臨時雇用執事の使用人育成記

椿

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プロローグ

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 子供の頃に ただ一度だけ目にしたその姿を
 今でも 忘れられないでいる


 食品、衣服、装飾、娯楽などの様々な店が連なり、人の行き来が絶えない通り。
 特に裕福でもなく、しかし日々を生き抜くほどの蓄えはあるだろう人間たちが、あらゆるところでざわざわとした喧騒を作りだしている。
 かくいうレイノルドも、良く言えば活気あるこの音の一端を担っている1人であった。

「っレイノルド?どうした?」

 互いの両親の職場近く、歳の近い友人と追いかけっこをしていた最中、ふいに動きを止めたレイノルドに、背後の友人が不思議そうな顔で尋ねる。
 駆け足で近づいた彼は、逃げる役だったレイノルドの肩に未成熟なその手で抜け目なく触れてから、弾んだ息を整え出した。
 その友人の問いかけも、行動も、周囲の騒がしい喧騒も、自身の呼吸ですら些末なことに思えてしまうくらいに、レイノルドは、一瞬で『その人』に視線を奪われていた。

『その人』の佇まいは、平民ばかりが集うこの繁華街ではっきり言って異質である。
 全身を取り巻く、皺の一つもあろうはずがない漆黒のタキシード。
 コントラストが映える首元の詰まった白いシャツは、光の角度によって表情を変える質のよさそうなネクタイにぴしりと固定されている。
 その尾の行きつく先、チラリと除くグレーのベストが、視線外に対する手抜かりの無さを如実に表現していた。
 一部の隙も見せない印象的な薄手の黒い手袋と、触れたら何の摩擦も感じない程につるりと磨かれた革靴で末端を完璧に覆っている中、短い黒髪を後ろに撫でつけて、惜しみなく肌を外気にさらしている顔面は、シミ一つなく滑らかで、酷く整っている。
 薄い扉で閉ざされた安っぽいブティックの前で微動だにしない彼は、さながら納品先を間違えた高級店のマネキンのようであった。

 乾いた口内を、意識的に唾液で潤す。
 背後にかかる友人の制止の言葉など終ぞ認識できないまま、レイノルドは主に地面を走り回ることにしか使用されていないくたびれた靴で、衝動的に『その人』の元へ走った。
 物珍しさからくる好奇心?
 勿論あるが、それよりも圧倒的に心を占めていたのは――、

「どうしてっ、そんなに格好いいの!?」

 突如、興奮した様子で目の前に現れた見知らぬ少年に、『その人』は一瞬かすかに目を見開いてから、薄く微笑んだ。
 そして、長い睫毛で瞳を完全に覆うと、胸に手を当てて恭しくお辞儀をして見せる。

「執事ですから」

 何かの芸術品を見せられているかのような、完成された美しさを持つその所作に、呼吸を忘れてしまうほどに正しく見惚れていると、
 ガチャン
 音を立てて『その人』の背後の扉が開かれた。

「ん?何だ?少年を誑かしでもしていたか?」
「ご冗談を」

 右肩付近で緩く纏められた豊かな金髪を揺らし、軽やかに段差を降りる美丈夫に向かって、『その人』はレイノルドに向けたものより深く頭を下げる。
 直感的に身分の差を理解したレイノルドも、彼の所作を意図して真似、ぎこちないながらも深くお辞儀をした。

「お?ははは!随分と可愛らしい部下が出来たじゃないか!君、使用人志望か何かかい?」

 ズイっと無遠慮に顔を近づけられて、慣れない距離感に思わず身体が仰け反る。
 明らかに自身とは住む世界の違う人間に話しかけられたことの驚きと緊張に、失礼だと理解していながらも委縮してしまって咄嗟に言葉が出なかった。
 まあ何か話せていたとしても、生まれてこのかた敬語など使ったことも無い俺では、まともな返しが出来ていたとも思わないのだが。

「私のことが格好良いと、お褒めの言葉を頂きました」
「そうかそうか!そうだろう!なんていったって、俺の自慢の執事だからな!君、なかなか見る目があるな!」

 レイノルドの沈黙をフォローするように『その人』が発言すると、酷く気を良くした風な男が、やや力強く俺の背中を叩く。
 衝撃で揺れる小さな身体をそのままに、レイノルドは男の発言を一言一句逃さず反芻して、そこに含まれる、知りたいと切望していた単語を正確に掬いだして見せた。

「っ、どうやったら、『シツジ』になれるの!…です、ます…か?」

 両親の商売の手伝い途中に聞きかじっただけの、形を成していない丁寧語を精一杯再現しながら、レイノルドは震える声を張って問いかける。
 目の前の男は面白そうにクスリと笑うと、斜め後ろに控える『その人』に向かって弾む声を投げかけた。

「ほら、先輩!」
「そうですね…、良く食べ、良く寝て、たくさん勉強をして、たくさん努力する必要があります。
 ――後は、自分の仕えるべき最上の主と出会えれば、身体が自然に動くでしょう」

 そう言った彼は流れるような動作で金髪の男――主人の手を取ると、すぐ近くに(もちろん偶然などあるはずなく)停車した荘厳な馬車に誘導する。
 自然で、けれど優美なその動きをただ呆然と目で追いかけていると、馬車に乗る手前で彼の主人が「そうそう」と思い出したように振り返った。

「因みにコイツは、専門学校卒業生のみを対象として毎年国で執り行われる、執事の優劣を競う試験執事職認定試験で歴代最高点を叩き出した。
 未だ覆されていないそれに近づけたのなら、コイツのような執事になれるんじゃないか?」

「励みたまえ、少年!」と言い残して、後ろ手に手を振りながら馬車の中に消えていった男と、再度こちらに恭しくお辞儀をして同じく馬車に入った『その人』。

 颯爽と走り出し、どんどん遠ざかっていく馬車を静かに見つめながら、しかしその落ち着いた表情に反して、レイノルドの胸は今までにないほど速く、熱く鼓動していた。
 個々の趣味嗜好はあれど、子供というものは常日頃から自分にとって「格好いい」ものを探し、そして、それが心臓に深く突き刺さる日を待っている。
 そしてレイノルドにとってのその日は、正しく今日、この時であったのだろう。

 偶然視界に入った非日常を切り取って、凛と佇む一人の執事の姿に、彼の少年は一目で魅了された。

 自身もこうなりたいのだと、未来の理想を見た。

 これは運命を変える大きな分岐点。

 選び取ったその先に待ち受けるのが平穏か波乱か、希望か絶望か、彼自身ですら、まだそれを知らない。



 *

 ガラガラガラ、と車輪が地面を踏みしめる音だけが響くはずの車内で、男はその豊かな金の髪を揺らして上機嫌に鼻歌を歌う。
 昔の知り合いに用があり、珍しく少し足を延ばしてみれば、とても可愛らしいものを見ることが出来た、などと先ほどの少年のことを思い返していると、目の前に座る己の執事のもの言いたげな視線が刺さった。

「何だ?」
「…旦那様も、酷なことを仰る、と」
「試験の話を出したことか?明確な目標があった方がいいじゃないか」
「彼は、平民です。平民が執事になるのが不可能に等しい、ということはご存知でしょう?もし彼が本気なのであれば、叶わぬ夢を追わせることになります…。」

 だから自分は、具体的な道筋を定めてやらなかったのに、と。

 ――笑わせるじゃないか。

 をしておいて、よくもまあ善人ぶった物言いが出来たものだ。
 どこか嬉しそうに期待を滲ませていながら、もしも這い上がってきたその時には完膚なきまでに頭から食いつぶしてやろうと、そんな飢えた獣よりもずっと無意味で、無価値で、醜く、そして酷く純粋な闘争欲求が、この俺に隠しきれているとでも思ったか。

 ――否、思っているわけがない。
 俺に気付かれていることも含めて、コイツの娯楽の1つで、俺を喜ばせるための行動だ。

 ははっ、と二人で視線を合わせて声を上げる。

「それで諦めるなら、それまでの熱意だったというだけだろう。
 …そうだな、丁度俺の息子と、お前のところの長男と同じぐらいの歳だったから、もしかすると、そう遠くない未来に出会うこともあるかもしれないな」

「はい。
 ――期待しすぎずに待っていましょうか」

 綺麗に、いや、綺麗すぎるほどに完璧に微笑んだ己が執事に、ふと嫌な考えがよぎった。

 ……まさか、1から10まで全部コイツの計算通りってわけじゃ、ないよな?
 いやいや、流石に、コイツに限って見ず知らずの幼い少年を惹き付けて自分と同じ道に踏み込ませるなんて……、あり得る…。あり得まくる。
 最近「何か張り合いがないですー」とかぼやいてたし、え、そういうこと??
 執事の張り合いって何の?と思ったきりスルーしていたが、これがその言葉を拾い上げておかなかったことによる結果なのか??
 …コイツ外面だけ、…ではないけども、まあ、特出して外面が良いからなぁ……。

 目の前の男の麗しい顔面をじっと見てから、失礼にも盛大に顔をしかめた主人の思考が読めているかのように、彼はより一層その綺麗な笑みを深めた。

 ――悪い、少年。
 きっともう俺にはどうすることも出来ないが、君の代わりに一言だけ、物申しておくよ。

「気持ち悪っ」


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