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12 3日目
しおりを挟む気分を仕事モードに切り替え、きたる朝食時。
今日も今日とて勝手にピッキングをして主人の部屋の鍵をこじ開けたレイノルドは、先日と同じように扉の前でルイスの朝食になるはずだったものを自身の胃の中に納めているところだった。
「う~~ん! 素材がそれぞれ生かされた、あっさりしていながら深みも感じられる絶品の味わい…! 今日の俺は昨日より更に洗練された執事!!」
「うるさい黙って食え」
「思わず自画自賛するほど美味しいんですよ。 一口いかがですか?」
「いらん」
こちらを機嫌悪く睨みつけながらの素気無い返事に、レイノルドは今日も駄目かー…、と凪いだ目で手元のスープを啜る。
今朝のルイスは昨日と同じように、レイノルドに多少警戒心を向けて居ながらも室内にある椅子に腰かけて何かの書類をパラパラとめくっていた。初日から見ると随分なくつろぎ(?)具合である。
仕事の書類かな…?
「今まで、…例えば商談相手から出されたお茶なんかはどうしていたんですか? 口を付けないわけにもいきませんよね?」
相手の方が立場が上だと失礼に当たるし、飲食が信頼の証になることもある。
純粋に疑問でレイノルドが問いかけると、ルイスは視線を手元の紙に向けたまま端的に告げた。
「出される前に断る」
「な、るほど」
そういうのもアリなんだ…。
自分の知らない世界に頷くレイノルドに対して、ルイスは「無礼だと激高されることもあったがな。 …そういうやつは余計怪しさが増す。 絶対に毒入りだった」と吐き捨てるように続けた。
う、うーーん、毒入りかどうかは俺には判断できないけど…。
当然売る側にも商売相手を選ぶ権利はある。
でも、それが理由でルイス様が本当に買って欲しいと思う人や、ルイス様の魔法道具を本当に必要としている人に製品が行き届かなかったとしたら、…それは凄く悲しいし、勿体無い事、だよな。
レイノルドはひと匙分のスープで喉の奥を潤しながら、少しだけ逡巡した後に口を開く。
「…俺が居る間では無理でも、出されたものを口に入れることには徐々に慣れていった方がルイス様のためになるかと思います。
ルイス様自身のお身体のことも勿論ですが、お仕事についても。 会食など、有用な情報交換の場での飲料は未だ必要不可欠ですし、飲み物ひとつで人の懐に一歩入り込めるのならルイス様にとって大きなメリットになり得ます。
この屋敷で取引を行う場合なんかは、こちらで意図的にリラックス効果のある飲み物を選ぶことも出来ますよ」
てっきり聞き流されると思っていた言葉は、意外にもルイスの興味をそそったらしい。
限界まで研磨された剣のように鋭く、清廉とした輝きを放つ琥珀色の瞳がいつの間にかレイノルドをじっと捉えていた。
「ぁ、…いえ、申し訳ありません。 …交渉も何もしたことが無い人間の、一意見、…です」
感情が読みにくい曇りない目でまっすぐに見つめられるものだから、レイノルドもつい弱気になってそんな言い訳をする。もう口から出てしまったものは仕方がないが、今更「出すぎた真似をしたかも」と後悔の汗が全身に滲み始めたところだった。
主人の部屋の鍵は躊躇なく開けるのに、という指摘はごもっともである。
ルイスはしばらく無言で何かを考えているようだったが、最終的に2、3回苦虫を噛み潰すような顔を見せてから、苦渋の決断ですと言わんばかりの声で告げる。
「………よこせ」
「え」
眉間に深い皺を刻んだルイスが指すのは、紛れも無く今レイノルドが口を付けている朝食のスープだった。
…召し上がっていただける、ということだろうか。
反応の悪いレイノルドに焦れたように、ルイスはもう一度同じ言葉を強めの口調で繰り返す。
「む、無理しなくてもいいんですよ?」
「……お前の言うことも一理あると思っただけだ。
いくらお前が毒耐性を持っていたとしても、既に結構な量を食べているし…即死するようなものじゃない……はずだ」
「ですから俺は毒に耐性もないし、そもそもコレ毒入ってませんから! 平民の執事、食材無駄にしない! ゼッタイ!」
レイノルドは力いっぱい首を振るが、ルイスからの疑心塗れの視線が特に変わることは無い。しかし、今まで食事自体に興味がない様子だったルイスの能動的な姿勢を、レイノルドが喜ばしく思わないわけがなかった。
「……そこを離れろ」
「はい! ではすぐに新しいものを、」
「いらん」
手で追い払うようなジェスチャーをされ、しかしキッチンに戻ろうとするとそれは止められる。レイノルドは少々不思議に思いながらも、ルイスの指示に従うまま席を立ち一定の距離をとった。
ルイスはレイノルドが扉から離れたのを確認してから、出入り口を塞ぐように配置されているカートの前に椅子を持参して腰かける。先程レイノルドが座っていた場所とは対面になる位置である。
少しだけ躊躇う様子を見せながらもレイノルドが使用していたスープスプーンを持ち上げたルイスに、レイノルドは彼の意図を正確に察した。
ルイスは、レイノルドが既に口を付けたスープを飲むつもりなのだ。
主人に使用済みの食器と食べかけの食事を提供するなんて、執事としてあるまじき行為っ!!スープは既に冷めかけているし、具材も既に俺がいくつか食べてしまっている…。
あああっ、その毒見が住んだ状態のものでないと安心して食べられないのは理解できるけど、それはそれとしてルイス様にはもっと完璧な状態で料理を召し上がってもらいたかったーー!!
くぅっ!と悔しさに唇を噛み締めるレイノルドを尻目に、ルイスはゆっくりとその黄金色の液体を匙に満たして、
「……、」
しかし、中々そこから先に進めないようだった。
離れた位置で見守るレイノルドは何か励ましの声援を送ろうかとも思ったが、最終的に黙って待つことに努める。逆にルイスの気を削いでしまうことを危惧したのだ。
完全には警戒が解けないのだろう。静まり返る空間で、ルイスがスープを掬っては戻し、掬っては戻し、というのを繰り返す微かな水音だけが耳を擽る。
レイノルドはルイスの行動を急かすつもりも強要するつもりも無かった。勿論毒物なんて盛っていないわけだし、自分のタイミングで口を付けてもらえればいいのだからとゆっくり構えているつもりで。
しかし、
僅かに俯いた赤髪の隙間から見える血の気の引いた肌と、掬われた匙の上で小刻みに波打つ液体を目にして、
レイノルドは殆ど反射的に、自身の足を前へ踏み出していた。
「っ!?」
ぱくり。
こちらに気付き動揺で目を見開くルイスを横目に、レイノルドは身を屈めて彼の持つスプーンに掬われていたスープをそのまま口に含む。続けてカートの上にある残りのスープも器からそのまま直接飲み干した。
想像通り随分冷めて作り立ての物より数段味が落ちているように感じたそれに、レイノルドは「次は冷めても美味しいスープを作って来よう」と、どこか冷静に頭の中で改善点を思案する。
「──なっ、は、」
「申し訳ございません、少し急すぎましたね。
こういうのは焦らずゆっくりいきましょう」
目の前で言葉も無いまま呆然と固まるルイスを安心させるように、レイノルドは出来るだけ柔らかい笑みを向けた。
どうやら俺は、ルイス様の状態を楽観的に捉えてしまっていたみたいだ。
この方が食事を避けるのは、偏食だとか、ちょっと心配症だからとか、そういう次元じゃない。
ルイス様は確実に食事に対して何かしらのトラウマを抱えている。
スプーンを投げ捨てるようにカートの上へ落としすぐさま室内奥へと後退ったルイスは、そこで漸く緊張に張り詰めていた息を緩める。
安堵と悔恨をないまぜにしたその表情は、彼自身の葛藤を示しているようだった。
*
「『庭師』?」
「はい。 ニカさんは今日から正式な使用人で、この屋敷の庭全般を管理する『庭師』です。 きちんと業務をこなせばルイス様からそれに見合った給金も与えられるそうですので、一緒に頑張りましょう。
まずは新しい制服です。 これは来客があった時に着替える用ですので、大切に保管しておいてくださいね」
朝食後、早朝ぶりの庭にて、綺麗に畳まれた使用人服がスティーフを介しニカの元へ渡る。
ニカは受け取ったそれを一瞬物珍しそうに見つめてから、まるでスティーフに背に庇われるようにしてニカと対面するレイノルドに首を傾げた。
「レイちゃん何か遠くなぁい?」
「自身の行動を顧みてください」
半眼で言葉を返すレイノルドにきょとんと何も分かっていなさそうな表情をするニカ。しかし次の瞬間には興味が失せたのか、すぐに手元の制服へと視線を降ろしてレイノルドに向けて問う。
「オレがこの庭を好きにしていいってこと?」
「好きに…かはわかりませんが、ニカさんに庭の植物の世話を任せたいんです。 庭木の剪定なんかは業者にお願いしようと考えていますが、その他自分達で出来ることはやりたくて。
雑草の処理や水やりがメインの業務になると思います」
「ふぅん…」
早速雑に広げた制服を目の前に翳したニカは、少しの間無言でそれを眺める。
謎の間に、レイノルドは「もしかして拒否される…?」と不安感で鼓動を早くしていたがそれは杞憂だったらしい。使用人服が下げられた先に覗いたニカの表情は、この数日で見慣れてしまったニヤニヤと砂糖を煮詰めたかのような甘ったるい笑みだった。
「いいよぉ、オレは何すればいいの?」
「!」
望んでいた返事に、レイノルドとスティーフは顔を見合わせてあからさまにホッとする。
やけに素直に言う事を聞いてくれたけど、これはルイス様の名前を出したからだろうか?…いまいち何考えてるか掴めないんだよな、この人…。いや、考え方を聞いたところで理解や共感は出来そうにないんだけど。
必要になる用具置き場へとスティーフに案内してもらいながら、レイノルドは一定距離離れた位置で機嫌良さそうに歩くニカを見やって何とも言えない気分になっていた。
*
「え、」
「何度も言わせるな。 この机に料理を置け」
夕食時、ルイスに言われた言葉が咄嗟に脳で処理できず呆けた一音を呟いてしまったレイノルドに、ルイスからの少しピリついた声が返って来る。
朝食の事があったため、昼食時には一応「食べたくなったら教えてください」と事前に言付けてから食事を始めたレイノルドだったが、結局その言葉を言われることは無く最終的にルイスの昼食は全てレイノルドの腹に収まった。
夕食もそうなるだろうなと思っていたところからの不意打ちだったので、思わぬ出来事にレイノルドは本気で驚いてしまった。
ルイスが示す「この机」とは、ルイスの私室の、ルイスが今現在腰かけている位置にある机の上ということで。
「料理を置け」と指示されたということは、レイノルドの入室を許可したということで…。
「は、はい! 失礼します!」
若干緊張しながら、レイノルドは初めて主人の私室に足を踏み入れる。
ルイスの目の前で素早く食事の準備を整えている最中、やけに突き刺さる視線を感じて彼の方を見やると、ルイスはその手に持つ恐らく護身用と思われる武骨な魔法道具をいつの間にやらレイノルドの方へと突き付けていた。
「あの…、それは…」
「電流が流れて相手の動きを止める魔法道具だ。 俺が危機を感じたら容赦なく使う。 せいぜい疑われるような真似はしないことだな」
「物騒なんですけど!! しませんよ何も!!」
食事の用意をし終えたレイノルドは、未だ警戒心を敏感に尖らせたままのルイスに気を遣ってその場から離れようとしたが、その行動はルイス本人によって止められる。
「向かいに座れ」
端的な指示を受け、驚きつつもそれに従った後、
「おい」
「はい」
呼びかけで促されたのは、今しがたレイノルドが準備した食事の試食…もとい毒見だ。
スプーンも使えと目線で示されて、主人よりも先に温かいスープに口を付ける。
およそ半分くらい嵩が減ったところで、漸くルイスから「よこせ」と制止の声かけがあった。
よ、良かった。このまま全部飲み干すまで何も言われなかったらどうすればいいんだと思っていたところだった。
しかし前回の挑戦からまだ1日すら経過していないのだ。
やはりと言うべきか、ルイスの手がそのスープを口元にまで運ぶことは中々難しいようだった。
「あの、本当に急ぐ必要は、」
「いい。
……今出来なかったら、多分一生出来ない」
真剣な表情のルイスが不意に発したその言葉に、一瞬だけレイノルドの動きが止まる。
──それって、俺に少なからず信頼を置いてくれていると思っていいんだろうか。
いやいや!そんな深い意味なんて無い発言なのかもしれない!
…しれない…、けど…。
結局その日ルイスがスープを飲むことは出来なかった。
しかし、全てを拒むように大量の錠が取り付けられている彼の自室の前にて、レイノルドは微かな前進の予感を噛み締め、少しだけ口角を上向かせていた。
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