海よりも清澄な青

雨夜りょう

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1人間なんて嫌いよ

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 深い海の底から、女性はキラキラと夕日に照らされる水面を睨みつけていた。
 ああ、ほらまた落ちて来た。
 ぽちゃんと音を立てて人間の不要物が投げ入れられてくる、どうやら今日は瓶らしい。

(人間なんて、嫌いよ)

 そう心の中で毒づきながら、人魚であるリンは住処に張られている結界を見つめた。
 人間は嫌いだ、あの種族は海をゴミ箱か何かだと思っている。自分達の使わなくなった物や汚染水を海に垂れ流し、種の繁栄も存続も無視して何も考えずに綺麗だからと、美味しいからとそんなつまらない理由だけで海に住む一族を乱獲していく。
 そうやって我が物顔で己の領分も理解せずに侵略してくる。自分達を神か何かだと思い込んでいる、それが人種族だ。

(大っ嫌い)

 そんな嫌悪する種族の半分でも、自分と同じ形をしているという事実に吐き気すら覚える。

(……私が、ただの魚なら良かったのに)

 ぽちゃりぽちゃりと落ちてくるゴミを見ながら、リンはそんなことを思っていた。人間なんて滅んでしまえばいい、それが世の中のためと言うやつだ。
 自分が人間と同じ形をしている。それだけでも我慢がならないというのに、何百年も前の祖先は人間の男と恋に落ちているのだ。
 そんなことの何がいけないのだと言う人もいるだろう、男とは結ばれずに泡になって消えたではないかと言うかもしれない。だが、あれは嘘だ。

 男と女は無事に結婚し、一男三女を儲けた。その話が歪曲されたのか、人魚を食らえば不老不死になれる等と言われるようになったのだ。
 大方、祖先の子供たちが人の培近く長生きしたせいだろう。死の間際まで美は衰えを知らなかったという。

 それを聞きつけた愚昧な人間が人魚に襲い掛かったのだ。
 それゆえに人魚達はこんな海の隅に追いやられ、幻覚作用のある結界を張って潜むように過ごしている。だからこそリンは人間を死ぬほど嫌悪しており、そのような原因を作った自身の先祖の事も同じくらいに嫌悪している。当然、その血が流れている自分の事も。

 同じような事を残された多くの先祖も思ったのだろう。話し合いに話し合いを重ねた結果、海に住む魔女に願い薬を飲んだ。
 “人魚は、人間と結ばれると泡になって消える”
 こうすれば陸への憧れも人間への恋慕もなくなる。もっとも、そんな戒めがなくともリンには関係の無い話だが。

(どうせ狩るなら、魔物にすればいいのに)

 一度寄った眉根は戻らず、胸にくすぶったままの苛立ちがある。

「ああ、人でも襲おうかしら」

 リンは住処の上で網を投げる一艘を見つけて笑う。お前達には同胞を何千と殺されたのだ、一人や二人死んだところでゴミのように増えていき無くなりはしないのだ。構わないだろう。
 武器として持っている大斧を船に向かって叩きつける。

「沈みなさい!」

 ありったけの力を込めて叩かれた木製の船は、バキバキと音をたてて壊れていく。水中に見えた体を海の中へと引きずり込んだ。
 零れ落ちそうなほどに開かれた金色の瞳と目が合う。まるで時が止まったかのように微動だにせず、男はリンを見つめていた。

(なに、こいつ)

 動き出さない男に、リンは意図せずに力を緩めてしまった。であれば男は逃げ出せたはずだ、それなのに動き出そうとしなかった。リンは不思議な生き物でも見たかのような気分でいると、男の口からぼこぼこと空気の泡が飛び出してくる。

(ああ、死ぬのか)

 苦痛に歪む顔とは裏腹に、やはり体は暴れようとはしなかった。

(なんで逃げ出さないの?)

 しばらく見つめていると、やがて男は泡を吐き出さなくなり目を閉じてしまった。

(ん?網?)

 手を放そうとしたリンの視界にふわふわと漁業用にでも使うのか網のようなものがちらついた。中には瓶や木の板のようなものが入っていた。
 もしかすると、海に放棄されたごみを拾っていたのではないだろうか。この男は、ごみを捨てたり乱獲したりしていたのではなく、ただ海を愛していたから綺麗にしてやりたかったのでは。
 そこに考えがおよんだ瞬間ぞっとした。

(まずい、死んじゃう!)

 人間なんか嫌いだ。絶滅してしまえばいいとすら思っている。それでも無実の人間を知らないふりして殺めるのでは、自分は人間となんら変わらなくなってしまう。

(はやく、早く陸に引き上げないと!)

 急いで砂浜に上がり、男に口づけ息を吹き込む。げほっとせき込むと同時に海水が口から吐き出された。

「息を吹き返したの?」

 規則正しく上下する胸にほっと安堵すると、水魔法で濡れてしまった衣類から水分を取り除いてやる。
 壊してしまった船を思うと、胸がチクリとした。
 それでも起きてしまった出来事はどうしようもない。それでも何かせずにはいられなかったリンは、祖母からもらったペンダントを男のズボンに押し込んだ。

「あげるわ。私には必要ないから」

 男にそう語りかけると、リンは海に戻っていく。もう二度と会うこともないと言い残して。
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