1 / 43
海に沈む
しおりを挟む
深い海の中、色とりどりの魚たちが群れをなして優雅に泳いでいる。
ふと群れから外れた一匹の魚が海底の砂の上で寝ていたバハルの横を通り過ぎ、彼の深紅の髪をいたずらに巻き上げた。
閉じていたまぶたがゆっくりと持ち上がり、あらわになった金の目は瞳孔が赤い色彩を放っている。腰元から伸びる立派な尾びれと、鱗に覆われた両腕をだらんと無造作に投げ出したまま、人魚は小さく呟く。
「ああ……生クリームに沈みたい」
おおよそ二メートル半はあろうかというほどの大きな身体で口にしたのはなんとも可愛らしい願望であった。
人魚という生き物は広大な海で生活し、海藻や魚、クラゲといったものを生で食している。他にゲテモノの部類にはなるが海魔という海に住む魔物も一応は食べられる。
そんな食生活を送っている人魚がなぜ海には存在しないはずの生クリームを欲しているのかというと、話は彼の前世に遡るのであった。
『海に沈んだ転生者』
佐竹透、三十五歳。食品加工会社の工場勤務。
両親はすでに他界、独身で結婚の予定もなし。趣味は未確認生命体の番組を見ることと食べること。悩みといえば三桁に到達してしまった体重くらいだ。
佐竹透とは実に平凡な人生を送っている男であった。
そんな彼が珍しく食べ物以外に興味を奪われたのは、物産展をやっていたショッピングモールへ出かけたときだった。
「世界一周豪華客船の旅かぁ……」
旅行代理店の店先に置かれていたカタログスタンド。たくさん並ぶパンフレットの中から一つを引き出して開く。
「親が残してくれた貯金もあるし、たまにはこういうのもいいかもしれないな」
平凡な人生に別に不満はないが、非日常を味わいたいという願望くらいはある。
久しく忘れていた胸が高鳴る興奮を抑えきれず、透は思いついた勢いのままパンフレットを握りしめ店へと足を踏み入れた。そして────
「いやぁ、いい旅だなぁ~」
日本を出発して早三週間。彼は豪華客船の旅をしっかりと満喫していた。料理は美味しいし途中で停泊した国も物珍しい品ばかりで透を楽しませてくれている。
現在船は南極に差し掛かり、立派な氷山などが見物だった。
「さすがに夜はかなり冷え込むなぁ」
ホットワイン片手に甲板で真っ暗な海を眺めていたのだが、そろそろ部屋へ戻った方がいいかもしれない。あまりの寒さにワインもホットからアイスへと変わってしまっている。
非日常に酔いしれるように有名俳優にでもなった気分でカッコつけてふっと笑い、くるりと海に背を向けた、瞬間だった。
「うわぁっ!?」
物凄い音と揺れが透を襲う。
立っていられず手すりに背中をぶつけた。着込んでいたおかげで痛みはなかったが、嫌な予感に心臓がバクバクと早くなる。
「たしかに俳優気分で酔いしれてたけど映画みたいな展開は望んでないぞ!」
まさか沈没なんてことはないよな、と嫌な想像をしてしまい背中に冷たい汗が流れ落ちる。
『ザザ……お客様にご連絡いたします。先ほど船体の一部が氷山と接触いたしましたが、運行に問題ありませんのでご安心ください。点検のために近くの港へ向かいますので落ち着いてお過ごしください。繰り返します──』
「ほんとに大丈夫なの、それ!?」
なんとか体勢を整えてアナウンスに突っ込む。
「いや、落ち着け。今の技術で作られた船がそう簡単に沈むわけないだろ。いやー、さすがに焦ったわ」
ふぅーと息を吐き出して、勢いよく手すりに背を預ける。大きな音も揺れも最初の一回のみで今も特に変わりなく船は進んでいた。アナウンスの通り本当に問題ないのだろう。
「あーあ、せっかくいい気分で酔っ払ってたのに。中に入って飲み直すかー」
また太るかなー、などと立派に育った腹を撫でながら呑気に考えていると不意に背中からミシッと嫌な音が耳に届いた。
体重が三桁にもなると時々聞くその音はあまり聞こえてよかった試しがない。猛烈に嫌な予感が沸き上がりその音を確認しようとするが、それよりも早くさらにバキンッと決定打の音が鳴り響き体が後ろに倒れていく。
「うわぁ!?」
船の手すりが壊れたと理解すると同時に反射的に手を伸ばす。壊れたのは一部のようで透の手は残った手すりに届き、一時的に落下を免れたかに思えたのだが──
「あっ」
普段からたいして運動もせず増え続けた三桁の体重を腕一本で支えられるはずもなく。透の手は手すりを離れ、なすすべなく落ちていく。
こんなことになるならもっとダイエット頑張っておくんだった、と過去の自分を恨む。
落下しながら動く船体に体がぶつかり激しい痛みが全身を襲った。
そしてさらに海面に叩きつけられる。ゴボゴボという耳障りな音がやけに鮮明に聞こえる半面、意識は暗く濁っていく。
すぐに痛みも冷たさも遠のいて、指先も動かなくなる。深く冷たい海に沈みゆくさなか、最後に彼の視界に映ったのは青く輝く不思議な瞳であった──……
ふと群れから外れた一匹の魚が海底の砂の上で寝ていたバハルの横を通り過ぎ、彼の深紅の髪をいたずらに巻き上げた。
閉じていたまぶたがゆっくりと持ち上がり、あらわになった金の目は瞳孔が赤い色彩を放っている。腰元から伸びる立派な尾びれと、鱗に覆われた両腕をだらんと無造作に投げ出したまま、人魚は小さく呟く。
「ああ……生クリームに沈みたい」
おおよそ二メートル半はあろうかというほどの大きな身体で口にしたのはなんとも可愛らしい願望であった。
人魚という生き物は広大な海で生活し、海藻や魚、クラゲといったものを生で食している。他にゲテモノの部類にはなるが海魔という海に住む魔物も一応は食べられる。
そんな食生活を送っている人魚がなぜ海には存在しないはずの生クリームを欲しているのかというと、話は彼の前世に遡るのであった。
『海に沈んだ転生者』
佐竹透、三十五歳。食品加工会社の工場勤務。
両親はすでに他界、独身で結婚の予定もなし。趣味は未確認生命体の番組を見ることと食べること。悩みといえば三桁に到達してしまった体重くらいだ。
佐竹透とは実に平凡な人生を送っている男であった。
そんな彼が珍しく食べ物以外に興味を奪われたのは、物産展をやっていたショッピングモールへ出かけたときだった。
「世界一周豪華客船の旅かぁ……」
旅行代理店の店先に置かれていたカタログスタンド。たくさん並ぶパンフレットの中から一つを引き出して開く。
「親が残してくれた貯金もあるし、たまにはこういうのもいいかもしれないな」
平凡な人生に別に不満はないが、非日常を味わいたいという願望くらいはある。
久しく忘れていた胸が高鳴る興奮を抑えきれず、透は思いついた勢いのままパンフレットを握りしめ店へと足を踏み入れた。そして────
「いやぁ、いい旅だなぁ~」
日本を出発して早三週間。彼は豪華客船の旅をしっかりと満喫していた。料理は美味しいし途中で停泊した国も物珍しい品ばかりで透を楽しませてくれている。
現在船は南極に差し掛かり、立派な氷山などが見物だった。
「さすがに夜はかなり冷え込むなぁ」
ホットワイン片手に甲板で真っ暗な海を眺めていたのだが、そろそろ部屋へ戻った方がいいかもしれない。あまりの寒さにワインもホットからアイスへと変わってしまっている。
非日常に酔いしれるように有名俳優にでもなった気分でカッコつけてふっと笑い、くるりと海に背を向けた、瞬間だった。
「うわぁっ!?」
物凄い音と揺れが透を襲う。
立っていられず手すりに背中をぶつけた。着込んでいたおかげで痛みはなかったが、嫌な予感に心臓がバクバクと早くなる。
「たしかに俳優気分で酔いしれてたけど映画みたいな展開は望んでないぞ!」
まさか沈没なんてことはないよな、と嫌な想像をしてしまい背中に冷たい汗が流れ落ちる。
『ザザ……お客様にご連絡いたします。先ほど船体の一部が氷山と接触いたしましたが、運行に問題ありませんのでご安心ください。点検のために近くの港へ向かいますので落ち着いてお過ごしください。繰り返します──』
「ほんとに大丈夫なの、それ!?」
なんとか体勢を整えてアナウンスに突っ込む。
「いや、落ち着け。今の技術で作られた船がそう簡単に沈むわけないだろ。いやー、さすがに焦ったわ」
ふぅーと息を吐き出して、勢いよく手すりに背を預ける。大きな音も揺れも最初の一回のみで今も特に変わりなく船は進んでいた。アナウンスの通り本当に問題ないのだろう。
「あーあ、せっかくいい気分で酔っ払ってたのに。中に入って飲み直すかー」
また太るかなー、などと立派に育った腹を撫でながら呑気に考えていると不意に背中からミシッと嫌な音が耳に届いた。
体重が三桁にもなると時々聞くその音はあまり聞こえてよかった試しがない。猛烈に嫌な予感が沸き上がりその音を確認しようとするが、それよりも早くさらにバキンッと決定打の音が鳴り響き体が後ろに倒れていく。
「うわぁ!?」
船の手すりが壊れたと理解すると同時に反射的に手を伸ばす。壊れたのは一部のようで透の手は残った手すりに届き、一時的に落下を免れたかに思えたのだが──
「あっ」
普段からたいして運動もせず増え続けた三桁の体重を腕一本で支えられるはずもなく。透の手は手すりを離れ、なすすべなく落ちていく。
こんなことになるならもっとダイエット頑張っておくんだった、と過去の自分を恨む。
落下しながら動く船体に体がぶつかり激しい痛みが全身を襲った。
そしてさらに海面に叩きつけられる。ゴボゴボという耳障りな音がやけに鮮明に聞こえる半面、意識は暗く濁っていく。
すぐに痛みも冷たさも遠のいて、指先も動かなくなる。深く冷たい海に沈みゆくさなか、最後に彼の視界に映ったのは青く輝く不思議な瞳であった──……
2
あなたにおすすめの小説
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
リヴァイヴ・ヒーロー ~異世界転生に侵略された世界に、英雄は再び現れる~
灰色キャット
ファンタジー
「君に今の時代に生まれ変わって欲しいんだ」
魔物の王を討伐した古き英雄グレリア・ファルトは死後、突然白い世界に呼び出され、神にそう言われてしまった。
彼は生まれ変わるという言葉に孫の言葉を思い出し、新しい人生を生きることを決意した。
遥か昔に生きていた世界がどう変わっているか、発展しているか期待をしながら700年後の時代に転生した彼を待ち受けていたのは……『英雄召喚』と呼ばれる魔法でやってきた異世界人の手によって破壊され発展した――変貌した世界だった。
歴史すら捻じ曲げられた世界で、グレリアは何を求め、知り……世界を生きるのだろうか?
己の心のままに生き、今を知るために、彼は再び歴史を紡ぐ。
そして……主人公はもう一人――『勇者』、『英雄』の定義すら薄くなった世界でそれらに憧れ、近づきたいと願う少年、セイル・シルドニアは学園での入学試験で一人の男と出会う。
そのことをきっかけにしてセイルは本当の意味で『勇者』というものを考え、『英雄』と呼ばれる存在になるためにもがき、苦しむことになるだろう。
例えどんな困難な道であっても、光が照らす道へと……己の力で進むと誓った、その限りを尽くして。
過去の英雄と現代の英雄(の卵)が交差し、歴史を作る!
異世界転生型アンチ異世界転生ファンタジー、ここに開幕!
――なろう・カクヨムでも連載中――
転生したら、伯爵家の嫡子で勝ち組!だけど脳内に神様ぽいのが囁いて、色々依頼する。これって異世界ブラック企業?それとも社畜?誰か助けて
ゆうた
ファンタジー
森の国編 ヴェルトゥール王国戦記
大学2年生の誠一は、大学生活をまったりと過ごしていた。
それが何の因果か、異世界に突然、転生してしまった。
生まれも育ちも恵まれた環境の伯爵家の嫡男に転生したから、
まったりのんびりライフを楽しもうとしていた。
しかし、なぜか脳に直接、神様ぽいのから、四六時中、依頼がくる。
無視すると、身体中がキリキリと痛むし、うるさいしで、依頼をこなす。
これって異世界ブラック企業?神様の社畜的な感じ?
依頼をこなしてると、いつの間か英雄扱いで、
いろんな所から依頼がひっきりなし舞い込む。
誰かこの悪循環、何とかして!
まったりどころか、ヘロヘロな毎日!誰か助けて
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
転生の水神様ーー使える魔法は水属性のみだが最強ですーー
芍薬甘草湯
ファンタジー
水道局職員が異世界に転生、水神様の加護を受けて活躍する異世界転生テンプレ的なストーリーです。
42歳のパッとしない水道局職員が死亡したのち水神様から加護を約束される。
下級貴族の三男ネロ=ヴァッサーに転生し12歳の祝福の儀で水神様に再会する。
約束通り祝福をもらったが使えるのは水属性魔法のみ。
それでもネロは水魔法を工夫しながら活躍していく。
一話当たりは短いです。
通勤通学の合間などにどうぞ。
あまり深く考えずに、気楽に読んでいただければ幸いです。
完結しました。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
セーブポイント転生 ~寿命が無い石なので千年修行したらレベル上限突破してしまった~
空色蜻蛉
ファンタジー
枢は目覚めるとクリスタルの中で魂だけの状態になっていた。どうやらダンジョンのセーブポイントに転生してしまったらしい。身動きできない状態に悲嘆に暮れた枢だが、やがて開き直ってレベルアップ作業に明け暮れることにした。百年経ち、二百年経ち……やがて国の礎である「聖なるクリスタル」として崇められるまでになる。
もう元の世界に戻れないと腹をくくって自分の国を見守る枢だが、千年経った時、衝撃のどんでん返しが待ち受けていて……。
【お知らせ】6/22 完結しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる