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隣国の思惑

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   ロワール王国の西隣はミュウレ帝国という広い国土を持つ大国であった。両国の国境は、地図上では白壁山脈の尾根で分けてある。

   標高1万メートルを越える山が連なっている白壁山脈は人跡未踏の地だ。
   山脈の中腹より上にはAランクのアースドラコンが巣を作り、中腹より下では同じくAランクのワイバーンが飛び回る。

 白壁山脈の麓には山脈を取り囲むように森が広がっている。ゴブリンやコボルトというEランクの魔物はおろかBランクやCランクの魔物も生息している。例え、ゴブリンのような下位の魔物でも、数が勝れば『衆寡敵せず』である。人族を含む亜人族の立ち入りを許さなかった。

 南北に走る白壁山脈の北端と南端には広大な森が存在している。一つはエルフの里がある『迷いの森』で、もう一つはBランク以下の魔物が多数生息する『魔物の森』である。この三つの障壁のために、ロワール王国とミュウレ帝国には、互いを行き来する道が無かった。そのため、大国ミュウレ帝国の侵攻対象にならなかったが、代わりに通商も行われなかった。
 


   ロワール王国でスタンピード討伐が終わった三日後の昼過ぎ。
 ミュウレ帝国の王城では、ドンガ・ミュウレ帝が大声を上げていた。
「ばかもの! 昨日まで在った山が一夜で消えるか!」
「しかし、戻ってきた警備隊員の報告では間違いなく消失していたと」
『そんな事は絶対に有り得ない』と思いこんでいるミュウレ帝。
 そして、戻って来た警備隊員が全員同じ報告を上げてくるので、信じるしかない警備隊長とでは話しが噛み合わない。

 結局、宰相が中に入って折衷案を出した。
「私が見て参りましょう」
 先代から使える老宰相のマルタがそう言えば、ミュウレ帝は引き下がるしかなかった。
 王都から東の白壁山脈までは、そう遠くないと言っても馬で半日以上かかる距離だ。マルタ宰相は翌朝に出発する許可をミュウレ帝から得た。

 白壁山脈がある東部方面には城や砦が無い。東から敵が来ることを想定していないからだ。今まで、魔物が麓の森から出てきた事もなかった為に、魔物に対する備えも講じていなかった。そのため、山脈に行く途中で立ち寄れる場所が少ない。
 マルタ宰相は王都から一番東にある村に来ていた。大きな街や砦であれば替え馬を用意できるが、小さな村では馬さえ売っていない。

 マルタ宰相を乗せた馬車がこの村に到着したのは、日が大きく西に傾いた頃だった。
「今日はここで泊まり、明日の朝一番で白壁山脈に向かう」
 白壁山脈までは、もう遠くない距離だ。だが、往復の時間を考えたら、今日はここに泊まるしかなかった。小さな村なので宿が無いから、情報収集も兼ねて村長の家に泊まることにした。

 夕食の後に村長から話を聞く。
 この村は帝国の中では一番、白壁山脈に近い。それでも、麓の森の外縁までは、そこそこの距離がある。山脈の麓の森の外縁部では貴重な薬草が採れるので、この村の収益源の一つになっていた。そのため、村人は万が一に備えて護衛団を組み、定期的に薬草の採集をしていた。

「ここ一ヶ月ほどのことですが、麓の森の外縁部付近で多数の魔物の群れを見かけるようになりました。それで、村の者には森に近づかないように注意をしていたのです」
 マルタ宰相は興味深く村長の話を聞いていた。そして、疑問を口にした。

「今まで魔物が森の外縁部付近に来る事は無かったのか?」
「はい、滅多にありませんでした。念のために村人総出で薬草採集をしていましたが、外縁部まで出てくるのは、せいぜいゴブリンやコボルトくらいで数も少なかったのです」

 それでも、村の貴重な収益源なので、つい先日護衛団を組んで薬草採集に向かったと村長は言った。
 ところが、森に近づくと今までと景色が違った事に気づいた者がいました。そして、その者が山脈をよく観察すると、いつの間にか南端の二山が無くなっていた事に気づいたのだそうです。

 村人たちは薬草採集を諦めて村に戻り、その事を村長に報告した。村長は一大事とばかりに、村で唯一の自分の馬に乗って隣町の帝国警備隊の駐屯所に知らせた。とうぜん、警備隊員も確認するために現地まで馬を走らせる。

 駐屯所の警備隊長も最初は、村長の報告を信用しなかった。でも、万が一事実なら報告を怠った自分は罰せられる事になる。警備隊長は自己保身の為に、複数名の隊員を確認に向かわせた。
 結果的に、その判断に間違いは無かった。衝撃的な事実は一人二人の報告では信じられないが、五名の者が全員「同じ光景を見た」と言えば隊長も信じない訳にはいかない。
すぐさま王都に向けて連絡鳥が放たれた。

 ミュウレ帝国の王城で、その報告を受けた王国警備隊の総隊長は驚愕した。
「そんな馬鹿な。あり得ない事だ。こんな荒唐無稽の報告を帝王にしたら俺の首が飛ぶわ」
 自分が信じられないものを報告すれば結果は目に見えている。総隊長はすぐさま現地に隊員を向かわせた。しかも、一個小隊で総勢四十名である。

「報告は班ごとに分けてしろ。村人の証言を忘れるなよ」
 五名の班員が分かれて報告に帰ってくれば、報告の信頼度も上がると総隊長は考えた。だが、それでも信用しない者はしない。そして、権力を持つ者ほど、その傾向は強くなる。

 村長の話を聞いたマルタ宰相はもはや疑ってはいなかった。それでも自分の目で見る必要があったため、翌朝早くに村を出た。村から山脈の麓まで行く街道は無い。マルタ宰相は馬に乗り換えた。そのため、移動速度が上がり、予定よりも早く山脈が見える場所まで来られた。

「聞いてはいたが、実際に見ると信じられない光景だな」
 宰相の言葉に、側にいた護衛官が答える。
「本当ですね。まさか山が消えるなんて」
 宰相は持ってきた白壁山脈の形状を記した地図を開いて、目の前の景色と比べた。

「間違いなく、南の山が二つ消えている」
 実際は見比べる必要も無い。山の南端は広大な空き地になっていた。宰相たちは近くで調べるべく、南下しながら山脈の方へと向かった。

 白壁山脈の南端に着いた宰相は思わず声を上げた。
「なんだこれは! 我が国からロワール王国に通じる道が出来ているではないか」
 それは道と言うには、あまりにも広大なものだった。幅数キロ、長さ数十キロに及ぶ空き地が続いている。草木の一つも無い土地だった。

 宰相が最初に思った事は、この道を使って交易が出来るのではないかという事だった。国土の拡大を考えるミュウレ帝と違って、マルタ宰相は国が富む事を第一に考えている。
『交易の要所として、また防衛の要としても城を中心とした都市が必要になる』と思った。

 宰相は王都にトンボ返りした。詳細な調査は国土院に任せればいい。今は何よりもミュウレ帝に現状を報告して、都市の建設と街道の整備を急がなければならない。
「急ぐぞ」と言って宰相は馬の腹を軽く蹴った。

 マルタ宰相は帰りの馬車の中で、ミュウレ帝に上奏する内容を考えた。
「時間がかかるのは城の建造だ。しかし、資材の搬入や人員の移動を考えれば街道の整備が先だな。後は城を中心にした区割りで都市を造ればいい」

 宰相にとって山が二つ消失したことは問題ではない。邪魔な森が魔物ごと消えて長大な道が現れた事の方が問題なのだ。この現象がどう起こったかという事より、この現象により今後どのように国が変化するのかという方が大事だった。 

『それでも、ロワール王国の対応を知る必要がある』とマルタ宰相は考えた。
 ロワール王国が我が国と交易する意志があるか、そうだとしたらお互いの需要品目と供給品目が何になるのか。そして、自分の一族と派閥の利権をどう組み込ませるか。
「やる事が多くて大変だが、それだけに利権も多い」と呟いて、マルタは小さく笑った。
 


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