ネコと勇者と魔物の事情~ペットはじめました by勇者~

東風 晶子

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15.目覚めたら

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 怖いの、と誰かが問いかけた。
 その言葉に頷いた。
 そうだ。怖い。怖くてたまらない。
 認めてしまうと少し心が軽くなった。こんな言葉ひとつ、自分は碌に主張できなかったのだと気づく。
 何が怖いの、と声は再び問いかける。酷く不思議そうに。
 唇を舐めて、言葉を探した。
 怖いことはたくさんある。けれどそれをどう説明すれば伝わるだろう。なんと言えば相手は頷いてくれるだろう。
 視線を地面に落とした。
 草臥れたブーツと、足元に伸びる自分の影が目に入る。影が手にしているのは剣だ。実際のそれは鞘に入ったまま。けれど影だけでは、抜き身のようにも見える。
 それはまるでもうひとりの自分。
 それが心に巣食う闇なのか、勇敢な猛者なのか、自分ではわからない。解き放ち相対するまでは正体は謎のまま。
 目を伏せて、吐息とともに呟いた。
 怖いのは――




 目覚めたら、目の前ぎりぎりにナイフの切っ先があった。

「……」

 驚き過ぎて声もでない。
 一体何事が起きているのか全く認識できずに、スノウはただ切っ先を見詰めた。

「おや、お目覚めですか」

 落ち着いた声音が問いかけてくる。
 つられて視線を上げると、林檎酒色の目とぶつかった。
  水色の長い髪を垂らした、冷たい美貌の魔物。スイだ。

「う、うん……」

 頷くと刃先が突き刺さりそうな気がしたので、スノウは硬直したまま応じた。
 スイは暫くスノウの様子を観察しているようだったが、ややあってナイフをひっ込め、

「異常はありませんか」

 と至極事務的な口調で言った。
 異常も何も、とスノウはまだ上手く回らない頭で考える。
 起きたら目の前に刃先、なんて事態が既に異常以外の何物でもない。
 たださすがに「それはこっちの台詞だよ!」とは抗議できないでいた。下手に機嫌を損ねようものなら、ぶっすり刺されそうだ。眉ひとつ動かさず。
 そんなスイが容易く想像がついて、スノウは寒気を覚える。
 何やら夢を見ていたような気がするが、寝起きの一連で夢の残滓が吹き飛んでしまった。

「……ないみたい」

 軽く頭を振りながら、自分の置かれている状況を考える。
 そう明るくはない、どこかの一室。スイがいることからも城内のどこかであることは間違いないだろうが、見覚えのない部屋だった。
 木製の椅子と机、いくつかの家具が整然と置かれた、落ち着きのある部屋。エルの部屋のような重厚感はないが、どこか古風な雰囲気が漂っている。淡い陽光の漏れる窓には重厚な生地のカーテンが掛けられ、その若草色の生地には鳥の羽のような美しい模様が織り込まれていた。
 ふと視線を落とすと、スノウの体の下に敷かれているクッションにも同じ模様が織り込まれている。背もたれのある、木製の椅子に幾重にも置かれたクッション。その上にスノウは寝かされていた。

「それは良かった」

 にこりともせず言って、スイは手近な椅子に腰かける。

「それで、何か覚えていますか?」

 出し抜けにそんな問いかけを投げてきた。

「何か?」

 一瞬、スノウの脳裏を記憶喪失である事実がよぎった。
 その件に関して言えばまったく思い出せない。少々寝ていた程度で思い出すなら苦労もしていない。
 そう考えて、スノウはあれ、と首を捻る。
 寝ていた?
 何かおかしいと気付いて、スノウは記憶を辿る。
 城の中が騒がしかったのはつい最近のこと。
 「あの方」とやらが到着したのは。
 ヴァスーラの顔を思い出したところで、スイがくっと笑った。スイを包む空気が僅かに変質する。それはお世辞にも友好的とは言えない、緊張を伴うもので。

「私はどうやら、貴方を少々甘く見すぎていたようです」

 スノウの返答も待たずに言って、スイは品の良い笑みを浮かべた。その目は、少しも笑っていなかったけれど。

「……?」

 スイの言わんとすることが分からず、スノウは首を傾げた。
 一体何の話をしているのだろう。

「覚えてないのですか、勇者」

 スノウの様子に、スイは動じることもなく問いかけてきた。予測の範囲、そんな気配すら感じられる。

「覚えて? 何を?」

 だから、すんなりと疑問を口にした。
 覚えていないのはこの城を訪れる前の記憶。勇者として魔物を倒していたという自身の記憶。だがそれは、魔物たちが知るはずのない事実だ。
 もしや記憶喪失であることを感づかれただろうか?

「可能性はあると思っていましたが……やはりですか」

 溜息をついて、スイが首を振る。
 ますますわからない。

「……ええと?」

 戸惑って意味もなく周囲を見回す。
 そんなスノウの様子に、スイは再び嘆息して言った。

「魔法を使った記憶は?」
「ないけど?」

 即答する。
 あるはずがない。人であった時に散々試したのだ。挙句、仲間であった魔法使いから「魔力が感じられない」と断言された苦い思い出がある。言った相手の顔すら、今となれば思い出せない。

「真実とすればあまりに愚か。演技とすればあまりに陳腐、といった処ですね」

 スイは唇に薄い笑みを履いて、スノウには理解不能なことを呟いた。

「スイ?」

 何のことかわからないスノウはただ首をひねるばかり。

「いえ、覚えてないようですからお教えしますが、貴方は魔法を使ったのですよ」

 優しげともとれる口調でスイが言った。

「……は?」

 今度こそ完全に頭が混乱して、スノウはぱかっと口を開けた。

「大層なものではありませんでしたが……そうですね、水に属する魔法の類です。私たちもまさか貴方があのような行動に出るとは思ってもいませんでした。驚きましたよ」
「……っ、ちょ、ちょっと待って」

 軽く酸欠になりながら、必死でスノウは口を挟む。
 何が何だかわからなかった。
 スイの話を聞けば聞くほど混乱が加速しそうで、なんとか時間を稼ごうと急いでまくし立てる。時間を稼いだところでどうなるとも思えないが、今のスノウに気付く余裕はない。

「いやあの、違うよ、俺魔法使えないし……一度も使えたことなんてないんだよ?」
「以前はどうあれ、貴方が行使したのは間違いなく現実です」

 さらりとスイが応じる。

「してないよ。使えないんだったら」

 ムキになってスノウは言い募る。そんなはずはないのだ。第一、使えるのなら今頃ここにこうして猫でいる必要はない。

「勇者、ひとつ忠告をしておきましょう」

 噛み付かんばかりのスノウを軽く手で制して、スイは目を伏せる。金色の輝きが、淡い色の睫の奥に潜められた。

「貴方が魔法を"使えない"ことにしたいのであればそれで構いません。貴方の思惑など私には関係ありませんからね。――ただ、エル様に関わるとなれば話は別」

 伏せていた瞼を上げて、スノウを射抜く瞳は限りなく真剣だった。
 氷山のように冷たく乾いて、けれども炎のような闘志が揺れていた。

「エル様に牙を剥く素振りがあれば……わかりますね」

 穏やかな声音。その裏にひそめられたスイの本気に気づかないほど、スノウは鈍くも愚かでもない。

「……そんなことは、しないよ」

 勇者である以上、無理なことなのだけれど。
 いつかはエルと対峙せねばならないだろう。互いに敵である事実は変わらないのだから。
 それは分かっていたが、気づけばスノウはそう答えていた。

「いい心がけです」

 言って、スイは小馬鹿にするように笑う。
 何を言ったところでスイが信用しないことは、スノウにもわかっていた。
 魔法云々はともかくとして、スイはスノウを信用することはない。
 エルを守るためには、危険分子は少ない方がいい。スイが自分を快く思わないのも理解できた。
 エルが、唯一無二の主なのだから。

「……?」

 急に、胸の中がもやもやして、スノウは首を捻る。
 ひどく曖昧な、不快な感情。一体なぜ、と自問しても明確な答えは見当たらなかった。
 理由を分析する間もなく、スイの立ち去る気配に顔を上げる。

「失礼します」

 スイは優雅な身のこなしで立ち上がり、そのまま出ていくのかと思いきや、つかつかとスノウに近寄ってきた。

「えっ」

 先ほどのナイフの一件が脳裏をかすめ、スノウは思わず身を引く。
 しかしスイは指一本動かすことなく何事かを呟いた。言葉に呼応してか、周囲の空気がざわめく。

「さ、何の異常もないとあれば、とりあえず退室を願います」

 退室?
 きょとんとしてスイを見やると、スイは相変わらずの冷静な表情で言う。

「ここは私の部屋ですから」

 スノウの体をふわりと風が包み込んだ。
 慌ててもがくスノウを難なく抱え込んで、風は勢いよく開け放たれた扉へと走る。
 そして、扉から出た瞬間に文字通り放り出された。ごみでも放り捨てるようなぞんざいさで。
 間髪いれず勢いよく閉まる扉。
 廊下にぽつんと放り出されて、スノウは呆然としていた。

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