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第一章 夢魔もどきのありふれた生活
1-2 現実ではない
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◆
「とまあ、朝からそんないいことがあったわけなんだけど」
「……それ、そこまでいいことか?」
俺がそう言うと、彼は興味がなさそうに苦笑した。
「俺はそういった経験をしたことがないからわからないけれど、羨ましいという気持ちにはならないな。まあ、見たくないのかって言われると別だけれど」
「それは同感かもしれない」
俺は彼に対して相槌を打った。確かに、彼の言葉の本質のようなものは、朝の俺の頭の中にも一瞬よぎったことだったから。
朝に経験した下着事件(こういう言い方をすると下着泥棒事件というような表記だけれど、視界にしか盗んでいないわけだから俺は悪くない)は、その本質で言えば被害者が生まれるものに違いないはずだ。
下着自体を卑猥なものというわけではないけれど、確実にそれらはプライベートを侵食するものだと思う。それを事故とは言え視界に入れてしまったのだから、彼女のプライベートは侵されたといっても過言ではないはずだ。そうなれば、侵害された彼女は被害者ということになるし、侵害した俺は加害者ということになる。もしかしたら、この後に糾弾される可能性だってあるのだ。
眼福だなぁ、とかその時は思ったけれど、きちんと見ていないように振る舞えばよかったように思う。見ていないふり、とかではなく、本当に彼女へと視線を合わせなければこんな気持ちも抱かないはずだった。……それはそれとして感謝の言葉と拝む気持ちが生まれ続けるのだけど。
「というかさ」
彼は言葉を吐く。俺は彼に視線を移した。
「そろそろ殺風景だから、景色を変えないか?」
──どこまでも白い空間での会話。際限なく広がっているはずの空間なのに、際限を示すように壁や天井が存在している。そのすべてが白色でしかないから、彼が殺風景というのも仕方がない気がする。
そんな無機質としか言いようがない空間に、俺と彼はいる。教室にある机と椅子を演出して、適当にだらけながら雑談をしている。
「いいの? 現実と区別がつかなくなるけど」
「白色のほうが頭おかしくなる」
彼はまた苦笑を浮かべた。
どこまでも非現実的な空間。SF映画にしか存在しないような空間。だからこそ、眼の前のすべてを現実ではないと認識することができているけれど、彼はそれが嫌らしい。俺はこの景色のほうが身に馴染んでいるので、このままのほうがいいのだけれど、彼がそういうのならば仕方がない。
そろそろ慣れろよな、と言葉を吐いてから俺は指を鳴らす。指を鳴らして、変化をする、という認知を彼に付け加えて、彼と共有している空間の世界観を上書きする。
「おー、これだよこれ」
──そうして俺たちの世界は屋上になった。
これは俺が作り出した世界ではない。彼が作り出したいという世界を投影しただけであり、俺が屋上にいたいわけじゃない。
「なして屋上?」
眼の前の景色を視界に入れる。
俺は屋上に入ったことはない。入ったことはないというか、そもそも入れないというか。
だいたいの学校が同じようなものだろうけれど、屋上に出入りすることは生徒には禁止されている。一度、隠れて昇ろうとしたこともあったけれど、普通に鍵がかかっていたし、きちんと扉の前には『出入り禁止』の札が貼ってあったはずだ。
「いやあ、屋上ってロマンがあるじゃないすか」
「気持ちはわからんでもないけどね」
まあいいか、そんな朝に聞いた先輩のような言葉を出して、俺はぼんやりと空を眺めてみる。
景色が一新したことによって、そこに勉強机や椅子はなくなった。それが彼の屋上に対する認知なのだろう。ただ周りを囲った緑色のフェンスと、少し埃っぽくて滑りやすい床があるのみ。
俺は適当に地べたに仰向けになってみて、そうして空を仰いでみる。
どこまでも真っ青な空。もしくは水色と言ってもいいかもしれない空の色。風が吹くことはなく、太陽がそこまでの眩しさを持つことなく、一つの景色として固定されている。雲はあるけれど、そのすべてが固着するように流されることはなく、ただ写真の風景を目の前にしたように、どこまでも静かな、それでいてきれいな景色だった。
「屋上、入ったことあるの?」
「いや? ただ、こういう景色があればいいなって」
なるほど、と頷いて、ただひたすらに俺は空を仰ぎ見る。それ以外にやることもないから、どうでも──。
──瞬間、バシッという音と衝撃。
「とまあ、朝からそんないいことがあったわけなんだけど」
「……それ、そこまでいいことか?」
俺がそう言うと、彼は興味がなさそうに苦笑した。
「俺はそういった経験をしたことがないからわからないけれど、羨ましいという気持ちにはならないな。まあ、見たくないのかって言われると別だけれど」
「それは同感かもしれない」
俺は彼に対して相槌を打った。確かに、彼の言葉の本質のようなものは、朝の俺の頭の中にも一瞬よぎったことだったから。
朝に経験した下着事件(こういう言い方をすると下着泥棒事件というような表記だけれど、視界にしか盗んでいないわけだから俺は悪くない)は、その本質で言えば被害者が生まれるものに違いないはずだ。
下着自体を卑猥なものというわけではないけれど、確実にそれらはプライベートを侵食するものだと思う。それを事故とは言え視界に入れてしまったのだから、彼女のプライベートは侵されたといっても過言ではないはずだ。そうなれば、侵害された彼女は被害者ということになるし、侵害した俺は加害者ということになる。もしかしたら、この後に糾弾される可能性だってあるのだ。
眼福だなぁ、とかその時は思ったけれど、きちんと見ていないように振る舞えばよかったように思う。見ていないふり、とかではなく、本当に彼女へと視線を合わせなければこんな気持ちも抱かないはずだった。……それはそれとして感謝の言葉と拝む気持ちが生まれ続けるのだけど。
「というかさ」
彼は言葉を吐く。俺は彼に視線を移した。
「そろそろ殺風景だから、景色を変えないか?」
──どこまでも白い空間での会話。際限なく広がっているはずの空間なのに、際限を示すように壁や天井が存在している。そのすべてが白色でしかないから、彼が殺風景というのも仕方がない気がする。
そんな無機質としか言いようがない空間に、俺と彼はいる。教室にある机と椅子を演出して、適当にだらけながら雑談をしている。
「いいの? 現実と区別がつかなくなるけど」
「白色のほうが頭おかしくなる」
彼はまた苦笑を浮かべた。
どこまでも非現実的な空間。SF映画にしか存在しないような空間。だからこそ、眼の前のすべてを現実ではないと認識することができているけれど、彼はそれが嫌らしい。俺はこの景色のほうが身に馴染んでいるので、このままのほうがいいのだけれど、彼がそういうのならば仕方がない。
そろそろ慣れろよな、と言葉を吐いてから俺は指を鳴らす。指を鳴らして、変化をする、という認知を彼に付け加えて、彼と共有している空間の世界観を上書きする。
「おー、これだよこれ」
──そうして俺たちの世界は屋上になった。
これは俺が作り出した世界ではない。彼が作り出したいという世界を投影しただけであり、俺が屋上にいたいわけじゃない。
「なして屋上?」
眼の前の景色を視界に入れる。
俺は屋上に入ったことはない。入ったことはないというか、そもそも入れないというか。
だいたいの学校が同じようなものだろうけれど、屋上に出入りすることは生徒には禁止されている。一度、隠れて昇ろうとしたこともあったけれど、普通に鍵がかかっていたし、きちんと扉の前には『出入り禁止』の札が貼ってあったはずだ。
「いやあ、屋上ってロマンがあるじゃないすか」
「気持ちはわからんでもないけどね」
まあいいか、そんな朝に聞いた先輩のような言葉を出して、俺はぼんやりと空を眺めてみる。
景色が一新したことによって、そこに勉強机や椅子はなくなった。それが彼の屋上に対する認知なのだろう。ただ周りを囲った緑色のフェンスと、少し埃っぽくて滑りやすい床があるのみ。
俺は適当に地べたに仰向けになってみて、そうして空を仰いでみる。
どこまでも真っ青な空。もしくは水色と言ってもいいかもしれない空の色。風が吹くことはなく、太陽がそこまでの眩しさを持つことなく、一つの景色として固定されている。雲はあるけれど、そのすべてが固着するように流されることはなく、ただ写真の風景を目の前にしたように、どこまでも静かな、それでいてきれいな景色だった。
「屋上、入ったことあるの?」
「いや? ただ、こういう景色があればいいなって」
なるほど、と頷いて、ただひたすらに俺は空を仰ぎ見る。それ以外にやることもないから、どうでも──。
──瞬間、バシッという音と衝撃。
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