4 / 81
3.ネコになる
しおりを挟む
「――おっしゃっている意味がわからないのですが」
「正気ですか?」
不自然に低くなった声で尋ねるのは、2つの人影。
人の形はしているが、その実「人間」ではない。
よく見れば彼らの耳は人のそれより細く尖っているし、瞳孔も細長い。
第一、濃紺や淡い水色の頭髪など人間の持ち得る色ではないし、唇の間から時折ちらちらと覗く鋭い牙も、人間にはないものだ。
八重歯っていうレベルじゃないよね、と観察しながらスノウは思う。
「狂気の沙汰としか思えません」
濃紺の髪をした人物が吐き捨てるように言った。
黒っぽい上下を纏った、一見したところ10代後半の青年風。ヒトではないので実年齢はわからない。
「……アイシャ、口を慎みなさい。無礼ですよ」
落ち着いた声音で諫めたのは、アイシャと呼ばれた青年の隣に佇む人影。
こちらも人外なので実年齢は不明だが、同じく10代後半の青年に見えた。
腰まで届こうかという長い水色の髪を緩く束ね、黒っぽい長衣を纏っている。つま先まで覆う長い衣服は、それだけでやたら重そうだ。
「っ、なら! なぜですか?! なぜここに人間がいるんです!」
ぎゃんっとばかりに吠えたアイシャが、音が聞こえそうなほどきびきびした動きで部屋の一角を指差した。
部屋の隅にぽつんと置かれた椅子。
座っているのは、スノウである。
「ああそれは、あいつが城に乗り込んできたからだ」
当然だな、と軽く答えるのは緋色の髪、赤い瞳の美丈夫。
いかにも値の張りそうな革張りの椅子に腰かけ、重厚な書斎机に頬杖を突いている。
そう、つい先ほどまでスノウと対峙していた、皮膜の翼をもつ魔物である。
魔物めいた険悪な表情はどこへやら、今はずいぶん機嫌よくにこにことしていた。
「そんなことは知ってます! アレが勇者だということも! 俺が言いたいのはその勇者がなぜ、生きたままここにいるのかということです!」
魔物と勇者はいわば天敵である。
決して相容れない、戦い殺しあう宿命の存在。
その相手がこのように……瀕死な訳でも捕えられているわけでもなく、至って普通に鎮座していたとすれば――その心中や如何。
「殺さなかったからな」
アイシャの心中を知ってか知らずか、赤い魔物は呑気な返答をした。
「エル様っ!」
とうとう堪忍袋の緒が切れたらしいアイシャが怒鳴る。
その黄金色の双眸は今にも炎を噴かんばかりだ。
けれども、彼の剣幕に大した反応もみせず、エルと呼ばれた赤い魔物は己の頭をわしわしと掻き毟った。
「まぁそう怒るな。なんていうか……気まぐれだ」
「気まぐれ……」
あからさまに適当な言葉を返されて火に油かと思いきや、アイシャはそう呟いたまま沈黙した。
「お前たちも知ってるだろうが、アレはちょっと毛色が違ってる」
エルの言う「アレ」が自分のことを指していることは分かっていたから、スノウは思わず身を固くする。
彼の台詞から察するに、スノウが戦闘中ほぼ逃げ回っていたという事実は、どうやらこの城の大部分の魔物が知るところであるらしい。
そう気付いて、さすがに情けない気持ちになった。
「せっかくだからアレをネコにしようと思う」
「……」
「……はい?」
たっぷり5秒は間をおいて、アイシャが聞き返した。
水色の髪をした青年は、黙って軽く首を傾げている。
やはり同じ魔物とはいえ、エルの発言は理解できないらしい。
人間だが同じく全く理解できなかったスノウは、彼らにちょっとしたシンパシーを感じた。
「ネコ、というと……エル様、もしやまだ諦めてらっしゃらない?」
水色の髪を揺らして、青年が問う。
「いや、諦めた。お前たちの言うように、確かにネコとは相性が悪いらしい」
「それはそうですよ。ネコは我々の気配に敏感ですからね」
「私たちとしても、なるべくならあの生き物には近寄りたくありませんし」
彼らの口から飛び出すネコ談義に、スノウは意外な思いで耳を傾ける。
ネコは魔除けになるとされているのがスノウの世界の常識であった。
とはいえ、黒いネコは魔物に近しいとして好まれない。その為人々はなるべく白に近い色のネコを飼う。聖なる場所と決められたところでは、白いネコが飼われていることが多かった。
スノウは常々思っていたのだ。
黒いネコが魔物に近いなら、ネコ自体も魔物に近くても不思議はないと。
だから「魔除け」というのは単なる迷信で、ネコはちょっと不思議なだけの動物なのだと。
けれども今こうして耳にする限りでは、どうやら多少なりとも魔除けの効果があるようだ。
魔物の気配に敏感で、且つ魔物のほうもネコを毛嫌いするとなれば、魔物対策としては申し分ないだろう。
「けれど、諦めたと仰るならなぜですか? あの人間とネコとどう関係が?」
アイシャがもっともなことを口にした。
「ネコは俺と相性が悪いだろう? だから本物のネコはダメだ。だが本物のネコでないなら」
そこまで言って、エルはにやりと不敵に笑った。
その言わんとすることを正確に理解した二人の魔物は、さっと顔を強張らせ――
「「ダメです!」」
声を揃えた。
予測の範囲内だったのだろう、エルは余裕の笑みを崩さない。
「なぜだ? 本物じゃないからお前たちも大丈夫だろう? 俺はネコが飼えるし……」
どうやらエルは「ネコが飼いたい」らしい。
そして本物のネコは飼えないから、代替案でスノウを飼うことにしたのだ。
スノウはそこまで考えて、微妙な気持ちになる。
確かにスノウは逆らえない身の上だ。
縛られてこそいないが、捕虜のようなものである。しかも命の保証がない。生き延びるには相手の言うままになるしかないのだが。
それにしてもよもや自分が「飼われる」とは。
言葉だけ見るとずいぶんと情けない上に……どこか卑猥な感じがするのは自分だけだろうか?
そんな緊張感に欠けることをつらつらと思い悩んでいるスノウの目の前で、ネコを飼うの飼わないのと舌戦は続いている。
「ならばどうしてあの人間なんですか! ネコの代わりなら、もっと違う生き物でもいいでしょう!?」
至極もっともなことをアイシャが言った。
「貴方の力なら、小型の竜をネコにすることも可能でしょう?」
水色の髪の青年が、落ち着いた声音で諭す。
その言葉に束の間エルは無言になった。
机から身を離して、椅子に背を預ける。
「……どうだかな、それよりはアレをネコにする方がずっと楽なんだが」
言って、ぼんやりした表情のスノウを指さす。
「無害そうだし」
仮にも勇者が魔物に言われていい台詞ではない。
「確かにそうですが、アレはただの人間じゃないんですよ、勇者です!」
「ただの人間と変わらないけどな? 魔法使えないしヘタレだし」
「ヘタレでも勇者は勇者ですからね……人間どもが黙ってはいません」
――ものすごく、情けない。
これにはさすがのスノウも軽く落ち込む。
軽んじられている、というか完全に馬鹿にされている。しかもそれが間違いでないという自覚があるから尚更辛い。
「知られなければいいだけの話だろう」
「……勇者の仲間は逃げたと聞きました」
スノウの脳裏に、メリルとフレイの顔がよぎる。
2人は今頃どうしているだろう。
一瞬、助けがくるだろうかと考えた。
だがその結論が出るより早く、エルの苦笑が聴こえた。
「大方、勇者は死んだと思ってるだろうさ。これだけのヘタレが生き残れると思うか? まぁ復讐にくることはあっても、助けには来ないだろうな」
ずばりと胸の内に切り込まれて、スノウは更に落ち込んだ。
彼の言うことは恐らく正しい。
あの状況で、逃げ遅れた勇者が生きているなどと誰が思うというのか。
スノウ自身、死を覚悟したのだから。
「この程度で勇者だというなら、復讐に来たところで返り打ちにできますけど……本っ当に、本気ですか?」
アイシャが、渋面で尋ねる。
その言葉に頷いて、エルは書斎机の引き出しを漁る。
「本物連れてくるよりはマシだってことで、諦めろ」
「どっちがマシかは疑問ですが」
「お前たちネコは苦手なんだろう?」
「ネコは嫌いですが人間はもっと嫌いです」
「そうか。でもアレは今からネコになるんだしいいよな」
「人間に変わりはありませんが?」
ついでに嫌いであることにも変わりない。
アイシャの言外の言葉をさらりと流して、エルは「あった、あった」と言いながら引出しから何かを引っ張り出した。
そんな魔物たちのやりとりを落ち込んだ気分で眺めながら、スノウはふと思う。
先ほどから「ネコにする」とエルは言っているが、どういう意味だろう。
スノウは比喩的な意味に解釈をしていたが、それにしては彼らの会話がおかしい。
竜を猫にする、なんて表現をするだろうか?
竜は竜だろう。竜を飼う、或いはペットにすると表現はしても。
「これでいいな、うん、ちょっとこっち来い」
ぼけっと眺めていた先で、エルが手招きをした。
その表情はにこやかで、赤い髪と赤い目でさえなければ、爽やかな好青年にしか見えない。
勿論ご機嫌なのはエルだけである。
その後に向けられた二対の視線は、殺意すら孕んでスノウを射抜いた。
びりびりと全身を刺す殺気に、思わず泣きそうになる。
それでもなんとか堪えて、ゆるゆると腰を浮かせた。
「――まったく、本当にヘタレだな、おまえ」
スノウが今にも泣きそうなことに気付いて、エルが呆れたように溜息をつく。
片手を空間に伸べて、小声で何事かを呟いた。
痺れたような感覚がしたのは、一瞬のこと。
何か魔法の類をかけられた、と気づいたのはその直後。
そして瞬きひとつの間に、スノウの目線はだいぶ低くなっていた。
あれ?
思わずそう呟いて、
「にゃあ」
と、声が出た。
「これはまた」
「よりによって白ネコですか」
二人の魔物がスノウを見下ろしたまま、呆れた口調で言った。
白ネコ?
どこに?
なんとなく嫌な予感はしていたが、それでもスノウはきょろきょろとあたりを見回した。
ずいぶんと目線が下になってしまい、景色が様変わりしている。
視界にはネコの姿はない。
更に増した嫌な予感に後押しされ、視線を落とした。
白いふわふわしたものが目に飛び込んでくる。その先には真っ白な毛で覆われた獣の足――ネコ科の。
急速に血の気が引いていく。
酸欠に陥った脳が思考を放棄し、そのまま意識まで手放そうとしたその時。
「成功だな。我ながらいい出来だ」
満足げな、弾んだ声がした。
目をあげると机の向こうでエルが満面の笑みで手招きしている。
片手には赤いリボン。
その先端で揺れる銀色の鈴を見た瞬間、スノウの脳裏で何かが弾けた。
「わっ」
「!!」
二人の魔物がさっと脇によける。
その間をすり抜けて書斎机に飛び乗ったのは、白いネコだ。
「元」がスノウだとは思えない身のこなしで赤いリボンに飛びつく。
エルは笑みを崩さないまま、その首根っこを掴むとぶらりと持ち上げた。
「……それ、まんま猫じゃないですか」
アイシャが顔を引きつらせて指摘した。
にゃあにゃあと鳴きながら手足をばたばたさせている白い生き物を、嫌そうに見つめる。
「まぁ近いな。ネコの本能に勇者の人格が負けたんだろう、ヘタレだから」
あっさりと酷いセリフを吐いて、人差し指を暴れるネコの額にあてた。
「起きろ、"スノウ"」
不思議な響きを込めた言葉に、ネコは束の間固まった。
やがてぱちぱちと瞬きをして、「にゃあ」と鳴いた。
「勇者、なんですか?」
水色の髪の青年が、無表情にネコを覗きこむ。
「ああ、中身は人間だ。ネコの方は封じたから」
エルは白ネコをそのまま机の上に下ろす。
ネコは下ろされた格好のままエルを見上げた。
「あー……この警戒心のなさは確かに」
「だろう。ここまで警戒心……というか緊張感のない奴もそうそういないぞ」
エルは取り出した赤いリボンを、白ネコの首に巻く。
銀色の鈴が軽やかな音を立てて転がるが、それにじゃれつく素振りもない。
「どうだ、本物のネコではないし、無害だろう?」
「……まぁ鈍そうではありますね」
「ただ本能的にネコの姿は嫌悪感がありますけれど……」
二人の渋面に対し、エルは機嫌よく言う。
「そこらへんは慣れろ。勝手なことは許さないからな」
しっかり釘を刺し、エルは白ネコを抱き上げる。
ネコは――否、自我をとりもどしたスノウは、ばたばたと暴れた。
それはネコが抱かれることを嫌がる、というのとは違う。
魔物が近距離にいる恐怖、自分がネコにされてしまった混乱……そんな訳でスノウの脳内はパニック寸前の状態であった。
「ああそうだ、このことは他言無用だぞ。勇者がいるなんてバレたら煩い輩がでてくる」
「そうですね。私たちの胸の内にしまっておきましょう」
ため息をついて、水色の髪の青年が言う。
「けど、ネコについてはどう説明するおつもりですか?」
アイシャの鋭い視線に射竦められ、スノウは硬直する。
おかげでパニックにはならずに済んだが、それ以上に怖くて身動きできない。
急に大人しくなったスノウを訝しむ様子もなく、エルはここぞとばかりに抱き込んで腕の中に落ちつけてしまった。
「拾ったことにする」
「それこそ煩い方々に殺されてしまいますよ」
まぁ俺は構いませんが、とアイシャが獰猛な笑みを浮かべる。
「なら――水妖あたりでも猫にしたことにする」
「それが無難でしょうね」
何がどう無難なのか、納得して頷きあう魔物たちを前に、スノウはひたすらにこれが悪い夢であることを願っていた。
「正気ですか?」
不自然に低くなった声で尋ねるのは、2つの人影。
人の形はしているが、その実「人間」ではない。
よく見れば彼らの耳は人のそれより細く尖っているし、瞳孔も細長い。
第一、濃紺や淡い水色の頭髪など人間の持ち得る色ではないし、唇の間から時折ちらちらと覗く鋭い牙も、人間にはないものだ。
八重歯っていうレベルじゃないよね、と観察しながらスノウは思う。
「狂気の沙汰としか思えません」
濃紺の髪をした人物が吐き捨てるように言った。
黒っぽい上下を纏った、一見したところ10代後半の青年風。ヒトではないので実年齢はわからない。
「……アイシャ、口を慎みなさい。無礼ですよ」
落ち着いた声音で諫めたのは、アイシャと呼ばれた青年の隣に佇む人影。
こちらも人外なので実年齢は不明だが、同じく10代後半の青年に見えた。
腰まで届こうかという長い水色の髪を緩く束ね、黒っぽい長衣を纏っている。つま先まで覆う長い衣服は、それだけでやたら重そうだ。
「っ、なら! なぜですか?! なぜここに人間がいるんです!」
ぎゃんっとばかりに吠えたアイシャが、音が聞こえそうなほどきびきびした動きで部屋の一角を指差した。
部屋の隅にぽつんと置かれた椅子。
座っているのは、スノウである。
「ああそれは、あいつが城に乗り込んできたからだ」
当然だな、と軽く答えるのは緋色の髪、赤い瞳の美丈夫。
いかにも値の張りそうな革張りの椅子に腰かけ、重厚な書斎机に頬杖を突いている。
そう、つい先ほどまでスノウと対峙していた、皮膜の翼をもつ魔物である。
魔物めいた険悪な表情はどこへやら、今はずいぶん機嫌よくにこにことしていた。
「そんなことは知ってます! アレが勇者だということも! 俺が言いたいのはその勇者がなぜ、生きたままここにいるのかということです!」
魔物と勇者はいわば天敵である。
決して相容れない、戦い殺しあう宿命の存在。
その相手がこのように……瀕死な訳でも捕えられているわけでもなく、至って普通に鎮座していたとすれば――その心中や如何。
「殺さなかったからな」
アイシャの心中を知ってか知らずか、赤い魔物は呑気な返答をした。
「エル様っ!」
とうとう堪忍袋の緒が切れたらしいアイシャが怒鳴る。
その黄金色の双眸は今にも炎を噴かんばかりだ。
けれども、彼の剣幕に大した反応もみせず、エルと呼ばれた赤い魔物は己の頭をわしわしと掻き毟った。
「まぁそう怒るな。なんていうか……気まぐれだ」
「気まぐれ……」
あからさまに適当な言葉を返されて火に油かと思いきや、アイシャはそう呟いたまま沈黙した。
「お前たちも知ってるだろうが、アレはちょっと毛色が違ってる」
エルの言う「アレ」が自分のことを指していることは分かっていたから、スノウは思わず身を固くする。
彼の台詞から察するに、スノウが戦闘中ほぼ逃げ回っていたという事実は、どうやらこの城の大部分の魔物が知るところであるらしい。
そう気付いて、さすがに情けない気持ちになった。
「せっかくだからアレをネコにしようと思う」
「……」
「……はい?」
たっぷり5秒は間をおいて、アイシャが聞き返した。
水色の髪をした青年は、黙って軽く首を傾げている。
やはり同じ魔物とはいえ、エルの発言は理解できないらしい。
人間だが同じく全く理解できなかったスノウは、彼らにちょっとしたシンパシーを感じた。
「ネコ、というと……エル様、もしやまだ諦めてらっしゃらない?」
水色の髪を揺らして、青年が問う。
「いや、諦めた。お前たちの言うように、確かにネコとは相性が悪いらしい」
「それはそうですよ。ネコは我々の気配に敏感ですからね」
「私たちとしても、なるべくならあの生き物には近寄りたくありませんし」
彼らの口から飛び出すネコ談義に、スノウは意外な思いで耳を傾ける。
ネコは魔除けになるとされているのがスノウの世界の常識であった。
とはいえ、黒いネコは魔物に近しいとして好まれない。その為人々はなるべく白に近い色のネコを飼う。聖なる場所と決められたところでは、白いネコが飼われていることが多かった。
スノウは常々思っていたのだ。
黒いネコが魔物に近いなら、ネコ自体も魔物に近くても不思議はないと。
だから「魔除け」というのは単なる迷信で、ネコはちょっと不思議なだけの動物なのだと。
けれども今こうして耳にする限りでは、どうやら多少なりとも魔除けの効果があるようだ。
魔物の気配に敏感で、且つ魔物のほうもネコを毛嫌いするとなれば、魔物対策としては申し分ないだろう。
「けれど、諦めたと仰るならなぜですか? あの人間とネコとどう関係が?」
アイシャがもっともなことを口にした。
「ネコは俺と相性が悪いだろう? だから本物のネコはダメだ。だが本物のネコでないなら」
そこまで言って、エルはにやりと不敵に笑った。
その言わんとすることを正確に理解した二人の魔物は、さっと顔を強張らせ――
「「ダメです!」」
声を揃えた。
予測の範囲内だったのだろう、エルは余裕の笑みを崩さない。
「なぜだ? 本物じゃないからお前たちも大丈夫だろう? 俺はネコが飼えるし……」
どうやらエルは「ネコが飼いたい」らしい。
そして本物のネコは飼えないから、代替案でスノウを飼うことにしたのだ。
スノウはそこまで考えて、微妙な気持ちになる。
確かにスノウは逆らえない身の上だ。
縛られてこそいないが、捕虜のようなものである。しかも命の保証がない。生き延びるには相手の言うままになるしかないのだが。
それにしてもよもや自分が「飼われる」とは。
言葉だけ見るとずいぶんと情けない上に……どこか卑猥な感じがするのは自分だけだろうか?
そんな緊張感に欠けることをつらつらと思い悩んでいるスノウの目の前で、ネコを飼うの飼わないのと舌戦は続いている。
「ならばどうしてあの人間なんですか! ネコの代わりなら、もっと違う生き物でもいいでしょう!?」
至極もっともなことをアイシャが言った。
「貴方の力なら、小型の竜をネコにすることも可能でしょう?」
水色の髪の青年が、落ち着いた声音で諭す。
その言葉に束の間エルは無言になった。
机から身を離して、椅子に背を預ける。
「……どうだかな、それよりはアレをネコにする方がずっと楽なんだが」
言って、ぼんやりした表情のスノウを指さす。
「無害そうだし」
仮にも勇者が魔物に言われていい台詞ではない。
「確かにそうですが、アレはただの人間じゃないんですよ、勇者です!」
「ただの人間と変わらないけどな? 魔法使えないしヘタレだし」
「ヘタレでも勇者は勇者ですからね……人間どもが黙ってはいません」
――ものすごく、情けない。
これにはさすがのスノウも軽く落ち込む。
軽んじられている、というか完全に馬鹿にされている。しかもそれが間違いでないという自覚があるから尚更辛い。
「知られなければいいだけの話だろう」
「……勇者の仲間は逃げたと聞きました」
スノウの脳裏に、メリルとフレイの顔がよぎる。
2人は今頃どうしているだろう。
一瞬、助けがくるだろうかと考えた。
だがその結論が出るより早く、エルの苦笑が聴こえた。
「大方、勇者は死んだと思ってるだろうさ。これだけのヘタレが生き残れると思うか? まぁ復讐にくることはあっても、助けには来ないだろうな」
ずばりと胸の内に切り込まれて、スノウは更に落ち込んだ。
彼の言うことは恐らく正しい。
あの状況で、逃げ遅れた勇者が生きているなどと誰が思うというのか。
スノウ自身、死を覚悟したのだから。
「この程度で勇者だというなら、復讐に来たところで返り打ちにできますけど……本っ当に、本気ですか?」
アイシャが、渋面で尋ねる。
その言葉に頷いて、エルは書斎机の引き出しを漁る。
「本物連れてくるよりはマシだってことで、諦めろ」
「どっちがマシかは疑問ですが」
「お前たちネコは苦手なんだろう?」
「ネコは嫌いですが人間はもっと嫌いです」
「そうか。でもアレは今からネコになるんだしいいよな」
「人間に変わりはありませんが?」
ついでに嫌いであることにも変わりない。
アイシャの言外の言葉をさらりと流して、エルは「あった、あった」と言いながら引出しから何かを引っ張り出した。
そんな魔物たちのやりとりを落ち込んだ気分で眺めながら、スノウはふと思う。
先ほどから「ネコにする」とエルは言っているが、どういう意味だろう。
スノウは比喩的な意味に解釈をしていたが、それにしては彼らの会話がおかしい。
竜を猫にする、なんて表現をするだろうか?
竜は竜だろう。竜を飼う、或いはペットにすると表現はしても。
「これでいいな、うん、ちょっとこっち来い」
ぼけっと眺めていた先で、エルが手招きをした。
その表情はにこやかで、赤い髪と赤い目でさえなければ、爽やかな好青年にしか見えない。
勿論ご機嫌なのはエルだけである。
その後に向けられた二対の視線は、殺意すら孕んでスノウを射抜いた。
びりびりと全身を刺す殺気に、思わず泣きそうになる。
それでもなんとか堪えて、ゆるゆると腰を浮かせた。
「――まったく、本当にヘタレだな、おまえ」
スノウが今にも泣きそうなことに気付いて、エルが呆れたように溜息をつく。
片手を空間に伸べて、小声で何事かを呟いた。
痺れたような感覚がしたのは、一瞬のこと。
何か魔法の類をかけられた、と気づいたのはその直後。
そして瞬きひとつの間に、スノウの目線はだいぶ低くなっていた。
あれ?
思わずそう呟いて、
「にゃあ」
と、声が出た。
「これはまた」
「よりによって白ネコですか」
二人の魔物がスノウを見下ろしたまま、呆れた口調で言った。
白ネコ?
どこに?
なんとなく嫌な予感はしていたが、それでもスノウはきょろきょろとあたりを見回した。
ずいぶんと目線が下になってしまい、景色が様変わりしている。
視界にはネコの姿はない。
更に増した嫌な予感に後押しされ、視線を落とした。
白いふわふわしたものが目に飛び込んでくる。その先には真っ白な毛で覆われた獣の足――ネコ科の。
急速に血の気が引いていく。
酸欠に陥った脳が思考を放棄し、そのまま意識まで手放そうとしたその時。
「成功だな。我ながらいい出来だ」
満足げな、弾んだ声がした。
目をあげると机の向こうでエルが満面の笑みで手招きしている。
片手には赤いリボン。
その先端で揺れる銀色の鈴を見た瞬間、スノウの脳裏で何かが弾けた。
「わっ」
「!!」
二人の魔物がさっと脇によける。
その間をすり抜けて書斎机に飛び乗ったのは、白いネコだ。
「元」がスノウだとは思えない身のこなしで赤いリボンに飛びつく。
エルは笑みを崩さないまま、その首根っこを掴むとぶらりと持ち上げた。
「……それ、まんま猫じゃないですか」
アイシャが顔を引きつらせて指摘した。
にゃあにゃあと鳴きながら手足をばたばたさせている白い生き物を、嫌そうに見つめる。
「まぁ近いな。ネコの本能に勇者の人格が負けたんだろう、ヘタレだから」
あっさりと酷いセリフを吐いて、人差し指を暴れるネコの額にあてた。
「起きろ、"スノウ"」
不思議な響きを込めた言葉に、ネコは束の間固まった。
やがてぱちぱちと瞬きをして、「にゃあ」と鳴いた。
「勇者、なんですか?」
水色の髪の青年が、無表情にネコを覗きこむ。
「ああ、中身は人間だ。ネコの方は封じたから」
エルは白ネコをそのまま机の上に下ろす。
ネコは下ろされた格好のままエルを見上げた。
「あー……この警戒心のなさは確かに」
「だろう。ここまで警戒心……というか緊張感のない奴もそうそういないぞ」
エルは取り出した赤いリボンを、白ネコの首に巻く。
銀色の鈴が軽やかな音を立てて転がるが、それにじゃれつく素振りもない。
「どうだ、本物のネコではないし、無害だろう?」
「……まぁ鈍そうではありますね」
「ただ本能的にネコの姿は嫌悪感がありますけれど……」
二人の渋面に対し、エルは機嫌よく言う。
「そこらへんは慣れろ。勝手なことは許さないからな」
しっかり釘を刺し、エルは白ネコを抱き上げる。
ネコは――否、自我をとりもどしたスノウは、ばたばたと暴れた。
それはネコが抱かれることを嫌がる、というのとは違う。
魔物が近距離にいる恐怖、自分がネコにされてしまった混乱……そんな訳でスノウの脳内はパニック寸前の状態であった。
「ああそうだ、このことは他言無用だぞ。勇者がいるなんてバレたら煩い輩がでてくる」
「そうですね。私たちの胸の内にしまっておきましょう」
ため息をついて、水色の髪の青年が言う。
「けど、ネコについてはどう説明するおつもりですか?」
アイシャの鋭い視線に射竦められ、スノウは硬直する。
おかげでパニックにはならずに済んだが、それ以上に怖くて身動きできない。
急に大人しくなったスノウを訝しむ様子もなく、エルはここぞとばかりに抱き込んで腕の中に落ちつけてしまった。
「拾ったことにする」
「それこそ煩い方々に殺されてしまいますよ」
まぁ俺は構いませんが、とアイシャが獰猛な笑みを浮かべる。
「なら――水妖あたりでも猫にしたことにする」
「それが無難でしょうね」
何がどう無難なのか、納得して頷きあう魔物たちを前に、スノウはひたすらにこれが悪い夢であることを願っていた。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」
イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。
ある日、夢をみた。
この国の未来を。
それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます
時岡継美
ファンタジー
初夜に旦那様から「白い結婚」を言い渡され、お飾り妻としての生活が始まったヴィクトリアのライフワークはなんとダンジョンの攻略だった。
侯爵夫人として最低限の仕事をする傍ら、旦那様にも使用人たちにも内緒でダンジョンのラスボス戦に向けて準備を進めている。
しかし実は旦那様にも何やら秘密があるようで……?
他サイトでは「お飾り妻の趣味はダンジョン攻略です」のタイトルで公開している作品を加筆修正しております。
誤字脱字報告ありがとうございます!
ひ弱な竜人 ~周りより弱い身体に転生して、たまに面倒くさい事にも出会うけど家族・仲間・植物に囲まれて二度目の人生を楽しんでます~
白黒 キリン
ファンタジー
前世で重度の病人だった少年が、普人と変わらないくらい貧弱な身体に生まれた竜人族の少年ヤーウェルトとして転生する。ひたすらにマイペースに前世で諦めていたささやかな幸せを噛み締め、面倒くさい奴に絡まれたら鋼の精神力と図太い神経と植物の力を借りて圧倒し、面倒事に巻き込まれたら頼れる家族や仲間と植物の力を借りて撃破して、時に周囲を振り回しながら生きていく。
タイトルロゴは美風慶伍 様作で副題無し版です。
小説家になろうでも公開しています。
https://ncode.syosetu.com/n5715cb/
カクヨムでも公開してします。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887026500
●現状あれこれ
・2021/02/21 完結
・2020/12/16 累計1000000ポイント達成
・2020/12/15 300話達成
・2020/10/05 お気に入り700達成
・2020/09/02 累計ポイント900000達成
・2020/04/26 累計ポイント800000達成
・2019/11/16 累計ポイント700000達成
・2019/10/12 200話達成
・2019/08/25 お気に入り登録者数600達成
・2019/06/08 累計ポイント600000達成
・2019/04/20 累計ポイント550000達成
・2019/02/14 累計ポイント500000達成
・2019/02/04 ブックマーク500達成
【完結】小さな元大賢者の幸せ騎士団大作戦〜ひとりは寂しいからみんなで幸せ目指します〜
るあか
ファンタジー
僕はフィル・ガーネット5歳。田舎のガーネット領の領主の息子だ。
でも、ただの5歳児ではない。前世は別の世界で“大賢者”という称号を持つ大魔道士。そのまた前世は日本という島国で“独身貴族”の称号を持つ者だった。
どちらも決して不自由な生活ではなかったのだが、特に大賢者はその力が強すぎたために側に寄る者は誰もおらず、寂しく孤独死をした。
そんな僕はメイドのレベッカと近所の森を散歩中に“根無し草の鬼族のおじさん”を拾う。彼との出会いをきっかけに、ガーネット領にはなかった“騎士団”の結成を目指す事に。
家族や領民のみんなで幸せになる事を夢見て、元大賢者の5歳の僕の幸せ騎士団大作戦が幕を開ける。
【完結】悪役令嬢はご病弱!溺愛されても断罪後は引き篭もりますわよ?
鏑木 うりこ
恋愛
アリシアは6歳でどハマりした乙女ゲームの悪役令嬢になったことに気がついた。
楽しみながらゆるっと断罪、ゆるっと領地で引き篭もりを目標に邁進するも一家揃って病弱設定だった。
皆、寝込んでるから入学式も来れなかったんだー納得!
ゲームの裏設定に一々納得しながら進んで行くも攻略対象者が仲間になりたそうにこちらを見ている……。
聖女はあちらでしてよ!皆様!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる