海に沈んだ転生者

月椿

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海に沈む

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 深い海の中、色とりどりの魚たちが群れをなして優雅に泳いでいる。
 ふと群れから外れた一匹の魚が海底の砂の上で寝ていたバハルの横を通り過ぎ、彼の深紅の髪をいたずらに巻き上げた。
 閉じていたまぶたがゆっくりと持ち上がり、あらわになった金の目は瞳孔が赤い色彩を放っている。腰元から伸びる立派な尾びれと、鱗に覆われた両腕をだらんと無造作に投げ出したまま、人魚は小さく呟く。

「ああ……生クリームに沈みたい」

 おおよそ二メートル半はあろうかというほどの大きな身体で口にしたのはなんとも可愛らしい願望であった。
 人魚という生き物は広大な海で生活し、海藻や魚、クラゲといったものを生で食している。他にゲテモノの部類にはなるが海魔という海に住む魔物も一応は食べられる。
 そんな食生活を送っている人魚がなぜ海には存在しないはずの生クリームを欲しているのかというと、話は彼の前世に遡るのであった。



『海に沈んだ転生者』



 佐竹透、三十五歳。食品加工会社の工場勤務。
 両親はすでに他界、独身で結婚の予定もなし。趣味は未確認生命体の番組を見ることと食べること。悩みといえば三桁に到達してしまった体重くらいだ。
 佐竹透とは実に平凡な人生を送っている男であった。
 そんな彼が珍しく食べ物以外に興味を奪われたのは、物産展をやっていたショッピングモールへ出かけたときだった。

「世界一周豪華客船の旅かぁ……」

 旅行代理店の店先に置かれていたカタログスタンド。たくさん並ぶパンフレットの中から一つを引き出して開く。

「親が残してくれた貯金もあるし、たまにはこういうのもいいかもしれないな」

 平凡な人生に別に不満はないが、非日常を味わいたいという願望くらいはある。
 久しく忘れていた胸が高鳴る興奮を抑えきれず、透は思いついた勢いのままパンフレットを握りしめ店へと足を踏み入れた。そして────

「いやぁ、いい旅だなぁ~」

 日本を出発して早三週間。彼は豪華客船の旅をしっかりと満喫していた。料理は美味しいし途中で停泊した国も物珍しい品ばかりで透を楽しませてくれている。
 現在船は南極に差し掛かり、立派な氷山などが見物だった。

「さすがに夜はかなり冷え込むなぁ」

 ホットワイン片手に甲板で真っ暗な海を眺めていたのだが、そろそろ部屋へ戻った方がいいかもしれない。あまりの寒さにワインもホットからアイスへと変わってしまっている。
 非日常に酔いしれるように有名俳優にでもなった気分でカッコつけてふっと笑い、くるりと海に背を向けた、瞬間だった。

「うわぁっ!?」

 物凄い音と揺れが透を襲う。
 立っていられず手すりに背中をぶつけた。着込んでいたおかげで痛みはなかったが、嫌な予感に心臓がバクバクと早くなる。

「たしかに俳優気分で酔いしれてたけど映画みたいな展開は望んでないぞ!」

 まさか沈没なんてことはないよな、と嫌な想像をしてしまい背中に冷たい汗が流れ落ちる。

『ザザ……お客様にご連絡いたします。先ほど船体の一部が氷山と接触いたしましたが、運行に問題ありませんのでご安心ください。点検のために近くの港へ向かいますので落ち着いてお過ごしください。繰り返します──』
「ほんとに大丈夫なの、それ!?」

 なんとか体勢を整えてアナウンスに突っ込む。

「いや、落ち着け。今の技術で作られた船がそう簡単に沈むわけないだろ。いやー、さすがに焦ったわ」

 ふぅーと息を吐き出して、勢いよく手すりに背を預ける。大きな音も揺れも最初の一回のみで今も特に変わりなく船は進んでいた。アナウンスの通り本当に問題ないのだろう。

「あーあ、せっかくいい気分で酔っ払ってたのに。中に入って飲み直すかー」

 また太るかなー、などと立派に育った腹を撫でながら呑気に考えていると不意に背中からミシッと嫌な音が耳に届いた。
 体重が三桁にもなると時々聞くその音はあまり聞こえてよかった試しがない。猛烈に嫌な予感が沸き上がりその音を確認しようとするが、それよりも早くさらにバキンッと決定打の音が鳴り響き体が後ろに倒れていく。

「うわぁ!?」

 船の手すりが壊れたと理解すると同時に反射的に手を伸ばす。壊れたのは一部のようで透の手は残った手すりに届き、一時的に落下を免れたかに思えたのだが──

「あっ」

 普段からたいして運動もせず増え続けた三桁の体重を腕一本で支えられるはずもなく。透の手は手すりを離れ、なすすべなく落ちていく。
 こんなことになるならもっとダイエット頑張っておくんだった、と過去の自分を恨む。
 落下しながら動く船体に体がぶつかり激しい痛みが全身を襲った。
 そしてさらに海面に叩きつけられる。ゴボゴボという耳障りな音がやけに鮮明に聞こえる半面、意識は暗く濁っていく。
 すぐに痛みも冷たさも遠のいて、指先も動かなくなる。深く冷たい海に沈みゆくさなか、最後に彼の視界に映ったのは青く輝く不思議な瞳であった──……
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