【完結】えんはいなものあじなもの~後宮天衣恋奇譚~

魯恒凛

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39 辛労辛苦

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 一方で、雪玲しゅうりんと巫水は理由もわからず、見知らぬ女官たちによって牢に連れていかれていた。

 困惑する雪玲を前に、巫水はおおよその想像がついていた。恐らく、雪玲の素性に調べが入ったのだろう。
 潘家が急ぎ手続きをしたとしても、人の口に戸は立てられない。裳州に降り立ったことのない雪玲の存在は穴だらけだ。
 こうなることも巫水は心のどこかで覚悟していた。

「潘充儀、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません……」
「なに? なに言ってるの? 巫水、全然迷惑なんて掛かってないよ。大丈夫だよ、きっと何かの間違いだよ」

 薄暗く冷たい牢の中、隣の房に入れられた巫水を鉄格子越しに励ます。

「うぅ、そのような後ろ手に括られるなど……潘充儀、手首は痛くありませんか?」
「巫水こそ! 連れて行かれる時に手や膝を擦りむいたでしょう?」

 ガチャガチャと音がする方を見ると、巫水の牢が開けられたようだ。覆面をした者たちが両脇から巫水を立たせ、引きずるように連れて行く。

「巫水に何するの!? 怪我をさせたら許さないんだから! お願い、やめて!」
「潘充儀……いい子で待っていてくださいね。きっと陛下が助けてくださいます。気を確かにお待ちくださいね」
「巫水! 巫水! 連れて行かないで! やめて!」

 ガチャン

 無機質な金属の音が石の壁に反響する。

 複数の足音が遠のき、辺りがしんと静まり返る。

(ああ、巫水、巫水……どうか無事で……)


 その時、足音が近づいてきた。侍女を引き連れた雹華だ。

「潘充儀。お久しぶりね」
「雹華……」
「やっぱり! あなた、あの時の雪玲ね。……がなくなってたわ。これは私の部屋に忍び込んだお返しよ」

 紗の団扇で牢の鉄格子をコツンと叩く。

「ふふふ。あなた、潘家の娘じゃないんでしょ? 調べたからもう知っているわ。自業自得よね、身の程知らずが陛下や天佑さまの目に留まっていい気になったから、あなたの大切な巫水が痛い目にあうのよ」
「巫水に何をしているの?」
「武人でも耐えられないような酷い拷問よ。我慢強い巫水はかなり痛い思いをするかもね。早く口を割ればいいけれど。次はあなたの番よ。
 うふふ、じゃあね、雪玲。あの衣はあなたが死んだ後にゆっくりいただくわ」
「お願い、やめて! 何でもするから! 巫水に酷いことをしないで!」

 雹華は笑いながら去っていった。

(あぁ、私は半分神仙の血を引いているというのに、なんて無力なの? 小狐になったところで巫水を助けるどころか箸で突き刺されたって死んでしまうわ)

 雪玲は無力な自分に打ちのめされていた。

 何もできない。

「うっ、う……うわぁぁぁぁん! 誰か、誰か巫水を助けて! ふ、ふぐっ、うわあぁぁぁん!!」

 真っ暗な牢の中、雪玲の鳴き声だけがこだまする。泣いても泣いても、状況は変わらない。

「父上! 母上! うわああん! 西王母! 姐さん! うわあああん!」

 長い間泣き続けて、声が枯れても巫水は戻ってこなかった。

「ユウ、ひっ、助けて、ひっく、巫水を、ひっく、助けて」


 ◇ ◇ ◇


 急ぎ駆けつけた隠密たちが目にしたのは、着衣のまま鞭で叩かれ、ぼろぼろになった巫水だった。

 尋問ではなく拷問であり、明らかに行き過ぎた越権行為。その場で官吏や女官たちは捕まり、巫水は急ぎ治療のために運び出された。

 更に地下に降り薄暗い牢へ到着すると、ぶつぶつと何かを呟く声が聞こえた。

「……ユウ、……巫水を……、助けて……」

 そこには石壁にもたれ、泣き腫らした顔で巫水の救出を願う雪玲の姿があった。

 一角と五虹が駆け寄る。

「潘充儀! 私がわかりますか!? 五虹です! すぐ縄を切りますね」
「五虹……? 五虹! 巫水が、巫水が!」
「大丈夫です、巫水は助けました。もう外に出てますよ。さあ、潘充儀もここを出ましょう」
「ふ、ふぇ、ご、五虹……! うわあああん!」

 五虹に抱きついたまま雪玲は泣き止まず。その姿に一角は心を痛めた。

(随分心細い思いをさせてしまったようだ。ユウと呟いていらっしゃったな……
 天佑さまは捕らえただけで危害を加えるはずがないと思っていたようだが……妃嬪たちには思いのほか行動力があったようだ)

 結局雪玲は五虹に抱きついたまま気を失ってしまった。

 一角の報告を聞いた天佑は愕然とした。少しだけ不安な思いをさせてしまうが、牢に入れられるだけだと思っていたのだ。

 まさか巫水が拷問され、雪玲が泣き果てて気を失うほど助けを呼ぶ事態になっていたとは想像していなかった。

「……四半刻でいい。雪玲の顔を見に行かせてほしい」

 天佑の顔を見れば、誰も反対できるはずがなかった。

 銀の皇帝としては正しい采配をした。 

 後宮の秩序を正し、天誠の治世の足を引っ張る高官の失脚に成功した。
 はっきりしない雪玲の身元に多少の不安はあれど、皇家に忠誠を誓う潘家を守り、潘充儀の立場を守った。

 だが、雪玲を顧みていなかったのだ。


 地下通路から睡蓮宮へ向かうと五虹が出迎えた。

「……雪玲の様子は?」
「眠っていますが、悪夢を見るようで泣いていらっしゃいます……」


 寝台に横たわる雪玲の顔は青白く、目尻から涙が溢れていた。

「父上……、母上……、助けて……」

 寝牀の横の椅子に腰掛け、天佑は雪玲の涙を拭った。

「……ユウ、……巫水を……、助けて……」
「……! っ、すまない……雪玲、遅れて悪かった」

 雪玲の頭を撫でながら、何度も伝える。

「雪玲、もう大丈夫だ。巫水も無事だから今は休みなさい。大丈夫……、雪玲、もう大丈夫だよ」

 加減を考えたことなどなかったが、自分の声に乗せる力を柔らかくしながら、雪玲の心に届くように願う。

 天佑が力を調整しながら大丈夫と言い続けることしばらく。

 雪玲に伝わったのか、悲しそうな顔には笑顔が浮かび、助けを求める声も聞かれなくなった。

「天佑さま、そろそろお戻りにならないと……」
「ああ……。雪玲、改めて一度話をしよう」

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 ※辛労辛苦しんろうしんく・・・大変苦しみ、非常につらい思いをすること。
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