ほたる森をとりに

関谷俊博

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ほたる森をとりに

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熱帯夜っていう、やつだった。
もわんとした空気があたりにたちこめて、ねばっこい汗がにじんでくる。窓を開けたままふとんにはいったのはいいけれど、時間が止まってしまったみたいに風は少しもふいてくれない。
 ねぐるしくて、なんどもねがえりをうつうち、すこしうとうとした。
「おい、マサル……マサル」
 虫の羽のこすれるようなささやく声で、目をさました。
「マサル……おい、マサル。起きろよ」
 ふとんから起きあがると、コウちゃんが窓の外でぼくを呼んでいた。
「どうしたの? コウちゃん」
 ぼくはまだはっきりとはさめない目で、コウちゃんを見つめた。コウちゃんは、えんがわにひざをついて、窓のむこうで笑っている。
「おまえを呼びにきたんだよ。これから、みはらし山に行くんだ」と、それが当然のようにコウちゃんはいった。
 みはらし山は、ぼくらの学校のうらにある、山というよりも高台の小さな森だ。
 名前のとおりものすごくみはらしがいいんだけれど、縁ぎの悪い山だといわれていて、この町の人はあまり近づかない。ぼくはいちどだけ行ったことがある。
「こんなおそくにかよー」
 びっくりして、ぼくはいった。 まくらもとの時計の針は、もう十二時をまわっている。
「ほたる森をとりにいこうぜ」
 そういって、コウちゃんはいたずらっぽく笑った。
 そういえばコウちゃんは、かたから虫かごをかけ、手に虫をとるアミを持っているのだ。
「なんだよ。ほたる森って?」
「くればわかるよ」
 窓のそばまでよっていったぼくの耳にそっとささやいて、コウちゃんは片目をつむった。
 コウちゃんが持っていけというので、ぼくは押し入れからほこりだらけの虫かごをいそいでひっぱりだした。 虫とりアミはみつからなかった。
 パジャマを着がえて、窓の下にあったサンダルをはいて、なんだかうきうきした気分で、部屋をぬけだす。
 夜の町にはゆったりとした時問がながれているみたいだった。 歩いている人は、ぼくらのほかにだれもいなかった。木の葉いちまい動いていなかった。黒猫がブロックベ いの上で目をきらきら光らせている。
西の空がにじんだように明るかった。みはらし山のある、つまりぼくらがいまむかっているほうの、ほうがくだ。
「あれだよ。あれ。いまにもっとすごくなるんだぜ」
コウちゃんが、はずんだ声でいった。
みはらし山へのぼる坂道は、ほら穴みたいな森のトンネルになっている。 木のわくでかためた土のかいだんが、どこまでもつづいて大きなクジラの囗のなかへすいこまれていくようだ。
卜ンネルをぬけると、もうそこはみはらし山のてっペんだった。
「わあっ!」
おもわず、声がもれてしまった。
そこには、おおぜいの人があつまっていて、 夜店の屋台がたくさんならんでいたのだ。

ヤキソバ•お好みやき•金魚すくい
おめん・わたがし・とうもろこし

あざやかな夜店の色が、かーんとさえわたって、ぼくの目にせまってくる。人の話し声がまじりあって、広場全体にわーんとこだましている。 たこやきのソースのいいにおいがただよってきて、おなかがきゅうっとなった。
「すごいだろー」って、コウちゃんがいった。「きょうの夜だけ、ここはこうなるんだ」
「どうなってるんだよー」かき氷屋のおじさんが、大きな機械でざくざくと氷をかきだしているのを見ながら、ぼくはいった。「きょう、ここでお祭りかなんかあるの?」
「だからさ」コウちゃんは、もどかしそうにいった。「今夜この山の上をほたる森が飛ぶんだよ」
「ほたる森って、なんだよ?」
「あれさ」
コウちゃんが、うしろをふりかえった。そこは、ぼくらが登ってやってきたのとは、はんたいがわの森で、きりたったがけの上から、カメラや
望遠鏡を持った人が、なにかをいまかいまかと待ちかまえているようすだった。
「マサル。見てみろよ。あそこ」
コウちゃんがゆびさしたあたりだけ、森が、ぽおっぽおっと、明るくなったり暗くなったりしている。
「うわーっ。なんか光ってるっ!」
「ほたるみたいに光る森なんだ」とコウちゃん。「それも今夜この時間だけにしかほたる森は光らないから、これを見るために、世界じゅうから人があつまってくるんだぜ」
 ぼくはおおぜいの人をふりかえった。 そういえばちがう国の人もずいぶんまじっているみたいだった。
「これからもっと光るようになるんだ。 おれ、おじさんに教えてもらったんだけどさ。おじさんは、外国に仕事でこられなくなっちゃったんだ」
 そういって、コウちゃんは笑った。このことを知っているのは、この町にはなん人もいないんじゃないかな、とぼくは思った。
「マサル。おごってやるよ」とコウちゃんがいうので、ぼくはイカの足のしょうゆにつけたのを、おごってもらった。あつあつのイカの足をはふはふいいながら、ふたりで食べていると、ずずずんっ、と地ひびきがして、あたりが昼間みたいにパーっと明るくなった。
「飛んだ! 飛んだぞっ!」と声がする。
 まわりにいた人たちが、 いっせいに空をみあげた。
「おおっ!」
「すごいわあ!」
 さっき光っていた森のいちぶぶん、そこがぽっかりはずれて、空にどうどうと浮かんでいるのだ。
 青白い光がみはらし山の森をなめるように照らしだす。ほたる森は、だんだんと輝きを増しながら、ぼくらの頭の上をゆっくりと旋回した。
 パーンパーンとはじけるような音がした。
「はじまったぜ!」とコウちゃんがいった。
「なにが起こったんだよっ!」とぼくはあわててコウちゃんにたずねる。
「ほたる森が実をまきちらしはじめたのさ!」
 やがて、ひゅるひゅると音をたてて、火の玉がぼくらの頭の上にふってきた。
 火の玉は、くるくるとまわりながら、いろいろなもようを空に描いて、すごくきれいだ。
 だれかが 「タマやー!」といった。 花火じゃないんだし、これはちょっとちがうんじゃないかな、とも思ったけれど、コウちゃんが 「カギやー!」とさけんだので、ぼくもつられて 「タマやー!」 とさけんでしまった。
 ほたる森は、ゆらゆらと上下にゆれながら、実をまきちらしている。
 コウちゃんが、イカの足を口におしこんで、虫とりアミをふりまわしはじめた。ところが、ほたる森の実は、ぼくらの足もとをちょこちょこ走りまわって、まるで生きているみたいなのだ。まわりの人も、みんなけんめいに、ほたる森の実を追いま
わしている。
 いっぴきつかまえたらしいコウちゃんが、ぼくに 「ほら」と見せてくれた。
「これはほたる森の実なんだけどさ 。こいつもやっぱり、ほたる森って呼ばれるんだ。 ちょっと虫みたいだろ?」
 コウちゃんが、 ぼくの手にのせてくれたそいつは、まるで水晶をせおった虫みたいだった。すきとおったとげが、せなかにいっぱいはえていて、その中で青白い炎が、ちろちろと燃えている。水晶にとじこめられたほたるがあばれているみたいだ。ひっくりかえすと、すきとおった六本の足をざわざわとうごかしている。
 コウちゃんがつつくと、実はまっ赤になって、 明るくなったり暗くなったりした。怒ったのだ。
 ほたる森の実はすばしっこくて、 なかなかつかまらなかったけれど、ぼくもやっといっぴきつかまえることができた。
 虫かごの中にいれてながめると、 かさこそうごきまわりながら、ぽっぽっと光っている。
 ほたる森はさんざん実をまきちらすと、 ジクソーパズルのピースが当てはまったときのように、ふわりともとあった場所にもどった。たちまち、光がすーっと弱くなって、どこにでもあるふつうの森にもどってしまう。
 なんだかお祭りの終わったあとみたいだ。
 まわりにいた人たちが、「いやーっ。よかったですねえ」とか「来年もまた見たいですねえ」とかいいながら、ぞろぞろと山をおりていく。
 屋台もばたんばたんとつぎつぎに店をたたみはじめた。
 ぼくらの間をその夜はじめて、さーっとすずしい風がふいた。

 ほたる森の実は、それから 一 週間くらい青白い光をだしていたけれど、十日めの朝に死んでいた。窓につるした虫かごの中で、だんだんと光が弱くなっていくのを見るのは、すこし悲しかった。
 ところがはちに土をいれて、 そこにほたる森の実をまいてみたら、三日後に小さな芽がでたのには、びっくりした。 ぼくはいま大きな木に育てるつもりで、毎日せっせとこの芽に水をあげているのだ。
 ほたる森の芽は今夜もぼくの机の上で、青白くほんのりと光っている。
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