そんな拗らせた初恋の話

椿

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「センパーイ。隣いっスか」
ひいらぎ

 朝練の終わり際、体育館の壁近くで休憩している俺に話しかけてきたのは、新入部員である一年の柊幸助ひいらぎこうすけ
 アッシュグレーに染められた派手な髪とピアスの穴が幾重にも空けられた耳のインパクトは絶大で、彼の入部時、あんまり仲良くなれないタイプの人だ…なんて脳直で思っていた俺だが、その偏見は彼が真面目に部活に取り組んでいるのを見て初日に崩れ去った。
 背が高くて体格もいいその身体はバスケ向きだ。入部当初も有望な部員だと噂になっていたが、何とバスケは初心者らしい。今日も基礎練習で扱かれたのか、タレ目気味でいつも気怠げな様子を隠さないその顔は、疲労に歪められていた。

「疲れたぁー…。朝から汗かくとか、今時あり得なくないっスか?」
「それでも毎日朝練来てて偉いな」
「……まァねー…」

 チラリとこちらに目線を向けてから照れを誤魔化すようにタオルで汗をぬぐった後輩に、思わず笑いが漏れる。
 柊は入部当初から俺に懐いてくれていた。…というのも実は俺達、入部時あの時が初対面ではないのだ。
 柊はこの中高一貫校にしては珍しく、高校からの受験で入学した組だ。その入学試験の際、電車で具合が悪くなっていたところに偶々俺が居合わせたのだという。…まるで他人事のように言うのは、柊に言われるまで俺がそれを忘れてしまっていたからだった。

 あの日、偶々部活の買い出しのために電車を利用していた時、明らかに受験生だろうという学生が目に入った。乗車した電車の沿線に高校は一つしかなかったから、もしかしてうちの学校の受験生かなーなんて軽く考えながら。
 しかし、高校の最寄り駅に電車が止まってもその受験生は降りてこなかった。何となく気になって車内を振り返ると、真っ青な顔のまま席を立てないでいる彼の姿が目に入って、俺は急いで戻り、声をかけたんだ。
 具合が悪そうだけど試験会場まで行けそうか。それとも駅で休ませてもらうか。しどろもどろにそんなことを聞いた。すると彼は会場へ行きたいと言うから、俺がおぶって学校まで連れて行ったのだ。
 …あの時はまだこんなに背は高くなかった筈だし、髪の毛も黒かったから、一目見ただけじゃ気付けなかった。名前を聞いていたわけでもなかったし。
 あの後受かってたんだな。良かった。何だか感慨深い気分になった。

 因みにこの後輩、たった一回俺と樹が話してるとこを見ただけで、何も言ってないのに全ての状況を見破った凄まじい勘の持ち主だ。因みにその時言われたのは、「ウジウジ片想いっスか。ダリィー」だった。胸に刺さった…。

「センパイ、そのスポドリください」
「何で?嫌だよ。自分のあるだろ?」
「ありますけどー。センパイの水筒空にして放課後困るとこ見たいです」
「何が楽しいのそれ!?」
「あ、間接キスが嫌なんですか?意識してるんだ~~」
「別に後輩相手に間接キスがどうとか思わねえわ!」
「フーン……」

 少しだけ眉を寄せた顔が近づいてきたかと思えば、次の瞬間、唇が重なった。

 至近距離で合わさったその色気のある目が、いたずらっぽく弧を描く。

「──じゃあ、普通のキスは?」
「は、」

 あれ、今の。
 今のこの柔らかい感触って、??
 き?ぇ、き、キス?、?

 今キスって言った??
 オレ、こいつにキスされた??

 言葉にされて実感したそれに、顔が燃えるように熱くなった。咄嗟に俯くが、俺のその態度が何を示しているか、この聡い後輩には全て見透かされてしまったのだろう。

「……あれ、もしかして初めて?」
「……っジであり得ねえお前……」
「え、ごめんなさいごめんなさい。怒んないでよ。……首まで真っ赤だ。カワイーですね、センパイ」

 か、完全に馬鹿にされてる…!!
 しかしここで言い返すと何だかもっと墓穴を掘るような気がして、俺はタオルで頭を覆いながら黙り込んだ。
 すると柊はまるで暖簾みたいにそれを捲る。渋々視線を向けると、どこか楽しそうな顔をした彼と目が合った。
 ……やっぱり馬鹿にしてる…。

「センパイ、オレの事許婚さんの代わりに色々使っていースよ。多感な男子高校生、ムラムラ発散するのも大事でしょ。ファーストキス奪っちゃったお詫び」
「…べ、別に怒ってないからお詫びとかいいですー!でも二度とすんな!あともっと自分の身体大事にしろ!簡単に『使っていースよ』とか言うな!」
「過剰に大事にしてるっつーか、欲望に正直に突き進んでる方なんスけど、…回りくどかったっスね。好きですセンパイ。付き合ってください」
「……、…ん?はい??………いやっ、急!!まだお前が部活入って出会って1週間とかだけど!?」
「オレは入試の日から熟成期間あったんで。や、でも期間とか関係あります?好きだって思ったらもう好きじゃないですか。告白したらもっとイチャイチャ出来るかもしんねーのに、そこでうだうだ悩むの時間の無駄じゃないスか??」
「ふぐぅ…っ!」

 片想いの自分にその言葉は鋭すぎる…!!

「センパイ、前に許婚解消するか悩んでるって言ってたじゃないですか。それ、新しい恋で忘れてみるのはどースか?」
「……っ、」

 再び距離を詰められて、形のいい唇に視線を奪われる。意識せずとも、さっきはこれが…なんて想像してしまって、訳も分からず心臓がバクバク暴れた。

 ──そんな俺達をいつの間にか目の前で見下ろしていたのは、件の許婚。樹である。

「いつ…っ!?」
「大和君、担任の先生が呼んでたよ」

 一瞬見えた気がした冷たい目は、次の瞬間ニッコリと笑顔の仮面で隠された。
 こ、怖ぁ…!

「…ぁ、う、うん!ごめん柊、皆に俺先に抜けるって言っといて!」
「……ハーイ」

 不満そうな返事をする柊に再度口パクでごめんと謝りながら、俺は体育館の出口へ颯爽と向かう樹を慌てて追いかける。

 い、今の聞かれてなかったよな…?
 恐る恐る顔を見るが、斜め前を歩く樹は、すれ違う部員に挨拶を返しながらキラキラした笑顔を振りまいていた。
 ……相変わらず完璧な外面モード。そういえばこの樹と関わるの、久しぶりだな。

 俺と樹が許婚だということはお互い特に隠したりもしていないのだが、いかんせん樹は人気者なので、あまり目立ったり恨まれたりしたくない俺は学校で極力彼との接触を避けている節があった。
 う…、何か周りの視線が痛い気がする…!慣れない…!そして気まずい…!!

 少しの間お互い無言で歩いて、途中、俺の進行方向とは別の向きに曲がろうとした樹に少しだけホッとする。

「あ、じゃあ俺こっちだから…、っ!?」

 ここぞとばかりに明るく立ち去ろうとした俺だったが、発言の途中で勢いよく腕を引かれ、そのまま近くの空き教室へと引き摺り込まれた。

 背後、樹の手で内鍵がかけられたのを見て、戸惑いに視線が揺らぐ。

「い、樹?俺先生のとこ行かなきゃ、」
「あんなの嘘に決まってんだろ」
「え」

 樹の長い足が、こちらに一歩踏み込まれた。
 咄嗟に後退るが、背中が壁にぶつかったことで半歩すら逃げきれない。動揺している間に、まるで俺を閉じ込めるようにして壁に手をついた樹が、その不機嫌そうな視線で俺を見た。

 張り詰めた雰囲気に、自然と呼吸が止まる。

「ベタベタ引っ付いて、アイツと何話してた」

 その問いを聞いて反射的に安堵した自分が居た。
 どうやら先程の柊との話は樹には聞かれていなかったようだ。……しかし直後、何も解決していない現状に頭を抱えたくなる。

 何と答えよう。正直にキスされて告白されたとでも言うか?でも言ったら絶対に「あ、じゃさよなら」案件だろ。…っていやいや、許婚解消のためにはそっちが理想じゃ???

 ぐるぐると悩んだ末、俺は明後日の方向を見ながら……、

「い、……樹には関係ないこと」
「ほぉおおお???」
「近い近い近い!!距離詰めてくんな!離れろ!」

 ガンをつけるように迫ってくる樹の顔を咄嗟に手でガードする。
 だって俺朝練終わったばっか!!身体拭いてないし!!そんな近付いたら絶対汗臭いに決まってるだろ!!

「あ゛!?さっきのアイツともこんぐらいの距離だったろ!!」
「柊はいいんだよ!条件一緒だから!でも樹はダメ!!」
「条件一緒って何だ!普通逆だろうが!!」
「え!?これ俺が間違ってる!?」

 恥ずかしさから全力で拒絶する俺に、樹は更に眉間の皺を深くした。

「……お前なぁ…っ、危機意識が圧倒的に足りてねぇんだよ!ああいうチャラチャラしたヤツは一定の距離に達するとキスしたり押し倒したりしてくる習性が、」

 樹の口から出たその言葉に、反射で顔に熱が集まった。
 その反応を見ただけで鋭い樹は何かを察したのか、どこか呆然とした顔で俺を見る。

「は??……なに。キスされたのか」
「ゃ、ちが…っていうか、…その、じ、事故!紛れもない事故でっ!!」
「……ふ、ざ…っけんなーーー!!!!事故だったとしても起こるべくして起こった事故だろうが!!もっと全人類を警戒しろ!!」
「ぜっ、全人類を!?」


 ──次の瞬間、何が起こったのか理解できなかった。

 ただ、いつの間にか樹の顔を押し除けていた俺の手は取り払われ、入れ替わるようにしてその綺麗な顔面が近づく。
 柔らかい吐息が肌を撫でて、

 直後、唇が重なった。


「……っ!?んん゛っ、!?は…っ、!?、い、ちゅ……っん、…ふ、」

 突然の事に混乱して、咄嗟に名前を呼ぼうと開いた口の隙間から、ぬるりと肉厚な舌が入り込む。
 驚いて顔を逸らそうとするが、その行動を咎めるよう後頭部を掴まれ、寧ろ繋がりを深くされた。

 口内で油断していた舌が絡め取られ、樹のものと擦り合わせるように厭らしく撫でられる。ぞく…っ、と背筋に甘い痺れが走って、一瞬で腰が砕けそうになった。

 やばい、気持ちいい…っ、…っていうか何か上手くない!?

 もう触れてない場所はないんじゃないかと思える程口の中を弄られて、頭がぼーっと白んでいく。
 しかしそんな中でも、まだもうちょっとだけ樹とこうしていたい、と思う浅ましい欲は誤魔化しようがなく。…気付いた時には離れていこうとする熱に、追い縋るように舌先が伸びていた。

「……本物のキス、こっちだから」
「はぁっ、…はぁ…っ、」
「次アイツとしたらマジで殺す。俺らが婚約者なの忘れてねえよな?慰謝料請求すんぞ」

 唾液で濡れ、解放された唇同士が、近距離ではぁ…と震え混じりの息を吐き出す。
 腕も、足も、力が抜けて小刻みに震えるばかりで、話などまともに入ってこなかった。

「おい、返事」
「は、はひ……、ごめん…」

 樹の身体に寄りかかって息を整える俺を、彼はじっと食い入るように見つめる。そして、

「……感想は?」
「……、…す、すごかった、れす…」

 正直に告げると、樹は「当たり前だろばか…」と少し顔を赤くして吐き捨てた。

 …そこで、(こういうの今まで誰かとやってきたのかな…)なんて邪推して胸を痛める俺は、どこまで卑屈なんだろう。



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