河童所長と怪奇な事件簿

雨咲まどか

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二章 進まぬ調査

九尾再び

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 水希はカットされたキュウリを爪楊枝に刺し、化野の鼻先に突きつけた。

「化野さん、はいあーん」

「やだ、餓鬼くさい。化野様、そんな小娘の手から食べることありませんわ。わたくしがお手を貸します」

「……だめ、わたしがやる」

 美女が揃いも揃って、河童を取り合う様は筆舌しがたい。

 絵里はそっと湯のみを傾けた。昨日は飲みそびれた熱い緑茶で喉を潤す。
 お茶をいれてくれた相良はというと、勃発した女の闘いにおろおろしていた。
 授業を終えた絵里と水希は化野と合流し、共に相談所へ向かった。入ると、出迎えてくれたのは相良だった。着いた頃にはすっかり夕方になっていたため、高校が終わって化野の帰りを待っていたのだという。
 客間の扉を開くと、中で妖怪が二人待ち構えていた。化野の帰りを待っていたのは相良だけではなかったらしい。昨日化野の両横にいたのと同じ妖怪だ。妙齢の女性が百々目鬼で、もう片方の女の子は座敷童である、と相良が耳打ちしてくれた。
 そうして、今に至る。

 絵里は化野を囲んで火花を散らす女達を横目に見て、お茶請けの漬け物を口に運んだ。漬け物は当然のようにキュウリのみだが、異なる漬け方の物が三種類用意されておりこだわりを感じる。
 一口咀嚼して、絵里は目を丸くした。

「なにこれ美味しい」

 噛むと爽やかな酸味と旨味が口の中に広がる。しっかりした食感も心地よく、薄めの味付けがお茶とよく合いいくらでも食べられそうだった。

「わ、ありがとうございます」

 喧嘩を止めることを諦めたらしい相良は、絵里の方へ寄ってくると嬉しそうに言った。
 絵里は慌ててほおばっていた漬け物を嚥下する。

「もしかして相良くんが作ったの? これ」

 相良は照れくさそうに頭をかく。

「キュウリはスーパーで買った物ですけど」

「そりゃあそうでしょ。漬けただけですごいよ」

「夏は庭で育てたものを使うんですよ。育て始めたばっかりの年はまともに出来なかったのですが、去年はなかなか美味しく出来て嬉しかったです」

「栽培してるの? すごい」

「僕が師匠のために出来る事ってそれぐらいなので」

 絵里はすっかり感心した。いくら化野の好物といえ、畑まで準備するとは。
 本当に化野の事を尊敬しているんだなあ。絵里は次々に運ばれてくるキュウリを無言で食べていく化野を見やった。化野がモテる理由は未だ分からないが、こうも好かれているのを見ると不本意ながら羨望してしまう。今まで、誰一人として、絵里を一番にしてくれる人はいなかった。そしてこれからも、現れるかわからない。

「大学の調査はどうでしたか? これからどうしましょうか」

 ぼんやりしていると相良が話題を振ってきた。そうだった、これからどうしていくのかを話し合うために絵里も相談所まで着いてきたのだ。

「特にこれといった進展はなかった……のかなあ。化野さんに聞いてみないとわかんない」

 ねえ、と化野に声を掛けようとした時だった。
 冷気が一瞬間のうちに部屋中へ広がる。この感覚には覚えがあった。
 相良は足が竦んで動けなくなった絵里を抱き寄せると化野の前へ移動した。自分以外を一カ所にかたまらせ、庇うように立て膝を着いて札を構える。
 障子が吹き飛び、吹雪が舞い込んでくる。
 絵里がどうにか瞼を持ち上げると、昨日の二人組が立っていた。

 九尾は無邪気に微笑んで手を振る。

「また来ちゃった」

「……お邪魔します」

 会釈したと思うと、雪女はすぐに九尾の背後に隠れてしまう。
 化野が顔を顰めた。

「来るなと言っても聞かないのはわかった。だがもっとマシな登場の仕様があるだろ。うちの障子を何枚駄目にすれば気が済む」

「それは雪女に言ってよお。おれは何もしてないもん」

 口を膨らませる仕草と威圧感さえある佇まいが酷く不釣り合いだ。絵里は相良の肩越しに九尾を観察した。

 昨晩、絵里は水希に借りていた妖怪百科を開いた。河童や百々目鬼、袖ひき小僧を調べた後で、妖狐のページも捲った。
 妖狐とはその名の通り狐の姿をした妖怪だ。素早く、人を化かす事が得意である。九尾の狐はその中でも最上位とされ、神獣として描かれることもある。
 しかし、なぜそんな妖怪がこんな所へ現れるのか。

「何の用だ。私は忙しいんだが」

 肩を竦める化野に、九尾は立てた人差し指を振った。長い指に長い爪が鋭く尖っている。

「残念だけど、今日は河童に用があるわけじゃないんだよ。ごめんね」

 九尾は指先をついと滑らせ相良に向けた。
 相良が目を瞬かせる。

「君に用があるの。相良くん」

「僕、ですか」

「うん。ちょっとこっち来て」

 手招きする九尾に相良はしばし逡巡したが、やがて立ち上がると二歩ほど前に歩み出た。
 花のような香の香りが漂う。九尾の長い髪がふわりと靡いた。
 九尾は相良の耳に唇を寄せ何かを囁いた。絵里たちには一言も聞こえない。

「――え?」

 相良は頓狂な声を上げ九尾の顔をじっと見据えた。
 九尾の細い目が弧を描く。

「おれなら出来るんだ。ちょっと考えてみてよ。悪い話じゃないんじゃない?」

 じゃあまたね、と九尾が言うと、吹雪が巻き上がった。
 視界が白く染まる。吹雪が収まると、張り詰めていた空気が和らぎ絵里は胸を撫で下ろした。
 九尾と雪女の姿が消えても、相良は動かなかった。ただ真っ直ぐに前を向いて、まるで心が抜け落ちたようだった。

「……何を言われた?」

 化野は相良に近付くと手を伸ばし肩を叩いた。はっとして相良は笑顔を作る。

「なんでもありません。師匠の耳に入れる事もないような事ですよ」

 絵里にでもわかるような不自然さに、化野が気が付かない筈がない。
 しかし化野は、「そうか」とだけ言って席へ戻った。
 座敷童が障子を元に戻しているのに気づき、相良はそれを手伝い始める。
 水希はいつの間にか何事も無かったかのようにお茶を飲んでいた。

「ねえ、昨日から聞きたかったんだけど、あの二人とはどういう関係なの?」

 絵里が受けた強烈な印象と裏腹に、妖怪たちは妙に落ち着いている。どうにも違和感がぬぐえなかった。
 化野はお茶を飲み干すと湯のみを静かに机へ置いた。

「あいつは妖怪の間で流行っている新興勢力のボスだ。雪女はその片腕」

「――へ?」

 思いも寄らない単語に絵里は眉を顰めた。新興勢力? 何故そんな妖怪がこんな所へ来るのだろう。

「確か、妖怪は人間より偉いんだぞー! って言い張ってる連中だよね」

 ポリポリと漬け物を囓りながら水希が言うが、絵里は更に脳がこんがらがってしまった。人間より妖怪が偉い? ……どうなんだろう。

 障子を直し終えた相良が絵里の横に座る。

「妖怪は昔から、人間と共存して生きてきたんです。けれど近年は数が減っていく一方で、妖力を失い人間に混ざって生活している妖怪や絶滅した妖怪も増えてきました。九尾さんはその状況を打破するために人間の世界を妖怪が支配し、ヒエラルキーの頂点に立とうとしているんです」

「へえ」

 妖怪が支配する世界。どう考えても、人間は肩身の狭い生活を強いられるだろうと絵里は思った。つい数日前までは妖怪の存在さえ信じていなかったが、こうして目の当たりにすると人間に勝ち目なんて無いのではとさえ感じてしまう。

「私と奴は対立してるからな。考えを改めろと言いに来る訳だ」

 化野は心底迷惑そうに吐き捨てた。そういえば、昨日の相良の話によると化野は妖怪と人間の関係を円満にしていく事を目的に掲げているのだという。人間である絵里にとっては、そちらの方がよほど有難い話だ。

「対立……」

 絵里は九尾と雪女を脳裏に浮かべたのち、目の前に並んでいる妖怪たちを順に見た。
 河童、人魚、百々目鬼、座敷童……。
 勝ち目無いんじゃない? と出かかった言葉を飲み下し、絵里は目を泳がせた。

「あの二人、すごく強そうに見えたけど……対立して大丈夫なの?」

 遠回しに言うと、化野は鼻を鳴らした。

「九尾が私に危害を加えることはまずないから問題ない」

 腕を組んでふてぶてしく続ける。

「あいつ、私に惚れてるからな」


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