敬具

トオル

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冬の始まりを感じる頃、

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街から五分ほど歩いた所にあるのどかな村の東にある畑、その奥にはいくつかの家があるが周りの家に比べていくらか立派で小綺麗な建物がきっと来た人の目を引くだろう。

村の人の数だけ重ねられたファイル、清潔に保たれたボウル、消毒液に浸された綿。

男がピンセットでその綿を掴むと男の子の膝の獣のような毛を少し手で開きながら傷口へと押し当て、毛が絡まらないよう素早くガーゼを貼り付けてしまう。
男の子の犬のような耳は一瞬痛みでピクついたが、最後には嬉しそうにピンと立てて男にお礼を言って元気そうにまた外を駆け巡っていた。

「結構なお手前で」
「ここの男の子は元気なもんですから、慣れっこですよ」

ようやく取材を始められそうだからすかさず声をかけると、彼は男の子にしたような落ち着いた、優しげのある声で返してくれた。
本日の取材相手はこの男、小さな村の開業医であるエリックだ。

「いやいや…噂通りの実力が見れて良かったさ
獣族の擦り傷は毛が絡まって面倒って有名だからね、街まで名が通るだけはあるよほんと
俺だって毎回苦労してんだぜ?自分の傷に絆創膏貼るだけでさ」
「街までって…ただ擦り傷とか治してるだけなのにな…
病気も治してるのなんてカゼぐらいだし、有名になるような事はしてないさ」
「医者ってのは治療だけが魅力じゃないもんさ
病気の判断、声のかけ方、精神的なとことかね」
「治療だけじゃないねぇ…何だか照れるな」

そう、彼が噂になっているのは治療だけではないのだ。
我ながら綺麗な繋げ方だ。惚れ惚れしてしまう。
…繋ぎは完璧なのだ、だが中々口には出せないものだ。

「そうだよ…治療だけじゃない…治療だけじゃ…」
「でもそんなことを取材しに?」
とうとう来てしまった。言わねばならぬ。後には引けない。
「…やってる事が、治療だけでは無いんじゃないかい?エリックさんよ」


長い沈黙が流れる。彼は聞き返しても来なかった。
間違いない、何かがある。聞くしかないのだ。

「…あなた程の腕があるのなら街で働くべきなんじゃあないのかい?
街には困ってる人が沢山いるはずなんだからさ
まぁ、何か特別な理由がない限りはね…
なにか大きな隠し事だとか…王都から逃げたいだとか…知り合いから逃げたいだとか…」
「…何が言いたいんだ?」
「図星だろう。どこまでか?隠し事?逃走?全部か?」
「帰ってくれ。根拠の無い適当な嘘を言うために来たのかい」
「帰らないね。質問の答えになってない」
「根拠の無い嘘だと言っているんだ。早く帰るがいい」
「いや帰らないね。そんなに俺といるのが嫌ならその裏の部屋でも入ると良いんじゃないかい。誰もいれたことがないその怪しい部屋にね。」

彼の目の色が変わる。やはりだ。やはりあの部屋なのだ。悪い予感が的中した。だがまだ…まだ聞かねばならないことがあるんだ。

「あんたよく夜にその部屋で1人でコソコソ何かやってるらしいじゃないか。
しかも手術着をわざわざ着てまで…血みどろで…生臭くて…ああ怖い怖い」

彼は何も言わずにこちらを見ている。
あぁ…彼の夜の姿が今ならよく目に浮かぶ。
きっと彼は今の目で何人もの人を手にかけてきたのだろう。
体が動かない。それを隠すかのように口調がふざけて行っていたのを感じる。

「なぁ…あんたなんでそんな事をやったんだ。
あんな笑顔で男の子の怪我を治してたやつがとてもやつらを手にかけるとは思えないんだ。なぁ…あんたは…どうして…」
「手はかけてない、本当さ」
「君は勘違いをしているんだ。お互い何もかも忘れよう。
私はこの街の人には手を出していないんだ。」

彼が近づいてくる。目の色は変わっていない。

「いやだ…忘れるものかよ
忘れたくったって忘れられるものかよ…
なぁ…人を救いたいんだろ…エリックさんよ
…いや…テル…!!」

彼の目の色が変わる。これまで1度も見せていなかった表情。きっと動揺しているのだろう。
あぁ…本当にそうなんだ…
とうとうハッキリしてしまった。
彼は…この腕の立つ医者は…血なまぐさい殺人鬼は…あの冷たい目をした男は…
私達の英雄だった…テル…彼なんだ

「どうして…その名を…」
「間違える訳ないだろ…忘れるものかって言ったろ…?
あんたは英雄…俺らを吸血鬼から守った英雄の1人…テルだろ…?
その栗毛…穏やかな笑い方…歳をとっても変わんねぇんだな…ハハ…」

彼の動揺が驚きへと変わっていく。

「なぁ…やっぱりあんたなんだよな
人を救うために動いてたあんたなんだよな
お前ら英雄3人組は吸血鬼倒して、街救って、親玉ぶっ飛ばして、世界を平和にしてくれたんだよな」
「…」
「…そうなんだな」
「…」
「ならなんで!あんたはここにいる!
3人で親玉ぶっ殺して!3人仲良く王都で金喰って!
楽しく暮らせばいいじゃねえかよ!
なんでお前らは王都にいない!しかもお前はいないことになって!あいつら2人でぶっ倒したことになって!銅像が建てられ!そしてなんであいつらは消えたんだよ!」
「なんで俺らを救ってくれたお前らは!誰一人居場所が分からないんだよ!」
「…その前に教えてくれ…君は…一体…」

なんとか口を挟む隙を見つけすかさず声をかけてきたが、驚いたテルのか細い声なんかあの時の俺には気づく余裕がなかった。

「そんなお前を!記者を続けてやっと見つけたと思ったら!拷問だ殺人だ!?いったい───」
「質問に答えてくれ!」

テルがあげた大きな声に頭をガツンと殴られた感覚になる。
彼が声を張り上げたのは初めてで、優しげが残ってはいるが明らかに焦りがあり、切羽の詰まった彼の叫びには衝撃が…
というかほんとに殴られた時みたいな感じだ。視界が歪む。

「なぁ…君はいったい何者なんだ?
どうして知っているんだ…?
…どこまで…?」

あぁ、答えてやるさ。俺はお前に名乗る為に生きてきたのだ。

「俺は…ハンス
あんたが14年前に救った男の息子さ
あのふざけた吸血鬼が血液の塊をつくる計画を立てた時、その計画からあんたらが守ってくれた村の長の息子が俺だ。」
「…ラグザ村の…」
「あぁ…覚えてたんだな
そうさ、 あの時は凄かったらしいな?
世界中に被害が広がって人々が恐怖で怯える前に察知して迎撃、
世界にその計画が知れ渡る前に計画止めて、その勢いで親玉の所に攻め込むってんだ」
「でも─」
「そう、お前らは親玉ぶっ飛ばしてた後何故かあの村に言って情報が一切出回らない様にした」
「…」
「だけどな、病気で死にかけのじじいの日記にまでは手が回らなかったらしいな」
「…なるほどな」

落ち着き払ってはいるが彼の緊張や焦りが伝わってくる。
これまでとはまるで違い、まるで自分のもののように彼の感情が読み取れる。
むしろ俺が緊張しているかのようだ。彼の目を見ると手汗が滲む。鼓動が早くなる。

「それで…俺はあんたらのことを知った
親父は憧れてたよ、日記に事細かにあんたらの事を書いてた。
それを読んでるうちに俺もあんたらに憧れていた」

そう。俺はお礼が言いたかったのだ。
親父を助けてくれてありがとう。
街を、世界を救ってくれてありがとう。
そうやって何故か消えてしまった英雄にお礼を言いたくてこれまで探してきたのだ。
それぐらいどうしようもなく憧れて、これまでの人生を生きてきたのだ。

「なぁ…勝手だけど俺には知る権利があると思うんだ
知らされないって結構辛いんだぜ?
…なぁ…なんで隠したんだ?
そして彼ら二人はどこへ行ったんだ?」

「…知らない方がいいこともあるんだよ
…隠しておくべき事が」

あと一息だ。
あと一息で全てがわかる。

「いや。構わない。
結果がどうであれ知らなくちゃいけない。
これを知ろうとすることができるのはあんたを知っている俺だけなんだ。」

「…」

「俺が知らないまま終わった時、それは知られないまま、誰かを蝕むかもしれない。
俺が知らなくちゃいけないんだ。どんな結果であれ」

あぁ…憧れが、
消えた俺と親父の憧れが今3人全て───
「彼らは死んだよ」

…は?

「死んだって…は?
いつ───」

ドンドンドンッ!
力強くドアを叩く音がする。

「せんせぇー!!ずっと変な人と喋ってるけど大丈夫?!
死んだってなに?!!」

ああ…なんてタイミングだ…
訳が分からない。
視界が揺らぐ。
死んだって?
いつ?誰によって?どうして?
…どうして世界を救った男二人を?

聞かなくてはならない事が多くあるのにどうして今話題の…今なんだ!

「大丈夫ー。変なこと気にしちゃダメだよ」

先生…テルはあの優しい感じで答えているが───
「やっぱりここじゃ話せないな
あそこなら人も入らない」

テルは奥の扉を指さす。
あぁ。すっかり忘れていた。
こいつは、
憧れだった人は、
殺人鬼なんだ。

子供も本当に無邪気に聞きに来ただけかは分からない。
そもそもこれに乗じて逃げたとてその後どうなるか…
あぁ…俺の英雄2人もきっと…こいつに…

様々な思考をめぐらしたが逃げられるとは思えない。
とするならば、
全てを知って死にたい。
俺は、
扉に手をかけた。
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