ひなたちゃんは憑りつき鬼

尾崎

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 久しぶりにぐっすり眠ったような気がする朝、目を覚ますと晴れた空が目に入った。廊下などは活気があり、騒がしいというほどではないが頭をはっきりさせるにはちょうど良いくらいだった。時計を見てみると朝7時半、普段よりもすこし遅い。
 そんなに寝不足とかではなかったはずなんだけどなあと思いながら、いつの間にか外れていた点滴のあとを眺める。昨日の昼も夜もひなたちゃんにお供えものをしておらず、ちょっと悪いことをしたなとぼうっと考えていた。
 8時になると朝食が運ばれてきて、体調を聞かれたり体温計を渡されたりしながら、一応昨日打った頭の怪我の具合などを見てから昼過ぎには退院ですと看護師さんは言った。
 それなら明日からまた仕事、明日は水曜だしまだまだ今週は長そうだ。もう少し入院していたいような、ただ休みが欲しいだけのような気持ちで出された朝食を食べる。ひなたちゃんがどうしているのかわからないのもあり、なんとなく病院の朝食はお供えせずに食べた。

 昼過ぎ、ぼやける視界の中で検査などの一連のことを終え、ぼやける視界の中で母が着替えと一緒にやって来るのを待っていた。昨日の処置の間にコンタクトレンズを処分されてしまったそうで、極度の近視の私には、世のなかのものがはっきりとは見えないのだ。
 ぼんやりとした視界で病院内をうろつくわけにもいかず、出入り口の近い中庭で涼んでいた。母にはメッセージを入れてあり、着いたらまっすぐ来てくれるはずだ。
 それにしても、と昨日からしていた紙のリストバンドを眺める。医者にも言われてしまった、仕事は体を壊さないようにするのが前提だと。
 頭の怪我も、打ちどころが悪かったらどうなっていたかわからない。無茶して働いても、自分のためにはならないのだ。
 仕事もまあ、辞められたら良いけどなあとぼんやり思う。でも転職した先が合うかわからないし、そもそも転職活動をする時間がない。しようと思ってもスキルだってないんだし、と思うとやっぱりもう少し入院していたくなる。でもこれ以上家賃と入院費用ダブらせると、自分の首をしめることになるか。
 世知辛えやと、さっき買ったペットボトルのお茶を一口飲む。夏に近づく匂いが、風に乗って香った。
「ミヤコ」
 お待たせと、聞き馴染みのある声が言う。振り向くとぼやけた姿の母と、やけにはっきり見える気がするひなたちゃんがいた。
「着替えと眼鏡、持ってきたよ」
「ありがとう」
 眼鏡ないとなにも見えなくてさと、座っていた椅子から立ちあがる。ケースから出した眼鏡を渡され、それをかける。数回瞬きをして、ものがはっきり見えるのに感動した。
「部屋、結構綺麗にしてるじゃない」
 田舎のあなたの部屋なんてすごいことになってるんだからと言われ、実家の部屋はこんど片付けに行くからそのままにしといてと苦笑いする。地震が来るたび、ミヤコの部屋のもの倒れてないか見に行くんだからねと言われて、スイマセン……と言葉をなくす。
「あとは何か残ってるの?」
「ううん、着替えして、精算したら帰って良いって」
「そう。じゃあここで待ってるから」
「うん」
 そう言って、私が今まで座っていた場所に座った母から、今度はひなたちゃんのほうに視線を移す。そして一瞬だけ視線を合わせたあと、着替えをしに向かった。

「ミヤコさん」
 私、すっごい心配したんですよ! と二人になった途端大きな声で言うひなたちゃんに、スマホでゴメンと打ち込んで見せる。着替えを終え会計窓口で精算を終えると、気になることが出てきたらすぐに病院に来てくださいねと窓口の人が言うのに被せて、昨日部屋に帰ってきたら居たのが知らない年配の女性だったのに驚きました! とひなたちゃんが言う。
 それにわかりましたと言いながら母をピックアップしようと中庭へと足を向ける。そして周りの人に聞こえないように注意しながら、私も驚いたと言った。

 それから母と一緒に部屋に戻り、今の仕事続けるつもりなのかなんてこの一日で沢山の人に言われたのと同じ問いを投げかけられながら、午後3時過ぎには母は帰って行った。部屋の戸を閉めつつ近いうちに電話するからと言うのに頷き、扉が閉まるとすぐに鍵を締めた。
 聞こえる足音が遠ざかっていくは扉の前で、その音を聞く。面倒で、家族というのが結構苦手で、だけど人柄としては好きな母に、どうしようもない郷愁が襲う。帰りたいな、しばらく実家でのんびりしたいな。
 でも今こうやって思うのも、ただのないものねだりなんだろうなと思う。
 気付くと足音はもう聞こえなくなり、大きく息を吐きながらワンルームの部屋に置いたベッドへ横になった。
「ミヤコさん」
「ひなたちゃん……ごめん」
 昨日のお昼からなにもお供えしてなくてと言うと、そんなのは全然良いですけどと眉尻を下げた。
「昨日なにがあったんですか?」
「なにっていうか、不養生で倒れたみたい」
「不養生で……」
 そんな風には見えませんでしたけどと言うのがなんとなく不躾で、つい笑えて来る。
「私も不養生だとは思ってなかったんだけど」
 でも実際倒れていて、医者にも過労と言われた。
「まあゆっくり考えるよ」
「そうは言っても……心配です」
 まあ心配してくれるのはありがたい。いますぐでなくとも、少しずつゆっくり変えていくからと言うと、ひなたちゃんはハイと反射的に頷いた。
「ねえ、ひなたちゃん」
「なんでしょう」
「私に憑りつくの、もうやめて」
 そう言ったのに対して、ひなたちゃんはなにも言わなかった。そこに立ちすくんだまま、出て行く気配もない。それでいいのだ、出ていこうとするなら、慌てて止めなければ行けないところだった。
「憑りつくのはやめて、一緒に暮らすの」
「……暮らすんですか」
 一緒にと、あまり飲み込めていない感じでひなたちゃんは繰り返した。そう、と頷き、ベッドから起き上がってひなたちゃと向き合った。
「私にはあなたは救えない」
 それに、多分誰に憑りついてもひなたちゃんを救ってくれる人は居ない。救ってくれる人はいないから、自力で救われて欲しい。それまでの間は一緒に暮らせばいいのだ。昼の間は互いのやるべきことをして、夜になったら同じ部屋に帰ってくる。互いになにか助言をしながら生活していくのはどうだろうか。
 そう問うと、ひなたちゃんは尚も躊躇うような表情をしていた。
「人と一緒に暮らすっていうのが、私にはよくわかりません」
 憑りつくのとなにが違うんですかと聞かれ、まあそれは私もよくわからない。だからとりあえず家事分担が増えることなどと言っておく。
「つまり、お客さん扱いはしないってこと」
 私にはあなたが見えている。ポルターガイスト流でもできることがあるのだから、そのできることをやってもらう。それでどうかと聞くと、少し考えさせてくださいと言ってひなたちゃんは部屋から出て行った。
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