そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

文字の大きさ
495 / 502
第5部

今、ここにいることがすべて

しおりを挟む
 マロシュから、下町の精霊神殿に避難している者が多数いると報告を受けたブレンドレルは、さらにそれを団長のヤルナッハに報告し、その周辺を警らするように命令を受けていた。

 第二騎士団の騎士たち約10名で結成した警ら隊が精霊神殿を中心に警らしていたが、最初に風の異変に気づいたのは、ブレンドレルに同行していたマロシュだった。

 「ブレンドレルさん、風が重くなりました」

 マロシュは下町の通りを吹き抜けていた夜風が、ふいに淀み、重くなるのを感じた。

 湿った瘴気を含んだ空気が、じわじわと皮膚にまとわりつくような感触を伴って流れ込んできて、

 「……止まれ」

 ブレンドレルは、警らを担当する騎士たちに声をかける。

 この頃、魔獣の奔流は第一騎士団と統括騎士団のいるあたりに集中していた。狭い通りの下町付近にまで入って来る魔獣は少なくなっていた。

 だが、通りの先で、何かが動いたのをブレンドレルは見逃さなかった。

 「まさか……」

 携帯用のライトを向けた瞬間、影がうねった。

 石畳の隙間から染み出るように、崩れかけた排水溝の蓋を押し上げるように、黒い肢が、一本、また一本と姿を現す。

 「なんだ?……下から、来るぞ」

 「この周囲には地下水路があります」

 マロシュの声が終わる前に、

 ザザザザッ――!!

 水音と爪音が混じった不快な騒音が、一斉に通りを満たした。

 魔獣の群れは、下町の地下を張り巡らせる下水網から湧き出してきたのだ。

 スレイン。ザグルウルフ。それに混じって、見慣れない小型の魔獣――瘴気に歪められた獣じみた影。

 下水路の出口だけではない。通りの奥、半壊した倉庫の裏口、瓦礫で塞がれていたはずの横路の裂け目。そこからも、同時に影が溢れ出してくる。

 「魔獣の群れだ!」

 ブレンドレルが警ら隊に向けて声を張り上げる。

 「どうして、一斉に……まるで、統率されてるみたいだ」

 マロシュの呟きに、

 「ああ。何かに誘導されてるみたいだ」

 ブレンドレルの声が、低くなる。

 王城前広場にいる、魔獣を操るノクス・ドミヌスのことを、ブレンドレルはまだ知らない。だが本能的に恐ろしい存在がいることを感じていた。

 魔獣たちは、無秩序に暴れてはいなかった。

 視線も向けず、吠え声も最小限に抑えたまま、一直線に、精霊神殿のある方向へ進路を揃えている。

 「神殿だ!」

 ブレンドレルの言葉に、隊の空気が一気に張り詰めた。

 精霊神殿には、中央統括神殿まで避難するのが困難だった子どもや老人をはじめ、逃げ場を失った避難民が集まっている。

 「隊列を組め! 狭路で止める! 隊長、ブレンドレルです。下町の神殿に魔獣の群れが向かっています。応援願います」

 隊の者に指示しながら、ブレンドレルは通信機でヤルナッハに応援を求めた。

 『わかった。すぐに行く。それまで持ちこたえてくれ』

 「聞いたか! 隊長たちが来るまで持ちこたえるんだ! マロシュ、神殿に行って内からのバリケードを強化させるんだ。俺が行くまで絶対に扉は開けるな」

 「わかりました」

 マロシュは下町の小さな精霊神殿に向けて走り出す。

 それを見送ったブレンドレルの、

 「――来るぞ!」

 号令は短く、鋭い。その声が響くや否や、隊は迷いなく動いた。剣を抜く音が重なり、小型盾が一斉に構えられる。

 下水路の出口を正面に据え、左右に二人ずつ。背後は神殿の石壁。逃げ道はないが、守るべき場所がある。

 「前に出るな! 通すな!」

 「数を減らす、足を狙え!」

 最前列の騎士が一歩踏み出し、盾で初撃を受け止める。スレインの突進が鈍い衝撃となって盾にぶつかり、その瞬間、隣の騎士の剣が低く閃いた。

 下水から這い上がったばかりの魔獣は、まだ体勢が整っていない。湿った石畳に足を取られ、脚を失った魔獣が重なり合って倒れる。

 「押し返せ!」

 盾で押し、剣で削る。一体を仕留めるより、前に出さないことを優先する戦い。

 横から跳びかかろうとしたザグルウルフに対し、後列の騎士が短剣を投げ、目元を裂く。

 続いて、弓矢が放たれる。

 「右、増えるぞ!」

 「神殿裏口、封じろ!」

 瓦礫の隙間から現れた小型魔獣に、二人一組で対応する騎士たちが素早く位置をずらす。

 一人が盾で受け、もう一人が体重を預けるように剣を突き入れる。

 血と瘴気が混じり、空気が濁る。だが、誰一人として後退しない。

 神殿の扉を背にした騎士が、息を荒くしながら呟く。

 「……通させるかよ」

 この場は、前線ではない。だが、ここを抜かれれば、精霊神殿に避難している人々はひとたまりもない。




 「マロシュです! ここを開けてください!」

 マロシュは精霊神殿の扉を叩いた。

 やがて内から固められていたバリケードがどかされる音がして、扉が薄く開かれる。顔を見せたのはウジェーヌだった。

 「マロシュさん、どうしたんです?」

 「中に入れてください」

 そう言うと、扉の隙間から体を滑り込ませると、マロシュは中を見渡した。

 魔獣の気配に怯える人々が、礼拝堂の中心に身を寄せるようにして集まっていた。

 「力に自信のある人は、外に面している扉と窓、壁に長椅子を移動させて頑丈なバリケードを作ってください。それができたら一ヶ所に集まって、その周りにもバリケードを築いてください。神殿長、他にバリケードに使えそうな家具はありますか?」

 「食堂の椅子とテーブル、それに食器棚があります。二階の寝室のベッドと箪笥も使って」

 マロシュの厳しい表情で現況を察したチドが言うと、避難民の中から数名の男性が名乗りをあげてバリケードを築くのを手伝った。

 「子どもと女性を中心にして固まって、その場に座ってください」

 人々の周囲にも長椅子のバリケードを作りながらマロシュが叫ぶ。その声は決して急かしていなかったが、急いで行動しなければならない切迫感は伝わってきた。



 「くそ、数が多い!」

 精霊神殿の外ではブレンドレルが剣を構えたまま叫んでいた。

 その横では同僚の騎士が歯を食いしばり、盾でスレインを押し止めていた。

 「神殿に近づけるな! 隊長たちが来るまで持ちこたえろ!」

 その時、

 「待たせたな!」

 ヤルナッハが団員である騎士たちを率いて駆けつけた。

 一瞬、ブレンドレルたちの気が緩んだ瞬間、

 ギィィィィ……ッ!!

 不快な、金属と骨を同時に引き裂くような音が、頭上から降ってきた。

 警ら隊の騎士たちの頭上を飛び越えて一体のスレインが神殿の壁に突撃した。

 ドォォン!!

 石壁が砕け散り、スレインの体の半分が壁にめり込んだ。

 精霊神殿の中から、避難していた住民たちの悲鳴があがった。






 テュコはふよりんの背に立って、いつでも剣が抜けるように鞘に手をかけていた。

 その目は、上空を飛ぶ数体のガルヴァの動きを追っている。

 ふよりんの長い毛を掴んで背中に座り、眼下を眺めていたアシェルナオは、

 「僕が……」

 魔獣の跋扈する光景を見て、小さく呟く。

 僕が、もっと早く来ていれば、被害はもっと少なくてよかったかもしれない。

 アシェルナオが自責の念に苛まれた時、ふよりんが低く唸った。

 その直後だった。

 瘴気をまとった影が、空へ跳ね上がる。

 上空を飛ぶガルヴァではなく、翼を持たぬ魔獣が、瓦礫を蹴り建物を踏み台にし、まるで獲物を射落とすかのように、空中のふよりんを狙ってきた。

 「ナオ様、少し頭を低くしていてください」

 テュコの声は、冷静だった。

 アシェルナオの前に半歩進み、重心を落とす。

 次の瞬間。

 ふよりんが身を翻すと同時に、魔獣の爪が、空を裂いた。同時に振り上げられたテュコの剣が、風を切る。

 鋭く、無駄のない一閃が魔獣の顎を空中で断つ。

 断面から黒い霧が噴き上がるより早く、テュコは踏み込み、逆手に剣を返した。

 「次!」

 背後から迫っていたガルヴァを、振り返りもせずに斬る。

 剣は魔獣の首元を正確に捉え、そのまま、闇を裂いて夜空へ弾き飛ばした。

 落下していくガルヴァの残骸が、街路に消えていく。

 「……すごい」

 アシェルナオが、思わず息を呑む。

 テュコの剣は、主を護るための剣だった。自分に一切の迷いを許さず、主の前に決して危険を通さない。

 「ナオ様」

 テュコは、他のガルヴァから目を離さずに言った。「今、ここにいらっしゃることが、すべてです」

 アシェルナオは、はっとしてテュコを見た。

 「ナオ様は、ナオ様にできる精一杯のことをなさっています。そのことに、早すぎるも遅すぎるもありません」

 自分を信じてくれるテュコの言葉に、アシェルナオは胸が熱くなった。

 アシェルナオにしても、心に巣くう恐怖をなだめすかして、弱い自分でもやれることをやるために来たのだ。

 だから、自分なりに、できることをするんだ。

 「ありがとう、テュコ」

 アシェルナオは強い決意を持ってテュコを見上げた。

 恐怖は、まだあった。王都の惨状に、胸が締め付けられた。

 それでも。

 自分を信じてくれるテュコがいるように、まだ自分にはやれることがあった。

 頼もしいテュコに、アシェルナオはつかの間、満足げに微笑んだ。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 いつも、感想、エール、いいね、ありがとうございます。(。uωu))ペコリ

 旅に出て、ついでに風邪を引いてしまいました。

 体調不良の仕事始めが月曜なんて、なんて苦行……。



 連載をはじめて、足掛け4年めです。3月で丸3年になります。

 以前は書くのが楽しくて毎日更新していましたが、最近では辛いことが多いです。

 楽しくなくて逃げることも多くなっていますよね……。

 今年こそは完結すると思いますので、また楽しい気持ちで書けるように、完結できるように、応援いただけると嬉しいです。

 よろしくお願いします。
しおりを挟む
感想 152

あなたにおすすめの小説

一度も話したことないクラスメイトのイケメンと二人組になったらめちゃくちゃ執着されてた

BL
「はい、じゃあ二人組作って」──あまり人付き合いが得意ではない夏稀(なつき)にとってそれは地獄の言葉。 けれど高校ではちがう。なぜなら新しくできた友達と『二人組』協定を結んだから。 もう二人組なんて怖くないと思っていた矢先、その友達が風邪で欠席。 ほかに組む相手が見つからず、先生と組むことも覚悟する夏稀だったが、そこで声をかけてきたのは美形の転校生──緒川聖夜(おがわ・きよや)だった。 「俺と二人組にならない?」 その一言をきっかけに聖夜は夏稀との距離を急速に縮めてきて──。 愛が重い執着美形攻め×無意識に人を引きつける平凡受けのちょっと不穏な学園BL。 ※色々設定変えてたら間違って消してしまったので再投稿しました。本当にすみません…!

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

「呪いを解くには毎日可愛いと言ってください」と嘘をついたら、氷の聖騎士様が本気で口説きにかかってきました

たら昆布
BL
間違って呪われた青年と呪いを解除したい騎士の話 番外編はその友達たちの話

身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される

秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました! 最終17位でした!応援ありがとうございます! あらすじ 魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。 ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。 死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――? 傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。

僕の、しあわせ辺境暮らし

  *  ゆるゆ
BL
雪のなか3歳の僕を、ひろってくれたのは、やさしい16歳の男の子でした。 ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります! ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 表紙や動画はAIを使用していますが、文章にはAIを一切使用しておりません。校正も自力です!(笑)

この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜

COCO
BL
「ミミルがいないの……?」 涙目でそうつぶやいた僕を見て、 騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。 前世は政治家の家に生まれたけど、 愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。 最後はストーカーの担任に殺された。 でも今世では…… 「ルカは、僕らの宝物だよ」 目を覚ました僕は、 最強の父と美しい母に全力で愛されていた。 全員190cm超えの“男しかいない世界”で、 小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。 魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは── 「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」 これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。

処理中です...