EDGE LIFE

如月巽

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Case.01 影者

東都 中央地区α+ 同日 午後六時四十八分

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 毛布を抱いて穏やかな寝息をたてる少年へ、耳式体温計をかざして数値を確認する。
平熱と言われる数字が表示された事に安心し、そろりと頭を撫でてやる。
 起こさぬよう薄く明かりを灯したまま寝室を出れば、扉に鍵を差し込む音が聞こえ玄関に向かった。
「出迎えご苦労、重要参考人連れてきたぞー」
 ポーチで靴を脱ぐ疾風の後ろを覗くと、依頼主である高遠と眠っている少年と似た髪色の男が所在無さげに頭を下げた。
「何がご苦労、だ。病人がいるのに人連れて来るか、普通。アンタ仮にも医者だろう?」
「仮じゃねェよ、ちゃんと免許持ってるの知ってんだろ」
「そうじゃない、人の話を聞いていたのかと訊いている」
「そう怒んなって。依頼主には有事に連絡する、ってなってんだ。何も電話連絡じゃなきゃいけない訳じゃねえんだし、現状説明ぐらいしてやっても良いだろ?」
 二人に中へ入るよう促しながら、疾風は無造作に二人分のスリッパを投げ置く。
 おずおずと入ってくる二人へ頭を軽く下げ、疾風の方へ向き直り苛立ちを口にしようと目を合わせれば、伊達眼鏡の向こう側で双眸が細められる。
 唇で無音の言の葉を紡がれ、閉口した疾斗はその意図を読み取りきれないまま頷いた。
「で、病人は?」
「気持ち良さそうに寝ている…が、これだけ人の声したら起きるだろうな」
「すみません…」
「ごめんなさい、呼ばれたんです…」
「…申し訳ない、あなた方ではなく、疾風に言っただけです」
「厳しいお言葉だな。とりあえず茶ァ頼む」
 疾風の案内でリビングへ通された二人の後から入り、モノトーンに統一されたキッチンで茶の用意を始める。
 カウンター越しに様子を窺うと、ソファに座った作業着の男は、部屋の広さに圧倒されているのか辺りを見回し、高遠は座る場所に迷っているのか、鞄を持ったまま右往左往している。
 気を遣った男が隣を進めるも首を横に振り、結局鞄をソファに置いて床へと座った。
「悪ィ、茶菓子ってあったっけか?」
 紅茶を注いだティーカップをトレーに置いていると、実兄は苦笑しながら声を掛けてくる。
「茶菓子の心配より、説明が欲しいんだが。あの人は」
 緊張した様子の二人に聞こえぬよう、声を落として問い掛ける。
「飛鳥の親父さんだ。マスターの所に毎週配達に来てるらしくてな、たまたま会った」
「ほう……高遠は何故?」
「お前と俺の仮定が成立しているかも知れねェから、そっちの確認兼ねて」
 ストックボックスにあった焼菓子や米菓を木器に盛り、先に持ってくぞ、と軽く言ってリビングへ戻る疾風の背を横目に息を吐いた。
(……兄貴の仮定を聞いてないんだが)
今日はまだマシな方だろうか。
 苛立ちから起きた頭痛を抑えようと顳顬こめかみを押さえる。

実兄の傍若無人は今に始まった事ではない。
今迄にも相談なく唐突に行動を取ることは何度もある上に、自分が彼の行動を読めなかったからこそ解決した依頼も少なくはないのも確かだ。
今回も、犯人の疑いがある依頼主を呼んだとなれば、まるっきりの考え無しで動いてるのだろう。

(せめてもう一言くらい欲しいんだが…)
 呆れにも近い感情を溜息に込めてリビングへ戻り、カップを並べて疾風の隣へと腰を下ろした。
「あの、新堂さん。お隣の方は…」
「悪ィ、言ってなかったな。俺の弟の疾斗。仕事のパートナーでもある」
 疾風の簡素すぎる紹介に抗議する気さえならず、向かいへ座る姫築へと頭を下げる。
つられて頭を下げた男の顔を見れば、疲労が溜まっているのか青黒い隈が出来ており、時折頭を振って眠気を払う様子が見て取れた。
「さて、話を始めるぜ?起きた事が割と大事だったしな」
「お、おごと…?」
 サラリと言い流した疾風の一言を鸚鵡おうむ返しに呟き、高遠が青ざめながら唇を戦慄かせる。
 話が見えておらずとも事の大きさを拾ったのか、姫築がソファから降りて背を撫でようと手を伸ばすが、娘はそれを拒むように頭を振った。
「何が、あったんです…?」
「昨日の夜中、飛鳥が外に追い出されてたんだ」
「そんなっ!」
「ど、どういう事ですか!?」
 驚きの色を隠せない姫築の動転した声へ、昨晩起きた事のあらましを淡々と疾風が重ね、その横で疾斗は二人の様子をただ静かに見つめる。
「何で追い出されたかは俺らにも解らない。全部屋に監視カメラ付けてる訳でもなけりゃ、四六時中監視できる訳でもねェしな」
 子が自分の知らぬ所で危険に晒されていた事への驚きと苛立ちに、姫築が顔を歪めてうつむく。
 高遠も気持ちを落ち着けようとしているのか、青ざめた表情のままカップを両手で支えて紅茶を飲み、ソーサーへと戻す指先は震えていた。



**********
「──依頼を受けたにも関わらず、このような事態になってしまい、申し訳ありません」
 疾風からの一連の説明後、疾斗からの謝罪の言葉と共に二人が深く頭を下げる。
 大丈夫だ、と声を掛けようにも音にならず、ショックから震え続ける指先を握りしめ、深呼吸を繰り返して心臓の早鐘を落ち着かせようと試みる。

 緑髪の男が言う通り、住人が入る部屋へ監視カメラなど付けられるはずがない。
その上、二人が確認出来ない場所と時間で有事が起きていたとなれば、依頼されていようとも彼らにもどうすることもできないのも確かだ。
まして、彼らにも日常と他の職務がある以上、責めるのは筋違いになってしまう。
「あの、どうか…頭を上げて、ください…」
 未熟な免疫力の子どもが、寒く冷たい出入口で朝まで放置状態になっていたら、最悪の事態になっていた可能性もあるだろう。
 それを回避してくれた上に、看病してくれている状況で怒る気になるわけもなく、高遠は二人に声を掛ける。
「本当にもう良いです、お二方とも飛鳥のこと助けてくださっ─」
「良いわけないだろう!」
 高遠の言葉を遮り、飛鳥の父親である翔の怒声が部屋へと響く。
 顔を見上げれば、見たことのない激しい感情を剥き出しにした男の姿に思わず息を詰める。
勢い任せに立ち上がった翔の気迫に身体は萎縮してしまい、彼を止めようにも動けずに伸ばした手が宙に留まる。
「貴方達はっ、静瑠ちゃんに飛鳥を頼まれてたのに危険に晒したんですか?!」
「し……飛鳥、のお父さん、やめて…」
「…現状的には、そういうことになります」
「何をのうのうと!」
 子どもの危機を平然と話した疾風と、疾斗の返答で更に腹を立てたのか、理不尽な怒りが頭を下げたままの二人へと振り掛ける。
 自分の言葉は届いていないのか、顔をしかめて激昂したままの翔は、気配に顔を上げたらしい緑髪の男の胸倉を掴み上げた。
「依頼だったら、徹底的にやるものじゃないんですか!!うちの子が、死んだかもしれないんですよ!?」
 あからさまな八つ当たりの言葉に割り入って止めようにも、凄まじい怒気に全身が竦んでしまっている。
(私のせいで…こんな事に……)
怒り狂う男を止めて二人へ謝罪をしようと顔を上げるも、目前の状況に怯えて震えが止まらない。
 掴まれ揺さぶられるがままの疾風の足下へと目を向ければ、彼の眼鏡が落ちてしまっていた。
踏まれぬように手を伸ばし拾い、再度視線を上げてその横顔を見る。

話していた際は深い緑色をしていた筈の左目が、隣に座る弟の両目と同じ色に変わっていた。

「…高遠に責められンなら判っけど、何でアンタがキレるんだ?」
「開き直るなっ!!」
「別に開き直ってねえよ。依頼を頼んできた高遠が怒るなら正当だが、俺達に依頼していた事自体知らなかったアンタが怒るのはおかしいって言っただけの話だろ」
 静かに話す言葉とは裏腹に、翔を見つめるその目はぞっとするほど冷たい気配を携えている。
「だいたい、嫁さんの様子がおかしいと思った時点で、何でテメェで話を聞かなかった?」
 整合性を説かれ、言葉を失った姫築の返答を待たずに、男は目を眇めて矢継ぎ早に問いかけた。
「…それは……仕事が」
「訊けるのに訊かずに仕事してるテメェの気が知れねえよ。時間作ってるって言ってたよな。だったら何で飛鳥を部屋に戻すかぐらい、訊けた筈だろ?」
 怒声の消えた部屋に落とされる淡々としたその声は、翔の喉元へ見えない刃を突きつけている様にさえ感じる。
 睨み合う二人の隣で顔を上げた紫髪の青年は、事の成り行きを見届けようとしているのか、感情の見えない双眸を向けてただ見つめていた。
「家族を守りたいってんなら、仕事より先に見るべきモンあるんじゃねえの?」
「っ……」
 胸倉を掴む指の力が抜けたのか、疾風が手を払い襟元を直す。
 言葉に貫かれたのか翔は謝罪を落とすと、その場にへたり込み項垂れて呻き始める。
「…嫁も子供も守れなかった俺が言うのもなんだが、な」
(え……?)
 独り言の様な、懺悔のような呟きを落とし、疾風が寂しげに目を細める。
そしてゆっくりと息を吐くと、視線が此方へと向けられた。
「…慰めてやらなくて、良いのか?」
 思いがけない言葉に、首を傾げる。
 姫築へと向けられていた冷たい光は消え失せ、その左目には飛鳥の遊ぶテレビゲームでしか見たことのない、照準の様な紋様が浮かび上がっている。
「なんで、私が…」
「まぁキレられたのは予想外だったが、親父さんの気持ちもわかるしな。何より本当はアンタの方が怒りたいんじゃねェの?」
 疾風が声なく涙を流して項垂れている男をちらりと見る。
 息子の名と自分の名と共に謝罪を零し続ける翔の姿に胸へ痛みを覚えるが、怒り任せの理不尽な行為を行った相手を慰められる気にはなれず、高遠は首を振った。
「…実際、疾風さんの言う通り、です…し」
 平静を装いながらも答えを絞り出せば、意外だ、とでも言いたげに請負屋は片眉を上げる。弟の方へと顔を向けると、同じ顔をした紫髪の相棒は肩を軽く竦めた。
「…怒りたい相手が違うんだろう」
「え?」
「それもそうか」
「あの、一体…」
先程から何を言っているのか。
 問いかけようと口を開きかけ、高遠は二人の向こう側に小さな子どもの姿を見つけ、目を見開いた。
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