ウェントス

関谷俊博

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ロサンゼルスに戻った俺は、そろそろ次のアルバムに取り掛かりたい。そう考えるようになっていた。他のメンバーも同じ気持ちになっていることが、俺には何となく理解できた。
ずっとツアーを続けていると、何か新しいものを生み出したくなる。ステージでそれができない訳ではないが、レコーディングに比べれば、できることはずっと限られている。
「何か新しいことをやりたいね。新鮮でこれまでにない新しいこと」
そう切り出したのは白井だった。
「そうだな」
倉田も頷いた。
「俺もそう思っていたところだ。そろそろ次のアルバム制作に入ってもいいんじゃね」
「ツアーもひと段落したし、来週辺りからやってみるか」
俺も賛同した。
「今回はどんなコンセプトでいきましょうか」
杉浦が俺に尋ねた。
「コンセプトは特にないな。アルバム全体のイメージも俺の頭にはない。これまでにない新しいものを作る訳だから、それでもいいのさ」
「そうですか…今回はコンセプトなしですか…これまで児童虐待だったり、グノーシス主義だったり、色々なものをコンセプトとしてきましたが…」
「そうだな…コンセプトがあるとすれば…」
俺は言葉を探した。
「トゥー・ディファイン・イズ・トゥー・リミット」
「あのう…オスカー・ワイルドの言葉であることはわかりますが…」
 杉浦はおずおずと言った。
「荻さん。自分は英語が苦手なのです。わかって言ってますよね」
「おい、倉田!」
「はいはい」 
心得たものだ。
「定義することは制限すること、だそうだ。ま、いいんじゃね。コンセプトのないアルバム。自由気ままっていうのも、俺は嫌いじゃないね」

アルバムにコンセプトはない。さて、どうするか。俺たちは、さしたる方向性もなく、セッションを始めた。
白井や倉田が何気なく弾いたリフ、或いは杉浦のフィルから、セッションが始まり、そこで曲が練り上げられていった。俺も適当にハミングしながら、そこに歌メロを乗せる。まあ、フリージャズの演奏に近い。つまり、これまでのように、白井が作曲をし、俺が作詞をするというスタイルをジョクラトルは捨てたのだ。メンバー全員が作曲者だった。
破綻するかと思っていたが、これが想像以上にハマった。阿吽の呼吸というのか。白井がリフを弾くと、倉田も負けじとそれに応酬する。そこに杉浦が割り込み、長いドラムソロを聴かせる。
そうして練り上げられた曲はこれまでのジョクラトルにはない、いや、これまでのロックにはないオリジナリティを持っていた。偶然が引き起こす化学反応。それが上手く作用していた。メンバーが他のメンバーの特性を理解していたから出来たことなのだろう。

白井は元からギターが上手かったが、更に上手くなっている気がする。他のバンドのレコーディングに参加したのは、無駄ではなかったのだ。
「バッチリじゃねえか」
倉田が興奮気味に言った。
「おい、今日はもう飲みに行こうぜ」

レコーディングは順調に進んでいった。白井の変幻自在のギターワークに、俺は舌を巻いた。シンプルに聴こえはするが、実際はかなり高度なテクニックを要する曲ばかりだった。
「どれをシングルカットするか迷いますねえ。全部シングルでもいい位です」
杉浦が感嘆の声をあげた。
思えばこのとき、ジョクラトルはとんでもないモンスターバンドに変貌しようとしていたのだ。

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