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一話

サイバーパンク・シティガール

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 最後に花を見たのはいつだっただろうか──
 ふと、そのようなことを考えた。幼い頃の記憶を辿りながら、窓の外を覗く。
 私は今年から高校生になった。あの頃から月日は流れ、急速な都市開発によって鉄の街となったここマージシティからは、いつの間にか緑は跡形もなく消えていた。

「おはよう、ツムギちゃん」
「おはよう、サエ」
 友人のサエが私に声をかける。
「今日、なんか学校が騒がしいね。何かあったの?」
 私はサエに尋ねた。
「ツムギちゃん、ブラントートって聞いたことある? その話でみんな盛り上がってるみたい」
「ブラントートって……都市伝説の?」
 最近この街で話題になっている未確認生物の呼び名だ。聞いた話だと、白く光る身体をもっているだとか。多少の目撃情報もあるようだが、この街にそんな生き物がいるわけないし、私はあまり信じていない。
「それが、昨日の夜ここの近くで見た人がいるんだって。公安が来て、すぐに一帯を封鎖されちゃったみたいだけど」
「公安が?」
 公安とは、この街の治安維持を行う公的機関である。彼らが動いたというのなら、本当にブラントートはいたのだろうか。どちらにせよ、昨日捕らえられたのだったらもう話を聞くことも無さそうだ。
 
 今日の授業が終わり、放課後となる。
「ツムギちゃん、どの部活に入るか決まった?」
 サエが私に尋ねた。
「私は部活には入らないかな。バイトあるし」
「そっか……。ツムギちゃん大変だもんね」
「私のことは気にしなくていいよ。サエは何かの部活に入るの?」
「私は華道部に入ろうかと思ってるの」
 サエは答えた。
「華道部? 花があるの?」
「勿論作り物の花なんだけれどね」
 サエは答えた。手先が器用なサエには、とても似合いそうだ。
「いいね。素敵だと思う」
「ありがとう。ツムギちゃん。それでね、大変なのは分かっているんだけれども、もし時間があったら、ツムギちゃんにも今度見にきて欲しいなって……」
サエは言った。
「わかった、きっと見に行くよ」
私はそう答えて、学校を後にした。

 電車に乗り、私はバイト先へと向かう。この時間帯から陽は沈み始め、街はネオンサインの灯りで輝きだす。眠らない街と言うのだろうか。夜だというのに目が眩むほど眩しい。
 マージシティは、世界的に見ても有数の大都市であり、最先端、最新鋭の技術が溢れる街だ。
 外側だけ見れば、この街の煌びやかさは憧れの対象となるのだろう。だが……実際に住んでみないと見えない部分もある。
 どれほどテクノロジーが発達しても、全てが全て良くなるわけでもない。そうして浮かび上がる負の面も。
「第四区サウスゲートに到着いたしました」

「あ……IDカード、そろそろ更新しなきゃなのか」
 この街に落ちる暗い影、その理由の一つ。それは公安による厳重な市民の管理だった。
 この街の全ての住人にはIDが振り分けられていて、電車を利用する際、店に入る際、更にはネットワークを使用する際など……様々な場面でIDが必要となる。
 常日頃から公安は私たちの様々な情報を管理し、監視しているのだ。……高度に発達したからこそ、管理が必要になるというのは分かるが、窮屈で息の詰まる街だと常々思わされる。
 ……まあ、そのおかげで犯罪や揉め事はほぼ起こらず、私のような高校生でも夜の街で安全にバイトができているのだが。

「ツムギちゃん、今日当番の人が遅れるらしくてさ、悪いけどもう少しだけ入っててくれるかな」
「わかりました。構いません」
 バイト先で店長にシフトの延長を頼まれたので、私は引き受ける。どうせ他にやりたいこともなかったので、バイトの時間が増えることはむしろありがたかった。

「ただいまー……」
 バイトを終え家に帰る。両親は私が幼い頃に他界したので、家には私一人だ。
 叔父の厚意で、高校に通うためこの部屋に一人暮らしをさせて貰っていたが、あまり会ったこともない叔父に負担をかけることは忍びなく、少しでも学費や生活費を稼ぐため私は毎日バイトをしていた。
 テーブルにつき、用意した夕食を食べる。普段見ることは無かったが、その日は何となくテレビの電源を入れた。
「トルミナ社のアンドロイド〝マキア〟が、あなたの生活を彩ります! マージシティの皆様に、夢と希望を!」
 陽気な音楽と共に、テレビコマーシャルが流れている。
「……ないよ、そんなの」


 高校に入ってから三週間が経ち、この生活にも慣れてきた頃。
「ツムギさん、凄い!」
 クラスの誰かが声を上げた。体育の授業で、私が走り高跳びをしたときだった。
「ツムギさん、どうしてそんなに高く飛べるの?」「何の部活に入っているの?」
 クラスメイトが口々に聞いてきた。
「いや、部活は特には……」
 私がそう答えると、様々な部活の勧誘をされてしまう。ありがたい気持ちもあったが、サエの華道部すらまだ見にいけていないのに、他の部活に行く時間なんてあるはずもなかった。

「しっかり断るべきだったかな……」
 あの様子だとまた勧誘されてしまうかもしれない。有耶無耶な回答で濁してしまった事を少し後悔した。
「ツムギちゃん、優しいもんね」
 サエが教室で笑いながら話す。
「ツムギちゃん、高校に入ってから毎日バイトに行ってるよね」
 サエの言葉に、私は少し動揺した。
「ごめん、サエ。華道部には私も早く行きたいんだけど──」
「あっ、違うの。そういうことを言いたかったわけじゃなくて、辛い顔一つ見せないからツムギちゃんはやっぱり強いなって」
「辛くはないよ。サエが友達でいてくれてるからかな」
 私は軽く笑いながらサエにそう返した。

 その日、バイトに向かう街角で高校生のグループが目に入った。放課後に友達と遊び歩いているといったところか。
 羨ましいだとかは思わない。他人と私は違う。何事も、自分に合った生き方というものはある。偶々これが、私にとって相応しい生き方だったと言うだけ。
「自分らしさを見つけ出す! 機械化技術で貴方らしい生き方を!」

 バイトを終えた後、私はまっすぐ家に帰らず、街の湾岸に足を運んだ。ここは繁華街から離れていたので、街の喧騒から逃れ、心を落ち着かせることができた。
 遠くの対岸には、第一区の明かりが見える。第一区はかなり離れている筈だが、ここまで光が届くなんて、あちらは相当明るいようだ。
 強い光に照らされるほど、影もより一層濃くなると言う。さしずめ私はこの街の影といったところか。
 ……今日学校でサエに言った言葉、あれに嘘は無い。確かに私の暮らしは同年代の子たちとは少し違ったが、こうして学校に通わさせてもらえて、サエのような優しい友人もいる。これ以上を望むのは高望みというものだ。サエに心配をかけたくもないし、疲れた様子は見せないようにしよう。


 それから数日経ったある日、バイトを終え家に帰ろうとした際、店長から明日は臨時休業で店を休むと言う旨を知らされた。
 この生活に慣れ過ぎたのか、バイトが一日できなくなったことに対して不安を感じるほどだったが、明日こそサエの華道部を見に行けるのだと思うと、嬉しくもあった。

 次の日の朝、いつものように学校へと登校している際、見たことのない男が声をかけてきた。男は丸いサングラスをかけたアロハシャツ姿で、見るからに怪しい風貌だった。
「お嬢ちゃん、最近、身体に異変を感じる事はないか? 電気が流れるような痛みを感じたり、身体が以前より丈夫になったりすることだ」
男は私を覗き込むようにして問いかけてきたが、私は無視してその場から去ろうとした。
「何かあったら、呼んでくれお嬢ちゃん」
 男がそう言ったのが聞こえた。明らかに頭がおかしい男だったので、しつこく付き纏われるかと思ったが、男は追ってこなかった。

 教室では、皆がまたブラントートの話をしていた。てっきりこの前公安に捕らえられたものだと思っていたが。まあ、それよりも今日は放課後に華道部を見に行ける。サエは喜んでくれるだろうか。

「サエ、来たよ」
 放課後、私は華道部の部室に訪れた。
「ツムギちゃん! 来てくれたんだね!」
 サエはとても嬉しそうな顔で私を迎える。
「みなさん、この人がツムギちゃんです」
 サエが他の部員に私を紹介する。この様子だと、もうしかして日頃から部員に私の話をしていたのだろうか? 嬉しい気もするが、流石に恥ずかしかった。
「あなたがツムギさんね。サエからいつも話は聞いていたわ。せっかくだから、見るだけじゃなくて体験してみたらどう?」
 部員が私に尋ねた。私は快諾し、活動に混ざってみる。
「ツムギさん、とても手先が器用ね」
 部員が言った。
「ですよね! ツムギちゃんは小さい頃からなんでもできちゃうんです」
 サエが嬉しそうに私を褒める。
「ぜひとも、今日だけと言わず今後も活動に参加して欲しく思うのだけれど、やっぱり難しいのかしら?」
 部員が言う。嬉しい誘いではあったが、それはできないと伝えた。今日は偶々来ることができたが、次はいつ顔を出せるか分からなかったので、仕方なかった。
「無理を言ってごめんなさい。でも、もしまた来れる日があったら、遠慮なく顔を出してくれると嬉しいわ。部活動だけとは言わず、一緒に遊びましょう。遅れたけど、私の名前はユズハ」
「私はシノです!」
 隣にいた別の部員も声を出した。
「ありがとう、ユズハさん、シノさん」
 
 その日は、久しぶりにサエと一緒に帰った。
「よかった、ツムギちゃん、みんなと仲良くなれて」
 サエが言った。もしや、サエは私の友達を作るために頑張ってくれていたのだろうか。
「ツムギちゃんって、いつも忙しいから、あまり周りの子と関わらないじゃない? でも、ツムギちゃんの事をみんなが知ってくれたら、必ず仲良くなれると思ったの」
「……ありがとう、サエ」
 そう言った瞬間、サエに勢いよく誰かがぶつかってきた。
「きゃっ⁉︎」
 サエは驚く。
「あっ、カバン……!」
 ぶつかってきた男はサエのカバンを奪っていた。私は路地裏に逃げた男をすかさず追いかける。

「待てっ!」
「うぐっ!」
 私は男を捕まえ、サエのカバンを取り返すと、男はそのまま逃げていった。
 サエから遠く離れてしまいそうだったので、それ以上は追わなかった。
 なんだあの男は? 公安が監視しているこの街で、こんなことをするなんて……。 そう考えているうちに、サエが私に追いついた。
「ツムギちゃん!」
「サエ、カバン、取り返せたよ」
「ありがとうツムギちゃん。……でも、カバンなんてどうでもよかったよ。こんな路地裏まで危ない人を追っかけて、ツムギちゃんに何かあったら……」
 サエが珍しく感情的になっていたので、私は言葉に詰まってしまった。
「……サエ、心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。とりあえずここを出よう」
 その場を取り繕うように私は言った。

 帰りの電車の中で、サエは下を向いて一言も話さなかった。
 そして電車を降り、サエと別れようとした際にサエが口を開いた。
「ツムギちゃん。ツムギちゃんは私のために頑張ってくれたのに、さっきは酷いこと言ってごめん……」
 酷いことを言われたとは思ってなかったが、サエは考え込んでしまっていたようだ。
「やっぱりツムギちゃんって、とても運動神経がいいよね。鉄骨をひょいひょい飛び越えて、二階まで飛んで追いかけてたのを見た時はびっくりしちゃった。私も追いかけたけど、すぐに引き離されちゃったし」
 私はえっ、と思った。無我夢中で男を追いかけていたのであまり記憶に残っていないが、そんな事をしていたのだろうか。二階まで飛ぶとは、流石に誇張していると思うが。
「サエ、カバンのことは気にしないで。また明日会おう」
 とりあえず私はサエにそう答えた。
「うん、また明日。ツムギちゃん」


 それから数週間経ったある日、教室がやけに騒がしい事に気づいた。また例のブラントートの話だろうか? そう思ったが、どうやら今回は違うらしい。
「サエ、みんな何を話しているの?」
 私はサエに尋ねた。
「明日は白燐祭だから、みんなそのことを話しているんだと思うよ」
 白燐祭。一年に一度、このマージシティ全体を上げて行われる巨大な催しだ。私は行くつもりもなかったので、頭からすっかり抜け落ちていた。そうか、明日なのか。
「華道部のみんなに白燐祭に行こうって誘われたから、私も行こうと思ってるの。それで、ツムギちゃんも来れないかなってみんなが言ってるんだけど、どうかな? 私も、ツムギちゃんが来てくれると嬉しい」
 サエは言った。
「……ごめん、私は行けないや。私のことは気にせず、みんなと楽しんできて」
 こう何度もサエの誘いを断ることは心苦しかったが、やはり私にそういった時間は無かった。

 学校を終え、バイトへと向かう電車の中から外を覗くと、明日の白燐祭に向けて街も動いているようだった。白燐祭は第一区が主となって毎年開かれるが、私の住む第四区までその影響が及んでいるのは、流石街全体をあげての祭りだといったところだろうか。
 ──私は幼い頃、父に白燐祭に連れて行ってもらったことがあった。しかし、その翌年に父が他界してからは、もうずっと行っていない。断片的な記憶しか残っていないが、楽しかったことは覚えている。
 ふと、朧げな父との記憶が蘇ってきた。
 そうだ、幼い頃に見た花、あれは父に見せてもらったものだ。既にその頃には街の開発が大幅に進んでいたはずなので、数少ない本物の花だったのだろう。
なんという花であったか……それがどうしても思い出せなかった。
 私は、自分の両親のことをほとんど知らない。なぜ両親が死んだのか、それすらも幼い私には聞かされていなかった。今叔父に聞けば、教えてもらえるだろうか。
 ただ、知りたい気持ちは勿論あったが、知ることができなかったとしても……それはそれで構わなかった。  

 バイト先のお客さん達は明日の白燐祭の話題で持ちきりだった。普段はお客さんが何を話しているかなど気にしたことはなかったが、一度意識し始めてしまうと、やけに気になる。
 ここ最近の民衆の公安に対する不満を発散させるために、明日の白燐祭は規制が緩くなるだとか、祭は大企業の新技術のお披露目会場であるとか──まぁ、私には関係のない話だろう。サエ達が楽しめることを願うばかりだ。
「ツムギちゃんは、やっぱり明日の白燐祭に行くんだろう?」
 従業員の人が私に声をかけた。あまり話しかけられたことが無かったので、少し驚いた。
「いえ、私は行かないんです」
  ──興味がなかったと言えば、嘘になる。だが私自身、遊ぶことに対する罪悪感のようなものがあった。加えて、同年代の子のように年相応にはしゃぐことに慣れていない私が行ったところで、かえってサエ達に気を使わせてしまうかもしれない。だから行けなくても、それでいいと思った。

 バイトが終わり、着替えて帰ろうとした際、店長から急に呼び止められた。
「ツムギちゃん、ここ毎日ずーっとシフト入ってるでしょ。高校生なんだから、明日くらい遊んできなよ。休みにしてあげるからさ」
 店長から思わぬ提案をされ、私は声が上擦ってしまう。
「えっ、でも──」
「大丈夫!有給休暇にしとくから! 家、大変なんでしょ? 他の従業員達もツムギちゃんの分まで働くから安心して羽を伸ばしてこいだってさ! 上の人には内緒ね!」
「あ、ありがとうございます!」
 まさかの展開だった。流石にここまでしてもらったら行くしかない。何だかんだ言って、やっぱり行けるとなると期待が膨らむものだ。
 私はすぐにサエ達に連絡をした。サエ達の喜ぶ反応に、私も嬉しくなった。

 家に戻り、携帯を確認すると、サエから明日の集合場所についてメッセージが送られてきていた。文章だけでも、サエの気分の上がりようが見て取れる。こうして休日に遊ぶのはいつぶりだろうか。楽しみだ。私はサエに返信をして、電気を消して寝ようとした。その時、
「痛ッ……!」
 突然、焼ける様な痛みが身体を襲った。思い当たる節がない激痛に私は戸惑う。明日は何もないといいが……。少し不安だったが、痛みはすぐに治まったので私はそのまま眠りについた。


「おはよう、みんな」
 集合場所には、既にサエ、ユズハさん、シノさんが集まっていた。白燐祭が始まるのは十八時からなのだが、今は十二時。随分早い集合だ。
「今から、白燐祭の前哨戦として、第四区の街を探索します!」
 サエが声高に言った。
「えっ?」
 私が不思議そうな顔をしたのを見て、三人がにやつく。
「今日は、今どきの女子高生らしい一日をツムギちゃんにも堪能してもらうよ!」
 
「ツムギちゃん! 似合ってる! 超かわいいよ‼︎」
「ツムギさんは美人さんだから、着飾れば映えると思っていたわ」
「次はこの服も行ってみましょう!」
 まず連れて行かれたのは衣料品店だった。色々な服を次から次へと試着させられる。確かに、休日に遊ぶことはほとんど無いので、まともな私服を持っていなかったのはあるが……。三人とも、自分が着ているわけじゃないのにとてつもなく楽しそうにしている。ただ、サエがこれほどまでにはしゃいでいるところを見るのは久しぶりだったので、悪い気はしなかった。

「このお店、とても美味しいんですよ!」
 服を選んだ後は、シノさんに連れられて綺麗なカフェに入った。こういった店に入るのは初めてだ。
「ご注文はお決まりですか?」
 店員が声をかけてきた。
「フラペチーノをください!」
「じゃあ私は……」
 皆が自分の注文をする。
「えっ、今の店員さんって……」
 私は驚いた。一見普通の人間のようにしか見えなかったが、関節部分にある繋ぎ目や、所々の動きの違和感……あれは、アンドロイドだ。
「商品名から取って、この街ではマキアって呼ばれてますね。こういう有名なお店だとマキアを導入してる所も結構あるんですよ。私たちの第四区だとまだあまり見ないですけど、第一区の方だともっと普及してるらしいです」
 シノさんが言う。マキアの存在は知っていたが、実際に動いているところを見るのは初めてだった。
「ところで、ツムギさんは自分が学校で有名人なの知ってますか?」
「へ?」
「ツムギさんってうちの学年でよく話題になってるんです。運動ができて、美人で、物静かな雰囲気。男女関わらずファンが多いですよ。」
 シノさんが言った。
「そ……それは知らなかった……」
「ふふ。それで、ツムギさんは恋愛とか興味ないのかしら?」
 ユズハさんが言う。
「ええっ⁉︎」
「ツムギちゃんはこういう話学校ではしないものね」
「ちなみに私の好きな人は俳優のジル・ブライトです! あの筋肉が堪りませんね」
「あなたのは聞いてないわよ」
「ははっ」
 四人で、暫くの間談笑した。
 楽しい。友達と休日に会い、一緒の時間を過ごす。これだけで、こうも楽しい気分になれるとは。……ずっと今日この日が続いてほしいとすら思うほどだ。
「ツムギさんは笑顔だと更に素敵ね」
「今日の楽しみはまだまだこれからですよ!」

 時計は十七時を回り、白燐祭の始まりが近づいていた。
「第一区なんてほとんど行く機会が無いから、ドキドキするね」
 サエが言った。
「まぁ、私たちの第四区でも白燐祭に関連した催しは開かれるんですけどね。中継もされますし。でも、どうせなら白燐祭の中心を第一区で味わいたいですよね」
 シノさんが言った。
「第一区はまさにマージシティの顔。この街の最先端が詰まっているわ」
 ユズハさんが言った。第一区は、他の区と違って住宅街は無い。この街の技術力を支える大企業の本社が集まる一等地だ。街一番の繁華街としての側面もあるが、富裕層向けの高級店が殆どで、私たちのような子供には白燐祭でもなければ縁のない場所だった。
 
 今日は電車の本数が増えてはいるものの、第一区行きは流石に超満員だ。駅の外まで人の列が溢れている。というか、これ、本当に乗れるのか?
「ふっふっふ、ツムギさん、そっちじゃありませんよ」
 シノさんが不敵に微笑む。どういうことだろう? 電車で第一区に向かうのではないのだろうか?
「グリッドモノレールを予約しておきました。最近開通したんですよ。マージシティの上空を通りますので、道中も楽しめるはずです。まぁ、人気が凄くて、十八時到着ギリギリの便になってしまいましたが」

「第一区行き、発車いたします」
 アナウンスと共に、私達を乗せたモノレールが動く。マージシティを上から見下ろすのは初めての経験だ。陽も暮れ始め、今日も街のネオンライトが目立ち出す。相変わらず歪な輝きだが、改めて見ると意外と綺麗かもしれない。いつもは煩わしく感じるだけだったこの輝きが、なぜ今日はあまり悪い気がしないのだろう。──友人達と一緒にいるからだろうか。
 ガラスに映る自分を見ながら、ふとこの街と……私自身について考えてしまった。
 私は、この街に流されるまま生きてきた。自分で何かをしたい、変えたいと思った事もない。期待して、それに裏切られるのが怖かったから。
 ……この街に暗い影が落ちるもう一つの理由。それは貧富の差が年々拡大していることだった。
 強い者はさらに強く、弱い者はさらに弱くなる街。今を辛うじて生きている私が、この先、この街にいて自分の明るい未来など想像できる筈もなかった。叔父の負担でしかない自分が嫌になったこともあった。自分の生きる意味に疑問を持ったことも。
 「辛いと思ったことは無い」? いや、ある。それに気づかないよう、目を逸らしていただけ。
 分不相応なことは望まず、これが自分の運命だと諦めて受け入れれば、日々のささやかな優しさだけでも十分生きていける。それが、私の生き方だった。
 なのに。今日一日を過ごして、思ってしまった。この幸せから離れたくないと。楽しいはずなのに、怖い。今日がいつかは終わってしまうことが。
 ……年に一度の催しだ。バイトなんて、一日くらい休もうと思えば休めたかもしれない。それでも、私はサエの誘いを一度断った。こうなるのが怖かったからか?
「ツムギちゃん、大丈夫?」
 サエの声が聞こえて、ハッとした。
「ごめんね、景色に感動しちゃって」
 私は咄嗟にごまかしてしまった。すると、ユズハさんが口を開いた。
「ツムギさんから今日来れるという連絡をもらった時、私は嬉しかったし、同時にホッとしたわ。ツムギさんはとても大人びているけども、ふとした時に見せる表情は、やっぱり高校生のそれ。今日くらいは、年相応の女の子としてツムギさんに楽しんで欲しかった」
「ツムギさんが来てくれて嬉しかったのは私も同じですよ! 本日のメインイベント、一緒に楽しみましょう!」
 シノさんも続けて言った。
「ありがとう、みんな。楽しもう」
 私は皆の優しさを噛み締め、そう答えた。
 そして、モノレールが第一区内へと入ったとき───
「見てください! 外!」
 大きな音とともに、花火が上がった。色鮮やかなレーザーが照射され、ホログラムが空中に映し出されている。
「少し早いですが開会セレモニーが始まったみたいですね! 上から見るのも中々素敵じゃないですか⁉︎」
 ──これが、この街の中心、第一区。圧倒的な熱量だ。私達の第四区もかなり開発が進んでいる筈だが、第一区はその数段上を行っている。私は、外に見える第一区の景色から暫く目を離すことができなかった。

「第一区メインゲート、到着いたしました」
 街中に、軽快な音楽が鳴り響いている。とてつもない人の数だが、マキアが整備に当たっているため、混乱はしていない。第四区では珍しかったマキアが、当たり前のように街中にいる。それどころか、人に混ざって祭りを楽しんでいるマキアすらいないか?
「あれはおそらく個人で購入されたマキアです! 流石第一区ですね」
「第一区では公安の公務すらマキアが担ってる部分があるんですよ」
 シノさんが語る。私が知らないだけで、アンドロイド技術は相当進んでいるようだ。
 アンドロイドだけじゃない。ここには、見たこともない最新の設備や、機器が溢れている。

 前方に巨大なステージが見えた。周囲の飛行する機器が、ステージをレーザーで彩っている。
 すると、ステージ上に誰かが出てきたのが分かった。ここからだとあまり見えないが……。
「頭上に電子モニターがあるわ」
 目線を上げると、モニターにステージの様子が映し出されていた。とても綺麗な女性がステージに立っているのが見える。アイドルか何かだろうか?
 瞬間、空気が変わる。女性が歌い出すと同時に、それまで騒がしかった周囲が一気に静かになった。それほど衝撃的な美声だった。

 女性が歌い終わると、後ろからスーツの男が姿を表した。
「皆さま、今宵は如何お過ごしでしょうか。私、トルミナ社のブロートと申します」
 トルミナ社。このマージシティ最大手のアンドロイド生産会社だ。
「既にお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、たった今ステージで歌唱を披露したこの女性、何を隠そう我が社のアンドロイドシリーズ、マキアの最新モデルでございます。」
 ……冗談だろう?表情から、細かな仕草まで、それはどう見ても人間にしか見えなかった。声だってアンドロイドとは──。
 そんな私の戸惑いをよそに、アンドロイドの証であるシグナルライトが、彼女の首元で点灯している。アンドロイドと人間を判別するため、設置が義務付けられているものだ。
「新型マキアは、基本的な性能の向上に加えて、今までのシリーズ以上に喜怒哀楽の発現や、自律的な思考が可能となっています。これまでのアンドロイドは、労働力の供給としての側面が強いものでしたが、これからは、皆様の良き友人やパートナーとしての側面も持ち合わせることになるでしょう」
 ステージ上の男はそう語った。
「あの人、トルミナ社の社長さんですよ。トルミナ社はセントラルクオーレと密接な関係ですからね。実質あの人もマージシティのトップみたいなもんです」
 シノさんが言った。成程、あの人が……。
「私からは以上です。では、引き続き白燐祭をお楽しみください」

「ねぇ、みんな、あそこのお店見てみようよ!」
 先ほどいた場所から離れて街中を散策していた時、サエが声を上げた。サエがそう言って指差した店は、花が並べられていた。
 店に入ると、サエとシノさんはとても興奮した様子で、奥へと進んでいった。
「第一区にも、こういう店あるんだ」
 並べられた花を見つめながら、私は呟いた。
「華道部の血が騒ぐわね。ツムギさんも、花は好きなのよね?」
 ユズハさんが私に尋ねる。
「うん。とは言っても、最近はめっきり触れていなかったけど」
 私は答えた。
「この街には自然が無いからね。触れる機会も自ずと少なくなる。……ここにある花ですら、全て造花。これも綺麗だけれど、やっぱり生きた花が恋しくなるわね」
 造花であっても、基本的には元となった生花が存在するはずだ。私は店内を見渡しながら──父と見た花を探していた。
 しばらくして、サエとシノさんが店の奥から戻ってきた。
「見てくださいよ! これ!」
 シノさんが溢れんばかりの花を手に抱えている。
「シノ、流石に買いすぎじゃないかしら」
「いやいや、第四区じゃ売られてないような花や材料が結構あったんですよ! 第一区なんて滅多に来ないんですからこの機会に買っとかないと!」
 シノさんの姿に、私も笑った。

 店を出て少し歩くと、第一区に架かる巨大な橋が見えた。
「ラグナブリッジも今日は盛大にライトアップされてますねー。あっ、今はパレードに人が集まっているから、水上バスにすぐ乗れるかもですよ」
 シノさんの言った通り、丁度席が空いていたので、私たちは水上バスに乗ることにした。

 水上バスは、ラグナブリッジをくぐり、第一区の周囲を回る。私はその様子を窓から見つめた。街中に鳴り響いていた音楽も、ここからだとあまり聞こえない。風の音と共に、白燐祭の象徴である白い炎を模した灯りが、水面に輝いていた。
 ──ふと周りを見たとき、サエの姿が無い事に気づく。
「サエさんなら、上に行きましたよ」

 遊歩甲板に登ると、サエの姿があった。
「あっ、ツムギちゃん」
「見て、さっき買ったんだ」
 そう言うと、サエは白い花を見せてきた。勿論造花ではあったが──とても綺麗な花だった。
「元となった花の名前は、マグノリア。花言葉は、自然への愛。素敵だよね」
 ──マグノリア。そうだ。思い出した。あの日父と見た花、それはマグノリアだった。……こんな形で、思い出せるなんて。
「さっきみんなも言っていたけど、私もツムギちゃんが今日来てくれて、本当に嬉しかった」
 サエが言う。
「覚えてる? ツムギちゃんと私が初めて会った時のこと。六歳くらいの時だったかな。私がこの街に引っ越してきたばかりの頃、私が親とはぐれて泣いていたら、偶々会ったツムギちゃんが私にこの街を案内してくれたよね」
「……覚えてるよ」
「私と同じ歳の子が、こんなにしっかりしてるなんてって、とても驚いた。その後、両親がいなくて、一人で暮らしてるって聞いた時はもっと驚いたかな。それからずっと、ツムギちゃんは私にとって強くて、憧れの存在」
「……」
「だけど、ツムギちゃんに頼るだけなんじゃなくて、私もツムギちゃんを支えられるようになりたかった。友達として。そうは言っても、結局大したことできてないんだけどね」
「……私にできることは、どんな時でもツムギちゃんの友達でいること。偉そうだけど、もしツムギちゃんが辛くなった時、居場所になりたい。何年後もこうして、一緒に白燐祭に来れるような」
 サエは笑いながら、そう言った。
 ──なぜか私は、独りで全てを抱え込んでいるような気でいた。いつでも隣に、こんなにも私のことを考えてくれる存在がいたのに。
 今日が終わってほしくないと思っていた。違う。そうではなくて、今日を糧に、また明日から生きればいいのだ。それが、この街で生きるということなのかもしれない。
 でも、もし辛いと感じてしまった時は……またサエに、頼らせてほしい。
 サエ、私白燐祭に行くことが少し怖かった。この幸せを知ってしまったら、元の日常に耐えられなくなってしまうかもしれないと思ったから。でも、もう大丈夫。今は来て良かったと、心から思うよ。
「また来たい。みんなと。白燐祭に」
「うん。また来ようね。みんなで」
 私の大切な友達、サエ。──ありがとう。

 時計は十一時を回り、白燐祭の終わりが近づいていた。
「最後までいたい気もしますが、明日は学校もあるし、早めに帰りますか」
 シノさんが言った。
「私たちの年齢でこんな遅くまでいる方が珍しいわよ。今日は十分楽しんだわ」
 帰りは電車だ。行きほどではなかったが、やはり駅はとても並んでいた。乗れるのは何分後になるだろう……そんなことを考えていたら、突然サエが声を上げた。
「ごめんみんな! さっきの場所でどうしても買いたいものがあったの忘れてた! 遅くなっちゃうから、みんなは先に帰ってて! 今日はありがとう!」
「あっサエさん……!」
「行ってしまったわ……一緒に行っても構わなかったのに」
 時間も時間だ。閉まる店も出てくるだろう。サエは私たちの返事も聞かずに行ってしまった。何を買うつもりだったのだろう?……まぁ、明日も会えるし、その時に話を聞こう。

 十五分ほど経ち、そろそろ電車に乗れそうだった時──周囲が急に騒がしくなった。私は不思議に思ったが、その理由は、電子パネルに映し出された映像を見てすぐ理解できた。
「第一区メインストリートで、正体不明の巨大な生き物が暴れております。既に重傷者もでており──」
 アナウンスと共に、今のメインストリートの様子が、中継されている。そこに映し出されたのは、白く光る身体を持った異様な生き物。
「あれって……ブラントートってやつじゃないのか」
 誰かが言ったのが聞こえた。ブラントート? あれが? 映像に映るその姿は、私の聞いた話より何倍も大きい。いやそんなことより──
「メインストリートって……私たちがさっきまでいた──」
「サエ‼︎」
「あっ、ツムギさん!」
 私は走り出した。改札を飛び越え、階段を飛び降り、メインストリートへと向った。

 やはりメインストリートは大混乱だった。人が逃げる方向の反対側に、例のブラントートらしき姿が見える。
 あれがブラントート──? 映像で見るよりも遥かに威圧感があった。動物というよりは、怪物だろうか。大きな身体で、いとも容易く鉄の柱をへし折っている。公安の警護用マキアが集まっていたが、それも全て蹴散らしていた。
 私は走りながらサエに電話をかけた。
「サエ! 今どこ⁉︎」
「ツ、ツムギちゃん、私今───きゃっ⁉︎」
 何かが割れる様な大きい音が通話越しに聞こえたと同時に、接続が切れる。まさか。今あの怪物が突っ込んだ建物の中……?
 私は全速力でその建物の方へ向かい、割れたガラスの隙間から中へ入り込んだ。あたりを見渡すが、サエの姿は見当たらない。怪物は内部を徘徊していたが、私に気づいていなかったので、私は階段から二階へと駆け上がる。
「サエ!」
「ツムギちゃん!」
 サエと、おそらく逃げ遅れたのであろう人が一人いた。
「サエ、逃げるよ!」
「こ、この人、怪我をしていて上手く歩けないの! 私よりこの人を先に逃せないかな」
「……!」
 ここはいつ崩れても不思議ではない。すぐに外に出なければならなかった。しかし、下の階にはあの怪物がまだいるので、動けない人を連れて下の階に降りるのは危険すぎる。私は考え、数秒言葉に詰まった後、言った。
「下にいる怪物を私が引きつけるから、その間にこの人を連れて逃げて」
「えっ──」
 私はサエの返答も聞かず、下の階に向かった。怪物は、私を見ると、こちらに飛び込んでくる。私は怪物を誘導する様に、出口とは反対方向に走った。サエ達が外に出さえすれば、マキア達が保護してくれるだろう。それまで、何とか時間を稼ぎたい。
 後ろを確認すると、サエ達が階段から降りてきているのが見えたので、怪物の視界にサエ達が入らない様、私は反対側の階段から二階へと怪物を誘い出した。怪物が壁や柱を破壊しながら突っ込んでくる為、この建物は今にも崩れそうだった。私も早く外に出なければならない。
 ──そろそろサエ達は外に出られただろうか。そう思った瞬間、
 電気が走る様な激痛が私を襲った。
 昨晩よりもその痛みは鋭く、私は堪らずその場に膝をついてしまう。こんな時に……。私は後ろを振り返る。
 不思議なことに、怪物は私を見ながら、唸り声を上げてその場に立ち止まった。と思ったや否や、先程より興奮した様子で私に向かって突っ込んでくる。 
「うわっ!」
 私は辛うじて身をかわしたものの、衝撃で吹き飛ばされ、建物の外に放り出されて地面に転がる。
「そこの人、ここは危険です。速やかに離れてください」
 周りを見渡すと、先ほどよりも大勢のマキアが建物を取り囲んでいた。
「今さっき、怪我人を連れた女の子がここから出てこなかった⁉︎」
「その2人なら、駅に向かわせました。あなたも向かってください」
 遅れて怪物が外に飛び出してくる。身体は動いたので、私は急いでそこから離れた。怪物はマキア達に抑えられていたが、ずっと私に対して叫んでいる様に見えた。

「ツムギちゃん!」
「サエ、無事でよかった」
 駅にはサエの姿があった。先ほど以上に駅は人で溢れていたが、電車は動いているようだった。皆、先ほどの怪物──ブラントートの話をしている。
「見たか?あの白く光る身体」
「ただの噂じゃなかったんだな」
 あれほど近くで見たのに、現実味が無い。超常的な光を放ち、機械の街には到底似合わない、神秘的とも言える姿。
「ツムギちゃん、あの、ありがとう──」
 サエが色々と言いたそうにしていた。サエの事だ、私の心配をしているのだろうが、見たところ私よりもサエの方が憔悴している。
「大丈夫。休んでて。話したい事は、明日話そう」
 携帯にはユズハさん達からのメッセージがあった。どうやら無事に第四区に帰れたようだった。
 その時、駅構内に警報が鳴り響く。人々が驚き、狼狽える暇もなく、轟音と共に壁が砕け落ち──その奥にあの怪物の姿が見えた。
 構内は一瞬でパニック状態になる。人々は我先にと逃げ惑い、とてつもない混乱だ。
「皆様、落ち着いて南口方面へと避難してください」
 瞬間、怪物と目が合う。
 まさかとは思った。だけども、あの時見た怪物の異様な行動。あいつは私を追ってきた──?
「……サエ。後で必ず連絡する。私はいいから、先に逃げて」
「ツムギちゃん! 待って!」
 私は北口方面へと走った。怪物は大勢の人間には目もくれず、私一人に向かってくる。やはりそうだ、あいつは私を狙っている。
 駅にも警護のマキアはいたが、簡単に薙ぎ払われてしまっている。アンドロイドを壊す力を人間である私が受けたらどうなるか、想像に難くない。当然、恐怖はあった。しかし、怪物が私を狙っている以上、こうしないとサエや他の人達を危険に巻き込んでしまう。もう少し時間を稼げば、公安がこいつを何とかしてくれるかもしれない……。一縷の望みにかけて、私は走った。
 第一区の駅だけあって、内部は相当広く、道が入り組んでいる。また、立体的な作りとなっていたので、怪物を視界から外すことなく、距離を取る事ができた。
 怪物は疲弊していたのか、先程よりも勢いがない。これならなんとかなるかもしれない……そう思った時、怪物が大きく口を開くのが見えた。
 次の瞬間、怪物は衝撃波のようなものを私に飛ばしてきた。私の身体は宙に浮き、駅のガラスを突き破りながら、隣の建物まで吹き飛ばされた。
 全身が痛い。なんだそれは。そんな事ができるなんて、どうやって逃げればいいんだ。
 怪物が私に向かって、再び口を開く。
「うわっ!」
 私は避けようとしたが、また身体を吹き飛ばされる。壁に叩きつけられ、頭から血が流れた。怪物が私に迫ってきていたので、立ち上がって逃げ出したかったが、足が思うように動かなかった。
 ──私、死ぬ? そう頭によぎったと同時に、身体が恐怖で震える。……嫌だ。
 私の瞳から、涙が流れる。心のどこかで、死にはしないと思っていた。こんな突然迎えるものなのか。
 涙と共に溢れたのは後悔だった。怪物に立ち向かったことにでは無い。昨日まで、空っぽな人生を歩んできた私自身への。
 サエは、私を強いと言ってくれた。ごめん、サエ。サエの前では格好つけたかっただけ。私は、強くなんてない。
「死にたくない──」
 泣きながら、その場にうずくまる。
 ──その時、先程のマキアが使っていた武器が……近くに転がっているのが見えた。
「……!」
 私はふらつきながらもそれに向かって走り、武器を拾い上げる。しかし、追ってきた怪物に身体を掴まれ、持ち上げられてしまった。
「うぁっ……!」
 身体を締め上げられながらも、私はその刃を振り上げ──怪物の眼に突き刺した。
 怪物は悲鳴を上げ、暴れ回る。私は投げ出され、床に転がった。そして、怪物は壁や柱にその身体をぶつけながら……近くにあった燃料タンクに突っ込んだ。
 瞬間、フラッシュが起こり、
「え────」
 辺り一面を爆炎が包む。


「~~~!」
 ……ここはどこだ? 外だろうか? 爆発に巻き込まれた筈だ。どうして私は生きているんだ? あの怪物はどうなった? 意識がはっきりしない。
「~~~!」
……さっきから誰かが叫んでいる。よく聞こえない、なんて言っている?

「化け物……ブラントートだ!」

「───え?」
 ブラントート? さっきの怪物がまだ近くにいるのか?……いや違う。私に言っている。
 その時、自分の身体の異変に気づく。私の身体は、あの怪物の様に白く光る波動に包まれていた。
「この白い光を放つ化け物をさっき見ただろう! 危険だ、近寄るな!」
 誰かが叫ぶ。
「ち、違う、私は──」
「公安を呼べ!」
「……ッ!」
 私は怖くなって、逃げ出した。自分の身体に何が起こっていたのか、分からなかった。不思議なことに、あれほど痛かった身体が、今は簡単に動いた。
 私は走り、人の声が聞こえなくなった後も、走って、走って、走り続けた。街頭モニターからは、今日の事件を知らせるアナウンスが途切れることなく流されていた───。


 ──あれから丸一日は経っただろうか。昨日私の身体から浮かび上がっていた白い波動は消えていたが、やはりIDで足跡を残す事は怖くて、ホテルに入ることも、交通機関を使う事もできない。携帯は壊れている。サエは無事だろうか。──私はどうなるのだろうか。
「あのブラントートは、公安にとっても規格外だったようだな」
 丸いサングラスとアロハシャツを身につけた、見覚えのある男が姿を表した。
「……あなたは、何」
「端的に言うとお嬢ちゃんの味方さ」
「……私は、何」
「知ってる事は教えてやる。だが、雨の中じゃ身体を壊すぜ。ひとまずここから動くぞ」
「……サエの所に行かなきゃ」
「彼女は無事だが、今接触するのはお勧めできない」
「……」
「もう一度言うが、ここから動くぞ。昨日の後始末で、第一区は公安がうろついているからな」
「……」
「挨拶がまだだったな。俺の名はフジミヤ。お嬢ちゃんは?」
「……ツムギ。シノハラツムギ」


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