公爵家の養女は静かに爪を研ぐ 〜元々私のものですので、全て返していただきます〜

しましまにゃんこ

文字の大きさ
15 / 61

第十五話 王太子は、静かに疑う

 ◇◇◇

 王城の執務室は、いつもより重苦しかった。窓から差し込む光は柔らかい。それでも、空気は張り詰めている。
「学園内での小さな衝突が、増えています」
 宰相の低い声が、静寂を切り裂いた。リュシアンは机に広げられた報告書に目を落とす。
 決闘未遂。
 不可解な言動。
 理由なき怒り。
 どれも大事には至っていない。だが、貴族同士の争いが“増えている”という事実が、王家にとっては何よりも不穏だった。

「偶然とは思えぬ、ということか」
「はい、殿下。偶然で片付けてしまうにはあまりにも不可解な事件が多くて……」
 その言葉に、リュシアンはわずかに眉を寄せた。
 人の心。それは、最も扱いづらく、そして最も危険なものだ。
「精霊絡みの可能性は?」
「確証はありません。ただ……」
 宰相は一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「古い文献にある“囁き”の記述と、似ている点があると」
 リュシアンの胸が、かすかにざわついた。

 ――囁き。
 精霊が人に干渉する際、力ある存在ほど直接姿を見せず、心の奥に言葉を落とすという伝承がある。
 王家は精霊の存在を否定しない。だが、同時に深入りもしない。均衡を崩すからだ。

「調査は続けろ。ただし、表沙汰にはするな」
「御意」
 宰相が一礼して下がると、部屋には再び静けさが戻った。リュシアンは椅子にもたれ、天井を仰ぐ。
(……学園、か)
 脳裏に浮かぶのは、一人の少女。
 アリサ。水の精霊に選ばれし存在。
 それ自体は祝福であり、同時に試練でもある。彼女の周囲で、妙な“軋み”を感じ始めたのは、いつからだったか。

 誰かが焦り、誰かが怒り、誰かが追い詰められている。それは彼女のせいではない。だが、彼女の存在が“引き金”になっているのも否定できない。
(守るだけでは、足りないのかもしれないな)
 王太子として、国を守る立場として。そして一人の人間として。

 ふと、窓の外に動く影が目に入った。白と黒。一瞬、猫のようにも見えたが、次の瞬間には消えている。
(……気のせいか)
 だが、不思議と胸の奥が静まった。まるで、「見られている」のではなく、「見守られている」と感じたかのように。

 リュシアンは静かに立ち上がった。闇が動いているなら、光もまた動かねばならない。王家は遅れてはならない。だが、焦ってもならない。精霊も、人も、選択の連続だ。
(俺は、どちらの選択をする王になる?)
 答えはまだ、見えない。それでも彼は歩き出す。
 王太子として。
 そして――一人の青年として。

感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】時戻り令嬢は復讐する

やまぐちこはる
恋愛
ソイスト侯爵令嬢ユートリーと想いあう婚約者ナイジェルス王子との結婚を楽しみにしていた。 しかしナイジェルスが長期の視察に出た数日後、ナイジェルス一行が襲撃された事を知って倒れたユートリーにも魔の手が。 自分の身に何が起きたかユートリーが理解した直後、ユートリーの命もその灯火を消した・・・と思ったが、まるで悪夢を見ていたように目が覚める。 夢だったのか、それともまさか時を遡ったのか? 迷いながらもユートリーは動き出す。 サスペンス要素ありの作品です。 設定は緩いです。 6時と18時の一日2回更新予定で、全80話です、よろしくお願い致します。

【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ

⚪︎
恋愛
 公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。  待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。  ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

《完結》とんでもない侯爵に嫁がされた女流作家の伯爵令嬢

ヴァンドール
恋愛
面食いで愛人のいる侯爵に伯爵令嬢であり女流作家のアンリが身を守るため変装して嫁いだが、その後、王弟殿下と知り合って・・

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

心の中にあなたはいない

ゆーぞー
恋愛
姉アリーのスペアとして誕生したアニー。姉に成り代われるようにと育てられるが、アリーは何もせずアニーに全て押し付けていた。アニーの功績は全てアリーの功績とされ、周囲の人間からアニーは役立たずと思われている。そんな中アリーは事故で亡くなり、アニーも命を落とす。しかしアニーは過去に戻ったため、家から逃げ出し別の人間として生きていくことを決意する。 一方アリーとアニーの死後に真実を知ったアリーの夫ブライアンも過去に戻りアニーに接触しようとするが・・・。

すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜

まりー
恋愛
   ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。  でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。