受け取った学生は当初こそ興味がないような様子であったが、アパートの中で鉢に種を撒いて育て、タバコを吸いながらその「観葉植物」を眺めているときに、ふと一枚の葉をちぎり、タバコの火を押し付けて香りを嗅いだ。
 そこからは堕ちるだけ……。学生はすっかり虜になり、アパートの室内に温室を設けて株を増やし、そして他の学生に売るようになる。
 生きた草さえ他人の手に渡らなければ独占市場……。
 学生は、学業はおろかアルバイトさえすることなく貯蓄を増やし、例によって違法なものを嗜みながら通帳を眺めて悦に浸っていた。


 ふたつのサンプルを見終えた真琴は放心する。
 これが……松下さんが見せてくれたアンケート結果にあった「その他犯罪行為にかかるもの」の正体……。
 これが大学の「負の側面」……か。

 たしかこの特典は、徳350の特典だった。
 350……か。決して多数ではないかもしれないけど、少なからぬ数の学生がこの「サンプル」を目にしている……。
 そして、これが事実に基づいて作成されたもの……いわば「実話」である以上、見た学生は感想を抱くんだ。
 それは自分が籍を置く大学への失望か、あるいはサンプルに登場した実在の学生に対する軽蔑、憎悪か。
 いずれにしても軽くない感情……。

 その感情が向かう先が「運営への共感」でないことを真琴は願った。
 そう願いつつも、真琴自身の心も大いに揺さぶられていた。

 いけない、このままじゃ……。
 自身が否定した方向に否応なく心が導かれる感覚に怯え、真琴はきつく目を閉じる。

 もうひとつの特典「各種統計データの閲覧」をするような気分には遠く、真琴は努めて想像を避けた。
 せめてもの救いがあればと思い、真琴はカレン掲示板を開く。

 だが、そこにも救いはなさそうだった。
 勢いがある板は依然として「裏パチについて」と「カネ持ちを捕まえろ」……。
 そして、その2つに加えて書き込みが増えているのが「もうヤダ! こんな大学」だった。

 ん、この「もうヤダ!……」ってヤツ、前からあったよな……。
 なんで今ごろ盛り返してんの?
 ……なにかあったのか? ……大学で。
 良い報せなど期待できぬことは分かっていながらも、真琴はその板を開く。

 その板はカレン掲示板の中では既に古い部類に入るが、書き込みが急増しているのは今日の未明からのようだった。
 火が着いたのは裏パチンコを当てたチームのところに押しかけた学生が警察官に追い返された不満を書き込んだことに端を発しているようで、板の標題とは異なり警察への不信と不満が大半を占めていた。
 曰く「無能警察」、曰く「なにもしてくれない」、また曰く「警察が犯人」……。
 刑事……松下さんと関わっていなかったら、私も同じような感情を抱いていたんだろうか。

 ……いや、それはない。
 真琴は自分に言い聞かせるように断じた。
 警察ではないものの、司法に携わる父をもつ真琴の体に染み込んだものが、真琴をしてそうさせたような感覚だった。

 怖い運営に向き合わず、味方である警察に不満をぶつける書き込みに「大学」ではなく「学生」に失望しながら真琴は画面をスクロールさせていく。
 そして、ふとした書き込みに目を止める。



338)10/05/06:22 早崎伸一(教1)
 そういやさ、講義に入り込んでんじゃん警察
 聞いてみたら本物だった

339)10/05/06:24 原田浩助(農1)
 マジで? なんで講義受けてんの?
 給料もらって講義受けてていいの?

340)10/05/06:24 石川勇二(総2)
 いかにも警察だったもんな、若いけど

341)10/05/06:27 早崎伸一(教1)
 どうして受けてんのかは教えてくんなかった
 機動隊だそうだ

342)10/05/06:28 渡辺駿(文1)
 きどうたいwww 
脳筋wwww

343)10/05/06:29 早崎伸一(教1)
 ホントそれwww
 俺、聞いたんだよ「勉強嫌いだったんスか?」って
 そしたら「受ければ受かってたよ」って言いやがんの

344)10/05/06:32 工藤拓也(法2)
 隊員「悔しいです!」

345)10/05/06:32 横山章(農1)
 wwwwwww
 清々しい負け惜しみwwwww



 ……ああ、これ、この人たちがアレだ。
 カレコレでオナラのお父さんが言ってた「勉強ができるだけのバカ」だ……。

 真琴は呆れを通り越して怒りを覚えた。
 それは、この騒動が始まってから初めての「攻撃性を帯びた怒り」だった。

  広大生であること……いや、「大学生」であることを理由に、若い機動隊員を見下す書き込み……。
 さすがに1年生が多いけど、あまりにも世間を知らなすぎる。
 私がそう思うんだから相当だ。

 そもそもこの板の名は「もうヤダ! こんな大学」だ。
 その標題の板でありながらこの、広大生であることを鼻にかける書き込みはなんだ?

 もう晒していいよ……これ。
 衝動に近いが、それが真琴の下した裁きだった。
 勢いそのまま、真琴は徳270突破の特典「ひとつの掲示板の匿名表示を解除」を行使する。
 よし、これでいい。
 この思い上がった人たちの思い上がりは、他のみんなの知るところになればいい。

 醜い書き込みを晒しものにして真琴の憤りは治まった。
 だが、結果として学生に失望した真琴の心は、また一歩、運営に近くなっていた。

 広大生……まあ自分もそのひとりなんだけど……と胸の内で前置きをしながら真琴は「学生の醜い部分」を知ることに耐性ができた気分だった。
 なので先刻に躊躇した「各種統計データの閲覧」機能に自然と手が伸びる。
 もう、なにを見ても怖くない……。
 それよりも……知らなきゃ……。
 そして真琴は「それ」を開いた。


 その統計データのページを開くと、まず前書きが目に入る。

〝本統計データは、アプリケーション「カレン」の利用規約に基づいて蓄積されたユーザの傾向を様々な視点から分析したものです。個人を特定する情報は含まれていませんが、取り扱いはくれぐれも慎重にお願いいたします〟

 「カレン」の利用規約……。
 みんなが目を通さずに同意したであろう規約……それこそ松下さんが言うように「携帯電話を乗っ取られる」くらいの権限を求める内容だったんだろう。
 今となっては確認することもできないけど。
 アプ研だけが気付いていた危険性……か。

 真琴は意を決して画面をスクロールさせる。
 そして真琴はその内容に釘付けとなる。


「…………すごい」

 それが真琴の口からこぼれた独り言だった。

 徳450という、かなり徳の高い学生にのみ閲覧が認められたデータだけのことはある。
 それは「広北大学」という限定されたコミュニティではあるものの、性質はいわゆる「ビッグデータ」だった。

 9月28日の改変前の、つまりもともとの「カレン」というアプリケーションが多機能であったうえ、携帯電話内のあらゆるデータに侵入できる権限をユーザ自ら「同意」していたのだから、得られた情報は多岐、そして詳細だ。
 気になるものだけでも数え切れないほどの項目があった。

 ・ 講義を除いた平均学習時間(学年、学部ごと)
 ・ 携帯電話の平均使用時間
 ・ 男女の同棲率
 ・ 違法行為に関する統計(罪種ごと、検挙・未検挙ごと)
 ・ 有料アプリへの課金傾向
 ・ 検索ワード上位
 ・ 視聴動画上位
 ・ 講義への出席率および課題の盗用率
 ・ 友人、知人との繋がり傾向
 ・ アルバイトの状況(業務内容、稼働時間)の傾向
 ・ ラブホテル利用状況
 ・ 家族との連絡状況(自宅生を除く)
 ・ 学生の消費傾向(運営把握情報に基づく)

 このような見出しが100近くもあるのだ。
 真琴は改めて「カレン」というアプリの恐ろしさを痛感した。
 時間割とリンクした便利なスケジュール帳機能もあったし、大手にリンクした検索ボックスもあった……。
 「カレン」を介することで、学生の生活、趣味嗜好は筒抜けだったんだ。
 講義を除いた平均学習時間なんて、考えただけで恐ろしい。
 ……大学生なのに。

 それでも真琴は、努めて感情を殺しながら項目をタップして、その内容を確認していく。
 誰もいない部屋で人の目を気にしない真琴の姿は、遠慮のない悲壮感を放っていた。

 果たして「各種統計データ一覧」は、カレンユーザという集合の性質を残酷なほど鮮明に表していた。
 時を忘れてデータに集中する真琴の心は、はじめこそ失望が占めていたが、膨大なデータを相手に感覚が麻痺し、冷静さを取り戻した。

 データが示す学生の実態は、確かに真琴が危惧したとおり惨憺たる内容であった。
 しかしそれは、あくまで「集合」として眺めた場合であり、真琴が描く「大学生のあるべき姿」を地で行く学生の存在も、データは確かに示していたからだ。

 あらかた気になる項目を確認し終えた真琴は考える。
 「向学の徒」と「社会人になる前の自由人」の線引きは容易くないと。

 たとえば……と真琴は自問する。
 このデータには自分も含まれるし、理沙も含まれる。
 フザけながら毎日を過ごしている理沙は、たぶんデータの上では「不真面目の見本」のようなもの……つまり悪い印象の方に貢献しているはずだ。
 でも理沙がそんなに単純じゃないことは、この数日でよく理解した。
 そして自分……自分はここまで、それなりに真面目にやってきたつもりだけど、それがこの先も続けられる保証はないんだ。
 誘惑と危険が多い環境で独り暮らし……。
 どこで挫けてもおかしくないんだ。
 それに私はまだ1年生……そもそもこんな、「学生の質」なんてものに言及すること自体がおこがましいんだ。
 私は当事者のひとり、しかも仲間入りしてから1年にも満たない。

 この認識は正しい。……事実なんだから。

 しかし一方で、まだ1年生であるからこそ、突きつけられたデータに抱く感想には相応の意味があるのかもしれないとも真琴は感じていた。
 私が薄々と感じ、そしておそらく理沙がとっくに失望していた「学生の実態」を「徳450」というハードルの高い特典としたこと……つまり逃げることなくカレン運営に向き合った者に開示する運営の意図……。

 加えて、学籍番号をもとに「他ユーザのステータスを見る」という微妙な特典だ。
 興味本位で知り合いのステータスを覗く人もいるだろうけど、私はこの特典を使って「徳のランキング」上位にいる学生が運営に「なにか」を課された人たちだという確信を得た。
 ……バイトの伊東隊長やアプ研の小暮先輩が推測したとおり。

 そうだ、先輩や島田くんの推測によれば運営も警察も「焦っている」んだった。
 それは「今の運営」……つまりさっきステータスで確認した「委ねる者」と「助言者」の回答を待っているからだと。
 翻せばつまり、すぐには答えを出せない性質のものだということ……。

 ……肩書きから想像できることは、「委ねる者」と「助言者」が話し合って「なにか」を委ねるんだ。
 てことは、「委ねること」を委ねられたんだな。……この人たちは。
 ホントややこしい、というか回りくどいよな……これ。

 島田くんはどう考えてんだろ。
 昨日は詳しく話せなかったしな……。

 真琴は時刻を確認する。
 起床が遅く、しかも特典のデータにのめり込んでいたため既に正午を回っていた。
 ちょうど昼休みか……。
 大学がどうなってんのかも気になるし、誰かに連絡してみようかな。
 
 愛と早紀は真琴と同様で平野の家に非難してるから、今日は大学に行ってないはずだ。
 だから愛たちに何か聞くのは後でいい。
 今の時点で連絡がないのは、無事でいる証だ。

 じゃ、やっぱり島田くん……かな?
 松下さんに連絡するのも悪くないような気がするけど……うん、するにしても島田くんから大学の状況を聞いてからの方がいい。
 状況を理解しないまま松下さんにトンチンカンなことを尋ねたくはない。
 松下さんは忙しいんだから。

 よし、やっぱり島田くんだ。
 昨日のことがあるからちょっと気まずいけど、そんなことを言ってる場合じゃない。
 そう考えて真琴が島田に連絡をしようとしたとき、真琴の携帯電話にメッセージが届く。
 おおかた真琴を心配する島田からのメッセージだろうと思いながら携帯電話の画面を見ると、送信者は「隊長」、つまりバイト隊長の伊東だった。
 メッセージの内容は端的だった。

『無事か? 古川』

 無事かって……それはつまり私が危険な立場にあることを前提としたお尋ねだ。
 
 ああそうか。松下さんとは違うルートで隊長は知ってたんだ。
 私が普段、「三中」と呼ばれる女子3人で行動していたことを……。
 運営から学生の評価を強いられていた賢者として、カレンを介した私の言動を把握してたんだから。

 自分のプライベートの多くを隊長は知っていた。
 真琴はひとり赤面する。
 今更それを思い出させるメッセージ……。
 せっかく隊長とは良い関係に戻れたのに。

 でもきっと、そんなことは隊長だって承知のうえだ。
 それでもこうしてメッセージを送ってきた。

 これは……単に心配だからじゃない。
 真琴は伊東からの短いメッセージの意図をそう汲んだ。
 隊長は私に伝えたいことがあるんだ。たぶん。
 
 真琴は少し考えてから、島田への連絡を後回しにして伊東に返信することにした。

『無事ですよ。どうかしましたか?』

 間を置かず伊東から折り返しがくる。

『古川、今話せるか?』

 やっぱりなにか伝えたいことがあるみたいだ。
 真琴は『はい大丈夫ですよ。友だちの家に避難して、今ひとりです』と返した。

 すぐに伊東から電話がかかってきた。
 真琴は一呼吸おいて電話に出る。

「隊長、どしたんですか?」

(いや、俺たちの希望が窮地に陥ってないか心配だったんだ)

 希望……か。
 たしかにそう言われたな。
 現に隊長は、自ら過酷なシフトを組んで私をバイトから外して、私に希望を託したんだ。
 賢者としてやっていたこと、そしてアプ研の部屋でのことはもう過ぎたことだ。
 そして隊長は、長い間カレン運営に縛られ続けた身でありながら今もなお「成仏」という表現で運営の目的の成就を願っているんだ。

 そうだよ、隊長はじめバイトの先輩たちだけじゃなく、松下さんたち警察からも私は期待されているんだ。
 それを忘れちゃいけない。

「隊長はバイトですか?今日も」

(今日のバイトは夕方から。 今は小暮のところにいる)

「アプ研の部屋……ですか」

(うん。なんだかおかしな雰囲気になってるから、午後はここでサボろうかなと思ってる)

「おかしな雰囲気……なにがですか?」

 分かりきったことと自覚しながら真琴は尋ねる。

(大学が、だよ)

「……どんなカンジなんですか? ……今」

(欠席が多くて講義はパラパラ。でも構内に人間はいっぱいいて、あっちこっちで運営とかカレコレのハナシしてる。構内にいる刑事に因縁つけてる奴もいたし、捜査本部の前は人だかりができてる)

「それは……末期症状というか、機能不全ですね、もう」

(もうちょっと保つかと思ったんだけどな。ひょっとすると明日から臨時休みになるかもしれないな、大学)

 そんなにか……。
 処刑開始のXデーと思われている10月10日まで、今日を含めてあと5日だ。
 今日は水曜日だから、木曜と金曜の2日間を休みにするのは現実的な対応かもしれない。

 捜査本部前の人だかりの理由は想像に難くない。
 カレコレでお金持ちになった学生をかくまっていることへの抗議が半分、結果が出ない捜査への文句が半分といったところだろうな。

 で、隊長の本題とはなんだろう。
 真琴はそのままを伊東に尋ねる。
 回り道をしている場合じゃない。

「それで隊長、ご用件はなんでありましょうか。僭越ながら、単に隊員の身を案じてのご連絡ではないと推察します」

(え? いや、心配だから連絡したんだぞ)

 それだけで連絡してくる隊長じゃない。
 言い出しにくいこと?
 こっちから聞けばいいのか?
 たしか今、アプ研の部屋にいるって言ってたな……。

「隊長、今、アプ研の部屋にいるんですよね」

(そうだ)

「カレコレの解析は進んでるんですか? アプ研では」

(終わった。俺も見たから聞きたいことがあったら聞いてくれ)

 聞きたいことがあったら、か。
 でも私は「あえて知らないまま」進めてるんだよな、カレコレ。
 尋ねることを考えていると、伊東がついでのように言う。

(そうそう、裏パチンコの解析も終わったぞ。あれはアプリが軽かったから小暮が一晩で終わらせた)

 一晩でって……。
 軽く言うけど、徹夜してってこと?
 やっぱり、この人たちのカレンと運営に対するこだわりも相当なものだ。

 2年前、カレンの危険性を訴えていたアプ研……。
 そして、2年前から運営に囚われていた隊長……。

 隊長と小暮先輩は私をサポートしようとしてくれてるんだ。
 断じて無下にはできない。
 聞くべきだ。その努力を。

 松下や島田の方針である「素のままの感想」を得ることに極力抵触せず、かつ有益な情報はなんだろうか。
 慎重に内容を選び、真琴は尋ね始めた。

「裏パチンコは、どうすれば当たるんですか?」

(……そこなのか?知りたいのは)

 少し間を置いた伊東の問い返しには遺憾の響きがあった。
 まあ無理もないよな。
 せっかくカレコレを解析したのに、裏パチンコのことを聞かれたんだもんな。
 でもカレコレの方はヘタに聞けないから、なにを聴くべきか即座には思い浮かばない。
 怒っちゃったかな、隊長。
 伊東の様子を窺うように真琴は弁明する。

「あ、いえその今、なんだか話題になってるから……」

(当て方は特にないみたいだぞ、あれ)

「……どういう意味ですか?」

(特定のステータスにある人間がやれば、普通の確率で当たる)

「特定のステータス……ですか」

(そう。でも肝心のところがプログラム上では数値化されてて、具体的にどんなステータスなら当たるのかは判らない)

「そうなんですか」

(ちなみに古川のステータスは今、どんなカンジなんだ?)

 ん……。
 けっこう突っ込んだ質問だな。
 まあ、いまさら隊長に隠すことなんかない……と思うけど。
 なんか恥ずかしいな……。

「えっと、肩書きは小娘です。……箱入りの」

 電話の向こうで伊東が一瞬黙る。
 イヤな間だな……これ。

(……なんとも言えない肩書きだな、それ)

「はい……私もそう思います」

(で、徳と業はどうなってる?)

 そこまで聞くのか。
 まあいいか、それについては恥ずべきところはない。

「徳は461です」

(お……けっこうすごくないか? その数値)

「みたいです。例のランキングにも入っちゃいました」

(やっぱり期待の星だな。で、業は?)

 業?
 業は……。
 あれ? どれくらいだっけ?
 それについては安全圏だから、あんまり気にしてなかったな。

「業……ですか。たしか60ちょっとだったと思います」

(そっか。まったく心配ないんだな、ホントに)

「はい。おりこうさんですからね、私」

(古川)

 真琴の言葉にツッコミを入れることなく、伊東の口調が真剣になった。
 真琴は心もち気構える。

「……はい」

(その肩書きでは当たらない。たぶん)

「……そうなんですか」

(うん。今、俺の隣で小暮が調べてるけど、どうも当てはまらないみたいだ)

 今も隣で解析してるのか、小暮先輩は。
 あ、もしかしたら木暮先輩だけじゃなくて、アプ研の頭脳を集結させてるのかもしれない。
 たぶん、いや、きっとそうなんだ。
 その中に「元アプ研」である隊長も加わってるんだ。

 案外すごい力かもしれないな、ここは。

「じゃあ、どんな肩書きなら当たるんですか?」

(今まで当てたヤツの肩書きなら判ってる。「知る者」が2人と「大賢者」が1人だ)

「大賢者、ですか。それはまた……」

(うん。イヤなことを思い出させる肩書きだ。でもこれ1年生みたいだぞ。ちょっと待て)

 そう言って伊東は、誰かに資料を持ってこさせているみたいだった。
 真琴は、なんとなく理解したような気持ちで伊東の言葉を待った。

(古川、この大賢者ってヤツ、お前の友だちじゃないのか?)

 そう、そうなんだ。
 ただでさえ当てた人が少ないのに、1年生に絞るなら、ほぼ間違いないんだ。
 
「はい。大神愛っていう子ですね」

(……これ、この肩書きは、たぶん「元賢者」しか得られないような気がしないか?)

「そう思います」

(じゃあ、古川の仲良しの中に賢者がいたってことか?)

「そうです」

(知ってたのか? ……古川は)

「愛が賢者だったことは……はい、そうですね。隊長が賢者だったことを知ったのと同じくらいに知りました」

(1年生で賢者か……。いや、そもそも自分以外の賢者を具体的に知ったの初めてだな、そういえば)

 伊東の口調は感慨深げだ。
 無理もないか……と真琴は思う。
 誰にも言えずに抱えていた人たちなんだから。
 ……賢者は。

 それにしても「大賢者」って……。
 愛は今、どれだけ運営に惹かれ、どれだけカレンに向き合ってるんだろう。
 隊長とは別の方向、正攻法でカレコレに取り組んでいるのは間違いない。
 もしかしたら「希望の星」は私じゃなくて愛なんじゃないの?

(どうやら古川以外にもいるみたいだな、希望の星が)

 隊長も同じことを思ったようだ。
 賢者であった者にしか解らない気持ちがあることが電波を介して伝わる。

「そうですね。愛なら……なにかやってくれる気がします」

(そうか。古川がそう言うんなら期待大だな。でも俺たちは古川、お前のサポートに尽くすつもりだ)

 中途半端な覚悟に念を押され、真琴は肩に手を置かれた思いがした。
 期待に応えるべく真琴は、伊東から得るべき情報を探す。

「そういえばドラゴンパールって、7個集めたらどうなるんですか?」

(願いが叶う。ひとつだけ)

「願いが叶うって……よく解りません。つまりカレコレ……カレンコレクションというゲームの目的が、たしか『大学にかけられた呪いを解くこと』だったから、呪いを解いてゲームクリアになるってことですか?」

(まあ、そうとも言える)

「それは現実にもリンクしてるんですか? ええとつまり、現実の大学も救われるんですか?」

(それが判らないんだ)

「どういうことですか?」

(カレンコレクションというゲームのクリアには直結してる。けど、現実の方にどう反映するかはプログラムにないんだ)

 まあ、言われてみれば当たり前だ。
 たかがアプリのプログラムに現実を変える力はない。
 現実を解決するのは、そう、あくまでも「人間の力」しかないんだ。
 でも、運営から示された道はカレコレをクリアすること……。
 クリアすれば、それを確認して運営が動くのか?

「現実の方を救うヒントはないんですか? 正直なところ、問題は現実ですよね」

(ヒントか……。もしかしたら、というか、おそらくエンディングにヒントがあるんだとは思う)

「どんなエンディングなんですか?」

(判んない)

「判んない、ですか」

(そう。カレコレのエンディングはプログラムにはなくて、クリアしたときにサーバからダウンロードする仕様になってる。だからプログラムを解析するだけじゃダメなんだ)

 ああ、ここでもか。
 伊東の説明に真琴は強い既視感を覚える。
 松下さんから受けた説明もこんなカンジのことが多かったよな。
 結局クリアしないことには何も判らないし、解決しないんだ。

「結局、とにかくクリアしろってことですよね……」

(そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない)

「……え?」

(古川、古川はゲームやるのか?)

「え? ……ゲームって、なんのゲームですか?」

(いや、一般的なゲームだよ。テレビゲームとかスマホのゲームとか)

 隊長……なんでこんなこと聞くんだろ。
 趣味のハナシしてる場合じゃないのに。
 意図を訝りながら真琴は正直に答える。

「します……けど、暇つぶしのパズルゲームくらいですね」

(マルチエンディングの可能性がある)

 あ……そうか。
 ゲームに疎い真琴でも、その単語の意味は理解できた。

「つまり、どうクリアするかによってエンディングが異なるってことですね」

(あくまで可能性だ。なんせプログラムにないんだからな。だけど運営の性質からして、そう考えた方が自然じゃないか?)
 
「……たしかにそうですね」

(だろ? だから、クリアするにしても、半端なクリアじゃ足りない気がするんだよな)

 これもデジャヴ……。
 ズルをしないで、真摯に取り組んでクリアしろ……。
 松下さんや島田くんの言ってることと同じ方向だ。
 これじゃ……このままじゃ隊長からの情報になんの価値もなくなる。
 おぼろげにそんな感覚を覚えた真琴は、素早く思考を巡らせた。

「隊長」

(なんだ? どんどん聞いてくれ)

「実は私、カレコレの進み具合はチームでは遅い方なんです」

(え? なんで?)

「チームのひとりが情報を集めて先に進んでて、私はその……いわゆるネタバレのない状態で進めてるんです」

 テンポよく返事をしていた伊東が黙る。
 真琴の言葉の意味を考えているようだ。

(……誰の智恵なんだ? それ)

 伊東の問いに、今度は真琴が押し黙る。
 隊長を相手に「彼氏」だとは言えない。
 かといって警察の指示だとも言えない。
 いっそ理沙ってことにしちゃおうかな。

 沈黙が意味するところを伊東なりに解釈したのか、黙る真琴に伊東が告げる。

(まあ、誰だか知らないけど大した智恵者だな。よし、事情は解った。教えることにネタバレは禁物なんだな?)

 ああ……松下さんと島田くんに加えて、同じような人がまたひとり増えた。
 でも……と真琴は考える。
 似たような方法で私の背中を押してるけど、持ってる知識は三者三様だよな、と。

 そう考えるに至った真琴は、ならばその中にあって伊東に尋ねるべきことはなんであろうかと再考する。
 騒ぎの当初から多くを知る松下、聡明な頭脳をもって真琴を導くことに傾注している島田とは違う、伊東だけが答え得る部分……。
 そして、考えた結果を口にする。

「……隊長」

(よし、聞いてくれ)

「今の徳……というか、学生の評価は誰がしてるんですか?」

(え、今度はそっちか?)

 またも伊東の予想に反した問いであることは間違いない。
 しかし先刻と異なり、伊東の言葉の響きは得心が滲んでいた。

「はい。それこそ今まで隊長たち『元賢者』がやらされていた作業……学生の評価は今、いったい誰がやってるんですか?」

(ハッキリしたことは判らないな。それは)

「でもカレコレが始まってから、学生に徳や業を振る作業は倍増しましたよね、きっと」

(そりゃそうだ。古川が言いたいのはアレだろ? カレコレに出てくる蝶の質問をどうやって評価してんのかってことだろ?)

「そう、それです。膨大な作業量ですよね。それに加えて肩書きを与える作業もありますよね。肩書きも単純じゃないっていうか、けっこう考えられた肩書きですよね。知ってるだけでもナルシストとか道化師とか」

(蝶の質問に対する回答は、サーバと交信して評価されてる)

「はい、そうみたいですね」

(今、それを評価してるのはサーバにあるAIだ。……たぶんな)

 突然に飛び出した新たなワード……。
 そのインパクトと、「たぶん」と付け加えた伊東の言葉を咀嚼するのに少し時間がかかった。

「ええと……つまり、サーバにある人工知能が査定してるってことですね」

(そうだ。今の人工知能はとんでもない能力だからな。……でも、それを踏まえてもかなり高い技術な気がする)

「……ですよね。蝶への回答は選択じゃなくて、自由に書かれた文章ですから」

(うん。文章に込められた『気持ち』まで汲んで評価してる。短時間で、しかも評価すべき学生はたくさんいるんだから、ある意味スパコンに近い演算能力があるんじゃないのか?)

「運営って、そんなに資金があるんでしょうか……」

(ん……どうかな。そういや、もとからそんなシステムがあるなら俺がやらされてた作業なんか不要だったはずだよな)

「あ、そうですよね、言われてみれば」

(もしかしたら運営は、この2年間、そのシステムを準備してたのかもな)

 端くれとはいえ理系を志向する真琴は、そのようなAIを構築するには高い技術が必要であることくらいは判った。
 そしてそれは、真琴の中にある「運営像」をさらにくくした。
 真琴は率直にそれを口にする。

「でも隊長、こんな執念深い……いえ、怨念に近い感情がなきゃできないような仕掛けをする運営と、優れたAIを構築する情熱って……なんかこう、重ならないです。……私の中で」

(重なってるとは限らない)

「え?」

(2年……いや3年近く前か。つまりカレンっていうアプリをバラ撒いて罠を仕掛けることを思い立ったヤツを運営と呼ぶなら、そいつがAIを組む技術を持ってる必要はない)

「どういうことですか?」

 聞き返しながら、すでに真琴は伊東が言わんとするところを理解していた。
 この問い返しは、真琴の解釈が正しいか否かを確認する行為だった。

(可能性は2つある。ひとつはAIを組み立てた人間が俺と同様、運営に弱みを握られた人間であることだ)

 あ、そうか。
 その可能性もあるんだ。
 でも、私の予想は、たぶんもうひとつの方だ。

(もうひとつは、運営がやろうとしていることに共感する人間の中に、その技術を持つヤツがいたケースだな)

 そう、これだ。
 私としてはこっちが正解な気がする。
 運営は純粋な「悪」じゃない。共感する人間は少なくないはずだ。

(まあ、俺はどちらかというと後者だと思うけどな。そもそも当初のカレン、あのアプリだって素人が作れるような代物じゃなかったんだ。だから運営は、3年前に何かを決意した時点で、信頼できる人間に計画を明かして協力を得ていたんじゃないかな)

 伊東の補足が真琴の確信を後押しした。
 うん、隊長も同じ考えみたいだ。

 そのあと真琴は、今の真琴のカレコレ進捗状況を話したうえで伊東にカレコレのことを尋ねたが、「ネタバレなし」の縛りがあるので、とりたてて収穫はなかった。
 バイト先、もっすバーガーの今の様子など世間話に近いことをひととおり話した後、真琴は電話を切る前に小暮に替わってくれと頼んだ。

(なんだよ。わざわざ俺に替わる必要ないだろ)

「小暮先輩」

(なんだよ改まって、なんか悪いことしたか? 俺)

「隊……あ、いえ、伊東先輩の学籍番号を教えてください。……できればその、こっそりと」

(……ああ、そういうことか。初めて見たな、お前の裏側っぽいとこ)

「ダメ……ですか?」

(いやダメじゃない。でも、そんなの手元にないからな……そうだ、あとでショートメールで送るわ)

「はい、お願いします」

(で、そんだけ? 俺に聞きたいのは)

 真琴は迷った。
 そして無理とは知りつつ小暮に尋ねる。

「……伊東先輩が運営に囚われることになった原因って、なんなんですか?」

(……それは無理だ)

「ですよね。ありがとうございました」

(おう、また聞きたいことがあったら連絡しろよ。なんたってお前は恩人だからな、アプ研の)

「はい、そのときはお願いします」

 真琴は電話を切った。
 電話口でさえ小暮先輩は気を遣ってた。
 私の質問に「それは言えない」と答えていたら、隣にいる隊長が察してしまうかもしれないから「無理だ」という言い方を選んだんだ。

 無理だと承知のうえでの質問だったので、真琴に落胆はなかった。
 むしろ伊東を気遣う小暮の心を知り、真琴は清々しい気分だった。
 
 
 思いのほか長電話となったが、真琴は収穫を得た気持ちだった。
 今、学生の評価を行っているのがAIであるという推測にも説得力があったし、大学の様子も少し聞くことができた。
 さらには、伊東を加えた「アプ研」が真琴の大きな支えになり得ることも知ったし、伊東が示唆したマルチエンディングの可能性は、真琴と島田の取り組みが決して的外れではないという自信につながるものだった。

 しかし、真琴にとって最も大きな収穫は別にあった。
 それは具体的に話題になったわけではない……運営の姿にかかるイメージだった。
 それはこの「カレン騒動」が大がかりで周到、警察が「人権テロ」と標し「警察庁指定事件」にするほどの犯罪であるが故に学生たちの目を眩ませていた。

 AIを組んだ人が「共感者」なら、もともとのカレンのアプリを創ったのも「共感者」……。
 私たちは運営を「大きな敵」と思い込んでた。
 いや、実際に大きな組織なのかもしれないけど、発端は私怨……。
 たぶん数人か、もしかしたらたったひとりの「首魁」の思いつきで始まったのかもしれない。
 だとすれば、突きとめるべき「犯人」というのは、最初の小さな集団だ。
 今、あの聡明な愛が惹かれているように、共感できるものを持つ運営は時間をかけて大きくなったんだ、きっと。
 そうだよ、それこそ宗教犯罪のように……。

 そんなことを考えているうち、小暮からショートメールが届く。
 隊長の学籍番号……。
 私が知る「もうひとりの賢者」の肩書きは今、どうなってるんだろう。

 少しの後ろめたさを感じながら伊東の学籍番号をメモした真琴は、伊東のステータスを確かめるべくカレンを立ち上げる。
 だが、そこで真琴の手が止まる。


  287718B
  知る者
  徳:496
  業:66


 ……なに? ……なんで変わってんのよ、私の肩書き。
 しれっと徳も増えてるし……。

 この突然の変化に真琴は、伊東に電話をかけて聞いてみようかとしたが、すんでのところで思い留まった。
 このステータスの変化は、いましがた伊東と話した「AI」がしていることであり、これ以上伊東と話をしても、新たな情報がないことに気が付いたからだ。

 なので真琴はひとりで考える。
 徳が増えたのは、たぶん特典の行使だ。
 徳200の特典を使ってアンケートをやったときと同じなんだ。
 じゃあ肩書きは?
 肩書きは、いつ……どうして変わったんだ?

 小娘から「知る者」か……。
 いきなり飛躍したようなカンジだけど、知る者か……。
 最上位の人たちに多い肩書き、そして裏パチンコを当てることができる肩書き……。
 あ、そうか……きっとあれだ。
 徳450の特典「各種統計データの閲覧」をしたからだ。
 うん、それならたしかに私は知った。
 この大学に籍を置く学生の……素行を。
 でもまあ、それだけじゃないよな、きっと。
 じゃないと「知る者」が増えすぎて裏パチンコで大当たりする人が続出しちゃうし、そうなったら事件を解決しなくても「カルマトール1000」で業を一気に減らして、処刑に怯える学生がいなくなる。
 それじゃあ運営は目的を達せられない。

 ん? あれ? 運営の……目的?
 そうだった。運営の目的は今に至っても「不明」のままなんだ。
 勢いで学生を処刑することみたいに考えちゃったけど、それが運営の目的に程遠いことは解ってたのに……。
 そんな小さなことじゃない。

 でも、だったらなに?
 昨日、お母さんは電話で「標的なら分かる」と言ってた。
 一番困ってるところだ……って。

 一番困ってるところ、か。
 それはやっぱり「大学」だ。
 学生でも、警察でもない。

 学生も困ってるけど、それは今まで遊び呆けていた何割かの「業の多い人」だけだ。
 ひとつの大学の、そんな「ありふれた大学生」を懲らしめるようなショボい目的じゃないよ、これは。
 警察は苦労してるけど、それは事件があって捜査してるんだから当然だ。
 やっぱり、この事件の規模と犯人の執念を考えれば、それに見合う対象は「大学そのもの」だ。
 標的が大学であるなら、目的はなんだ?
 いちおう伝統ある国立総合大学である広大に的を絞って、広大にどんな恨みがあるんだ?
 これもきっと相当な理由があるはずだ。
 単に「入試で落ちた」とか、「留年した」とか「退学させられた」とかじゃ足りない……。

 ん? まてよ。「退学させられる」ってのは一大事だよな。
 それに、いろんな理由があるよな、退学って。
 警察に捕まるような事件を起こして退学になった人もいるだろうし、学費の滞納なんかでも退学になるのかな。
 正当な理由なら退学処分も致し方ないだろうけど、もしそれが誤解、あるいは不当な処分であったなら……。
 
 不当な処分などというものがあるのかどうか、まだ入学して半年の真琴には分からなかったが、それは充分に動機になり得ることのように真琴には感じられた。
 同時に真琴は、正当な処分であっても、受けた本人にとって不服であるケースは少なくないだろうと推測した。
 これは変わった経歴を持ちながらも検察事務官を父に持つ真琴が自然と導いた理屈だった。

 標的は大学、そして犯人は大学に深い恨みを持つ者……。
 そういえば警察は、過去に退学処分を受けて大学を去った人を調べたりしてるのかな。
 ……してるよな、当然。
 私の、こんな素人推理を松下さんにぶつけても、きっと笑われるだけだよな。

 考えるだけ考えたところで己の無力を知るだけのような気がしてきた真琴が、考えることを放棄しようとしていたところで携帯電話がメッセージの着信を告げた。
 真琴が画面を見ると、島田からのメッセージだった。
 同時に真琴は、時刻がすでに夕刻……午後5時に近いことを知った。
 長電話と長考でかなりの時間を消費したことに不覚に似た思いを抱きながら、真琴はメッセージの内容を見る。

『講義終わったけど、今日はどうする?』

 どうするって……そりゃもちろん集まってカレコレやるに決まってんでしょ。
 まだ気兼ねしてんだ。まあ、仕方ないよな。
 でも講義って……ホント?
 なんか遅くない? 終わるのが。
 サークルなら分かるけど。

 まあいいか。島田くん相手にヘタな勘繰りは無用だし。
 じゃあ、私の家はまだ危険だから……。
 ここ、理沙の部屋に集まるのが自然かな。
 真琴はその旨を返信する。

『やるよ、カレコレ。今日は理沙んちの方がいいよね』

『清川はいいのかな。それで』

『いいんじゃない? 気にしないよ理沙は』

『分かった。じゃあ今から清川んちに行く』

『あ、なにか買ってきたほうがいいかも。いちおう』

『なにかってなに?』

『理沙のエサ』

『わかった』

 よし、今日もカレコレだ。
 で、家主の理沙は音沙汰ないけど、まさかサークル行ってんの?
 こんな最中に。

 いや、理沙のことだ。こんなときだからこそサークルに行ってるような気がする。
 同じ学年の友だちと講義に出てるだけじゃ聞けない、上級生の生の声を聞くために。
 そんな深慮を表に出すような理沙じゃないだろうけど。

 そうして真琴は二人を待ったが、先に到着したのは島田だった。

「あれ? 清川は?」

「まだ帰ってきてないよ」

「……なにしてんだ? アイツ」

「私が思うに、サークルだと思う」

「ああ、清川らしいな。それ」

 そんな挨拶がわりのやりとりのあと、真琴と島田の間に沈黙が忍び寄った。
 島田の方は、真琴の想いを掲示板へ書き込んだ経緯について問い質される覚悟をしているらしく、真琴の言葉を待っているようだった。
 一方の真琴は、今さら島田を責めるつもりがないので、沈黙が痛みを生む前に言葉を発する。

「ねえ島田くん。私考えたんだ」

「……なにを?」

「今、学生の評価してんのってさ、AIみたいなヤツじゃないのかなって」

 真琴が振った話題が件の書き込みのことではないことに安堵の表情を浮かべつつ、島田は真琴が投げた「予想」について考える。
 伊東から得た知識であったが、それを言えない真琴は、さも自分が思いついたかのように言ってみせた。

「……あり得る、けど……誰の思いつきだ? それ」

 ぐ……。
 なんか今日はこんなのばっかりだな……。
 こっちはいろいろ気を遣ってんのに。
 なんだかムカムカしてきたぞ。
 私が悪いワケじゃないんだから。

 真琴の表情に不穏なものを感じたのか、めずらしく島田が慌てた様子で答えを改める。

「でも、うん。かなり……ってか、ほぼ間違いないような意見だと思う」

「でしょでしょ?」

「それくらいじゃないと捌ききれない作業量だもんな」

「うん」

「でも、そうなると、けっこう優秀なAI……あ、その必要はないのか」

「……え? ……なんで?」

「評価が適正かどうかは判んないじゃん。とりあえず捌けばいいんだから」

 とりあえず捌けば……か。
 まあ、そうだよね。
 そもそも人……賢者がやらされてた評価だって、それが適正だったかどうかなんて判断できないんだし。
 そうだ、隊長なんておもいっきり私情が入ってたから私の徳がとんでもないことになってたんだし。
 もしかして、私が今こんなことになってるのって……隊長のせい?


「あ、そうだ。ちゃんと買ってきたぞ、清川のエサ」

 真琴の表情にまたしても危険を感じたのか、島田が話題を変えた。

「なに買ってきたの?」

 島田はコンビニの袋を真琴に差し出す。
 その表情は自信ありげだ。
 気持ちを切り替え、真琴が中身をあらためると、それはアイスクリームだった。
 高級……しかも6個パック……。

「ずいぶん奮発したね、島田くん」

「ん、ああ……まあ、な」

 わざとイタズラな目で島田を見た真琴だったが、島田の表情は真剣だった。
 ……そうか、私への気持ちでもあるんだ。この……理沙のエサは。

 品物と表情で島田の気持ちを汲み取った真琴は、例の書き込みについて島田を問い質すことはしないと決めた。

 まあ、もともとそんなつもりはなかったんだ。
 でも、ホントに今日はフワフワした落ち着かない気分……。
 
 ああ、そうか。
 今日は、なんかこう……自分の意思じゃないものに動かされてるような感覚がイヤだったんだな、きっと。
 だから……うん、ちょっと気持ちを入れ替えよう。
 私は、自分の意思で決めるんだ。
 どう転んでも私の人生、リハーサルじゃないんだから。
 
 父の助言を思い起こし、真琴は己が陥りかけた他人任せの思考を断ち切った。
 能動的にいこうじゃないの。……今からは。
 
「ね、島田くん。開けようよ、アイス」

「……は?」

 今度こそ修羅場……掲示板への書き込みの真意を問われる覚悟をしていた島田は、真琴の言葉に反応できない。
 いつも真琴の心を見抜いているような島田が戸惑う様に、真琴は小さな喜びを感じた。

「開けようよって……。そんなことしたら清川が黙ってないだろ」

「いいじゃん内緒にしとけば。外箱さえ始末すれば完全犯罪、でしょ?」

「まあ、そう……なのかな」

 島田はまだ戸惑い気味だ。
 真琴は小気味良い感覚に包まれる。
 その勢いで島田から袋を取り上げ、にやけた顔でアイスの箱を開ける。

「私これ。島田くんは?」

「え、あ、じゃあ……えっと、これにする」

「あ、それもいいね」

 そう言いながら真琴はアイスの外箱を小さくたたみ、自分のバックに隠匿する。
 島田はそれを眺めるしかない様子だ。

「島田くん、残りは冷凍庫に入れてよ」

「分かった」

 そうして島田が残りの4個を冷凍庫に入れたあと、二人揃ってアイスのフタを開けた。
 自分じゃ滅多に買わない高級アイス、真琴が選んだ「クッキー&クリーム」は、この時の真琴にとって最高の癒し、そしてエネルギーになった。

 アイスの力で和らいだ空気の中、真琴は切り出す。

「ねえ島田くん」

「ん?」

「島田くんの今の肩書きって、なに?」

 意表を突く質問に、島田の手が止まる。

「……どうして?」

「私の肩書きはもう『小娘』じゃなくなったんだ。それに……さ」

「それに、なんだ?」

「島田くんはウソつかないでしょ?」

 島田の困惑顔が引き締まる。

「……あれ……を、憶えてんのか。古川は」

「うん、そう。昨日のあれ」

「……すげえな、古川」

「ふふ~ん。もっと誉めてもいいよ」

 染みわたったエネルギーは、その冷たさも相まって真琴の思考を涼しくした。
 その冷静な思考は、昨日の帰り際に島田が漏らした言葉を思い出させていた。
 駐輪場で理沙が言った「だてにナルシストはやってないね」という言葉に、島田が「やってないぞ」と答えたことを。

「で、どうなってんのよ。島田くんの肩書きは」

「あ、うん。……なんて言ったらいいのかな」

「隠しても無駄なんだよ」

「なんで? ……あ、そうか」

「そう。島田くんだって私のステータス見られるでしょ? その気になれば」

「そうなんだよな。そういえば」

 察しのいい島田はすぐに理解する。
 やはり最上のパートナーだ、と真琴は再認識する。
 同じチームである以上、お互いの学籍番号は知っているから「徳300の特典」で簡単にステータスは確認できることに何の説明も不要なのは心地良い。
 まあ、徳がゼロのヤツも世の中にはいるらしいけど。
 島田くんも300は超えたはずだ。
 最後に見たときはまだ超えてなかったけど。

「……まいったな」

 島田が観念したように言う。
 だが、やや首をかしげた姿勢は、まだ告げることを躊躇っているようだ。
 隠しても無駄と言われたにもかかわらず、この期に及んで言い淀む島田を見て、さすがの真琴も何かを感じた。

「……なに? ……もしかしてアレ? 知らない方がいいってヤツなの?」

「かもしれない……けど古川はもう、見ようと思えば自分でできるんだもんな」

 ……あれ?
 なんだかこっちがドキドキしてきたぞ。
 どんな肩書きだってのよ……。

「古川」

「……はい」

 思わず神妙な返事をしてしまう。
 なにこのカンジ。

「できれば、その、先に古川の新しい肩書きを教えてくれないか」

「え、別に……いいよ。私は……『知る者』だよ」

 島田の目に、驚きとも安心ともつかない色が走る。
 きっとその両方だ、と真琴は感じた。

「もう知る者になったのか、古川は」

「もうってなによ、もうって」

「いや、ランキングに入った人の中でも上位の方だけだったろ? 『知る者』って」

「そう……なのかな?」

「そこまでは確認してないのか」

「うん。ざっと、ホントに上の方しか見てない。上から10人ちょっとくらいかな」

「その中には何人かいたろ? 『知る者』が」

「うん」

「ランキングの下位、といってもランキングに入ってる時点でトップクラスなんだけど、『知る者』がいるのはせいぜい20位くらいまでだった」

「……そうなんだ」

「上から確認していって、30位くらいからは、うん、あんまり特別な感じがない肩書きが多くなったから止めたんだよ、途中で」

「ああ、なるほどね」

「てか古川、ランキングに入ったのか?」

 島田の言葉に今度は真琴が意表を突かれた。

「え? 知らないの? 入ったよ。48番目だったかな」

 言いながら真琴は、昨夜のカレコレが終わってからのできごとを回想していた。
 そうか、そういえば話してなかったな。ランキングのこと。
 ……島田くんとは。

「入ってたのか。ランキングに」

「うん、そう。自分でもビックリした」

「それで『知る者』か……。うん、順調だな、かなり」

 島田はひとりで納得している。
 その島田の洞察顔から、真琴は今日の島田の行動を推し量る。
 私がランキングに入ったことを知らなかったとはいえこの表情……。
 かなり調べたみたいだぞ、島田くんは。
 この「知る者」っていう肩書きが持つ意味を知ってそうだ。
 ……裏パチンコが当たるって以外にも。
 
 島田の肩書きのことを忘れ、真琴は島田にそれを尋ねる。

「ねえ島田くん、知る者って」

「汁物ってなに?」

「うわああああああ」

 尋ねる矢先、耳元……いや肩の上に理沙の顔があり真琴は飛び退く。

 そういえばここは理沙の家だった。
 理沙が普通に入ってくると考える方がバカだった。
 この女、いつから聞いてたんだろう……。
 私たちの話を。

「え……これを汁物って呼ぶの? ……アンタたち」

 理沙が言っているのは真琴たちの前にあるアイスの容器のことだ。
 理沙のイタズラで話題を断ち切られた真琴は、とりあえず理沙の流れに乗る。

「そんなワケないじゃん。これ、島田くんが買ってきたんだよ」

「混ぜてない? ……ヘンなもの」

「ヘンなものってなんだよ」

「真琴、だいじょうぶ? ……ムラムラしてきたんじゃない?」

「やめろ清川、お前の言葉にはプラシーボ効果がありそうだ」

 ……さすが理沙、一気に雰囲気を塗り替えた。
 そして、これはあながち悪くない。

「理沙、もしかしてサークル行ってたの?」

「うん。でも1年生が多かったね、今日は」

 そうなのか。
 まあ、自然とそうなるかもしれないな。

「じゃ、1年以外は誰がいた?」

「えっと、2年はけっこういたよ。3年は野崎さんと中村さんだけだったかな」

 理沙は、ごく自然に野崎の名を口にした。
 真琴の想いを書き込んだ張本人……。
 島田の表情が曇る。

 しかし、それは真琴の中では片付いた問題なので話題を変える。

「そうだ、理沙の分もあるんだよ。冷凍庫に入れてる」

「え、ホント? う~ん、もう……私、惚れちゃうよ、なおっち」

 言いながら理沙は冷凍庫を開けて覗き込む。

「うわスゴッ、4個もあるじゃん。……て、なにか無くなってない?」

「ああゴメン、おなか減ったからパスタいただいちゃった」

「え……あの、パスタを?」

「……なに? ……マズかった?」

「……お母さんの……形見だったのに……」

 スーパーで売ってるパスタが形見だったのか。

「アンタのお母さんは賞味期限のある形見をくれたの?」

「ん……ああ、ちょっと無理があったね。私としたことが」

 理沙のおかげで、いい具合に場が明るくなった。
 同意を確認するために真琴が島田を見ると、一旦は見せていた安堵の表情が消えていた。
 その表情は「困っている」とは違い、いつもの島田……「なにか」を考えている真剣なものだった。

 今度はなに?
 今の……どう考えても下らないやりとりに、なにか引っかかった?

 ダメだ。
 私はまだ、島田くんの考えていることに及ばない。
 でも、それでいいんだよ。
 私は私、そして島田くんは絶対的な仲間なんだから。

「じゃあ今日も始めよっか、カレコレ」

 時刻が午後6時になったのを確かめて真琴が促す。

「がんばれ真琴、がんばれナル夫」

「……アンタもやるのよ、理沙」

「え~。どうせパチンコ当たらないし。徳ゼロだし。あんまりヤル気でないし」

「ワガママ言わないの。理沙」

「でもさ、アンタたちは意味があるかもしれないけど、私が進めていいことあんのかな? ……実際」

 真琴と理沙がこんな話をしていると、島田がなにか思いついたように顔を上げた。

「そうだ清川、お前、パチンコ当ててみたくないか?」

「え? ……当てたいよ、そりゃ」

「じゃ……今日の清川の仕事はパチンコだ」

「なにその救いようのないセリフ」

 島田が言い出したことの意味を理解できない真琴は、ただ黙って島田を見る。
 ……なんだ? どんな提案なのよ、これ。

「清川」

「うんうんうんうん」

「確認するけど、清川はアホだけどバカじゃないんだな?」

「……うまれてはじめての質問だね、それ」

「じゃあ変えようか。清川はバカじゃないんだな?」

「それは……なおっちの判断に任せるよ。だってそういうのって自分で決めることじゃないし」

 真琴は感じた。
 理沙の答えは満点だと。

「よし清川、携帯交換だ」

 島田は自分の携帯電話を理沙に差し出す。
 理沙はそれをまじまじと見つめて聞く。

「……つまり、なおっちの携帯でパチンコやれってこと?」

「そう。たぶん当たる」

「……ふ~ん、そうなんだ。で、なおっちは? なおっちはなにすんの?」

「清川の携帯でカレコレを進める」

 携帯電話を人……それも異性に預けるなんて、普通なら考えられない行動だ。
 たしかに今は「普通」じゃないけど……。
 受けるか? ……理沙が。

「……あんまり見ないでよ。その……中身は」

「あたりまえだろ。俺のも見るなよ。……あんまり」

 理沙が受けた……。
 意外なような、それでいて嬉しいような、とにかくお互いに信頼していることは間違いない。
 いまさらながら真琴は、この3人でチームを組んだことに誇りに思う。


 そうして島田と理沙が携帯電話を交換し、真琴を含め3人それぞれがカレコレを開始する。
 
「うわ……。これ、すごい進んでない? なおっち」

 カレコレを立ち上げて島田の進捗を見た理沙が言う。

「そうでもないよ。この、清川がやってたところからなら、追い着くのに1時間もかんない」

「そうなの? ……あ、そうだ。私の徳もなんとかしといてよ、なおっち」

「蝶の質問にあんまり時間かけたくないけど……。うん、清川よりマシだろ」

「うむ、頼むよひとつ。てかこの『王佐』ってなによ」

「ああ、肩書きだろ? ……その肩書きなら当たるんだよ、たぶん」

 昨日、新しいエリアへ向かう途中で蝶から5個目の玉……ドラゴンパールをもらったところで終了した真琴が、チーム「つるぺた」を新しい場所に向かわせていたところで、理沙から聞き捨てならない言葉が飛び出した。

 島田くんの肩書き……おうさ?
 おうさ……おうさ……。
 ダメだ。当てはまる漢字が思い浮かばない。
 真琴は理沙にすり寄り、理沙の手にある画面を覗き込む。

 ああ……王佐……か。
 歴史かなんかで聞いたかな、たしか優秀な参謀とか、その字面のとおり王を補佐する人のことだ。
 なんだかすごい偉そうな肩書きになったんだな。島田くんも。

 ん? でも、王佐ってことは「王」じゃないんだよな……。
 意味ありげな言葉……。
 これもAIが振ったんだ。
 
「じゃあまこ……ん……ブハッ」

 言いかけて右を向いた理沙の口元が、そこにあった真琴の左頬に押し付けられる。

「ふぅ……なにしてんのよ真琴。あやうくファーストキスを無くすところだったじゃないの」

 よくもまあここまで次々と軽口が沸くものだと真琴は感心する。
 しかし理沙の疑問は判っている。
 そして、そのとおりの疑問を理沙が口にした。

「なおっちが王佐なら、真琴は今……王、なの?」

 違う。私の肩書きは今、「知る者」だ。
 でも、島田くんのこの肩書きは……。
 島田くんの行動を見透かしているみたいだ。
 AIと予想したとはいえ、運営に手招きをされているような気分だ。

「……違う。私は、『知る者』っていうヤツ」

 真琴はかろうじて理沙の質問に答えた。

「汁物って……あ、もしかして知ってる……者?」

「そうよそっちよ、あたりまえでしょ。アンタくらいよ、ラーメンを思い浮かべるのは」

「いや違う、そんなことないよ真琴。この世の多くはラーメンだよ」

 ……断言してるし。
 でも、王佐って肩書きは、どう捉えても悪い意味じゃない。
 私は王じゃないけど、王か、それに値するところに行く資格があるかもしれないんだ。

 ここまできたんだ。
 このままでいこう。

 真琴はカーディガンの袖で左の頬を拭い、ふたたびカレコレに戻った。


「でもさなおっち、王佐なんて人がギャンブルにのめり込んでいいの?」

「のめり込めとは言ってないだろ。でも、当てる分には問題ないと思う」

「そう? ……ならいいけど」

「それよりも清川がパチンコ屋に行く前に寄り道してヘンなことする方が心配だよ。頼むからまっすぐパチンコ屋に行ってくれ」

「ムカつくけどオッケーだよ」

 まっすぐパチンコ屋に……か。
 すごいインパクトだな、言葉としては。
 島田と理沙のやりとりを横目に真琴は自分のカレコレを進める。

 次に行くべきエリアは大学の東南端、農学部のようだった。
 ドットで描かれたフィールドは、上から眺めるかたちになるため地図に似ており、この「カレンコレクション」というゲームの舞台が、限りなく忠実に広北大学を再現していることがよく判る。
 そうして真琴が操る「まこと」は、農学部の南にある実習用の畑でひとりのキャラを見つけ、話しかける。


 『食の安全って、だいじだよね』
  ・はい
  ・いいえ


 今度は「食」か……。
 まあ、大切なことには違いない。
 真琴は「はい」を選ぶ。


 『じゃあ食の安全について、まことはどう思うの? 1000字以内で教えてよ』


 ……こんな軽いノリで小論文を出題されたのは初めてだ。
 これを書いたして、これすらも間を置かずに評価するのか、運営の手にあるAIは。


 とにかくマジメに考えて答えなきゃ……。
 つまり、「食の安全について、あなたの考えを述べなさい」ってことだよね。
 真琴はまず、このいい加減な問いかけを頭の中で「まともな出題」にした。
 それを千文字以内でまとめればいいんだ、と。

 食の安全……食の、安全か……。
 お母さんは考えてたよな。たしかに。
 でも、良い食材を選ぶっていうより「これは買わない」って感じだった。
 うん、「安全」っていう言葉のとおり、「危険を排除する」考え方がしっくりくる。
 でも、私が中学生だったころはよく耳にしてたけど、そういえば最近あんまり聞かなくなったよな。「食の安全」って言葉。
 気のせいかな?
 いや、気のせいじゃない。
 つい最近、夏休みに家族でファミレスに行ったときにお父さんが言ってたぞ。
 そうだ、たしかそれこそ「すっかり聞かなくなったな」って、ハンバーグを切りながら……。
 お母さんはなんて答えてたっけ。
 そして私……私はなにか言ったかな、あの時。

 賢明に記憶をたどるものの、真琴は結局、家族で外食した際に自分がどんな発言をしたのかを思い出せなかった。
 しかし父と母のやりとりの一部は思い出すことができた。
 父の言葉に対して母が同意し、その後「麻痺した」とか「言ってる場合じゃなくなった」などの言葉が交わされていたことを。
 そして話題のけりとして母が「いちいち気にしてたら外食なんてできないわね」と言い、父が「もう無いんだよな、食の安全なんて」という旨のことを言っていたのを。

 小学生のときに習ったことといえば「農薬」とか「工業汚染」だ。
 中学生のときには、それに加えて「輸入」、「生産効率」なんかが味付けされた。
 高校生になったら、なんかいっぱしの意見を言うようになってたな……もう。
 でも、どんな意見を言ってたのか自分でも思い出せない。
 ……あれって「意見」だったのかな?

 そうして真琴は回答を書いていく。
 育った環境の中で感じたこと、両親の言葉、そして今、ファーストフード店でアルバイトをしていて思うこと……。
 書いてみて初めて気が付くことが多いことに真琴は驚いた。
 書き終えて回答を確定したときのキャラの返事は「ふ~ん、そうなんだ」という素っ気ないものだった。

 なのでこの時点の真琴に自覚はなかった。
 急かされた状況で書いた千文字弱の作文が、極めて優れた内容であることを。

 そのあと真琴は「まこと」を操作して畑のキャラに話しかけるが、何度話しかけても「安全第一!」としか言わなくなってしまった。
 ん、このキャラは今回の主役じゃないのか?
 ……余所をあたってみよう。
 真琴は今回の「主役」を探すべくチームを移動させた。

 蝶は白い色のまま、今日も「まこと」たちの周りを優雅に舞いながら、時折質問を投げてきた。
 蝶からの問いは相変わらず漠然としており、真琴は相変わらず真面目に不器用に答えていった。
 ああもう、「浮気ってなに?」ってどんな質問よ……。
 簡単に聞くけど、考える方の身にもなってよ。
 真琴は胸の内で毒づいた。

 やがて「まこと」は農学部のさらに南、畜産を学ぶための動物を飼育している小屋の前でそれらしいキャラを見つける。
 そのキャラは、飼育されているブタの方を向いていた。
 真琴は「まこと」で話しかける。


 『知ってた?』
  ・はい
  ・いいえ


 あ、このカンジ……。
 たぶんこれが「主役」だ。
 女の子かな? 髪が長いし。
 どっち選んでもいいんだ。
 真琴は「いいえ」を選ぶ。


 『ブタの知能って3歳児くらいなんだって。すごいよね』
  ・はい
  ・いいえ


 へえ、そうなんだ。
 それはすごい……よな。
 3歳って、幼稚園の年少でしょ?
 ブタって、それと同じくらいにものごとが分かってるってこと?
 真琴は純粋な驚きを込めて「はい」と答えた。
 女の子らしきキャラが返事をする。

 『でも、食べられちゃうんだよね……』

 そんな、家畜の運命を嘆くようなセリフを残し、そのキャラはツーッと画面右に消えた。
 この思わせぶりなセリフと消え方から、これが今回の主役であると真琴は確信した。
 それなら、と真琴は島田に尋ねる。

「島田くん。ブタ見てた子、どこ行ったの?」

 妙に派手で似合わない携帯電話を睨んだまま島田が答える。

「ええと、農学部の建物の中。……たしか3階」

「わかった。行ってみるね」

 それまで黙っていた理沙が、このタイミングで口を開く。

「真琴、なんだったっけ? あのアレ……おとなげ?」

「……ボーボー?」

「え? なに?」

「ボーボーでしょ?」

「ゴメンよく聞こえない」

「だからボーボーだって言ってんでしょ」

 そこまで言ったあとで真琴は違和感を感じた。
 理沙がなにやらせっせと携帯を操作しているのだ。
 イヤな予感……。真琴は理沙に這い寄って画面を覗く。

「……なにやってんの? 理沙」

「ん? なんでもないよ。ちょっと待って」

 覗いてみると、理沙が操作する島田の携帯電話の画面はカレコレではなく、なにかのアプリが起動していた。

「よし、できた」

「……なにが?」

「なおっち、その電話でこっちに電話かけてみて」

「ん? ……わかった。……と、ホイ」


『だからボーボーだって言ってんでしょ。だからボーボーだって言ってんでしょ。だからボーボーだって言ってんでしょ。だからボ』


 いきなり部屋中に鳴り響いた自分の言葉に、真琴は状況を把握するまでにコール3回分の時間を要した。
 理解するや否や、真琴は理沙から携帯電話を取り上げて着信を拒否した。
 取り上げた勢いそのまま、携帯電話を理沙の脳天に落とす。

「…………。ブ……ブ……」

 もはや痛みも感じないようで、理沙は体を震わせ、目に涙を浮かべながら吹き出すのを抑えていた。

「理沙、いくらなんでもフザけすぎ。こんなことしてる場合じゃないでしょ」

「……い……で、も……ブフッ……グプ」

 理沙は今にも決壊しそうな口を押さえながら何かを言おうとしている。
 それが反省に類するものでないことは明白だった。
 それならば、と真琴は理沙から取り上げた携帯電話を島田に渡す。

「島田くん、消してよ。今のデータ」

 島田はなにやら微笑ましいものを見るような表情で携帯電話を受け取った。

「しかしまあ……鮮やかな手際だったな。清川」

「ヘンなとこで感心しないでよ。お願いだから早く消して」

「わかった。消そう」

 島田が携帯電話を操作する。
 
「あああ、なおっちにピッタリの着信音だと思ったのに……」

「……復活したようね。理沙」

「わるぎはないんだよ、ふるかわ」

「……なにモノマネしてんのよ」

「そんなに怒んなくたっていいじゃん。ちょっとしたイタズラに」

「そんなイタズラは自分の声でやってよ」

「それじゃイタズラになんないじゃん。なに言ってんのよ」

 理沙に反省を促すという不毛な戦いに挑む真琴を見て、島田が口を開く。

「まあ、いいじゃん。それよりも……だよ」

「……進めろって?」

「そうそう。清川はちゃんと自分の仕事しろよ。ほい携帯」

「はぁ~い」

 理沙は、島田から受け取った携帯電話に視線を落とし、しぶしぶといった様子でカレコレを再開する。
 真琴も、悪ふざけに時間を浪費している場合ではないと割り切り、カレコレに戻ることにした。
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