イサード

春きゃべつ

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迷いの森 ユーダ

黒狼蜘蛛

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 二度目の混乱をもたらした魔物の襲来は、周囲の手を借りそれらを結界内へ誘い込む事でひとまずの収束を得た。

 がらんどうになった広場の片隅には、格闘の痕跡が散らばっている。

 雲間から顔を覗かせた月の光が、二つの人影を浮かび上がらせていた。

 自身の背丈程もある大きな杖を抱える華奢な少女と、側に控えるスラリとした長身の男の姿だ。

 彼らが見つめる先には、幾重にも張り巡らされた半球状の透明な壁があった。

 出現した時よりも薄くなった壁の向こうでは、目を爛々とさせた魔物が蠢めいている。

 それは、大蜘蛛の体躯からだに獰猛そうな狼の頭という、奇怪な姿をした魔物であった。

 長い八本脚をせわしく動かして、牙を剥き低く唸り声をあげる様は不気味としか言いようがない。

 奴等は執念深く、内と外とを隔てる壁へ突進を繰り返していた。

  幾度もの衝撃を食らい、壁の一部が稲妻のような亀裂を走らせパリンと弾け飛ぶ。

 瞬間少 女シンシアの肩が、ビクリと震えた。

 狙われた獲物のようだ。

 視線を外す事も叶わぬまま、大杖を握りしめる両手が血の気を失い白くなっていく。

 ひび割れた丸眼鏡の奥では、淡 緑 色ライトグリーンの瞳が恐怖と緊張の色を宿す。

 綻びが出始めている。

 負担が大き過ぎるのでは?

 ほんの少し眉間に皺を寄せ、ルディウスはグイと銀縁眼鏡を押し上げた。

 自ら生み出した結界へ向き直ると、両手を翳す。

 主のものとは違う種のチカラ。

 ほんの少し手間取りつつも、結界を縮小させ歩を進めていく。

 崩れかけの橋の袂まで追い詰めたところで、動きを封じられた魔物達が口惜しそうに一層低く唸り声をあげた。

 ここまで来れば大丈夫だろう。

「準備は宜しいですか?」

 問いかけにコクリと頷くのを確認して、自らの手の甲に指を滑らせる。

 走らせた文字をフッと短く吹き飛ばす。

 結界の天辺に小さく空間が開いた。

「今です」

「は、はい!」

  震える声で応えたシンシアが、胸元に握り締めていた大杖をばっと振り上げた。

「お、大人しく召されて下さぁあいっ。ヴォ、ヴォトランガージュッ!!」

 自身の希望と教えられたままの言葉を叫びながら、両手を勢いよく振り下ろす。

 魔物ひょうてきへ向けられた杖の先から、眩しい程の光が溢れ出した。

一筋の閃光が生じ、次いで囲いの中を縦横無尽に駆け巡る。

 つんざくような轟音と、焼け焦げるような異臭。

 そして断末魔のような咆哮が、辺りに響く。

 自ら放った術に驚いたのか、混乱と共に悲鳴が続いた。

 「いぃやぁあ!こっちこないで下さぁあい!!」

 涙声で叫びしゃがみ込んだまま、片手で握った杖をブンブン振り回す。

 めちゃくちゃに振られた杖の先から新たないかずちが生じ、乱れ飛び、一帯は混沌と化していく。

 ようやく閃光が収まった頃には、辺りは煙幕の如く舞い上がった粉塵に包まれていた。

 未だ晴れぬ視界の先を呆然と見渡す。

 ハッと我に返り、ルディウスは再び指を走らせ結界内に風を起こした。

 残った粉  塵じゃまものを一気に蹴散らし、現れたその光景に言葉を失う。

 静けさに降り注ぐ月光が、風に煽られふわりと舞う長い銀髪を煌めかせる。

 恐る恐る瞳を開けたシンシアが、表情をぱっと輝かせ立ち上がった。

「や…やりました。ルディウスさんっ!倒せまし…」

 背後に控えるルディウスに、興奮気味に報告をする。

「…あの……ですが……」

 その明るい声は、すべてを伝え切る前に尻すぼみになって消えてしまった。

 放たれた雷は広場を襲った化け物のみならず、修繕中の石材をも吹き飛ばしていた。

 予想外の威力に、我知らず目が釘付けになってしまう。

「跡形もありません……」

 思わず漏れ出た言葉をルディウスは少し悔いた。

 躊躇いがちに向けられた視線が、「ですよね」と暗く沈んでいく。

「で、ですが……死者は、出ませんでしたし…」

 ぎこちないフォローの言葉も虚しく、すっかり彼女はしょげ返ってしまった。

 如何したものかと考えを巡らせ、そう言えばと向き直る。

「……平気ですか?」

 唐突に問われて首を捻るシンシアに、逡巡しこれでは言葉足らずですよねと唸る。

「大きな術の使用は、消耗が激しいものです。…ご気分はどうですか?」

「あ。……あの、はい。平気…みたいです」

 どうやら心配されているようだと気付いた彼女が、コクリと頷く。

 叫び疲れてはいるようだが、どうやら術の消耗には実感がないようだ。

「反動が出ないとも限りませんから、異変があればおっしゃって下さい」

 そう念を押す。

 熱量が大きい分、攻撃系の術はチカラの消耗も激しい。

 後になって緊張が解け、気を失いそのまま寝込んでしまうという事もあり得るのだ。

「緊急とはいえ、無理をさせてしまったかもしれません」

 神妙な顔で頭を下げられ、シンシアはとんでもないと首を横に振った。

「……ぃ」

「……?」

 足音に気付いて、顔を見合わせる。

「ルディ、嬢ちゃん。そっちは無事か!」

  耳慣れた声に振りかえると、暗がりに溶け込むような黒髪を風に靡かせ、こちらに手を振る青年の姿が見えた。

 手には借り物だろうか鞘に収まった剣を携え、少し慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。

「……オメガさん!」

「おう。凄い音がしたけど…平気か?」

「そう思うのなら、もう少し早く来て欲しいものですね」

「そう噛みつくなって。こっちも…」

 八つ当たりじみているとは知りつつ投げた言葉に、彼は顔を顰めた。

 だがそれは束の間。

 場の惨状に視線を移した途端、顰め面は解け、なんだこりゃとばかりにポカンと口が開く。

「数匹相手にずいぶん派手にやらかしたもんだなぁ。何があった?これ、修繕出来んのか?」

「オメガっ」

  元も子もない発言に、他人の事は言えないが思わず語気が荒くなってしまう。

「ん?」

「あ…あの……す、すみません」

「…なんで嬢ちゃんが謝るんだ」

 縮こまってしまった少 女シンシアに、心底意味がわからないと不思議そうな表情を浮かべている。

 術に疎い彼には仕方のない事かもしれないが、少し察して欲しいところだ。

「まったく…」

 呆れてジトリと視線を向けると、「なんなんだよ」という顰め面が返ってくる。

 いつも口煩く言ってしまうが、気兼ねなく言えるという事は有り難い事なのかもしれない。

「協力していただいたんですよ」

「は?」

「魔物を倒したのは、彼女です」

「……じゃ何か。…これ全部?」

「え、ええ…」

 頷いたのは、シンシアの方だ。

 どこか申し訳無さそうに頷く彼女に、意外そうな表情を浮かべ「そりゃ凄いな」と感想をもらす。

 「どんな術だったのかは知らないが、威力は充分なようだな。」

「ええ。結界を張るのにチカラを借りた上、この威力ですからね。元々持っているチカラの容量が大きいのでしょう。制御できれば、相当な使い手になれると思います」

「へぇ…」

 彼の口の端が、ほんの少し上がった気がした。

「お前がそう言うならよっぽど凄いんだろうな、嬢ちゃん。意外とやるじゃないか」

「へ?」

 予想外の言葉に「はぁ…」と、少女が戸惑いの声をもらす。

 最終的に褒められた形になったようだと知って。

 シュンとしていた表情が複雑に変化し、赤く染まった。

 浮上した彼女の様子にほっと胸を撫で下ろす。

 かわりに視線を、オメガの背後へと彷徨わせた。

 気づいた彼は、「そうだった」と話を切り出す。

 その表情は硬質なものへと、切り替わっていた。

続く。
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