ひなたちゃんは憑りつき鬼

尾崎

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 翌日の日曜は、土曜に比べてゆっくり過ごした。近場の地蔵を探しながら、気になった店に入ってみたりする休日は、いつ振りだろうか。相変わらずなにも変化がないひなたちゃんに、そのうちもっと大きいお寺に行ってみようと約束をして、一日の散策を終えた。
 前日の夜と同じような食卓を囲みながら平日の過ごし方なんかを少し話し合い、まだ結構早い時間にベッドに入る。明日はまた月曜で、長い一週間の始まりだ。

 翌日の朝は、先週の金曜と同じようにひなたちゃんは駅までついてきて、そこで別れた。電車は一人で乗ることになり、いってきますと告げた鬼になにも言葉を返さずに会社へ向かう。その途中でまた課長に会い、一言ふた言喋って、今日は私が先に会社へ向かった。
 そういえばひなたちゃんは課長が苦手みたいなことを言っていた。それはどういう意味なんだろうか。まあ私も別に課長のことは好きではないけど、と社員証を使ってゲートを抜ける。電子ロックの扉を開けて、静かなオフィスに入った。
「道明さん」
 おはようございますと言ったのは、同僚の声。同じ課の女性社員だ。
「高田さん」
 おはようございますと、同じように返す。早いですねと言うと、同僚の高田さんはなぜかいつもより1本早い電車に乗れちゃってと苦笑いした。
「そうだ、今日お昼一緒に行きません?」
 久しぶりに近くのパスタ屋さんでランチがしたいですと言われ、断る理由もないからそうしましょうと言う。他に何人か誘っておきますねと言うのに頷きながら、自分のデスクに向かう。
 同じように自分のデスクにつこうとした高田さんが、そういえばと言った。
「この間の土曜、道明さん見かけましたよ」
「え、ホントですか」
 どこでと聞くのも恥ずかしくて、私なにしてましたと妙な問いかけをした。まさか一人で喋ってましたと言われたら結構ショックが大きいぞと思っていると、私が普段使ってる駅でお見かけしましたと答えが返ってきた。
「ウチの駅、そんなにお店とかある場所でもないのでどうしたんだろうと思って」
 あるのはお寺くらいと言うのに、まあ近場の散歩をしてみようかと思ってとしどろもどろで返す。
「あ、有名なカレーのお店あるんですよ」
 お寺の他にと付け足した声にそこ行きましたと言うと、実は私まだ行ったことなくてと高田さんが言う。
「おいしかったですよ」
 野菜いっぱいのスパイスカレー。だけど普段帰りは終電近くでお店はやっていないし、たまの休日はせっかくだしどこか出掛けようと思って近場で過ごすのが少ないんですよねと苦笑いの表情のまま言った。
「もうちょっと時間に余裕があれば行ってみたいと思うんですけど」
「そうですよねえ……」
 いつ行けるんだろうと言ってるうちに課長がやってきて、朝の挨拶を最後にデスク周りは静かになった。

 それから普段通りに始業時間を迎え、週明けに積み上がった業務をただただこなす。ひなたちゃんには人助けをしたらどうかと言ったものの、どこでなにをしているのだろうか。
 人に姿が見られない身の上が少しだけうらやましい。私も存在するのにお金が必要なくて、人に見られることのない気楽な存在になりたい。
 そう思うと、普段から良いわけでもない手際が一層鈍る。この部署は課長もあんなだし、あまり気合を入れなくていい部分がある。だけどそのせいかおかげか、大したスキルも身につかないまま時間が経っていた。

 自分の仕事の遅さにうんざりしながらお昼の鐘を聞く。休み明けは余計に脳みその回転が遅いなあと一度伸びをすると、高田さんがもう一人の同僚と連れ立ってやって来た。
「道明さん」
 お昼行けますか? と聞かれ、ハイと答える。休憩中に外へ出るならパソコンの電源を落とすのが決まりで、慌ててファイルを保存しシャットダウンした。
 それからスマホと財布、社員証だけを持って会社のビルから出る。近くのパスタ屋さんにも行くのは久しぶりだ。同僚たちとあまり際どい話にならないように気を配りながら、それでも週頭の仕事のつらさを口に出す。
 2、3分で着いたパスタ屋さんは近くにオフィスビルや学校のないおかげですぐ入れる。テーブルについて一応メニューをサッと見てから、ランチセットのたらこパスタを選んだ。
「にしてもやっぱり、お昼外で食べるの良いですね」
 先週はお昼外に食べに行く余裕ないくらい朝から終電まで忙しかったしと言うのに頷きながら、運ばれてきたサラダにフォークを使う。私や高田さんは土日休めたけど、もう一人の同僚の長沼さんは居ても立っても居られず、休日出勤だったと言った。
「そしたら課長もいてびっくりしました」
「課長が?」
「ああ、でも課長って土日いつでも居ますよ」
 給料出ないのに休みまで毎日会社に居るんだと高田さんが言う。休日出勤した時も同じフロアにだれかしらいるからあまり気にしていなかったけど、そうなのだろうか。だとしたら課長、相当ヒマなんだろうか。
 休日くらい仕事を忘れて普通に過ごしたい。でも休日にやりたい趣味なんてあんまりないんだよなあと、昨日までの二日間をなんなく思う。私は結局お寺めぐりで休みを二日使ったのか。
「道明さんと高田さんは休みの日何しました?」
「私は映画行きましたよ。久しぶりにレイトショーじゃないの行きたくって」
 遅い時間だといびきかいて寝る人とか、わざわざ隣に座ってくる人とかいてせっかくの映画も楽しめなかったりするんでと言うのがうらやましい。映画かあ、趣味の定番という感じだけど、だからこそうらやましい。
 なに見たんですかと聞くと、海外のヒーローものですとさらりと答え、それ以上は教えてくれなかった。
「道明さんは近くのお散歩でしたっけ?」
 偶然見かけたんですよと高田さんが言うと、長沼さんがいいですねえと相槌をうった。
「私もこの会社入って引っ越してきて結構経つのに、まだ全然いいお店とか知らないんですよ。彼氏も普段は家で仕事だからこもりっきりで、時々くらい近場でいいからどっか行きたいです」
 休みにちょっと歩くのに良い場所あったら教えてくださいと言う長沼さんに、一緒に住んでる人いたんですか!? と聞いてしまった。するとアレ、言ってませんでしたっけと答えながら、一緒に住んでたほうが家賃の負担とか軽いんでと続ける。
 それにいいなあと言ってしまいそうなのを、目の前にパスタが運ばれてきたのもあってやめた。私はたらこ、高田さんはボロネーゼ、長沼さんはペペロンチーノと、それぞれのさらがおいしそうだ。改めていただきますと言って、今度はフォークにパスタを巻いた。

 お昼を食べ終わって、少しだけお茶を飲んでゆっくりしてから会計を済ませた。会社へ戻る道中にあれ、なんか忘れてるようなと思い手に持った財布とスマホ、胸ポケットの社員証を確かめる。うん、忘れ物はない。
 じゃあなんだろうと考えつつ歩いていると、なんだかお腹が痛くなってきた。なんだ、食べ過ぎだろうか。いや、そこまで食べてはいないはず。じゃあ何だろうと考えているうちに呼吸が苦しくなってきた。
「あの……」
 高田さん、長沼さんと、声を掛けようとしても、声が出ない。というか息をどれだけ吸っても苦しくて、過呼吸だろうかと一瞬息を止めようとした。
 息を吸っても止めても苦しくて、頭がクラクラする。あ、ヤバと思って、何か言おうとしても視界が暗くなって身動きもできなくなった。顔が冷たいのと、川の流れるような音がする。それとスマホを地面に落とした音も。
 スマホ落ちた、拾わなきゃと思っているうちに頬の冷たさが全身に広がる。そのうちに顔が冷たいままも考えらなくなってきた。
 思い出した、お昼ご飯、ひなたちゃんにお供えしてなかったんだ。
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