EDGE LIFE

如月巽

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Case.02 雨

南都 南地区β+ 一月二十三日 午後二時四十一分

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『目障りな男が一人居ってのぅ。東都に居るんだが儂が自分で手ェ着けると、ココのモン皆んな路頭に迷う事になる。だから、請負屋さんにお願いしたくてな』

 昨日取り付けられた依頼の文言を反芻しつつ、疾斗は停止の赤色にブレーキを握り、片足を身につけながらフルフェイスヘルメットのシールドを上げる。
(自分の手を汚すのも捕まるのも御免だ、という訳だな)
何処までも腐った性根だ。

(依頼が無ければこの辺りを走りたかったが…)
 左を見れば蒼く澄んだ空と陽光を受けた海が煌めき、釣りや写真を楽しむ様子が映る。
 篭っていた熱が排出されると同時、冷えた空気と潮の香りが流れ込む。
 普段であれば束の間の癒しになる筈が、胸奥から湧く苛立ちがそれさえも霧散させる。
 苛立ちに舌を打ち、信号が変わると同時に地を蹴り出し、疾斗は重く息を吐いて目的の店へとバイクを走らせる。
 ログハウス風建屋の駐輪場へ入りヘルメットを外し、髪を片手櫛で無造作に直しながら荷物を降ろして身繕いを整えていると、タイミングを計ったように携帯端末が着信を報せる。
 実兄の名が表示される画面を確認し、イヤフォンを繋いで画面に触れた。
『─ようやく繋がった』
「すまない、まだ運転中だった。これからに会う」
『例の保留にしてたやつか。お疲れさん。だから今日も別行動な訳か』
「あぁ。斑鳩は自分の仕事を片付けたいって言うんでな。今日も機関ホテルだ」
 通信越しに聞こえる声にいつも程の覇気はなく、若干不鮮明に聴こえる。
 くぐもったようなその音に、姿を見ずとも実兄が疲弊しているのは想像がついた。
「……兄貴、寝てないだろう」
『あぁ、ちと面倒があってな…収穫もあったが。今は里央と里央の嫁さんに管理室行ってもらってる』
「収穫?何か分かったのか?」
『まぁ…な。詳しくはまた夜に連絡する』
 歯切れの悪い言葉尻に、疾斗は僅かに首を傾げつつ返答し、時間を指定して通話を切る。
 イヤフォンコードを無造作に巻き付けて鞄に放り込み、一枚板で作られた扉を開く。
 案内を断り店内を進むと、依頼主は窓際の席で物憂げに空を見つめていた。
「お待たせしてすみません」
「いえ、私が早く来ただけなので。わざわざご連絡ありがとうございます」
 高く一つに結った藍髪を揺らし、向かい正面で恭しく頭を下げる女に会釈を返す。


─半月前。
東都内に二つ目の変死体が見つかり回収した翌日、彼女は暗い影を朱眼へ宿し、「依頼がある」と自分達の元へ訪れた。
何かに怯える様子で何度も周囲を見回し、疾風が何かを問い掛けるたびに体を慄かせて震える様な声で受け答えをしていた。


「あの…先日は、申し訳ありませんでした……!」
 ほんの僅かに視線が合うと同時、依頼人は頭を深く下げる。
「新堂さんにも、ご同行者の方にも大変失礼なことを…何とお詫びすればいいか…」
「口が過ぎる事を発言した此方にも非があります。鎮めてくださったこと、感謝しています」
 肩を震わせながらそろそろと顔を上げた女性へ口元を緩めれば、僅かに緊張が解けた様子で息を抜く。
 今の彼女の姿が生来の性質なのだろう、事務所を訪れた時に僅かに感じた穏やかな空気を纏っている。
 数日前、若人衆を一喝した時に見た覇気が嘘のように成りを潜めており、一見では同一者に思えない。
 しかし、あの場で彼女の制止が入らなければ、無駄に血を流すことになっていたことだろう。

─どちらが、とは言わないが。

 此方へ謝罪したことで気持ちが落ち着いたのか、上の空であった表情も少し和らぎ、運ばれて来たコーヒーに口を付けて互いに一息入れる。
「…あれ以外に、剛さんからのお仕事も請けていらっしゃるんですよね?」
 カップを取ろうと伸ばした指を止め、女性の声が僅かな陰を帯びて少々低まる。
あれ、と言うのは初めて訪問した日に請けた依頼のことを指しているのだろう。眉根を下げて問われた内容に目を細めて苦笑し、首をゆっくりと縦に一度だけ振れば、朱い双眼は翳りを見せた。
「……以前、夫から[請負人は同一人物から複数依頼を受けていると、他者の依頼は基本的に破棄される]と聞いております………」
つまり、そういう事ですよね。
 沸いてくる絶望感を吞み下すように声を絞り、依頼人は気丈に笑ってみせる。


─業務代行請負人が一般的に受諾出来る依頼件数は、各都に置かれた請負業務監視調査機関によって遠隔監視されており、腕の立つ者で多くても一週間で五件程とされている。
同一人物から依頼を複数受ける場合、別人物からの依頼を受けることは禁じられており、それを冒した場合は一定期間の業務停止が命ぜられる。


 この事実を他に知るのは、政都や国役所で働く人間、各都に置かれる民間警察署のごく一部に限られている筈で、一般人は知る事がない。

『ちと面倒があってな…収穫もあったが』

 歯切れ悪く言葉を切った疾風の電話が過ぎり、彼が言いあぐねていた物に予想がつく。
(……成程、確かに面倒な収穫だ)
 僅かな勘違いを起こしたまま、悲しみを圧し殺しながら笑みを湛える女性から目を外す。
 クリップフォルダーを鞄から取り出し、筆記具をペンクリップへ取り付けてテーブルの上へと差し出すと、作り続けていた顔を崩して目を見開いた。
「…貴女が何故、受諾件数管理についてご存知なのかの理由は聞きません。ですが、以前お会いした際、俺は自分が東都管理責任だと名乗った筈です」
「確かに仰っていました。ですが、管理されているのは一緒なのでは…」
「管理責任者は国家認可の所有を示す物でもあります。とは違い、監視が免除されています。彼の依頼は半強制的に押し切られたような形ですが、我々の責任管轄である東都に被害が出ている以上拒否も出来ないので受諾しました」
 溜息交じりに黒レザーの張られたフリップを開けば、半月前に書かれた契約書が暴かれる。
 その用紙は、連絡先と依頼内容こそ書かれているものの、氏名欄や住所は完全な未記入で、必要最低限の情報すら書かれていない。
「我々が貴女の依頼を保留にしたのは、依頼主クライアントである貴女が、ご自身の依頼以外一切お話しして下さらなかったためです」
 依頼の中にはストーカー被害の対処や、対象人物に自身を知られたくない故に名を明かさない物もあるには有る。
 その場合、氏名は依頼完遂後に記名してもらうため特に問題はないが、外見以外の情報もなく動く事は、時に全てが無に変わることもあるため、最低限の情報と担保として住所だけは書いてもらっている。
 しかし彼女はそれを頑なに拒み、「金は払う」の一点張りで話が進まず、依頼保留を条件に連絡先番号の記入で妥協していたのだ。
「今はお答え頂けなかった理由も解ります。一件についても納得は出来ています。ですが、現状では依頼内容について疑問が残っている状態です」
 クリップフォルダーの契約書と疾斗の顔を交互に確認する女性を見つつ、温くなってしまったコーヒーで喉を潤す。
「新堂さん。これを書いたら…請けていただけるのでしょうか……?」
「請ける気がなければ、俺は書面を持ってこの場に来たりはしません」
 不安に揺れる瞳を見つめ返し答えれば、依頼人は意を決した様子で筆を取り、何も書かれていなかった欄を書き埋めてゆく。
 几帳面な字が連ねられ、署名欄まで下りてきたところでふとペンが止まる。
 一瞬だけ唇を引き結び何かを躊躇ったが、すぐさま首を振って記名すると、フォルダーを此方に向けて返却された。
「……此方で、宜しいですね」
「はい。それが私のですから」
「わかりました。この依頼、お引き受け致します」










 依頼人  唐須間からすま 綾果あやか
 内容 飛伽組本部の解体
 請負期間 完了迄

 受諾人 新堂 疾斗 
             新堂 疾風
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