回転木馬が止まるとき

関谷俊博

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回転木馬が止まるとき

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居場所がない。心が晴れない。なにもかも嫌だ。なんと言ってもいいけれど、ぼくは家にいたくなかった。 
今夜はクリスマスイブだけど、父さんと母さんの仲は、北極の白熊よりも冷えきっていて、会話もなければ、クリスマスケーキもない。そういえば、ぼくの十回めのバースディにも、ケーキやプレゼントはなかったっけ。
そこでぼくはイブの街へ繰り出すことにした。父さんも母さんも気づいていたはずだけど、ぼくを呼びとめることもしなかった。
夜の街は夜光虫にあふれた海の底みたいだ。回遊魚のようにたくさんの人がさまよっていて、青や白のLED照明が街路樹をライトアップしてた。ぼくはコートのポケットに手をつっこんで、夜の街を歩いた。
さて、どこへ行こうか。
ひらめいたのは「さくら台ルナパーク」。この街の小さな遊園地だった。
イブの夜に「さくら台ルナパーク」が開放されるのを、ぼくは知っていた。入場料無料、どのアトラクションも乗り放題。ただし、一夜かぎりのことだ。
係員のいないゲートを通ると「さくら台ルナパーク」は、カップルや家族づれでにぎわっていた。みんな幸せそうに笑っていた。ぼくはもう後悔しはじめた。寂しさが、ぼくの体にくいこんできた。

笑い声…さざめき…回転木馬から流れる楽しげなメロディ…。すべての音が深海の底にいるみたいに、ぼんやりとくぐもって聞こえた。
そんななかで、回転木馬の前のベンチに、ひとりぽつんとすわっている女の子がいた。この寒いのにコートも着ずに、地味な黒いスカートからは膝小僧が見えている。
ぼくはゆっくりと、その子に近づいた。前に立つと、その子はうつろな目で、ぼくを見あげた。人形のように整った顔立ちをしていたが、何の表情も浮かべていない。
思いきって、ぼくはその子にたずねた。
「きみ、どこからきたの」
「ききょう学園」
その子が口にしたのは、ぼくも知っている児童養護施設だった。
「こんな遅い時間にだいじょうぶなの?」
「ううん」
その子は黙って首をふった。だけど、ぼくだって人のことは言えない。
「きみ、なんて名前?」
「しおり」
その子は言った。
「本にはさむあの栞…あなたは?」
「つばさ。ぼくの名前は翼」
「ふうん」

「なぜ、ここにきたの」
ぼくは栞にたずねた。
「キラキラしてきれいだったから」
栞が答えたとき、回転木馬が動きだした。赤や青のイルミネーションが、ちかちかと点滅して、栞の顔を照らしだした。
栞は身動きもせず、口を少し開けたまま、回転する馬や馬車を見つめていた。
「ほんとだ。キラキラしているね」
「うん」
栞はコクリとうなずいた。イルミネーションは栞の瞳を万華鏡のように輝かせていた。
「きれいで、とても冷たい光」
栞といっしょにイルミネーションをながめるうち、ぼくはふと思いついた。
「きみ、ひとり?」
「うん」
栞がひとりでいることはわかったが、いざ口を開こうとすると、次の言葉が出なくなった。断られたら、どうしよう…だけど、ここで諦めたら、ぼくはきっと後悔する。
「ねえ、いっしょに遊ぼうよ」
思いきってさそうと、栞はだまってうなずいた。

「なにに乗ろうか」
ほっとして、ぼくがたずねると
「観覧車に乗ってみたい」
栞は小さな声で答えた。
ぼくと栞は「さくら台ルナパーク」の中心にある観覧車乗り場へと歩いていった。
「メリークリスマス!」
おどけたような調子はずれな声が、聞こえてきた。
「キャンディはいりませんか」
観覧車の手前で、ピエロの格好をした男の人が、声をかけていた。
「クリスマスプレゼントに、キャンディはいりませんか」
ピエロに近づくと、栞はたずねた。
「ただでくれるの?」
「もちろん、ただですよ。おじょうちゃん」
ピエロは栞に笑いかけた。右目の下には大きな涙マークがついていた。
「さあ、クリスマスプレゼントに、キャンディをどうぞ」
ピエロはくりかえした。おどけた声が不思議と心にしみた。
「メリークリスマス!   ささやかなプレゼントをどうぞ」
栞とぼくの手に、ピエロはキャンディをのせてくれた。ぼくはすぐに包み紙を開いてキャンディを口に入れたが、栞は手のひらのキャンディをじっと見つめている。
「なめないの?」
ぼくは栞にたずねた。
「うん」
栞はキャンディを大切な宝物のように、スカートのポケットにしまった。
「せっかくもらったから」

ぼくと栞を乗せた観覧車は、ゆるやかに夜空へと近づいていった。
観覧車からみえる家の灯りは、どれもみんな温かそうで、ぼくは涙がこぼれそうになった。
「きれい」
栞がため息をついた。
「星のかけらをまきちらしたみたい」
「うん」
観覧車は夜空へとのぼりつめ、こんどはスローモーションのように下降しはじめた。
観覧車をおりたとき、ぼくの顔に冷たいものがあたった。
「雪だ!   雪がふってきた!」
見あげると、こまかいガラスのカケラのような雪が、夜空からたえまなく舞いおりてくる。
「きれい…」
栞はそうため息をついた。イルミネーションの光をあびて、雪は青く冷たくかがやいていた。ずっとながめていると、雪が舞いおりてくるのではなく、逆にぼくと栞がぐんぐんと夜空へのぼっていくように感じる。
似た者同士だとぼくは思った。ぼくも栞も居場所がないのは同じだった。光に引き寄せられて、この遊園地までやってきたのだ。

さらに雪ははげしくなっていった。
「寒い…」
栞は両肩をだいて、体をふるわせた。それはそうだろう。栞はコートはおろかセーターも着ていないのだ。
「帰るかい」
「ううん」
栞はあわてたように首をふって
「お腹がすいた…」
そうつぶやいた。
キャンディをなめたら…と言おうとして、ぼくは気づいた。クリスマスプレゼントのキャンディは、なめてしまえば、なくなってしまう。
「なにか食べようか」
「わたし、お金もってない」 
栞は首をふった。
「ぼく、少しお金あるよ」
ぼくは夜の遊園地のフードコートで、おでんを注文した。ぼくは、ちくわと、こんにゃく。栞は、つみれと、はんぺんを。
「おいしいね」
「うん」
栞は眼を細めて微笑んだ。
「これからどうしようか」
「朝までここにいる」
栞は言った。

そんなわけで、ぼくと栞はフードコートで、いろいろな話をすることになった。
「ききょう学園って、どんなところ?」
ぼくがたずねると、栞は首をかしげた。
「きらいなの?」
「べつにきらいじゃない」
栞は首をふると、また言いなおした。
「きらいなこともあるけれど」
「うん」
「きらいなのは、ゆっくりお風呂に入れないこと」
「たくさんの子がいるからだね」
「うん。それにお風呂の時間は決まってるから。お風呂や食事の時間がくると、いつもブザーが鳴る」
「ブザー?」
「うん、いやな音。好きじゃない」
「友だちはいないの」
「わたしはこの街の施設にきたばかりだから…」

「翼くんは、そんなことないでしょう」
「いや」
ぼくは首をふった。
「うちは家庭内別居」
「家庭内別居…」
「うちは食事をするのも、みんな別々なんだ」
ぼくは肩をすくめた。
「母さんは食事の用意だけして、すぐに自分の部屋に戻ってしまうよ。父さんも同じ。食事をしてお風呂に入ると、すぐ自分の部屋へ行ってしまうんだ」
栞は不思議そうに、まゆをよせた。
「同じ家にいて、顔をあわせることはないの」
「あるよ」
ぼくはため息をついた。
「だけど、おたがいすれちがっても、口もきかないよ。ぼくはそれを見るのが嫌だから、いつも自分の部屋でゲームしてるんだ」
「そう…」
ぼくは寂しかった。栞も寂しかった。だけど、寂しさを持ち寄ると、ほんの少しだけ心が温かくなるみたいだ。

「翼くん…翼くん…」
だれかがぼくの肩をゆすっている。顔をあげると、栞だった。
いつのまにか、ぼくはフードコートのテーブルにつっぷして、寝ていたらしい。
「もう朝だよ」
フードコートの時計の針は、五時四十五分をさしている。退園の時間まであと十五分しかない。
「ねえ、もう少し遊ぼうよ」
ぼくが言うと
「うん」
栞はうなずいた。
フードコートをでると、人もまばらだった。あたりはまだ暗かったが、きのうの夜ふった雪はやんでいて、地面にうっすらとつもっていた。
「最後になにに乗ろう」
「あれがいい」
栞が指さしたのは、回転木馬だった。
ぼくと栞はいっしょに木馬にまたがった。やがて木馬は動きはじめた。木馬はなんども上下をくりかえし、まわりの景色はぐるぐるとまわった。
「ずっとこうしていられたらな…」
ぼくの耳もとで栞がささやいた。それは栞のひとり言にすぎなかったのかもしれないけれど、その声はたしかにぼくにとどいていた。ぼくも同じ気持ちだった。栞とふたり、ずっとこうしていられたならば…。
だけど、そのときはやってきた。
木馬は動きをゆるめて、静かに止まった。
すると「蛍の光」のメロディとともに、アナウンスが流れはじめた。
「ご来園の皆さま。本日はご来園いただきまして、誠にありがとうございました。まもなく退園のお時間となります。本日は午前十時に営業を再開いたします。またのご来園をお待ちしています」
ぼくと栞は肩をならべて「さくら台ルナパーク」のゲートをでた。
「それじゃあ」 
ぼくが言うと
「うん」
栞もうなずいた。栞が曲がり角に消えるのを待って、ぼくも歩きはじめた。
回転木馬が止まるとき、ぼくらの夢も終わる。ぼくと栞のつかの間の夢が。















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