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猫らしきものをもらって、返した話

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私には猫らしきものが居た。幼いころ、友人からもらったものだ。

どんな顔で、姿だったかは思い出せないが、彼女から『もらって』から猫らしきものが私のそばに居るようになったので、おそらく間違いないだろうと思う。

その猫らしきものは子猫か小さい猫のような大きさで、毛玉のような外見で、ほとんど真っ黒で、いくつかの足としっぽがあった。ときおり、足は4本以上に増えたり、あるいは1本も見えないこともあった。

いつも私のそばにいて、特に外へ出かけるときは常にといっていいほどついてきていた。

私の前を道案内するかのように歩くこともあれば、私のうしろを、とてとて、とついてくることもあった。

私が思うに、私以外の人にはその猫らしきものは見えていないか、居ることに気がつかなかったのではないかと思う。

他人に、「そこに猫が居る」と言ったことはほとんどない。そういったことを言えば、相手を怖がらせてしまうか、変わり者だと思わるのではないか、と考えたからだ。

もしかしたら私は常に幻覚を見ているような、精神的疾患があったのかもしれないが、ただまあ、私は社会に適応しているつもりだったので特に診断を求めに医療機関を受診することはなかった。

この猫らしきものは私の友人を困らせることはなかったし、仕事の邪魔になるようなことはなかったので、特になにも問題はないと考えていた。人と会うとき、ときにその猫らしきものは踏まれていてもその足をすり抜けたり、あるいは胴体をぺしゃんこに踏み潰されたままで私とその人の会話が終わるのを待っていた。そんなとき、その猫らしきものは痛がったり、苦しがったりする様子はなく、「そろそろ足どけてくれそうかな」といった顔で私を見ていた。避けたり、すり抜けたりできるのにわざわざ踏まれたままで待つことがあるのは、奇妙といえば奇妙だった。


友人から猫らしきものをもらってからしばらくは、エサは何を食べるのか、親にはなんと言おうかと思案したように思う。あるいは、全く思案しなかったかもしれない。

いずれにしても、エサを私にねだるようなそぶりは全くなく、そのくせ家の食べ物を勝手に食べているような様子はなかった。

教育テレビで猫についての番組が放送されているのを母と見たとき、私の猫らしきものは世間で猫と呼ばれる生き物とは大きく違うようだ、とは気がついていた。

母に、「鳴かない猫というのはいるのか」と聞くと、種類によっては、特にロシアンブルーなどはあまり鳴かないことでも知られている、と教えてくれた。

思えば、この猫らしきものが鳴くところを見たことはない。


ある友達が飼っている猫を見せてくれたことがあるが、私のはその子の猫とはあまり関わろうとする様子は見られなかった。

時折、友達の猫が、てしてし、と猫らしきものを叩いていたが、なんの反応も見せなかった。猫にエサを食べさせてみないか、というので掌にエサを載せてみたが、どちらの猫も近づいてこなかったのを覚えている。私の猫らしきものは、前足を三本あげて私の真似をしようとしているようだったが。

少なくとも、私のそれは、猫ではないのだろうとは気がついていた。だからといって、何かが変わるわけではなかった。

身の回りにいる、何か良く分からない、猫らしきもの。

良い、悪いの判断をつけようとしたこともなかったように思う。


ある晩、のどが渇いて夜中に自販機へ出かけた。

いつものようにとてとてとついてきて、自販機の前につくと毛づくろいをはじめていた。

ふと、周りの気温が変わった気がしてあたりを見渡すと、顔の見えない―というよりは、顔が見えているはずなのにそれがよくわからない、小柄な人が居た。

こんばんわ、と声をかけようとしたときに、私の目の前にあった自販機がなく、またあたりが真っ暗でないことに気がついた。

「こんばんわ」

先に言われてしまった。その声で、猫らしきものを私に「あげる」といった友人だと気がついた。

私の手の甲を見ると、やけどの跡がなくなったので少なくとも中学生よりも前に戻っていたのだろう。

「こんばんわ。久しぶりですね」

「そうですね。おそらく、久しぶりですね」

かわっていないな、と感じた。よく思い出せない姿かたちで、目の前に見えているのによくわからない姿かたちだったが、なぜかそう感じた。

「そのこを、返して欲しいの。もうしわけないけど」

私の猫らしきものを見ると、なんだか平べったくなっている。くつろいだ姿勢なのだろうか。

「なにか、ありましたか」

「なにかがあったわけではないのだけど、やっぱり、あなたにあげたままにしておくのは好ましくないかと思って」

「好ましくないというのは、あなたにとって?このこにとって?」

「よくは、わからないけど」

猫らしきものは、ちょこん、と座って彼女を見ている。

「そうしたほうがよいのなら、あるいはよいかもしれないなら、そうしましょうか」

「ありがとう」

彼女が、おいで、とそのこに呼びかけた。

猫らしきものは、わたしを見て、彼女を見て、ててて、と彼女のそばへ近より、するりと体を引き伸ばすようにして彼女の肩の上に乗った。

「いっしょにかえりましょうね」と彼女は猫を軽くだいて、頭をなでた。猫は、頭を彼女にこすりつけるようにして答えた。

そのなつき方を見ると、たしかに、このほうがしっくりくるな、と感じた。

「あなたももうかえりますか?」

「そうですね。そうします」

デジャビューか、あるいはメジャビューか。前になんども、合言葉のようにそのやりとりをした気がするし、あるいははじめてしたやりとりのようにも思えた。

彼女は、赤さびにおおわれたような顔をこちらに向けて、同じように赤さびがまだらについたような手をこちらにふった。


気がつくと、自販機の前で、100円玉を投入しようとしているところだった。手の甲にはやけどがあったので、だいたいもとの状態にもどったのだろう。


なあお。


と声が聞こえた。あたりを見渡しても、なにも居なかった。

特に理由は無いが、コーヒーを買って、飲み、缶を捨てて帰った。


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