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35-2.白の青年
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スノウの言葉に、エルの声のトーンが落ちた。鋭い眼光は今にもスノウを射殺しそうだ。
だがそれにも大した反応をみせることなく、相変わらずの口調でスノウが続ける。スノウを遠巻きに囲む魔物の方が、城主の怒りを恐れて怯えている有様だった。
「城から少し離れたところに魔物の気配があるんだ。それも結構な数の下級貴族」
この城はそんなにたくさんの下級貴族を抱えていないでしょう、とスノウが言う。
当然ながら、クロスには何のことかわからない。湧き上がる様々な疑問を整理する暇もなく、聞き覚えのない単語が耳に飛び込んでくる。ただ呆然と、やり取りを見つめることしかできなかった。
「それは……」
エルが思案顔になる。そして、ふとスノウを見遣った。
「……随分詳しいな?」
スノウはひらひらと手を振り、穏やかな笑顔のまま答える。
「魔力が戻ったからね。色々と見えるようになっただけだよ。とにかく何とかしたほうがいいんじゃない?」
そんなスノウを探るように睨みつつ、エルはひとつ息をついて剣を鞘に収める。硬質な音を立てて剣が収まると、魔物たちの間に再び狼狽の気配が広がる。
エルは周囲をぐるりと見渡し、背後の部下へと声をかけた。
「スイ、調べてこい。判断は任せる」
「はい」
頭を垂れて応じたのは、水色の髪をした魔物だ。長い衣を翻し、滑るような足取りで魔物たちの間に姿を消した。
「それで勇者、わざわざ邪魔をしてきた要件はこの程度か?」
「結構重要なことだと思うんだけど? あっちもこっちも戦うなんて、いくらなんでも無理だよ」
「別にこいつらを片づけてからでも遅くないがな。単に時間稼ぎのつもりだろう」
「そんなつもりじゃないけど……まあ半分くらいはあるかな?」
不機嫌な様子を隠そうともしないエルを前に、スノウはごく自然体に見えた。魔物の、長を相手に恐怖も圧倒もされていない様子である。かといって闘志を燃やしているわけでないことは、誰の目にも明らかだ。
エルの方も、不穏な気配を放ってはいるもののスノウを攻撃する意思はないようだった。鞘におさめた剣に手をやる素振りはない。とはいえ、魔法による攻撃がいつ襲ってもおかしくない状況ではある。
そんな二人を視界に収めながら、クロスは未だ降ろすことのできない剣をきつく握り締めていた。柄を握る手が、過剰な力に白く強張っていることにも気付かない。
これは一体どういうことだ、と幾度目かになる自問を繰り返す。
目の前のやりとりが理解できなかった。
否、理解はしている。ただ感情とうまく繋がらないのだ。
それでも、危ういところで命を拾ったのはスノウの魔法によるものだと理解していた。だからクロスの中でスノウは『こちら側』で、そうでなくても人間である以上問答無用で『こちら側』なのだと信じている。けれど飛び込んでくる情報が、その判断に疑問を突き付けるようなものばかりで、困惑していた。
死亡とされていた憧れの存在が無事だったことは、純粋に嬉しかった。初めて見たその姿に驚きはしたが、「良かった」と感じた気持ちに偽りはない。
だがこれはどういうことだろう。
魔物の長と言葉を交わすスノウには、敵を前にしているという緊張が感じられない。それどころか「あり得ない」ことに親しげですらある。
これではまるで、勇者は『あちら側』のようではないか。
ぞわりとクロスの肌が粟立った。
それが意味することは。
「……中、止?」
クロスの唇から、ひび割れた声が漏れた。手の中で剣の柄が軋んだ悲鳴を上げる。
自分の声が震えていることを自覚して、クロスは笑った。
恐怖ではない。これは、怒りだ。
「剣を収めろだって……? この状況でか?」
敵陣のど真ん中。
周囲を魔物に囲まれて、目の前には敵の首領がいて。
魔物討伐の経験がないただの兵士なら、竦みあがって懇願したかもしれない。喜んで、と剣を収め助かったと涙するかもしれない。
だが、かれらは違う。
「ふざけんな。何のためにここまで来たと思ってる……!」
青い双眸が苛烈な輝きを放つ。ぎりぎりと眦をつりあげて見つめる先は、五代目勇者スノウの姿がある。
今も正面で決死の戦いを繰り広げているであろう兵士が、クロスの脳裏をよぎった。
ここで剣を収めてしまったら、彼らの犠牲はどうなる。
一頭でも一匹でも多く屠り、敵わない相手なら一太刀でも多く深手を。
そう肝に銘じてここまで来たのだ。
「あんただって、わかってるだろう!」
怒鳴るように声を張れば、かつてこの城に乗り込んだ勇者は、黙ってクロスを見つめ返した。
その少女のような顔には何の感情も浮かんでいない。怒りを露わにしたクロスの言葉に感情を乱される様子もなく、その深い色の双眸は静かに凪いだままだ。
それに、クロスの中の何かが弾けた。
「……あんたは違うのか。外の連中はどうなる、あんたの仇を取りにきた連中は! その犠牲を、簡単に切り捨てるのか!」
クロスの激昂に、戸惑うばかりだった兵士たちが、完全に動きを止めた。
それにいち早く我に返ったのは彼の親友だった。
慌ててクロスの腕を取る。
「クロス! よせ、拙い!」
周囲を憚り潜められた声に、けれどクロスは聞く耳を持たない。
レリックの手を振り払い、怒りに燃える目でスノウを見据える。その目には、既にスノウしか映っていない。
「わかってんだろ、おれもあんたも犠牲の上に立ってるんだ。なのに、この状況で魔物どもと馴れ合えってのか! そんな馬鹿な話……っ」
言葉に詰まったクロスの喉がゴクリと鳴った。
次に唇から漏れたのは、先ほどの激昂が嘘のような静かな声音だ。荒れ狂う激情が、冷たい憎悪となって流れ出る。
「おれは……おれはお前を認めない。お前は勇者なんかじゃない。魔物に寝返った裏切り者だ」
明確に紡がれた言葉は、いっそ激昂していた時よりも空間に響いて落ちた。
レリックが青褪め、背後の兵士たちの纏う空気が変わった。だが、クロスはそれに気づかない。
兵士たちにとって、『勇者』はクロス以外に存在しない。稀代の勇者とはいえ見知らぬ相手より、近しい相手に情が湧くのは人間としては当然のことだ。そして歴代勇者の例に漏れず、クロスにもまたある種のカリスマ性があった。
クロスにその意図はなかったが、周りを敵に囲まれるている現状だからこそすべては効果的に働いた。
クロスの望む行動へ、即ち先代勇者を『敵』とみなす方向へと。
怒りでぎらぎらと輝くクロスの目が、正面の敵へと向けられた。頭に血が上っていても、本来の目的は忘れようもない。幾ら先代勇者が許せずともそれは後まわしだ。魔物の長を倒す。それが最優先事項である。
クロスは体を低くし、剣を構えなおす。
その動きに呼応して、背後の黒鷺部隊も身じろぎした。それぞれに武器を構え、戦闘態勢に入る。周囲を睨めつける彼らの顔には、先ほどまでの困惑はみられない。決意がみなぎり、緩みかけていた緊張の糸が張り詰める。
「……残念だが、こいつらは時間稼ぎなど欲しくないようだぞ」
獣のような目で睨んでくるクロスに、エルは楽しげに笑った。視線をクロスに据えたまま、スノウに言葉を投げる。
「仕方ないな」
もう暫く遊んでやる、とエルの唇が動いた。音にならなかったその言葉を正確に読み取って、クロスが殺気を放つ。
エルの漆黒の爪で飾られた指が、剣の柄にかかる。
途端に放たれた殺気と闘気に、空気がびりびりと振動した。それが引き金となったのか、魔物たちの間にも再び剣呑な気配が広がり始める。スノウの登場で緩みかけていた空気が、再び戦場のそれに変わろうとしている。
それを見遣って、スノウは小さくため息をついた。
「言っておくけど、別に俺は寝返った訳じゃないよ。ただ、ちょっとの間剣を収めてくれって言ってるだけなんだ。だから……ねえ、ひとまず大人しくして貰えないかな、勇者」
首を傾げてそう言う姿は、邪気というものがまるでない。だが、乗り込んだ人間たちからすれば、それすらも怪しいものにしかみえないだろう。
暫く様子を眺めていたスノウだったが、エルとクロスを取り巻く空気に変化がないのを見取ると、再び深く息をついた。クロスは最早、スノウに注意を向けようともしない。
「……あまりやりたくはなかったけど」
独り言のように言って、つかの間スノウは目を伏せる。
差し伸べた手のひらの先に、ふわりと青い球体が姿を現した。
ひとの頭ほどの大きさのそれは、光を乱反射して輝いている。よく見れば、その表面には細い電気の糸が走り、小さく爆ぜては弾ける音を漏らしている。
スノウの唇が囁くように言葉を紡ぐ。球体はみるみるうちに膨れあがり、輝きが目を灼かんばかりになったころ、スノウは目を開ける。
青い双眸は手元の球体を映し込み、凄絶な色を放っていた。およそ体温の感じられない美しい宝石が、クロスの姿を認めて細められる。
「安心して――少し痛いだけだから」
そう微笑むスノウからは、殺気も害意も感じられなかった。状況が状況でなければ言葉通りに受け取ってしまいそうなほどの、穏やかに凪いだ瞳。
だが、クロスは違った。
背中に走る悪寒に、危険を察知する。目の前の魔物の長に対しても油断はできなかったが、現状、スノウが手にしている球体が危険だ。
エルに意識を残しつつ、クロスは背後に「下がれ」と怒鳴る。あれをそのまま向けられたら、全員ひとたまりもない。
スノウはそんな人間たちを眺め、大きく育った球体の端を摘んで引っ張った。ぐいと引き伸ばされたそれは、たちまち矢のような形へと姿を変える。
弓を引くような動作のスノウが、その照準をクロスへと向けて、放った。
電気を纏う青い矢が、一直線に空間を切り裂く。
「っ!」
想像以上の速さに、クロスは息を呑む。
軌道から逸れようと体を逸らすが、わずかに間に合わない。衝撃を覚悟して、頭を庇い体を縮める。
とん、とごく軽い衝撃が腕にもたらされた。
だがそれだけだ。いつまで待っても予想していた衝撃は訪れない。吹き飛ばされるどころか、重傷を負ってもおかしくないだけの威力はあるはずだ。それなのに、クロスはいまだ自分の足で立っている。
クロスは腕の間から、周囲をうかがう。
すると思いのほか近くにエルの姿があった。しかも、なぜかクロスに背を向ける形で。
「……どうして止めたの?」
不思議そうなスノウの声に視線をやると、相変わらずの場所に首を傾げたスノウの姿を見出す。その手には当然ながらあの球体は存在しない。
かわりに、あたりにはもうもうと白い蒸気が立ち込めていた。
エルが前方にかざしていた手を下ろす。途端に湿気を大量に含んだ風が押し寄せ、今の今まで魔法障壁が張られていたことにクロスは気づいた。
魔法障壁は無論、スノウの攻撃を防ぐものだろう。先ほどのスノウ自身の言葉がそれを裏付けている。
だが、とクロスは回りきらない頭で思う。
攻撃はまっすぐ人間たちに向いていた。正確には、クロスに。ならばなぜそれを魔物がとめる必要があるのだろう。
「……殺すつもりはないのだろう? 今の攻撃では死んでるぞ」
力の加減ができないのか、と少し詰るような口調でエルが答える。
それに、スノウは己の手のひらをまじまじと見つめ、おかしいなと言いたげな表情を浮かべた。
「そんなに強かったかなあ……加減したつもりなんだけど」
エルはそんな反応にため息で返して、体を強張らせたままのクロスを顧みた。
「全く忌々しいな。貴様のそれは聖剣か」
本物の、とエルの小さな呟きは音にならなかった。
前方にかざしていた手とは逆の手。その手のひらが、火傷でもしているかのように赤くなっている。それを目にして、クロスの中でピースがぱちりと嵌る。
火傷はエルが聖剣に触れたことを表している。となれば、あの時感じたわずかな衝撃は触れたときのものだろう。おそらくはエルがクロスを僅かに退かし、魔法障壁を張ったのだ。スノウの攻撃を防ぐために。
だが、なぜ?
そこまで整理したクロスの頭は、再び混乱していく。
エルは完全に攻撃の外だったことをクロスは覚えている。その攻撃を防ぐには、わざわざクロスの前に踏み込まねばならない。そのために意図せず聖剣に触れることになったのだ。
もし魔法障壁がなかったら、クロスは確実に吹き飛んでいた。攻撃の威力からいって、よくても身動きが取れない状態にはなったはずだ。
目の前の、魔物の長に庇われなければ。
だが、なぜ。
再び自問を繰り返す。浮かんでは打ち消し、そしてまた考えて。相手の意図を測りかねて、クロスは瞬きを繰り返した。
だがそれにも大した反応をみせることなく、相変わらずの口調でスノウが続ける。スノウを遠巻きに囲む魔物の方が、城主の怒りを恐れて怯えている有様だった。
「城から少し離れたところに魔物の気配があるんだ。それも結構な数の下級貴族」
この城はそんなにたくさんの下級貴族を抱えていないでしょう、とスノウが言う。
当然ながら、クロスには何のことかわからない。湧き上がる様々な疑問を整理する暇もなく、聞き覚えのない単語が耳に飛び込んでくる。ただ呆然と、やり取りを見つめることしかできなかった。
「それは……」
エルが思案顔になる。そして、ふとスノウを見遣った。
「……随分詳しいな?」
スノウはひらひらと手を振り、穏やかな笑顔のまま答える。
「魔力が戻ったからね。色々と見えるようになっただけだよ。とにかく何とかしたほうがいいんじゃない?」
そんなスノウを探るように睨みつつ、エルはひとつ息をついて剣を鞘に収める。硬質な音を立てて剣が収まると、魔物たちの間に再び狼狽の気配が広がる。
エルは周囲をぐるりと見渡し、背後の部下へと声をかけた。
「スイ、調べてこい。判断は任せる」
「はい」
頭を垂れて応じたのは、水色の髪をした魔物だ。長い衣を翻し、滑るような足取りで魔物たちの間に姿を消した。
「それで勇者、わざわざ邪魔をしてきた要件はこの程度か?」
「結構重要なことだと思うんだけど? あっちもこっちも戦うなんて、いくらなんでも無理だよ」
「別にこいつらを片づけてからでも遅くないがな。単に時間稼ぎのつもりだろう」
「そんなつもりじゃないけど……まあ半分くらいはあるかな?」
不機嫌な様子を隠そうともしないエルを前に、スノウはごく自然体に見えた。魔物の、長を相手に恐怖も圧倒もされていない様子である。かといって闘志を燃やしているわけでないことは、誰の目にも明らかだ。
エルの方も、不穏な気配を放ってはいるもののスノウを攻撃する意思はないようだった。鞘におさめた剣に手をやる素振りはない。とはいえ、魔法による攻撃がいつ襲ってもおかしくない状況ではある。
そんな二人を視界に収めながら、クロスは未だ降ろすことのできない剣をきつく握り締めていた。柄を握る手が、過剰な力に白く強張っていることにも気付かない。
これは一体どういうことだ、と幾度目かになる自問を繰り返す。
目の前のやりとりが理解できなかった。
否、理解はしている。ただ感情とうまく繋がらないのだ。
それでも、危ういところで命を拾ったのはスノウの魔法によるものだと理解していた。だからクロスの中でスノウは『こちら側』で、そうでなくても人間である以上問答無用で『こちら側』なのだと信じている。けれど飛び込んでくる情報が、その判断に疑問を突き付けるようなものばかりで、困惑していた。
死亡とされていた憧れの存在が無事だったことは、純粋に嬉しかった。初めて見たその姿に驚きはしたが、「良かった」と感じた気持ちに偽りはない。
だがこれはどういうことだろう。
魔物の長と言葉を交わすスノウには、敵を前にしているという緊張が感じられない。それどころか「あり得ない」ことに親しげですらある。
これではまるで、勇者は『あちら側』のようではないか。
ぞわりとクロスの肌が粟立った。
それが意味することは。
「……中、止?」
クロスの唇から、ひび割れた声が漏れた。手の中で剣の柄が軋んだ悲鳴を上げる。
自分の声が震えていることを自覚して、クロスは笑った。
恐怖ではない。これは、怒りだ。
「剣を収めろだって……? この状況でか?」
敵陣のど真ん中。
周囲を魔物に囲まれて、目の前には敵の首領がいて。
魔物討伐の経験がないただの兵士なら、竦みあがって懇願したかもしれない。喜んで、と剣を収め助かったと涙するかもしれない。
だが、かれらは違う。
「ふざけんな。何のためにここまで来たと思ってる……!」
青い双眸が苛烈な輝きを放つ。ぎりぎりと眦をつりあげて見つめる先は、五代目勇者スノウの姿がある。
今も正面で決死の戦いを繰り広げているであろう兵士が、クロスの脳裏をよぎった。
ここで剣を収めてしまったら、彼らの犠牲はどうなる。
一頭でも一匹でも多く屠り、敵わない相手なら一太刀でも多く深手を。
そう肝に銘じてここまで来たのだ。
「あんただって、わかってるだろう!」
怒鳴るように声を張れば、かつてこの城に乗り込んだ勇者は、黙ってクロスを見つめ返した。
その少女のような顔には何の感情も浮かんでいない。怒りを露わにしたクロスの言葉に感情を乱される様子もなく、その深い色の双眸は静かに凪いだままだ。
それに、クロスの中の何かが弾けた。
「……あんたは違うのか。外の連中はどうなる、あんたの仇を取りにきた連中は! その犠牲を、簡単に切り捨てるのか!」
クロスの激昂に、戸惑うばかりだった兵士たちが、完全に動きを止めた。
それにいち早く我に返ったのは彼の親友だった。
慌ててクロスの腕を取る。
「クロス! よせ、拙い!」
周囲を憚り潜められた声に、けれどクロスは聞く耳を持たない。
レリックの手を振り払い、怒りに燃える目でスノウを見据える。その目には、既にスノウしか映っていない。
「わかってんだろ、おれもあんたも犠牲の上に立ってるんだ。なのに、この状況で魔物どもと馴れ合えってのか! そんな馬鹿な話……っ」
言葉に詰まったクロスの喉がゴクリと鳴った。
次に唇から漏れたのは、先ほどの激昂が嘘のような静かな声音だ。荒れ狂う激情が、冷たい憎悪となって流れ出る。
「おれは……おれはお前を認めない。お前は勇者なんかじゃない。魔物に寝返った裏切り者だ」
明確に紡がれた言葉は、いっそ激昂していた時よりも空間に響いて落ちた。
レリックが青褪め、背後の兵士たちの纏う空気が変わった。だが、クロスはそれに気づかない。
兵士たちにとって、『勇者』はクロス以外に存在しない。稀代の勇者とはいえ見知らぬ相手より、近しい相手に情が湧くのは人間としては当然のことだ。そして歴代勇者の例に漏れず、クロスにもまたある種のカリスマ性があった。
クロスにその意図はなかったが、周りを敵に囲まれるている現状だからこそすべては効果的に働いた。
クロスの望む行動へ、即ち先代勇者を『敵』とみなす方向へと。
怒りでぎらぎらと輝くクロスの目が、正面の敵へと向けられた。頭に血が上っていても、本来の目的は忘れようもない。幾ら先代勇者が許せずともそれは後まわしだ。魔物の長を倒す。それが最優先事項である。
クロスは体を低くし、剣を構えなおす。
その動きに呼応して、背後の黒鷺部隊も身じろぎした。それぞれに武器を構え、戦闘態勢に入る。周囲を睨めつける彼らの顔には、先ほどまでの困惑はみられない。決意がみなぎり、緩みかけていた緊張の糸が張り詰める。
「……残念だが、こいつらは時間稼ぎなど欲しくないようだぞ」
獣のような目で睨んでくるクロスに、エルは楽しげに笑った。視線をクロスに据えたまま、スノウに言葉を投げる。
「仕方ないな」
もう暫く遊んでやる、とエルの唇が動いた。音にならなかったその言葉を正確に読み取って、クロスが殺気を放つ。
エルの漆黒の爪で飾られた指が、剣の柄にかかる。
途端に放たれた殺気と闘気に、空気がびりびりと振動した。それが引き金となったのか、魔物たちの間にも再び剣呑な気配が広がり始める。スノウの登場で緩みかけていた空気が、再び戦場のそれに変わろうとしている。
それを見遣って、スノウは小さくため息をついた。
「言っておくけど、別に俺は寝返った訳じゃないよ。ただ、ちょっとの間剣を収めてくれって言ってるだけなんだ。だから……ねえ、ひとまず大人しくして貰えないかな、勇者」
首を傾げてそう言う姿は、邪気というものがまるでない。だが、乗り込んだ人間たちからすれば、それすらも怪しいものにしかみえないだろう。
暫く様子を眺めていたスノウだったが、エルとクロスを取り巻く空気に変化がないのを見取ると、再び深く息をついた。クロスは最早、スノウに注意を向けようともしない。
「……あまりやりたくはなかったけど」
独り言のように言って、つかの間スノウは目を伏せる。
差し伸べた手のひらの先に、ふわりと青い球体が姿を現した。
ひとの頭ほどの大きさのそれは、光を乱反射して輝いている。よく見れば、その表面には細い電気の糸が走り、小さく爆ぜては弾ける音を漏らしている。
スノウの唇が囁くように言葉を紡ぐ。球体はみるみるうちに膨れあがり、輝きが目を灼かんばかりになったころ、スノウは目を開ける。
青い双眸は手元の球体を映し込み、凄絶な色を放っていた。およそ体温の感じられない美しい宝石が、クロスの姿を認めて細められる。
「安心して――少し痛いだけだから」
そう微笑むスノウからは、殺気も害意も感じられなかった。状況が状況でなければ言葉通りに受け取ってしまいそうなほどの、穏やかに凪いだ瞳。
だが、クロスは違った。
背中に走る悪寒に、危険を察知する。目の前の魔物の長に対しても油断はできなかったが、現状、スノウが手にしている球体が危険だ。
エルに意識を残しつつ、クロスは背後に「下がれ」と怒鳴る。あれをそのまま向けられたら、全員ひとたまりもない。
スノウはそんな人間たちを眺め、大きく育った球体の端を摘んで引っ張った。ぐいと引き伸ばされたそれは、たちまち矢のような形へと姿を変える。
弓を引くような動作のスノウが、その照準をクロスへと向けて、放った。
電気を纏う青い矢が、一直線に空間を切り裂く。
「っ!」
想像以上の速さに、クロスは息を呑む。
軌道から逸れようと体を逸らすが、わずかに間に合わない。衝撃を覚悟して、頭を庇い体を縮める。
とん、とごく軽い衝撃が腕にもたらされた。
だがそれだけだ。いつまで待っても予想していた衝撃は訪れない。吹き飛ばされるどころか、重傷を負ってもおかしくないだけの威力はあるはずだ。それなのに、クロスはいまだ自分の足で立っている。
クロスは腕の間から、周囲をうかがう。
すると思いのほか近くにエルの姿があった。しかも、なぜかクロスに背を向ける形で。
「……どうして止めたの?」
不思議そうなスノウの声に視線をやると、相変わらずの場所に首を傾げたスノウの姿を見出す。その手には当然ながらあの球体は存在しない。
かわりに、あたりにはもうもうと白い蒸気が立ち込めていた。
エルが前方にかざしていた手を下ろす。途端に湿気を大量に含んだ風が押し寄せ、今の今まで魔法障壁が張られていたことにクロスは気づいた。
魔法障壁は無論、スノウの攻撃を防ぐものだろう。先ほどのスノウ自身の言葉がそれを裏付けている。
だが、とクロスは回りきらない頭で思う。
攻撃はまっすぐ人間たちに向いていた。正確には、クロスに。ならばなぜそれを魔物がとめる必要があるのだろう。
「……殺すつもりはないのだろう? 今の攻撃では死んでるぞ」
力の加減ができないのか、と少し詰るような口調でエルが答える。
それに、スノウは己の手のひらをまじまじと見つめ、おかしいなと言いたげな表情を浮かべた。
「そんなに強かったかなあ……加減したつもりなんだけど」
エルはそんな反応にため息で返して、体を強張らせたままのクロスを顧みた。
「全く忌々しいな。貴様のそれは聖剣か」
本物の、とエルの小さな呟きは音にならなかった。
前方にかざしていた手とは逆の手。その手のひらが、火傷でもしているかのように赤くなっている。それを目にして、クロスの中でピースがぱちりと嵌る。
火傷はエルが聖剣に触れたことを表している。となれば、あの時感じたわずかな衝撃は触れたときのものだろう。おそらくはエルがクロスを僅かに退かし、魔法障壁を張ったのだ。スノウの攻撃を防ぐために。
だが、なぜ?
そこまで整理したクロスの頭は、再び混乱していく。
エルは完全に攻撃の外だったことをクロスは覚えている。その攻撃を防ぐには、わざわざクロスの前に踏み込まねばならない。そのために意図せず聖剣に触れることになったのだ。
もし魔法障壁がなかったら、クロスは確実に吹き飛んでいた。攻撃の威力からいって、よくても身動きが取れない状態にはなったはずだ。
目の前の、魔物の長に庇われなければ。
だが、なぜ。
再び自問を繰り返す。浮かんでは打ち消し、そしてまた考えて。相手の意図を測りかねて、クロスは瞬きを繰り返した。
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鏑木 うりこ
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