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第14話

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「私は広告や宣伝の仕事がしたくて短大に入ったの。
 学びたいのと、早く仕事がしたいのとを考えての短大。広告の仕事がしたいと思ったきっかけは、小学校の時だったと思う。
 友だちのいいところを発表しよう、みたいな授業で、私はその子の性格のいいところはもちろん、手先が器用なところとか、かわいい動物の絵が描けるところなんか紹介して、クラスの子がすごく興味もってくれてその子に注目が集まったの。
 シャイな子で自分から人の話しに混ざりにいける子じゃなかったから、友だち増えて嬉しいそうな顔が見れてとても嬉しかったな。
 よくその子のことを見てるねって、先生にも褒められて、他に得意なこともなかったし、得意げになってた。
 自分では独創的だったり、画期的な商品や作品を作り出せないけど、人の作ったもののいいところを見つけて、紹介して、広める手助けがしたいと思い出したのは高校生くらいだったかな。
 将来したいことを考えた時に小学校の発表を思い出して、これかなって。
 会社に入って、したいと思ってたような仕事は結局できなかったけれど、でも今こうやって、次にしてみたいことに向けて勉強して、結果オーライかな」
「俺も人の助けになるような仕事したいなぁ」
 瞳を輝かせる広海くんが少し羨ましい。
 私はもう純粋にそんなことを思っているわけじゃないし、お金を稼ぐことが大事だったりもするし、希望だけで何かを決められない。
「何をするにしたって、まずは目の前の勉強ですね」
 広海くんの言葉で私たちはお互いの机に向かい、それぞれ勉強を始めた。
 パソコンに向かいながら、さっき話したことを思い返す。
 一人で立つかぁ。
 仕事をクビになってから崩れ落ちてた。仕事辞める前は大石さんに依存して寄りかかって、その前はただ仕事に依存してた。ただ仕事に打ち込むだけで他をないがしろにしてた。
思えば自分の足でちゃんと立つなんてこといつからか考えてこなかった。
 目標目指して取り組んでいくうちに、反対押し切って実家を出て、一人で暮らすことが寂しくなって、それをまぎらわすように何かに没頭していることが当たり前になった。一人でちゃんと生活したいって思っていたのに、いつの間にか何も見えなくなってただがむしゃらにもがいて生活を保っていただけ。
 もっとかっこいい大人なってると思ってた。広海くんの年の頃は。
 今からでもまだ遅くないかな。ちゃんと自立したかっこいい大人になれるかな? なりたいな。広海くんがこんなにも頑張っているんだもの。それに見合うくらいの大人の女性でありたい。

 肌寒い日が多くなり、秋を感じる今日この頃。私は在宅での仕事に挑戦しだしていた。
 パソコンの画面に集中しているとスマートフォンが震える。
 平日の昼間。継続的に振動音を立てているスマートフォンにため息が漏れてしまう。
 最近母から頻繁に電話がかかってくるようになった。春に仕事をクビになったことは伝えている。
 その時もしばらく電話は頻繁にあったものの、次の仕事見つけるし、こっちでまだ勉強したいことがあると押し切った。実際そんな気力なかったが、すぐに実家に帰ることは避けたかった。
 大きく息を吐いてスマートフォンを手に取った。今出なくとも、どうせすぐにまたかかってくる。嫌なことを先延ばしにしても、もっと嫌になるだけだ。
「もしも……」
『やっと出た。どうなの?仕事は決まったの?』
 もしもしもいわせてもらえず、せかせかと言葉をぶつけてくる母に、すでに疲れを感じつつもなんとか返答する。
「まだ決まってないけど、勉強も捗ってるし、そろそろ仕事の指針が決まりそう」
 私の言葉の後に大きく息を吐く音が聞こえてくる。
『指針が決まりそうって、あなたが指針立てただけで、仕事が決まるものでもないでしょうに。そっちでまだ仕事決まってないなら、戻ってきて女将をして頂戴』
 まただ、またこれだ。
「私にはその仕事向いてないってば。美帆がいるんだし、それでいいじゃない。人は足りてるんでしょ?」
 母自慢の妹の名前を出し、なんとかのがれようとするも、母の声は必要以上に追ってくる。
『美帆はもう立派な女将よ。何も心配ないわ。私はただ華帆が心配で……』
「もぉー、わかってるってば。ちゃんと考える。また連絡するから、じゃあね」
 自分がされたら嫌なくせして、母の言葉に声をかぶせ、返事も聞かずに電話を切った。
 スマートフォンを伏せて、椅子の背もたれに体をあずけ、大きくため息を吐く。
 わかっている。ちゃんとわかっているとも。
 母が離れて住む職のない娘が心配なことも独り身男っけなしで、今だけでなく将来もあんじていることも。
 五年前に出た家を思い出す。
 勉強が忙しいが、仕事が忙しいに変わっても、それを理由に一度も帰らなかった。
 家が嫌いなわけじゃない。父と母が営む旅館はそれなりの歴史と知名度を持ち、それなりに繁盛している。
 娘の私がいうのもなんだが、温かい接客、おもてなし、古くも手入れと掃除が行き届いた温もりある建物は、誰におすすめしても恥ずかしくない宿だと思う。
 母は心配症のお節介焼きで、自分の近く、目に見えるところに娘たちを置きたがった。
 女将を継いで欲しいというよりは、助けられるところにいて欲しい。
 だから、広告の仕事がしたい、家を出て遠くの大学に行きたいといった時は猛反対された。説得するのに青春潰して猛勉強して、私の本気をわかってもらうのに苦労したな。
 家から通える同じ系統の短大を母は探してきて、ここにしたらと説得されても、首を縦には振らず自分の決めたところを押し通したのは、家から通いだした時に仕事もあるはずの母に何から何まで勝手に世話されるのが嫌だって思ったからだ。
 今思えば、遅い反抗期のような、子供っぽい意地だ。母の世話焼きが鬱陶しかったのもあったと思う。
 家を出ない方が楽だったなと思う。大石さんにも出会わなかった。汚れずに済んだかもしれない。
 でも、家を出たいと思った時の私は、ちゃんと自分で自分のことができるようにしたい、できるようになりたいと、決意していた。世話焼いてくれる人がいると、どうしても自分でしようとせずだらけてしまう自分の弱さがわかっていたから、家を出ることを選んだ。
 思い返せば、広海くんと同じ年の頃の私の方がしっかりしている気がしてしまう。
 自嘲的な笑みを漏らし、私は頭の中を目の前のパソコンに切り替えようとする。
 今は目の前のことを片付けよう。身の振り方はもう少しだけ後に考えるとして、とりあえず、まず自分がこれからどうなりたいか考えよう。
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