かれん

青木ぬかり

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10月7日(金)

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「おきろ、ふるかわ」

 ……ん。
 なに?

 ……ていうか、誰?

 勢いよく起き上がる。
 右を向くと理沙がいた。
 真琴はひとまず安心する。

「理沙……今、何時?」

「8時前」

 ……8時……前か。
 あれ? 私、昨日何時に寝た?
 いや、それどころじゃない。
 試験まで1時間しかないじゃん。

「起こすの遅くない? 理沙」

「おお、起きたと思えばクレーマー。も1回寝る?」

「いや、悪気はないんだけどさ、1コマ目から試験じゃん。ギリギリじゃん」

 とにかく着替えなきゃ。理沙は準備できてるみたいだし。
 真琴は立ち上がり、急いで着替えを始める。

「起こすたびにアンタが『あとすこしだけ』って切ない顔してスヌーズおねだりしてくるのが悪いんだし。何回起こしたと思ってんのよ、7時から」
 
「え? そうなの?」

 真琴は着替えながら振り返る。
 理沙に嘘はなさそうだった。

「ま、慌てなくても迎えがくるし」

「なによそれ。誰が迎えにくるってのよ」

「お巡りさん」

「……え?」

 驚きつつも、真琴は着替える作業を止めない。
 頭は情報を求めていた。
 真琴は表情でそれを訴える。

「昨日さ、9時過ぎにシャットダウンしたじゃん。真琴」

「ああ、うん……」

 9時過ぎに寝ちゃったのか……。
 まさに電池切れだったな。
 私が寝ちゃってから、なにがあったんだろ。

「なおっちと私で、とりあえずミツキと話したり、掲示板見たり、真琴を脱がせて眺めたりしてたんだよ」

「うん」

「…………。そしたらね、白いケータイが鳴ったんだ。それでも真琴は起きなかった」

「ああ、うん」

「だからね、なおっちが電話に出たんだ。間男の松下さんからだった。んで、なおっちが『妻は寝てます』って言ったら、朝は迎えにくるからゆっくり寝かせとけって言われたの」

「松下さんが言ったの? 迎えにくるって」

「そう。あ、でも真琴が疲れてるからじゃないみたいだよ」

「え? ……じゃ、なんでわざわざ?」

 この問いに、理沙が少し複雑な表情になる。

「……あのね、今、真琴はVIPなんだよ」

「は?」

「たぶん、このアパートの駐車場も見張られてる」

「は?」

「真琴は今、守られるべき対象なんだよ。どんな人が押しかけてくるかわかんないじゃん」

「ああ、そう……かもね。じゃ、迎えにくるのも……」

「そう、その延長。真琴の安全を確保するんだって」

「……そっか。ま、この騒ぎが終わるまでは仕方ないのかな」

「松下さんもそんなこと言ってたみたい。でね、真琴の性格からして気兼ねするだろうからって、伝言もあるんだ」

「伝言?」

 話しながら着替えを終えた真琴は時計を見る。
 8時10分……。迎えはいつ来んの?

「真琴のおかげで人手が余るようになったんだから遠慮すんなって」

「ああ、なるほどね」

「ホントみたいだよ。だってね、なんかね、機動隊の人も受けるみたい。今日の試験」

「それはまた……災難ね。機動隊の人も」

 真琴は冷蔵庫を開けて、りんごジュースを一気飲みする。
 酸っぱさが全身に染みわたるような感覚で、真琴は自分の回復を実感する。

 よし、すっかり元気だ。
 体も、心も……。

「で? いつ来るのよ。その迎えとやらは」

「準備ができたら電話くれって。たぶんすぐ来るよ。見張りの人がそのまま来るだろうから」

「ああ、そうかもね」

 真琴は軽く髪をとかしてから、ちゃぶ台の上の白い携帯電話を拾う。
 そして「まっちゃん」にコールする。

(おはよう古川さん。どう? 体調は)

 ……コール1回も終わってない。
 真琴は、応答の速さに自分の身の重要性を知る。

「はい、元気になりました」

(もう準備はできてる?)

「はい。早くしないと遅刻しちゃいますね」

(すぐ近くまで来てるんだ。あと3分くらいかな。それでいい?)

「はい。待ってます」

 すぐ近くまで来てる……か。
 慣れたもんだよな、松下さんも。

「理沙、すぐ来るってよ」

「うい」

 そうして、3分も経たぬうちにインターホンが鳴る。
 理沙は見張りの者がそのまま来るだろうと言っていたが、迎えに来たのは松下自身だった。
 理沙は初対面になるので、真琴は軽く紹介をする。
 そして理沙と二人で後部座席に乗り込んでから、真琴は松下に尋ねてみる。

「ずっと待ってたんですか?」

「あ……うん。なんて言ったらいいのかな……」

「見張ってくれてるんですよね、私を」

「……ま、あんまりいい気分はしないだろうけど……。そうだね」

「いえ、ありがとうございます。安心です」

 真琴の反応を聞いて、松下の表情が明るくなる。

「学生のもめごと対応に追われてる千倍マシだよ、ホント。交代で見張ってるから苦にならないし」

「ああ、そうかもしれませんね」

「黒幕と話したんだって?」

「はい。すごいですね、あれは。圧倒されました」

「昨日の電話でだいたいのことは聞いたんだ。交渉は上手くいったみたいだね」

「え? 交渉……ですか?」

「アレよ真琴、最後のヤツ」

 乗車して初めて理沙が口を開く。
 めずらしくおとなしいな、などと思いながら真琴は記憶をたどる。

「最後の? あ……ああ、あれね。ミツキが勝手にどうこうしないってヤツね」

「ミツキ? 誰のこと?」

「あ、黒幕のことです。なんて呼んだらいいのか聞いたら、ミツキって呼んでくれって」

「……それはまた……なんとも、だね」

「あ……。そうですよね。でも田中美月さんを軽く扱ってるようではなかったです」

「そっか……。それならいいんだ。でも、あんまり大きな声では言わない方がいいかもね。勇者のイメージダウンになりそうだ」

 勇者……か。確かにミツキが勝手に学生のデータを晒したりしないって約束してくれた時点で、カレン騒動には決着がついたのかもしれない。

「でも、具体的なことは話してないんです。ミツキの独断で学生の安全をおびやかさないってことだけ確かめた、それだけです」

「うん、島田くんから聞いた。今夜も黒幕……ミツキと話すつもり?」

「はい。もう元気になったし、ミツキに対する心構えもできたので」

「ミツキが感心してたらしいよ。録音の手際」

「……え?」

 なに? なんで松下さんが知って……いや、ミツキが知ってるの?
 ……あ、そっか。ミツキは見えるんだ。……なんでも。
 島田くんの携帯電話で録音してるのも察知してたんだ。
 ……なんにも言わなかったけど。

 真琴が考え込むかたちで会話が途切れ、車は大学に着いた。
 松下は真琴たちの試験会場である総合科学部近くの駐車場で車を停める。
 そこには警察官と思われる若い男が2人、待機していた。
 そして3人とも車を降りたところで松下が告げる

「えっと……この二人も試験を受けるんだ。古川さんと清川さんの隣で」

「え? そこまでするん……ですか?」

 これもつまりは警戒……。そう理解した真琴は、さすがに大袈裟すぎるのではないかという感想が口を衝いた。

「うっとおしいかもしれないけど、こういうのはアピールも大事なんだよ。清川さんも、悪いけど」

「感激です。身に余る光栄です。二度とないです、かならず」

 理沙の日本語がおかしい……。
 でも、気持ちは伝わる。
 ワザと……か。理沙らしいな。

 そして松下に見送られながら、それぞれがカップルのように二組に別れて試験会場に向かう。
 道すがら真琴は、自分と組んだ警察官が21歳の機動隊員であることを聞いた。
 3つ年上の無骨な機動隊員は、その雰囲気だけで充分に魅力的で頼もしかった。

 そして真琴は機動隊員の指示で、後ろの戸から試験会場の教室に入る。
 会場は9月30日の学生説明会と同じ、そして座席の指定がないので、最後列の席を2つ「警察」として確保しているとのことだった。
 その入念な段取りに、真琴はあらためて己が身の重要性を知る。

 5列ほど前に愛と早紀の姿を認めたので真琴が見ていると、おそらくむこうも真琴を探していたらしく愛と目が合う。
 お互いに小さく手を挙げて挨拶をする。
 すべてを把握している愛の表情は晴れやかだった。

 そして、裏返しのままで待てという指示のあとに試験用紙がまわってくる。
 真琴は用紙の背中に目を落とす。

 試験……。偉そうに私が考えた問題……。
 でも高山先生も認めてくれたんだから、おかしな出題ではないんだ。
 自分で考えたのに、なに書くか考えてないな……ぜんぜん。
 ま、なんとかなるかな。

 1コマ目の始業を告げるチャイムが鳴り試験官が開始を告げると、皆が一斉に紙を裏返した。
 真琴も用紙を表に返し、あらためて出題を確認する。




  講義名:倫理、道徳  2単位(一般教養)


 日本国民に求められる道徳についてあなたの考えを説明したうえで、少年が成長の過程でその道徳を身につけるために日本の社会がどうあるべきか、具体的に述べなさい。
 (裏面への記載可。ただし本用紙1枚に収めること)





 ……こうして試験用紙になると、ホントに偉そげだな。
 ま、いっか。

 真琴はしばし考えた後、回答を書き始めた。
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