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ただひたすら剣を振る、怪しき白衣の魔人が嗤う。(2)

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 心臓を掴まれたような息苦しさに襲われる。目を背けたいのに背けられない。
 人ならざるダンタリオンの黒白目が、瞳の奥に潜む底なしの闇が、見る者全てに恐怖を植えつける。


「っ――」


 俺は咄嗟に前に出て、リリアンを庇うように立った。


「へえ? この目を見て動けるんだぁ。やっぱりキミは面白い……」


 剣を構えてダンタリオンを警戒しながら、後ろのリリアンを一瞥いちべつする。
 彼女は蛇に睨まれた蛙のように居竦いすくんでいた。顔色が悪く息づかいも荒い。


「さて、そろそろ頃合いかな」


 ダンタリオンは笑みを深めて、白衣のポケットから出した魔石をアークデーモンの赤腕で握り潰す。
 すると――


「……フ、フランツ先生? ここ、これは一体、どういうことですか……?」


 突然、見覚えのある男子生徒が現れた。鎖で手足を縛られている。


「ククク。やあ、デューク・ザナハークくぅん。調子はどうだい?」


 ダンタリオンは隣を見下ろし、デュークの肩を軽く叩く。


「っ――!?」


 ビクリ、とデュークが全身を震わせる。顔面蒼白だった。


「キミは確か、ギルバートくんに復讐したかったんだよねぇ?」
「そ、そんな、復讐だなんて、僕はただ……!」
「アッハハハ! ……遠慮する必要はないさ。その機会を与えてあげるよ。まあ楽しみたまえ」


 デュークの鼻先に顔を近づけ、ダンタリオンがささやいた。


「っ……」


 黒白目に射竦められ、デュークは身体の自由を失った。まるで金縛りにでもあったかのようだ。

 ダンタリオンは声もなくわらい、懐から"小さな肉塊"を取り出した。生きている。心臓のようにドクンドクンと脈打っている。


「――ッ!? んッ! んん!?」
「アハハハ! 泣くことないじゃないか。もっと力を抜きたまえ。これはキミへのプレゼントだぞぉ」


 拒絶するデュークの口をこじ開け、手に持った肉塊を無理やり押し込んでいく。
 それは悪夢のような光景だった。得も言われぬ恐怖に、俺たちは何もできなかった。


「」


 ゴクン、と。デュークが生きた肉塊を呑み――込んだ。


「がぁ……!? おぉぅッ……!」


 途端、獣のような唸り声を上げて苦しみ出す。鎖を自力で引きちぎり、よだれを垂らしながら心臓をかきむしる。血走った眼がギョロギョロと動いている。


「アハハ! 成功だ! やはり、に支配されている人間の方がよく馴染む。さぁ、始まるぞぉ……!」


 ダンタリオンが言ってすぐ、デュークの身体に変化が起こった。ブチブチと耳障りな音を立てて、肉が内側から盛り上がっていく。全身が灰褐色はいかっしょくの体毛に包まれていく。


「見たまえキミたちぃ! これこそが、長年の魔物研究の末に生み出した最高傑作――"合成魔獣キマイラ"だよぉ!」


 その声に呼応するように、獰猛な魔怪獣まかいじゅうが咆哮を上げた。
 頭は獅子、胴体は山羊ヤギ、翼は竜、尻尾は蛇。見れば見るほど異質な魔物だった。

 研究の末に生み出した合成魔獣だと? そんなことありえるのか? いや……だが目の前でデュークが魔物になってしまったのは事実だ。


「おや、キマイラ。お腹がいているのだねぇ? よーし。それじゃあワタシの言うことをちゃんと聞いてくれたら、あとで好きなだけ新鮮な肉を食べさせてあげるよ。若い人間の肉はうまいんだぞぉ」


 ダンタリオンが撫でてやると、キマイラは竜翼を羽ばたかせた。
 瞬間、見上げるようなその巨躯きょくから邪悪な魔力が解き放たれる。


「まずはあの人間と戦うんだ。ワタシの言っていることがわかるね? そうだよぉ。キミが憎くて憎くてしょうがなかったギルバート・アーサーくんだ」
「……ギル、バート、アーサー、コロス、コロス……!」


 不揃いな牙をちらつかせ、キマイラが人の言葉を喋った。光なき黒い双眸そうぼうには俺の姿が映っている。


「くッ。やるしかないのか……?」


 俺は迷いながらも長剣ロングソードを構えた。魔力付与エンチャントされた刀身から金色の魔光波オーラが迸る。刃文はもんが波打つ。

 まだ心の整理がついていない。俺にキマイラが斬れるのか? 恐ろしい姿になってしまったとはいえ、あれはデューク・ザナハークなんだぞ。


「嘘……嘘よ。そんな、デュークが……」


 今にも消えてしまいそうな声に、すぐさま俺は後ろを振り向く。
 そこには茫然自失のリリアンが崩れるように座っていた。


「いい! いいねぇ! リリアン・ローズブラッドくぅん! 絶望に打ちひしがれたその顔をもっと見せておくれよぉ!」


 心底楽しそうに笑うダンタリオンは、芝居がかった口調でさらに続ける。


「さあ、第二幕のはじまりだ! ああ、そうだ。他の生徒たちも退屈しないように舞台を整えないとねぇ。アハ、アハハハハハハーッ!」


 奴の声に応えるように、おびただしい数の影が闇より現れる――魔物の群れだ。
 動くしかばねスケルトン、吸血蝙蝠きゅうけつこうもりクレイヴブラッド、石の狼ストーンウルフ、まるで時を巻き戻したような光景が広がっている。


「っ!? こいつら、みんなのもとへ……!」


 魔物の群れは俺とリリアンを無視して、Eクラスの生徒たちがいる方へ向かって行った。
 まさかダンタリオンが魔物を呼び寄せているのか? しかし、そんな魔法は聞いたことがない。


「いや、もはや試煉の森は奴の手中にある。何が起きても不思議ではないか……」


 息を吐きつつ剣を構えて、迷い乱れた心に活を入れる。
 うだうだ考えている時間はない。俺はキマイラを強く睨み返した。
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