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第4話
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第4話
「……なぁ、それ、あの人からか?」
「え?」
手紙から視線を外して外を眺めていれば、ディオンが話しかけてきた。正面を見ると、カップをテーブルに置き、頬杖をついたディオンがもう片方の手で私の手紙へと指を差している。
「ええ、そうよ」
私が頷けば少しだけ思案顔となり、手紙を差していた指でコツコツと軽くテーブルを鳴らした。
「今年も帰って来ないって?」
「……うん。……やはりまだ、ご帰還はいつになるのか分からないんですって」
「ふぅん? ……結構長いよな。俺らがここに入る前から行ってるから、えーっと、六、もう七年か」
「そうね。それくらいになるわね……」
ディオンの言葉に答えている内、私は、大好きなあの男性の事を思い出していた。
(リュカ兄様……)
胸の内にその名を零すだけで、喉奥がキュッとするような想いが溢れる。私がそれを寄せる相手は、従兄でもあり、この国の第一王子でもあるリュカ殿下だ。
タレ目がちな紫の瞳に甘さを含ませて、「ミラ」と、微笑みながら頭を撫でられたのも昔の記憶。行かないでと泣きぐずる私を抱き上げて、すぐに戻ってくるよと、苦笑しながら抱き締めてくれたあの男性は未だ彼の地にいた。
(……分かっているわ)
あの人は、今や王太子であり、次期の王でもある。
(……それだけお忙しいんだって分かっているのだけど)
それでも早く戻って来てほしいというのは私の我儘だろうか。と。そう思えば胸の奥まで切なくなって、眉が少し寄った。
刹那。
「……まだ諦めてないんだ?」
不意に聞こえた低く小さな声に、私は手紙から視線を外して顔を上げた。
「まだ好きなの?」
気付けばディオンの眉も僅かに寄っている。
「え?」
「……あの人もうすぐで28だろ? オッサンじゃん」
「ちょっ」
「そろそろ諦めたら?」
「ちょっと。ディオン?」
その不機嫌そうな雰囲気に戸惑いは感じつつも、だからといって『オッサン』という言葉は聞き捨てていいものではなかった。その上、名を出してしまえば不敬と取られても仕方ない発言である。
「『オッサン』じゃなくて、『大人』と言ってちょうだい」
私が声を抑えて反論すれば、ディオンはそれを跳ね除けるかのように「ハッ」と笑った。
「じゃあミラは『子ども』だな」
「なっ?!」
ピリつく空気に、眉が跳ねる。
「だって。12も離れてるんだぞ? 戻って来たところでっていうか、そもそも相手にされてないって」
「ディオンっ」
「てか、七年も戻って来ないとか。そろそろ向こうでいい人見つけてんじゃねーの?」
「ッッ」
それは、たまに入るディオンの意地悪モードだった。
突き放すような言葉に喉が詰まる。
(……分かってるわよっ)
大好きなリュカ兄様は、私のお祖父様にあたるシュヴァリエ侯爵前当主の指導の下、元・東国アナトール、現王国直轄の領土となった地で、国の統治について学んでいる。
そんな兄様へと毎月送る手紙。それに返ってくるのは、『可愛い妹』へと宛てられた内容だけだ。
(……でも)
「……だって」
(兄様も私のことが大好きだと言ってくださっていたわ……)
リュカ兄様と別れたのは私が9つの時。あの日あの時まで、兄様から可愛がられ愛されていた時間は幻ではない。
王太子となり、老若男女問わず王国中の人から憧れられていたあの人に、パッと輝くような笑顔を向けられ、手を広げられて。「おいで」と呼ばれた声に駆け寄って、思い切り抱きつけるのは私だけだった。
抱き上げられ、間近であの美しい紫の瞳を覗き込めるのも。我儘を聞いてもらえるのも。「可愛いミラ」と額にキスしてもらえるのも。
その何もかもが私だけの特権で。
あの人が見せてくれる世界は何もかもが大人で、それに対して、ただただ憧れた幼心。そこに芽吹いた想いが淡く淡く色付くのには、もはや時間も理屈も要らなかった。
――そしてそれは、今も尚。あっという間に思慕へと育った心は、離れている間、枯らすことも咲かせることも出来ずに未だ私の中に根付いている。
(ディオンだって知っている筈なのに……)
それはずっと私の側にいたディオンだって分かっている筈なのに。
「……そんな風に言わなくてもいいじゃない……」
手紙には、女性の事など何も書かれていなかった。
美しい文字で書かれた内容は、政務が忙しくも楽しいとだけ。
「もしかしたらって思うくらい、いいでしょう?」
確かに、成人すら迎えていない私などあの人にとっては『お子様』なのだろう。あの頃より幾分か成長したであろう今でさえ、果たして『女性』としてその瞳に映れるかどうか……。
だからこそ、久方に会ったあの人を綺麗になってビックリさせてやろうと。
会いたい思いを努力に変えて、今必死に、淑女としての立居振る舞いをこの身に叩き込んでいるのだ。あの男性に認めてもらえるには見た目だけでは駄目だからと、様々な知識をこの頭に詰め込んでいる。
煌びやかなシャンデリアの下、いつ一人の女性としてダンスに誘われても大丈夫なように、ダンスの練習も頑張っているのである。
そしてその事だって、ずっと一緒にいたディオンは知っている筈なのに。
何故そんな酷い事を言うのかと、幼馴染をジト目で睨みつつ、じわり滲む涙を抑えるように眉を寄せて唇を引き結べば、今度はディオンが眉を跳ねさせた。
「……っ?!」
「……ディオンの意地悪……」
「あああ、うわ、ミラ、ごめんっ。……ちょ、泣くなって」
伸びてきた手が頬に触れ、親指が宥めるように肌を撫でる。
昔は、柔らかく小さかったディオンの手。その手が、いつの間にか私の頬を包める程大きくなっている事も、私だけがまだ子どもであるかのように感じさせて悔しさを誘った。
「う゛~~……」
零れないように踏ん張っていた涙が一つ、はらりと頬を伝う。
「ほんと、俺が言い過ぎた。大丈夫だから。な? 愛しのリュカ兄様は、きっとミラのことが大好きだって! な?!」
「馬鹿にしてるでしょう。ひどい」
「そんなことないって」
「もう、ディオンなんて嫌いになるんだから……」
「あっ、それ凹むからヤメテ。マジでゴメンて」
頬を撫でる手を振り払い、顔を手で覆ってシクシクと言えば、今度は全力で頭を撫でてくる。
「なぁ、ミラ? 本当にごめん。ほんと、俺が悪かったから。なんかお願い聞いてやるから、な? 機嫌治せって」
(謝るくらいなら、最初から言わなければいいのに……)
そう思いつつ、ディオンが放った言葉に私はゆっくりと顔を上げる。目の前には、焦った表情で私のご機嫌を取ろうとするディオンの顔。私はそのダークグリーンの瞳に、ヒタリと視線を合わせた。
「……お願い、なんでも聞いてくれるのね?」
「えっ? お? うん」
「ディオン。私もう子ども扱いされるの嫌なの。それも分かってくれる?」
「んん? うん」
「じゃあ、明後日のお祭り。夜まで付き合ってくれないかしら」
「……は?」
危ないからと許してもらえなかった夜のお祭り。
寮の窓から明るい街を眺めてはタメ息を吐き、いつか絶対に連れ出してもらおうと狙っていた。
そこに訪れたビッグチャンスだ。
逃してなるものかと口に出してみれば、ディオンの手が止まり、その笑顔が引き攣った。
「マジかよ……」
「ええ。大マジよ」
「それって、バレたら殺されるやつじゃん……」
「いいじゃない、こっそり行けば。きっと大丈夫よ」
「おま、簡単に言うなって」
中々にOKを出さないディオンだが、これでも私はこの人の幼馴染である。私が再びキュッと眉を寄せれば、ディオンの顔が益々引き攣った。
「……う゛っ。やっぱりディオンなんて大嫌…「だぁあ! 分かった! ミラ、分かったから!!」
付き合えばいいんだろと叫ぶディオン。
「うふふっ。ディオンなら絶対そう言ってくれると思ったわ」
それに対して私が笑顔を見せれば、ディオンが大きなタメ息を吐いて。そして、「俺ってつくづくお前に対して甘いよな」と、諦めた声で呟いた時。
――リーン、ゴーン……、リーン……
「あ。教室戻らなきゃ」
午後の始まりを告げる鐘の音が、辺りに響き始めたのだった。
「……なぁ、それ、あの人からか?」
「え?」
手紙から視線を外して外を眺めていれば、ディオンが話しかけてきた。正面を見ると、カップをテーブルに置き、頬杖をついたディオンがもう片方の手で私の手紙へと指を差している。
「ええ、そうよ」
私が頷けば少しだけ思案顔となり、手紙を差していた指でコツコツと軽くテーブルを鳴らした。
「今年も帰って来ないって?」
「……うん。……やはりまだ、ご帰還はいつになるのか分からないんですって」
「ふぅん? ……結構長いよな。俺らがここに入る前から行ってるから、えーっと、六、もう七年か」
「そうね。それくらいになるわね……」
ディオンの言葉に答えている内、私は、大好きなあの男性の事を思い出していた。
(リュカ兄様……)
胸の内にその名を零すだけで、喉奥がキュッとするような想いが溢れる。私がそれを寄せる相手は、従兄でもあり、この国の第一王子でもあるリュカ殿下だ。
タレ目がちな紫の瞳に甘さを含ませて、「ミラ」と、微笑みながら頭を撫でられたのも昔の記憶。行かないでと泣きぐずる私を抱き上げて、すぐに戻ってくるよと、苦笑しながら抱き締めてくれたあの男性は未だ彼の地にいた。
(……分かっているわ)
あの人は、今や王太子であり、次期の王でもある。
(……それだけお忙しいんだって分かっているのだけど)
それでも早く戻って来てほしいというのは私の我儘だろうか。と。そう思えば胸の奥まで切なくなって、眉が少し寄った。
刹那。
「……まだ諦めてないんだ?」
不意に聞こえた低く小さな声に、私は手紙から視線を外して顔を上げた。
「まだ好きなの?」
気付けばディオンの眉も僅かに寄っている。
「え?」
「……あの人もうすぐで28だろ? オッサンじゃん」
「ちょっ」
「そろそろ諦めたら?」
「ちょっと。ディオン?」
その不機嫌そうな雰囲気に戸惑いは感じつつも、だからといって『オッサン』という言葉は聞き捨てていいものではなかった。その上、名を出してしまえば不敬と取られても仕方ない発言である。
「『オッサン』じゃなくて、『大人』と言ってちょうだい」
私が声を抑えて反論すれば、ディオンはそれを跳ね除けるかのように「ハッ」と笑った。
「じゃあミラは『子ども』だな」
「なっ?!」
ピリつく空気に、眉が跳ねる。
「だって。12も離れてるんだぞ? 戻って来たところでっていうか、そもそも相手にされてないって」
「ディオンっ」
「てか、七年も戻って来ないとか。そろそろ向こうでいい人見つけてんじゃねーの?」
「ッッ」
それは、たまに入るディオンの意地悪モードだった。
突き放すような言葉に喉が詰まる。
(……分かってるわよっ)
大好きなリュカ兄様は、私のお祖父様にあたるシュヴァリエ侯爵前当主の指導の下、元・東国アナトール、現王国直轄の領土となった地で、国の統治について学んでいる。
そんな兄様へと毎月送る手紙。それに返ってくるのは、『可愛い妹』へと宛てられた内容だけだ。
(……でも)
「……だって」
(兄様も私のことが大好きだと言ってくださっていたわ……)
リュカ兄様と別れたのは私が9つの時。あの日あの時まで、兄様から可愛がられ愛されていた時間は幻ではない。
王太子となり、老若男女問わず王国中の人から憧れられていたあの人に、パッと輝くような笑顔を向けられ、手を広げられて。「おいで」と呼ばれた声に駆け寄って、思い切り抱きつけるのは私だけだった。
抱き上げられ、間近であの美しい紫の瞳を覗き込めるのも。我儘を聞いてもらえるのも。「可愛いミラ」と額にキスしてもらえるのも。
その何もかもが私だけの特権で。
あの人が見せてくれる世界は何もかもが大人で、それに対して、ただただ憧れた幼心。そこに芽吹いた想いが淡く淡く色付くのには、もはや時間も理屈も要らなかった。
――そしてそれは、今も尚。あっという間に思慕へと育った心は、離れている間、枯らすことも咲かせることも出来ずに未だ私の中に根付いている。
(ディオンだって知っている筈なのに……)
それはずっと私の側にいたディオンだって分かっている筈なのに。
「……そんな風に言わなくてもいいじゃない……」
手紙には、女性の事など何も書かれていなかった。
美しい文字で書かれた内容は、政務が忙しくも楽しいとだけ。
「もしかしたらって思うくらい、いいでしょう?」
確かに、成人すら迎えていない私などあの人にとっては『お子様』なのだろう。あの頃より幾分か成長したであろう今でさえ、果たして『女性』としてその瞳に映れるかどうか……。
だからこそ、久方に会ったあの人を綺麗になってビックリさせてやろうと。
会いたい思いを努力に変えて、今必死に、淑女としての立居振る舞いをこの身に叩き込んでいるのだ。あの男性に認めてもらえるには見た目だけでは駄目だからと、様々な知識をこの頭に詰め込んでいる。
煌びやかなシャンデリアの下、いつ一人の女性としてダンスに誘われても大丈夫なように、ダンスの練習も頑張っているのである。
そしてその事だって、ずっと一緒にいたディオンは知っている筈なのに。
何故そんな酷い事を言うのかと、幼馴染をジト目で睨みつつ、じわり滲む涙を抑えるように眉を寄せて唇を引き結べば、今度はディオンが眉を跳ねさせた。
「……っ?!」
「……ディオンの意地悪……」
「あああ、うわ、ミラ、ごめんっ。……ちょ、泣くなって」
伸びてきた手が頬に触れ、親指が宥めるように肌を撫でる。
昔は、柔らかく小さかったディオンの手。その手が、いつの間にか私の頬を包める程大きくなっている事も、私だけがまだ子どもであるかのように感じさせて悔しさを誘った。
「う゛~~……」
零れないように踏ん張っていた涙が一つ、はらりと頬を伝う。
「ほんと、俺が言い過ぎた。大丈夫だから。な? 愛しのリュカ兄様は、きっとミラのことが大好きだって! な?!」
「馬鹿にしてるでしょう。ひどい」
「そんなことないって」
「もう、ディオンなんて嫌いになるんだから……」
「あっ、それ凹むからヤメテ。マジでゴメンて」
頬を撫でる手を振り払い、顔を手で覆ってシクシクと言えば、今度は全力で頭を撫でてくる。
「なぁ、ミラ? 本当にごめん。ほんと、俺が悪かったから。なんかお願い聞いてやるから、な? 機嫌治せって」
(謝るくらいなら、最初から言わなければいいのに……)
そう思いつつ、ディオンが放った言葉に私はゆっくりと顔を上げる。目の前には、焦った表情で私のご機嫌を取ろうとするディオンの顔。私はそのダークグリーンの瞳に、ヒタリと視線を合わせた。
「……お願い、なんでも聞いてくれるのね?」
「えっ? お? うん」
「ディオン。私もう子ども扱いされるの嫌なの。それも分かってくれる?」
「んん? うん」
「じゃあ、明後日のお祭り。夜まで付き合ってくれないかしら」
「……は?」
危ないからと許してもらえなかった夜のお祭り。
寮の窓から明るい街を眺めてはタメ息を吐き、いつか絶対に連れ出してもらおうと狙っていた。
そこに訪れたビッグチャンスだ。
逃してなるものかと口に出してみれば、ディオンの手が止まり、その笑顔が引き攣った。
「マジかよ……」
「ええ。大マジよ」
「それって、バレたら殺されるやつじゃん……」
「いいじゃない、こっそり行けば。きっと大丈夫よ」
「おま、簡単に言うなって」
中々にOKを出さないディオンだが、これでも私はこの人の幼馴染である。私が再びキュッと眉を寄せれば、ディオンの顔が益々引き攣った。
「……う゛っ。やっぱりディオンなんて大嫌…「だぁあ! 分かった! ミラ、分かったから!!」
付き合えばいいんだろと叫ぶディオン。
「うふふっ。ディオンなら絶対そう言ってくれると思ったわ」
それに対して私が笑顔を見せれば、ディオンが大きなタメ息を吐いて。そして、「俺ってつくづくお前に対して甘いよな」と、諦めた声で呟いた時。
――リーン、ゴーン……、リーン……
「あ。教室戻らなきゃ」
午後の始まりを告げる鐘の音が、辺りに響き始めたのだった。
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