自分を変えたい元社会人のボクシングライフ

陰猫(改)

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第4章【プロへの道】

第36話【原点回帰】

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 天原選手との試合までの特訓中でのロードワーク。
 俺と鈴木さんは再び、甲斐選手と遭遇する事となる。

「・・・鈴木さん。お話する時間はありますか?」

 少し疲労感の見える甲斐選手の言葉に鈴木さんはしばし、考えてから応じる事にした。
 恐らく、以前、坂田さんにジムの移籍を断られたのが、相当にショックだったのだろう。
 近くの喫茶店で俺と鈴木さん、甲斐選手は各々の飲み物を注文して話をする事となる。

「あれからオーナーと色々と話しました。
 最初は僕の事を消耗品か何かだと思っているのだと思っているのではないかと思っていました。
 だけど、実際はそれが僕のわがままになにも言わず、付き添ってただけだったんです。
 世界を目指すのなら、否応なしに試合を申し込まれる。
 僕はそれがどんな意味かも解らず、オーナーのせいにしてしまった。
 ここもで話をして、改めて自分が勘違いしている事に気付きました」
「勘違い、ですか?」

 鈴木さんの問いに甲斐選手は頷く。

「僕は天才だとか新人王と期待され、天狗になっていたんです。
 最初の頃からオーナーが何度も止めてくれてたのも、今、思えば、こう言う事だったのでしょう。
 それにジムの仲間も僕の事をずっと気に掛けてくれました。
 それなのに僕は最強と言う称号が欲しいままにひたすら走って、色んな物を置いてきてしまった」
「つまり、獅童さんはジムの皆さんが止めるのも聞かず、自身で試合を無作為に選んでいたと?」
「無作為にと言う訳ではありませんよ。
 少しでも勝つ見込みのある試合を受けていたつもりです。その為に貴方とも戦った」

 そこまで言うと甲斐選手はモカフラペチーノをストローで啜る。
 最強と言う称号を得る為に甲斐選手は今まで様々な手でジムのオーナーさんと交渉して来たのか・・・。

「ですが、坂田さんの言葉で僕の本当に必要な事が見えました。
 僕に必要だったのは信頼関係だったんですね?」
「・・・」

 その言葉に鈴木さんは何も言わず、コーヒーを口に含む。
 そんな鈴木さんの代わりに俺が問う。

「これから甲斐選手はどうするんですか?」
「移籍の件自体はごく一部の人間しか知りません。ですが、それでも僕がオーナー達を信頼を蔑ろにしたのは事実です。
 このまま、別のジムへの移籍も考えましたが、今は信じてくれたオーナー達にもう一度、答えたいと思います。
 僕は一から信頼を取り戻し、再びリングに立ちます。
 それが険しい道であろうとそれが僕の選んだ道なんですから」

 甲斐選手はそう言うと少し寂しげに笑って、「それに」と付け足す。

「実は今のジムは父の形見なのですよ」
「・・・それは初耳ですね?」
「だからこそ、多少の無茶がまかり通ったんです。
 しかし、坂田さんと鈴木さんのペアを見て、自分にないものを見付けた気がしたんです。
 それに天原選手のあの戦いぶり・・・このままではいけないと思いました」

 そこまで聞いて、鈴木さんはコーヒーの入ったカップを置いて甲斐選手をまっすぐ見詰めた。

「順風満帆な人生なんて、ありませんよ。
 貴方にはその経験が足りなかっただけです」
「・・・でしょうね。それは自覚しています」
「ですが、それは恥じることではありません。獅童さんはまだ若い。やり直しは何度でも利きます」

 鈴木さんはそう言って、甲斐選手を励ます。
 ジムの人間以外を鈴木さんが励ますのは珍しい。
 それだけ、獅童甲斐との言う人物に思うところはあったのだろう。

「ゼロからのスタートになるかも知れません。信頼を再度、取り戻すのは困難でしょう。
 ですが、これまで獅童さんが好き勝手やって来た事を許してくれていた事を咎める事もせず、受け入れてい来てくれていた貴方のジムの方々なら、きっと受け入れてくれると思いますよ?」

 甲斐選手はその言葉に「そう、でしょうか?」とやや不安そうだった。

 そんな甲斐選手に鈴木さんは苦笑する。

「そうでなければ、自分と坂田さんとのコンビでドローなんて事にはなりませんよ。
 貴方はあなたが思っている以上に一人ではないんです。それを踏まえて、もう一度、一からチャレンジして見てはどうでしょう?」

 その言葉に甲斐選手の瞳の中に輝きが戻る。
 そして、その顔には何か付き物の落ちたような表情をしていた。

「また、鈴木さんと試合出来るでしょうか?」
「険しい道だとは思いますが、その時を待ってますよ。自分も応援しています」

 そこでようやく、甲斐選手は笑った。
 最強に固執する不敵な笑みではなく、どこまでも純粋な子供のような笑みを・・・。

 こうして、獅童甲斐は新たな門出を迎え、再び1からプロボクサーを目指して。今いるジムで頑張る事を宣言するのだった。
 そんな甲斐選手を見送ってから、俺は鈴木さんに聞いてみる。

「信頼を裏切ってまで、うちのジムに来ようといていたのに獅童さん、また前のように受け入れて貰えるんですか?」
「大丈夫でしょう。元は御家族の経営いしていたジムらしいですから、武者修行だとか言っておけば、どうとでもなるでしょうから。それにーー」

 そこで鈴木さんが言葉を中断し、窓の方を眺める。
 連れて俺もそちらを見ると甲斐選手のオーナーさんが彼を待っていた。
 甲斐選手とオーナーはそこで言葉を交わすと甲斐選手は涙し、そんな甲斐選手をオーナーが抱き締めて背中を優しく叩く。

「獅童さんは本当に良い方に恵まれてますよ。きっと、また戻って来るでしょう」

 鈴木さんはそう告げると会計を済ませ、喫茶店を出る。
 解ってはいたが、ボクサーにも色々いるのだなと俺は痛感する。
 甲斐選手にもこれで最強を目指す理由以外にも守るべきものが出来ただろう。

 甲斐選手がプロボクサーとして再び、リングに上がるのはまだ先だろうが、もしも、また鈴木さんと試合になるとなったら、どうなるのか・・・。

 きっと、甲斐選手も成長して良い試合になるかも知れない。
 その時は彼もただ、戦うだけでなく、誰かの為に戦うのだろう。

 その時を考えつつ、俺と鈴木さんは再び練習を再開するのだった。
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