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第四章 異質殺し

4-9 ずるいひと

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 「──天音」

 「……なに?」

 彼女は俺の目をしっかりととらえてそう返す。

 互いの呼吸の音だけが響く、少し背徳にも感じられる空間。

 ──こんな時でも、ここにいるのが葵だったら。

 そんなことを考えている俺が、格好をつける意味はないだろう。

 自分を晒せ。自分を晒せ。自分を殺すだなんて、そんな格好つけはやめてしまえ。

 お前、ダサいんだよ。さっさと答えを出してしまえ。そうじゃなきゃ気持ちが悪いんだろう。きっと、俺に対極がわだかまっていたら、そんな言葉を吐いてくれるだろう。

 『それだけが、俺の願いだから』

 俺は、俺が殺した、受容した対極に報いなければいけない。俺がここにいるのは、すべてアイツのおかげなんだから。

 「もう、いいんだ」

 俺は言葉を彼女に吐いた。

 「葵の代わりは、しなくていい」

 彼女は、俺の言葉を耳に入れる。沈黙だけがこだまする。

 「天音は、本当にいいやつだよ。

 俺がいつまでたってもここにいる理由を肯定してくれて、そうして俺が俺でいることを許してくれる。でも、きっとこのままじゃ駄目なんだ」

 彼女は頷かない、でもしっかりと目を見つめて俺の言葉を聞いてくれる。

 「俺が俺を許せないんだ。俺が俺を許せないから、俺は行動するべきなんだ」

 これ以上、甘えているわけにはいかない。

 「──俺、イギリスに行くよ」

 「……うん」

 ここに、日本にいても現状は変わらない。だから。

 「でも、イギリスに行く前にやらなくちゃいけないことがあるんだ」

 天音は、俺の目をとらえて離すことはなく、言葉に耳を傾け続ける。

 「──俺、葵が好きなんだ」

 葵にしか吐き出したことのない、……いいや、吐き出してもかき消された言葉。

 それを、天音に吐き出している。

 「彼女が笑っている顔が好きだ。彼女が俺を気にかけてくれる姿が好きだ。わざととぼけて、おじさんみたいに関わってくれるのが好きだ。弱い俺に対しても、すべてを肯定してくれる彼女が好きだ。強く見せてくれる彼女が好きなんだ」

 言葉は止まらなかった。きっと、彼女の好きなところを挙げていればキリがないだろう。

 「──そんな葵がさ、泣いていたんだよ」

 「……うん」

 「彼女の涙がちらついて、離れないんだよ」

 「……うん」

 「俺は……、そんな世界を許すことはできない」

 彼女が涙を流す世界を、俺は放っておくことはできない。

 「──俺は、葵と一緒にいたい」

 もう叶わない恋だということは知っている。

 彼女の中に俺がいないということは、どうしようもないほどに知っている。

 でも、そんなこと、何一つ関係なく、俺は、僕は、彼女と、──赤原 葵と一緒にいたいのだ。

 「──たとえそれが禁忌だとしても?」

 天音はそう聞いた。悪魔祓いとして、彼女は確かにそう聞いた。

 「──禁忌とかどうとか知るかよ」

 俺は、言葉を吐いた。

 「俺は、俺のしたいようにする。ここからでも紡げる関係はあると思うから」

 言った。

 言ってしまった。

 言ってしまったからには、もう後戻りできない。

 「……ふふ」

 天音は、諦めたように笑った。

 「なんとなくね、そうなるんじゃないかって思ってた」

 「……そう?」

 「うん」

 天音は、諦めたように溜息を吐いた後、言葉を続ける。

 「……最初から、ずっと知ってたもん。たまきが葵さんのことが好きって、ずっとずっと知ってたもん」

 天音は言葉を続ける。

 「わたしじゃ、だめだってことだもんね」

 「……ああ」

 「……そっかぁ」

 天音は背もたれに体重をかけるようにして力を抜く。

 「──いいよ、ヒミツにしてあげる」

 天音は俺に呟いた。

 「わたし、たまきが好き。……だから、ナイショにしてあげる」

 その言葉を聞いて、罪悪感が心に反芻する。

 俺は、彼女の好意を利用している。だから、罪悪感が心に反芻して仕方がない。

 でも、それを噛みしめることが、天音に対しての礼儀だろう。

 「ありがとう」

 俺がそう言うと、天音は無理した作り笑いをして、呟く。

 「ずるいひと」

 心の中で彼女の言葉に肯定する。

 俺も、そうだと思うよ。



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