ネコと勇者と魔物の事情~ペットはじめました by勇者~

東風 晶子

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20.変化

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 窓から差し込む月の灯り。
 漆黒の夜空にかかる満月が投げかけた光は、石の床を這い、室内を青白く浮かび上がらせていた。埃ひとつない床に映り込んでいるのは、天井の豪華な装飾だ。
 静謐な夜の闇に、時が止まったかのような空間が横たわる。
 人の気配ひとつしないその空間で、窓にかけられた重厚なカーテンが不意にゆらりと揺れた。

「想定外ですか」

 そこに現れたのは高い人影だ。
 表情を闇に沈ませて、辺りを憚るような低い声で問いかける。微かに光る双眸がみつめた先には、カーテンの陰に覆われた濃い闇。

「……何がだ?」

 闇の中から、気だるげな声が応じた。

「そのように書いてあります」
「私の顔に、か。この暗さでよくわかることだ。……そうだな、想定外だったことは認めるよ。可愛い弟に一体何が起きたものやら」

 ああも変わるとは、と含み笑いを漏らして闇から姿を現したのは、金色の髪をした男だ。漆黒の服に羽飾りのついた闇色の外套。耳には鎖状の耳飾り、銀の腕輪を幾重にも巻いている。
 ヴァスーラ・バルト。エルの兄にあたる魔物だ。
 先だってエルの城で見せたような上機嫌な様子はなりを潜め、その表情は憂いを帯びている。

「それほどまでにお変わりでしたか」

 あまり気のなさそうな問いかけに、ヴァスーラは己の顎に手を当てて頷く。

「そうか、ヘネス、お前は知らなかったな。
 エルはだったのさ。幼い頃から闘うことより読書の方が好きでね。思えばそんなところも母親譲りなんだろうな。貴族にしては大人しい女性だったから」

 遠い記憶を慈しむような表情でヴァスーラが語る。
 所在なさげに室内を歩き、片隅に置かれた白塗りのラウンドチェストの前で足をとめた。
 円盤状の卓上には白磁の花器が置かれ、花があふれんばかりに活けられている。元々淡い色彩の花なのだろう。月光を受けて紙の様に白い花弁を晒していた。

「エルは儚い花だった。爺どもに護られ、長兄あにに護られ、今は有能な部下に護られている。まるで深窓の姫君だろう?」

 口調は穏やかなままだったが、そこに宿る響きは冷たく暗いものに変質していく。

「だが、お前の目から見てどうだ? 今のエルは姫君か?」
「……いいえ。大人しい方という印象は受けましたが、別段」

 姫と形容するほど軟弱そうには見えない、と高い影――へネスは答えた。

「大人しい、ね」

 ヴァスーラは鼻で笑う。赤錆色の双眸に鋭い輝きが閃く。

「まあ、望ましい成長ということなのだろうな。兄としては」

 溜息をついて、ヴァスーラは花器から花を一輪抜きだした。

「随分遅い成長期だと思えばまぁ納得もできるさ。せいぜい盛大に祝ってやるとしよう」

 愛でるように、花を手元で弄ぶ。くるくると回る花弁が、夜の中で白い軌跡を描く。

「……触らぬままの方が良かったのではありませんか?」

 そんな主人の様子を見るともなしに見ながら、へネスが呟いた。その不躾な物言いに、ヴァスーラは珍しく苦笑いを浮かべる。

「お前ときたら、本当に遠慮というものを知らんな」

 へネスの問いには答えずに、ヴァスーラは片手で花を握りつぶす。
 くしゃくしゃになった花が、花びらの残骸を撒き散らして床に落ちていく。鏡のように磨かれた床に落ちた花は、花弁が全て落ちきらないうちに不意に燃え上がった。
 青白い炎を吹き上げて、花は瞬き一つほどの間に消えうせる。ちりひとつ、残骸ひとつ残さずに燃え尽きた。

「手筈は」

 床から目を上げないまま、ヴァスーラが短く問いかける。

「整えてあります」
「ではそろそろ次の段階に移るとするか。勇者の動きは?」
「出立後一週間といったところです。まだ銀の森プラータ・セルバにも入っていません」
「まあヒトの足ではその程度だろうな。もう一方はどうだ」
「勇者一行よりは進んでおります。といっても一日二日の誤差ですが……」

 ヘネスが淡々と応じるのへ、ヴァスーラは考えるような仕草をする。

「思いのほか遅いな。そう急がずとも良いかもしれんが……"中"と連絡は取れるのか」
「はい、今のところは可能です」

 それにひとつ頷いて、ヴァスーラは言う。

「では感づかれる前に動くしかないな。予定通り部下共を移動させておけ」
はどうされます」

 ヘネスの問いかけに、ヴァスーラは赤錆色の瞳を楽しげに細める。

「そうだな、存分に悪戯を」





 天空に、青白い月が懸かっている。

『まるで青ざめた人の顔のよう』

 そう例えたのは誰だったろう、と考えつつ、スノウは窓越しに空を仰いでいた。
 魔物たちは皆寝静まっているようだった。スノウの感じる範囲では気配一つ、物音ひとつしない。
 魔物は夜行性ばかりではないと知ったのは、この城で過ごすようになってからの話だ。それまでは、魔物は夜行性が殆どだと思っていた。というのも、これまで対峙してきた魔物は獣により近く、メリルたちと行動していた頃に焚火を前に襲われた記憶が鮮明に残っているのだ。
 しかし、現実は少々事情が違うらしい。
 エルを含め、ある程度の力を持つ魔物は夜行性を「捨てて」いると聞いた。
 元々が夜行性でない者も多いが、本来夜行性である者も、普段はその性質を制御しているという。それは夜行性の魔物の大部分が、魔人や魔獣といった比較的"下等"とされる魔物に多くみられる為だ。そのため、夜行性の性質のままに振舞うことは"下等"であり恥ずべきことだという風潮があるらしい。

『なので幼いうちに制御できるよう訓練します』

 そう淡々と講釈してくれたのはスイである。因みにスイ自身は本質的に夜行性ではなく、その教育は受けていないと言っていた。

『エル様は存じませんが、アイシャは酷く苦労したと言っていましたね』

 スイはそう言って、うっすら笑みを浮かべた。何を思い出したのか少し気になったが、スノウは深く突っ込まないようにした。きっと精神的に楽しいことではない気がする。
 現在、城にいる魔物の殆どは昼間の活動が主体であり、夜に休息を摂る。
 ただ、この城にも夜行性の魔物は数多く存在している。人間でいうところの歩兵に近い存在で、彼らは城の下層部分で生活し、夜行性なりの生活サイクルを行っているらしい。
 その部分の層と上の層は魔法で分断されており、下の騒ぎが上層で伝わることはない。逆もまた然りである。そのため、こうして息を潜めてじっとしていも下の喧騒は聞こえてこない。
 窓の外には夜の森と、夜の空。城の中は夜の静寂に満ちている。
 そんな中、夜行性どころか本質は人間であるスノウがなぜ起きているのかというと。
 眠れないのである。
 ここ数日、眠れない夜が続いていた。単に目が冴えているだけだと思っていたが、それでも連日こうも寝付けなければ、さすがに寝床に入る気も失せてくる。
 どうせ今夜も眠れはしないのだから、と半ば自棄になってここ二晩ほど空を眺めてぼんやりしている。上手くいけば、空が白んでくるあたりで眠りに落ちるだろう。

「いい加減寝たいんだけどな……」

 眠気自体はしっかりあるのだ。
 けれどどうにも頭の奥が覚醒してしまっているような感じがする。
 そうなった原因が精神面にあるのなら、心当たりは数え切れない。
 普通の人間なら、今の状況すべてが精神を病むのに十分な理由である。ただそれがスノウに当てはまるかといわれれば、スノウ自身も首を傾げてしまう。それらが原因なら、何も今頃になって現れるのは不自然すぎる。最近の出来事が関係していると考えるのが妥当だ。
 毎晩のように繰り返された問答を、いつものようにぼんやりと繰り返して、ふと思い出す。
 エルの視線。
 最近感じたことといえばこれしかなかった。だが、その視線がストレスになるかと問われれば、答えは否だろう。エルはただ「見て」いるだけなのだ。その視線に高圧的なものも、敵意も悪意も感じない。同時に、あれほど猫好きな彼にしては不思議なことに、好意の類も感じないのだ。
 道端の石を眺めるような、或いは飛んでいく鳥をただ目で追っているだけのような。

「観察……というか、ただ見てるんだよね」

 動いているから目が行く。それとも、何かを確かめようと見ているのか。まるで研究材料を見る研究者のような冷静な眼差しで――。
 そこまで考えてはたと気づく。

『研究』

 確か以前アイシャたちが言っていなかっただろうか。
『以前は研究に没頭していた』と。
 そう思うと、スノウの中で急速にむくむくと好奇心が湧いてきた。
 エルの研究。その内容がわかれば、あの視線の意味がわかるかもしれない。それにエル自身言っていたではないか。「勇者になれ」と。

「そうか……研究だ。それを掴まなきゃ」

 スノウの記憶では、アイシャは「地下の部屋に籠って」と言っていた。あの時は警戒されることを恐れて追究することはできなかったが、地下にも部屋があるのだとなんとなく思ったことを覚えている。
 スノウは体を起こすと、エルの書斎机に飛び乗る。
 机の上には、無造作に魔法書が置かれていた。古めかしい赤い表紙は、月の淡い光を浴びて一層草臥れて見える。

『この本、この間地下でみつけてな』

 エルの言葉が蘇る。地下にエルの部屋があるのは、間違いないだろう。話から察するに、以前ほど没頭していないとはいえ、研究自体はまだ放棄していないのだ。でなければわざわざ地下に足を運びはしない。

「……って、どうやって行けばいいんだろ」

 地下室というならば、当然地下にあるだろう。そして現在地は最上階である。下の階層に移動するには、魔方陣を経由しなければならない。
 結局ふりだしか、と溜息をつくと本の埃が舞い上がる。
 それにひとしきりむせて、ふと思いついた。
 では転移魔法なら?
 魔方陣を経由せずに、かつ誰の目にも触れずに地下に移動するには、転移の魔法で直接地下にいくしかない。勿論、魔力がないことも、魔法が使えないこともよくわかっている。
 しかし周囲は、スノウが魔法を使ったという。スノウにしてみれば到底信じられる話ではないが、試してみる価値はあるだろう。
 脳裏にアイシャやスイの顔が浮かぶ。はっきりと示された訳ではないが、彼らが疑っているのはスノウにもわかっていた。
 どうせ誰からも信用されていないのだし、とスノウは開き直って、本に手を掛ける。
 猫の手では表紙を開くことすらままならないが、何とか表紙をめくることに成功した。
 埃と乾いたカビの匂いが鼻腔をくすぐる。

「水の……魔法」

 何からはじめよう、と考え、エルの言葉が脳裏で閃く。
 水系の魔法を使ったのだとエルは言っていた。ならば、水系の魔法ならば上手くいくかもしれない。それを試してみて、万一上手くいったなら転移の魔法を試してみよう。
 そう思いつつも、その実上手くいく可能性など少しも考えていなかった。自身に魔力がないことはこれまでの経験で明らかで、それが今頃になって現れたなどとは俄かに信じがたい話だったのだ。周囲が何と言おうとも、スノウにとってはどこか他人事のように思えた。本人に記憶がないのだから当然といえば当然である。
 だからこうして魔法書を開いていること自体、半分以上は「遊び」に近い。眠りに入るまでの、気を紛らわせる作業。"やっぱり使えない"というそれを、確かめるための作業だった。
 下手な期待などしたくない。同時に、あらぬ疑いもかけられたくない。
 複雑な感情を抱え、猫の手で懸命にページを繰る。

「水、水……」

 なかなか水に関する記述が見つからず、じりじりとしてくる。こんなことなら先だってエルに付箋でもつけて貰うのだった、と思ったところで、それらしい文字が飛び込んできた。

「あった!ええと、"空間から水を取り出すには――"」

 夢中になって読み始めて、ふと、スノウは気づいた。

「……読める……?」

 呟いて、その事実に愕然とする。
 先日、エルに見せられた時は確かに読めなかった。見たことのない文字の羅列。読み方も意味もわからなかったそれが、今はどうしてか簡単に読める。慣れ親しんだ本を読むような気安さで、魔法書の中身がするするとスノウの中に入ってくるのだ。
 急に、体が熱くなった。心臓が激しく脈打つ。

「なに、これ」

 全く読めなかった文字が容易く読めるなどと、あり得ない事態だ。湧き上がる動揺と恐怖に突き動かされて、スノウは忙しくページをめくる。
 火の魔法。
 風の魔法。
 召還の魔法。
 どのページも簡単に読み解けた。それどころか、読めば読むほど自分の身に起きていることがわからなくなってきた。
 文字を追うだけで、具体的なイメージが浮かんでくるのだ。使ったことのない、その感覚すら知らないはずの魔法が、恰もかつて使ったかのような感覚で蘇る。

「っ、やだ!」

 思わずスノウは本から飛びのく。
 恐ろしかった。知らないはずの感覚が自分のもののように蘇ることが、酷く恐ろしい。
 きっと何かの仕掛けがあるんだ、とスノウは自分に言い聞かせる。
 エルがスノウにも読めるように何かの術を施していったのだ。
 そうでなければ説明がつかない。
 懸命に自身に言い訳をするが、そんな魔法が掛けられていないこともまた、スノウにもわかっていた。
 今までならその苦しい嘘で誤魔化せただろう。だが、どういうわけか"何の仕掛けもない"ということもはっきりとわかるのだ。スノウの直感が、何の魔法の痕跡もないことを告げている。

「なんで……どうして?」

 口をついて出た呟きが、滑稽なほどに震えている。
 魔法書を読めるのは、その道に精通している者だけ。そう聞いたのは、いつだったか。
 メリルとフレイ、そしてまだ他の仲間がいた頃、仲間の誰かが魔法書を持っていた。読んでみてと促されたそれは、到底読めるような代物ではなく。ならばと口頭で教えられた呪文も、何一つ反応しなかった。
 彼らは首を傾げて、魔力の気配を感じないと言った。

『かつてのスノウには魔力の気配があった。たいそうなものではなかったが、今教えたような魔法は使えた』

 そう、彼らは口を揃えた。
 けれど、彼らはこうも言っていたのだ。

『かつてのスノウもまた、魔法書は読めなかった』と。

 ざわりと、体中の血が引いていく。
 記憶を失う前の『スノウ』は、剣も魔法も扱えた。対し、すべてを忘れた自分は剣も魔法も使えない。
 いつか記憶を取り戻すことができたら、すべては元に"戻る"ものだと、スノウは思っていた。記憶も剣も魔法も。
 けれど、取り戻したものが『スノウ』にないものだとしたら。
 この『自分』は『何』だ。
 口の中がからからに乾く。
 底なしの沼底を覗いているような気がした。信じていた足元が不安定に揺らめく。水面に浮かぶ像のように、些細な事で正体が定まらないほどに乱れてしまう。
 いつか見た悪夢が蘇る。自分が見たこともない、自信にあふれたスノウ。夢の中でその澄んだ青い目が冷徹に告げる。

『お前は俺じゃないだろう?』

 耳にありありと蘇る、自分の声。否、自分と似て非なるものの声だ。脳裏に鏡像の自分が閃いて、非難するように、糾弾するようにみつめてくる。

「違う!」

 思わず叫んでいた。

「違う……俺は……」

 俺は、ダレ?

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