EDGE LIFE

如月巽

文字の大きさ
上 下
23 / 75
Case.02 雨

東都 中央地区α+ 一月二十二日 午後六時三十分

しおりを挟む
「かんりにんさん、バイバーイ!」
「また明日朝な、寝坊すんなよー?」
「はーい」
 学童保育で預かっていた子ども達の挨拶を笑いながら返し、最後の一人がエレベーターに乗ったのを確認すると、静けさの戻った管理室へと戻る。
 据置型端末を起動しながら、タブレット端末に映る屍の画像を科学捜査研究所から送られてきたデータに照らし合わせる。
(B・D・Eは飛伽組の構成員、AとCは一般人…か)
 二週間前に回収した最初の遺体は、スキャンダラスなスクープを狙っていた記者によって取り上げられてしまい、面白半分の記事を書き立てられた。
 生温い情報だけを拾っていたメディアは一様に反応し、新たな情報を我先に手に入れようと街中で見張っているのを何度か見かけている。
 棟内へ置いている事務所の留守番電話にも調査協力依頼が数件入っていたが、特に連絡を返す事なく放置している。


─ 国家認可を持つ者は、現在は六名しか存在しない
認可を持っていることを表立って言う者も居るが、疾風達はそれを良しとは思っておらず、表向きは一般と同じな請負業としている


(喪失部位はまちまちだが、どの遺体も頭は一切傷付いてない…ってことは無差別じゃねえな…)
 早朝に斑鳩へと送信したメールを確認するが、開封した事は分かるも返信はまだ来ていない。
 普段は調査を依頼すれば、大概はこちらが面倒になって来るほど連絡を入れて来る。
しかし、そんな男が一切返してこないと言う事は、あちらも難航しているのだろう。
 どこを視ようとも調べようとも何も出てこない上に、遺体の損傷状態を確認する以外の手掛かりが無い。
 タブレット画面端を指で叩き、纏まらぬ思考を霧散させようと煙草へ手を伸ばす。
 換気扇下へ向かいながら唇に銜え、火を点そうとライターを近付けたと同時、受付口のベルが鳴らされた。
「はいはい、今出ますよ」
 煙草を置き、小窓を開けて外を覗き込む。
窓の向こう側白い人工光の下、ロングパーカーを羽織った青年と、白の春物コートを纏った娘が揃って会釈し、疾風も頭を下げた。
「夕時にすいません、此方に請負業務事務所があると聞いて来たんですが…」
「在りますよ。連絡は何かしてます?」
「それが、何度ご連絡しても通話中音が鳴ってしまっていて…」
 申し訳無さげに眉を下げた青年の風貌は、何処と無く知り合いに似ている。
「あぁ、そうでしたか。したら、今日はもう事務所終わってる時間なんで、俺の方から話しときますよ」
「え、良いんですか?」
「えぇ、知り合いなんで。メモの方には番号もお願いします」
 この場で話を聞こうにも、斑鳩からの連絡を待つ身でもある以上、上の空で聞く事になるのは明白だ。
 疾風は虚偽を言付けて受付表と小さなメモを差し出し、二つの用紙へ記名を貰う。
「あのっ、いつぐらいに連絡もらえますか?!」
「俺も全て把握してる訳じゃ無いんでなんとも」
「出来るだけ早くお願いしてくださいっ!じゃないと…」
 何かを言い掛けた娘の口を手で覆い、兄であろう男がまた頭を下げる。
美雨みう、失礼だろ」
「でもっ」
「分かりました、一応伝えときますね」
 今にも口論になりそうな雰囲気を裂くように疾風が言葉を入れれば、美雨と呼ばれた娘の顔が明るくなる。
 青年の眉根は更に下がり、何度目か解らない会釈を重ねながら、雨の降り出した夕闇の街へと戻って行った。
(真反対な兄妹だったな…って、ウチは人のこと言えねえか)
 バインダーに挟んだ受付表を確認し、書かれた名字に見覚えを感じて手を止めて携帯端末に手を伸ばす。
 アドレスを確認しようと画面に触れると、スクリーンに連絡を待っていた相手の名が表示された。
「おぅ、待ってたぜ」
『ゴメンねぇ、少ーし時間くっちゃった。報告もあるんだけど、その前に聞いてくれる?』
「どうした?」
『うん、もしかするとねぇ…』


今日、殺人鬼は現れるかも。


**********


─疾風君が屍体を回収した日、調べてみたら見事なまでに全部雨の日なんだ。

─五体のウチの三体はかなりガッツリと失くなってるのに、BとDのヤツは喪失箇所が少ないのは気付いてるよね?その二体の服の素材、視てみた?

─ もしかして、その二人に対しては、相手は何かが上手くいかなかったんじゃないかな?




 三時間前に話していた斑鳩の言葉を頭で反芻し、Φ区域内にある廃車場の一角に車を停める。
 荷台から大判の白布と白傘を取り出し、飛伽組の分家の方へと足を進める。
 空は薄汚れた濃藍に埋め尽くされ、来訪者を見送る時には小粒だった雨も、今は泣き崩れている様な土砂降りに変わっていた。

(訊いてみるもんだな、服と天気までは考えちゃいなかったわ)

 男の言う通り、全ての遺体は肉体が食い千切られた様に喪失している。
 その内の三体の損傷は数箇所に及ぶが、残る二体の内の一体は右大腿部のみを、一体は左腰のみを奪われている。
 それ自体には疾風自身も違和感を抱いていたが、凶器の破片を探す事に意識が向いていたために、衣服までは見ていなかった。

(見立てが間違ってなけりゃこの格好で防御出来るはずだが…動くと暑ィんだよな…)
 白布を脇に抱え直し、光沢を持つ服の襟元へ指を掛け、冷えた外気を通しながら疾風は息を抜いて周囲を見渡す。

─ 自身の暮らしているα区域とはうって変わり、灯りは疎らで、連日の報道もあるためか人気もない。

「信じて出て来てみたものの、本当に出るんかねェ…」
 用がある訳でもない飛伽組所有のビルへと歩を進め、差した傘越しに背後を見るも、人影も気配も特にない。
 整備のされていない道へ薄く溜まった水を踏む音へ耳を澄ます。
  切れかけた電灯の下、ビルの玄関口へ差し掛かろうとした瞬間、ぴしゃり、と水滴の落ちる音が一際大きく聞こえた。
「おいアンタ、飛伽組の人間か?」
 電子機器を介した雑声が、先に広がる暗がりへと響く。
足を止め、音の聞こえた方角を視線だけで確認すると、目深に帽子を被り白灰色のジャケットを羽織った細身の男が、雨具を使うことなく立っていた。
「アンタはどっちだと思う?」
「質問してるのはこっちだ。答えろ」
 一瞬にして孕んだ殺気に肩を竦め「面倒くせェ」と短く答えれば、異様な気配を纏い始める。
「毎回片付けてる身にもなって欲しいもんだな。アンタのせいで他の仕事に行けやしねェ」
 左眼の能力を解放しつつ男の方を向き、軽蔑の視線を浴びせてくる相手へ吐き捨てる。
「良いから答えろ!アンタは、飛伽組の」

「その声、近所迷惑だな。喧嘩売るなら」
相手は見極めろ。

 放った一言を引き金に、異様な気配が物体を形成するように集約されていくのを感じる。
 同時に濃い血の匂いが酷く混じっている事に気付き、疾風は内心で首を傾げつつも臨戦態勢を整えた。
「食われちまえ!!」
 耳障りな電子声と共に雨粒が集束し、巨大な牙を幾本も携えた大口へと変化し、轟音をあげながら疾風へと襲い掛かる。
 自分への敵意に意識を集中させ、手にしていた撥水性の白布を投げ開けば、大口は大量の水へと戻り水飛沫へと変わる。
 一時的に封じられた視界に慄いたのか、布越しの男は辺りを警戒して見渡す様子が視て取れる。
 瞬時に傘を閉じ、壁を走り登って蹴り付け、高く跳び上がりながら更に視れば、負傷しているのか脇腹を庇っているのが確認できた。
(…肋骨に罅と外腹斜筋裂傷か)
「ど、何処だ!?」
「こっちだ阿呆」
 見上げられると同時、再度大口を開いた水流は疾風を目掛けて放たれ、閉じていた傘を長槍のごとくその口内へと突き立てる。
「喰えるモンなら喰ってみろ!!」
 自重と落下速度を借り、口を閉じ始める水流へ更に身体を突き入れる。
 噛み砕こうと閉じ始めた口内で傘を開けば、撥水繊維が触れた場所から無力な水へと還ってゆく。
 巨大水塊の化物は、喉奥へ小骨が刺さったが如くその身体を大きく左右に揺らし始める。
 水流内での遠心力に逆らう事が出来ず、疾風が傘を手放すと、一瞬にして泥化した地へと投げ出された。
「あーあ…傘無駄にしちまったな、ありゃ」
「い、一体どうして…」
 開いた傘が突き刺さったままの水塊は、踠き苦しむように動き回りながら、その身体の嵩を減らしてゆく。
 再度化物を形成しようとする男の足下の白布を一気に引き上げ、再度視界を封じると同時に背後へと回り込む。
「寝てろ」
 後ろ手に男を捻り上げ、頸椎へ手刀を入れる。
 その瞬間、身体は崩れるように倒れ、暴れていた化物の姿はバシャリと音を立てて地面に叩きつけられ、水飛沫をあげた。
「……やれやれ。斑鳩先生の言う通り、媒介者カタリスターだったな…しかも」

顔見知りかよ。

 倒れた身体へ白布を巻き、片肩へと担ぎ上げる。
 数歩離れた場所へ落ちた壊れた傘を拾おうとしゃがむと、小さな水飛沫と共に足元へ携帯端末が落ちる。
 手を伸ばした瞬間、無機質な着信音が自分の存在を誇張するかの様に鳴り響いた。

「…面倒なコトになるな、こりゃ」

拾い上げた携帯端末に表示された名を見つめ、疾風は溜息を落として受話ボタンに触れた。
しおりを挟む

処理中です...