そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第1部

ね……ちゅう……しょう……

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 「カルムはユングストレーム公爵領の南西に位置する、交易と商業の盛んな港街です。豊かな海の恵みと、温暖な気候からもたらされる果物の栽培でも有名です」

 屋根付きの屋台の並ぶ市場を歩きながらエンゲルブレクトが説明する。

 梛央はそれに耳を傾けながらも、屋根になっている色とりどりの布が強い日差しを受けて綺麗な色に浮かびあがる光景や、その下に並ぶ果物や野菜、魚、乾物を興味ぶかそうに眺めていた。

 市場は人が多く活気があり、人々の髪の色や服装や顔を見るのも楽しくて、梛央は忙しなく視線を動かす。

 この世界で初めて人の暮らしに触れた梛央は、見るもの何もかもが珍しかった。

 なんとなく昔のヨーロッパの、南フランス的な感じなのかな?と思いながらも、魚が好きな梛央は屋台に並ぶ魚を見て、

 「魚! まるごとの魚!」

 思わず声をあげる。

 「魚がお好きですか?」

 「好き。お刺身食べたいなぁ」

 「では買ってお刺身に……お刺身とは何でしょう?」

 「新鮮な魚を薄く切って、ワサビをつけて醤油で食べるんだ。でもワサビとか、醤油とか、絶対ここにはないよね……」

 残念な顔をする梛央を見護る複数の視線があった。

 市場の通りの要所要所に2人1組で配置された護衛騎士たちで、護衛対象である梛央たちを市場に来た買い物客を装って遠巻きに監視している。

 「マントをかぶっていても目立つなぁ」

 その中の1人であるフォルシウスは、市場の見学を楽しんでいる梛央を微笑ましく眺めていた。

 「なぁ、フォル」

 ペアを組むクランツは護衛対象ではなくフォルシウスの横顔を見ていた。

 「なんだ?」

 「アイナと付き合っているのか?」

 「は?」

 梛央を見ていたフォルシウスの視線がクランツに向かう。




 
 「活気があってすごく楽しい」

 海外旅行気分を味わいながら梛央が言った。

 「それは何よりです」

 「地元の人も多そうだし、商人風の人もいるし、旅行中みたいな人もいるし、貴族?な人もいて、多国籍マーケットっぽい」

 「王家の夏の離宮がありますから、ここに別荘を構える貴族も多いんですよ。王族に取り入りたい貴族は山ほどいますからね」
 
 「そうなんだ。だから市場も雑多なようで小綺麗なんだね」
 
 「ナオ様はよく見ていらっしゃいますね」

 ただ興味本位であたりを見回しているだけではなく、道理を見極めて物事を見ている梛央に、エンゲルブレクトは感心する。

 「まだよく見れてないよ。もっと見てもいい?」

 首をかしげながら尋ねる梛央が可愛くて、エンゲルブレクトが相好を崩す。

 王家の離宮があることで、地元の者はエンゲルブレクトの顔を知っている者も少なくはなく、なんとなく行儀よくなっているのだが、よそから流れてきている者はそんなことはわからない。

 梛央とエンゲルブレクトが仲良く寄り添って歩いているのを、はぐれないように梛央がエンゲルブレクトの腕を掴んでいるから必然的に寄り添っているだけなのだが、おもしろくない様子で見ているテュコの前を2人連れの男が塞ぐ。

 「君、一人? 可愛いね」

 梛央のことを集中して見ていて、サリアンと少し距離が空いていたことにテュコは気付いていなかった。

 「先を急ぎますから」

 サリアンを追いかけようとするテュコだったが、

 「そんなこと言わないでよ」

 「ちょっとそこに座って話さない?」

 2人の男がそれを許さなかった。





 「アイナと付き合っているのか?」

 「は?」

 梛央を見ていたフォルシウスの視線がクランツに向かう。

 目を離したほんの一瞬。

 エンゲルブレクトの腕を掴んで歩いていた梛央が後方の話声を聞きつけて振り向く。

 事態を把握すると、サリアンの制止を振り切って男たちの間を突っ切り、テュコに抱き着く。

 「テュコはだめ!」

 「なんだ? お嬢ちゃんも一緒に来るか?」

 男の手が伸びて梛央のフードを乱暴にさげる。

 亜麻色の髪がこぼれ落ち、梛央の顔が露わになった。

 男の手が伸びてきたのを見た時は恐怖心が襲ってきたが、それでもかまわずに梛央はテュコに抱きついたまま、恐怖に打ち勝とうと男たちを睨みつける。

 「ナオ様」

 トラウマを抱えながらも侍従を守ろうとする梛央に、テュコは胸が熱くなりながらも、守るのは自分だ、という意気込みで梛央の盾になるように位置を取る。

 「すごい上玉だ。運がいいぜ」

 「残念。運が悪かったね」

 にやける男たちのすぐ後ろでサリアンの声がした。

 男たちが振り向こうとした時にはサリアンは回転しながらその反動で蹴り上げた足で一人の背中を思い切り蹴り飛ばす。

 ものすごい勢いで蹴られた男は通りの反対側まで飛ばされ、屋台の柱に顔面から激突した。

 もう一人の男が飛び掛かってくるのをサリアンはヒラリとかわして、その顎にハイキックを決める。

 ゴキッというイヤな音ともに宙を舞う男は、口から血を飛ばしながら地面に落下して仰向けにひっくり返った。

 「通りすがりの有志の方、後始末お願いねー」

 梛央とテュコの肩を抱いてエンゲルブレクトのもとに向かいながらサリアンが声を上げると、すぐに地元民に扮したクランツとフォルシウスがピクリとも動かない男たちを引きずって通りから姿を消す。

 「怖かったでしょう。頑張ったね、ナオ様」

 まだ震えている梛央に声をかけるサリアン。

 「ナオ様、すみません。ナオ様に口を酸っぱくして注意しておきながら、私がナオ様やみなさんにご迷惑をおかけしました」

 テュコは悔し気に頭を下げる。

 「本当だよ、僕、テュコが攫われてもいやだ」

 テュコに抱き着いたまま、涙目で体を震わせる梛央に、テュコはもう一度頭を下げた。

 「ナオ様、大丈夫ですか? この店の2階にお茶と軽食を出す店があります。ひとまずそこで休みましょう」

 エンゲルブレクトも駆け寄りそう言うと、カイラを先触れに行かせた。





 市場を見下ろせるテーブル席に座っても梛央はテュコに抱き着いたままだった。

 「ナオ様、大丈夫ですか?」

 「……うん」

 自分の肩にペタリと額をくっつけている姿は可愛かったが、テュコはそっと体を離して梛央の顔を見る。

 「ナオ様、顔が少し赤いです」

 目元が潤んで赤くなっているのは涙があふれたからだが、頬も上気していた。

 「ね……ちゅう……しょう……」

 「え?」

 「は?」

 梛央の言葉にテュコは顔を赤くし、エンゲルブレクトは呆然と問い返す。

 「……熱中症っぽい……テュコ、水……」

 ちょっと暑かったし、人が多かったし、久々に長く歩いた上にずっとマントかぶっていた状況を顧みて、梛央が体調を崩しかけていることに思い当たる面々。

 「あ、ああ……熱中症……? とにかく水ですね」

 テュコは一瞬だけ梛央とチュウする妄想を抱いた自分を戒めながら水を求めに行った。

 チュウって言ったじゃないですか。私じゃなくてヴァレリラルド殿下やエンゲルブレクト殿下だったら、間違いだとわかっていてもしてましたよ。なんて無防備な可愛い顔で紛らわしいことを言うんですか。

 テュコはブツブツ呟きながら、やっぱり能天気な梛央は時々頭が痛くなるような事態を招くということを思い知るのだった。
 


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