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第2部
調査員・マロシュ
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「お前か、カルムから来たイザーク商会の者というのは」
荷馬車で訪れたマロシュの前でノシュテット伯爵家の通用門が開かれ、小ぎれいな服を着た男性が現れた。
「はい。塩漬けの肉と魚、酢漬けの野菜を持ってきました。最初ですのでお安くしておきます。いかがでしょうか」
男は荷馬車から降りたマロシュと、荷台の商品を眺める。
イザーク商会というのは聞いたことはないが、勤めだして数年が経ち、信用を得て新たな販売経路を獲得するための行商の旅に出されている、と男はマロシュを眺めながら見当をつけていた。
「私は執事のアントン様の下で働いているビリエルだ。そうだなぁ。見る限りではよい食材のようだが、うちは新しい食材を仕入れる状況ではないんだ」
「それは、状況がよくなれば仕入れてもらえるということですか?」
青年に足を踏み入れたばかりの初々しい行商人が期待に満ちた目で見てきて、ビリエルは困った顔になる。
「そうだが、見通しはあまりよくないんだ」
「そうですか……。俺も食材を抱えたまま長いこと王都にいるわけにはいかないので、よかったらその状況というのを教えてもらえませんか。もちろん商会にも、他の行商人にも言いません」
必死に頼んでくるマロシュに、ビリエルは仕方なく、
「絶対に口外するんじゃないぞ。伯爵家の嫡男であるフィリップ様が行方不明になられて、だんな様も奥様もふさぎこんでおいでだ。特に奥様は寝込んでいらっしゃる。いま屋敷の中は重く暗い空気に包まれているんだ。そこに張り切って食材を仕入れていたら執事から大目玉を食らってしまう」
「行方不明……。どこかに出かけられた時に人さらいに遭われたんですか?」
「それが、屋敷の中で行方不明になられた」
ビリエルは声を潜める。
「では、使用人が」
「そんなことはない。屋敷に勤める者はみな、古くからいる者ばかりだ。誰もこの通用口から、もちろん正面からも出ていない。みながいる中で、行方不明になられたんだ。家の中にいるのではないかと、正面門も通用口もすべて締め切った状態で地下から天井裏まで、それこそ上を下への大騒ぎですべてを空けてひっくり返して探したが見つからなかった」
「誰かが、誰にも見つからないように侵入して、お子様をさらって、誰にも見つからずに逃げたということですか?」
「ありえないことだが、そうとしか考えられない。フィリップ様の肖像画を複製したものを第二騎士団に渡して王都中を探してもらっているが、まだ手がかりもない。犯人からの身代金の要求もない。八方ふさがりの、出口のない暗い空気に屋敷中が包まれているんだ」
「そうでしたか、ビリエルさん、ありがとうございました。たまに顔を出します。もしその時に買ってもらえそうならお願いします」
マロシュはビリエルに頭を下げて伯爵家を後にした。
次にマロシュが向かったのはエーマン子爵の屋敷だった。
伯爵家より格下というだけではなく、どことなく下賤な感じのする屋敷を見て、マロシュは荷馬車を通用口に寄せる。
「すみません。カルムからの行商人です。お開けいただけないでしょうか」
木製の扉を拳で叩きながらマロシュが叫ぶ。
やがて開かれた扉からは年配のメイドが姿を現した。
「初めて見る顔ね? 私はここのメイド頭です。行商と聞いたけれど?」
「はい。カルムからの行商で、塩漬けの魚と肉と酢漬けの野菜、果物もあります」
「見せてもらおうかしら」
メイド頭は荷台の荷物を見ながら言った。
「ありがとうございます。どれも新鮮なうちに塩漬けにしています。味は保証いたします」
「魚は大きくて身も肉厚だわ。魚の塩漬けを20枚と塩漬け肉を5いただくわ」
「ありがとうございます。あの、行商仲間からこのお屋敷にお辛いことがあったから行かないほうがいいと言われたんですが、来てみてよかったです」
「ああ……エディ様のことね。お屋敷にいらっしゃったはずなのに突然お姿が見えなくなって。家中を探して、第二騎士団に捜索のお願いを出したのですけど……ここだけの話、エディ様はだんな様がよそでこしらえたお子様だから、奥様はあまり心を痛めてはおられないの。だんな様はご心配なようですが、奥様に頭があがらないからお二方とも今までと同じようにお過ごしなのよ」
「そうなんですか……」
「世間では奥様が、という話もあるようですが、奥様は庶子の存在など端から気にかけておいでではないから、ご自分でどうかしようなど思ってもおられないわ。むしろエディ様がご自分で家を出て行かれたのではないかと思ってらっしゃるみたい」
「でも、幼い子が1人で家を出て行かれるほうがご心配では?」
「エディ様がこの家に引き取られたのはつい最近なの。母親が病気で亡くなって、だんな様が連れてこられたのだけど、病弱な母親に変わって生活のすべてを1人でやってたらしくて、屋敷の生活には馴染めてなかったの。奥様ともそりが合わなくて、最初から出ていきたがっていて。奥様もだんな様の手前引き留めてはおいでだったけど、正直な話、出て行ってくれるならそれでも構わないと思っていらしたから。奥様は伯爵家の末のお嬢様で、だんな様に熱烈に望まれて嫁いでいらしたのに、すぐに庶子の存在が明らかになって。奥様にも同情すべき点はあるのですよ」
もともと話すのが好きな性格だったらしく、メイド頭は勝手にベラベラと話だし、
「あら、今の話は聞かなかったことにしてね。じゃあ、厨房まで運んで。そのあいだに代金を用意しておくわ」
悪びれた様子で屋敷の中に戻っていった。
荷馬車で訪れたマロシュの前でノシュテット伯爵家の通用門が開かれ、小ぎれいな服を着た男性が現れた。
「はい。塩漬けの肉と魚、酢漬けの野菜を持ってきました。最初ですのでお安くしておきます。いかがでしょうか」
男は荷馬車から降りたマロシュと、荷台の商品を眺める。
イザーク商会というのは聞いたことはないが、勤めだして数年が経ち、信用を得て新たな販売経路を獲得するための行商の旅に出されている、と男はマロシュを眺めながら見当をつけていた。
「私は執事のアントン様の下で働いているビリエルだ。そうだなぁ。見る限りではよい食材のようだが、うちは新しい食材を仕入れる状況ではないんだ」
「それは、状況がよくなれば仕入れてもらえるということですか?」
青年に足を踏み入れたばかりの初々しい行商人が期待に満ちた目で見てきて、ビリエルは困った顔になる。
「そうだが、見通しはあまりよくないんだ」
「そうですか……。俺も食材を抱えたまま長いこと王都にいるわけにはいかないので、よかったらその状況というのを教えてもらえませんか。もちろん商会にも、他の行商人にも言いません」
必死に頼んでくるマロシュに、ビリエルは仕方なく、
「絶対に口外するんじゃないぞ。伯爵家の嫡男であるフィリップ様が行方不明になられて、だんな様も奥様もふさぎこんでおいでだ。特に奥様は寝込んでいらっしゃる。いま屋敷の中は重く暗い空気に包まれているんだ。そこに張り切って食材を仕入れていたら執事から大目玉を食らってしまう」
「行方不明……。どこかに出かけられた時に人さらいに遭われたんですか?」
「それが、屋敷の中で行方不明になられた」
ビリエルは声を潜める。
「では、使用人が」
「そんなことはない。屋敷に勤める者はみな、古くからいる者ばかりだ。誰もこの通用口から、もちろん正面からも出ていない。みながいる中で、行方不明になられたんだ。家の中にいるのではないかと、正面門も通用口もすべて締め切った状態で地下から天井裏まで、それこそ上を下への大騒ぎですべてを空けてひっくり返して探したが見つからなかった」
「誰かが、誰にも見つからないように侵入して、お子様をさらって、誰にも見つからずに逃げたということですか?」
「ありえないことだが、そうとしか考えられない。フィリップ様の肖像画を複製したものを第二騎士団に渡して王都中を探してもらっているが、まだ手がかりもない。犯人からの身代金の要求もない。八方ふさがりの、出口のない暗い空気に屋敷中が包まれているんだ」
「そうでしたか、ビリエルさん、ありがとうございました。たまに顔を出します。もしその時に買ってもらえそうならお願いします」
マロシュはビリエルに頭を下げて伯爵家を後にした。
次にマロシュが向かったのはエーマン子爵の屋敷だった。
伯爵家より格下というだけではなく、どことなく下賤な感じのする屋敷を見て、マロシュは荷馬車を通用口に寄せる。
「すみません。カルムからの行商人です。お開けいただけないでしょうか」
木製の扉を拳で叩きながらマロシュが叫ぶ。
やがて開かれた扉からは年配のメイドが姿を現した。
「初めて見る顔ね? 私はここのメイド頭です。行商と聞いたけれど?」
「はい。カルムからの行商で、塩漬けの魚と肉と酢漬けの野菜、果物もあります」
「見せてもらおうかしら」
メイド頭は荷台の荷物を見ながら言った。
「ありがとうございます。どれも新鮮なうちに塩漬けにしています。味は保証いたします」
「魚は大きくて身も肉厚だわ。魚の塩漬けを20枚と塩漬け肉を5いただくわ」
「ありがとうございます。あの、行商仲間からこのお屋敷にお辛いことがあったから行かないほうがいいと言われたんですが、来てみてよかったです」
「ああ……エディ様のことね。お屋敷にいらっしゃったはずなのに突然お姿が見えなくなって。家中を探して、第二騎士団に捜索のお願いを出したのですけど……ここだけの話、エディ様はだんな様がよそでこしらえたお子様だから、奥様はあまり心を痛めてはおられないの。だんな様はご心配なようですが、奥様に頭があがらないからお二方とも今までと同じようにお過ごしなのよ」
「そうなんですか……」
「世間では奥様が、という話もあるようですが、奥様は庶子の存在など端から気にかけておいでではないから、ご自分でどうかしようなど思ってもおられないわ。むしろエディ様がご自分で家を出て行かれたのではないかと思ってらっしゃるみたい」
「でも、幼い子が1人で家を出て行かれるほうがご心配では?」
「エディ様がこの家に引き取られたのはつい最近なの。母親が病気で亡くなって、だんな様が連れてこられたのだけど、病弱な母親に変わって生活のすべてを1人でやってたらしくて、屋敷の生活には馴染めてなかったの。奥様ともそりが合わなくて、最初から出ていきたがっていて。奥様もだんな様の手前引き留めてはおいでだったけど、正直な話、出て行ってくれるならそれでも構わないと思っていらしたから。奥様は伯爵家の末のお嬢様で、だんな様に熱烈に望まれて嫁いでいらしたのに、すぐに庶子の存在が明らかになって。奥様にも同情すべき点はあるのですよ」
もともと話すのが好きな性格だったらしく、メイド頭は勝手にベラベラと話だし、
「あら、今の話は聞かなかったことにしてね。じゃあ、厨房まで運んで。そのあいだに代金を用意しておくわ」
悪びれた様子で屋敷の中に戻っていった。
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