妹とゆるゆる二人で同棲生活しています 〜解け落ちた氷のその行方〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)

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肆/戸惑う視線と歪な構成

4-5

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 違和感を覚えることが昔から怖くて仕方がなかった。自分の中に存在する習慣、ペース、ほかの人のなじみのある顔、態度、時間感覚、そのすべてに違和感を覚えることに対して、私は恐怖を覚えることが多かった。それは今でも変わらない。どうしてそんな正確になってしまったのか、思い出すことはできない。ただ、どうしても変化というものを恐れてしまう。だから、目の前にあった翔也の普段とは違う言動を見て、私は焦燥感に駆られ続けた。

 彼は私のものではない。そんなことはわかっている。恋人という関係性を紡いでいたとしても、彼が私のものになるというわけではない。そんなことはわかっている。人は個人で存在するもので、それを所有しているなんて思うなんて傲慢だ。だから、普遍的な日常に不和を感じたとしても、それにたいして恐怖を覚えてしまうのは傲慢以上の何物でもない。

 それでも、私の中で信じている彼が、唯一の私の好きな人である彼が違和感を持つような言動をしたこと、振る舞いをしたこと。それがどうしても心に痛く触れてくる。

 戸惑いの呼吸を繰り返して、少し落ち着かない気持ち。体に循環する血液が滞っているような、操作する感覚が不能になっていくような、そんな感覚を繰り返してしまう。

 自分であって自分ではない。そんな感覚を反芻している。

 焦燥感とは人の心を殺す作用だ。私は当時を振り返ってそう思う。

 焦燥感は人を狂わせる。正常な判断を見失う。意識が健常であるという自覚故に、自分が行う選択について見誤り続ける。そこに毒があるというのに、それを飲み干してしまいそうになるほどに、判断というものは危うくなり続ける。

 先ほどの私は何を考えていたのだろうか。その時の私は思考の記憶をたどろうとした。焦燥感に溺れながら、彼を手放さないためにどのような話題を続ければいいか、どのような話をして、彼のことを振り向かせればいいか。

 行く場所については決めていなかったけれど、彼とどこかに出かけることについては勝手に頭の中で決めていた。もし、先ほどの提案がいつものように受け止められていれば、慎重に彼と出かける場所を決めることもできたかもしれない。

 まとまらない思考、止め処なく溢れる余計な雑音、言葉にする選択を早とちりしてしまう感覚。そのどれもが、焦燥感のままに私を突き動かした。

 彼の表情を見るたびに、心臓がきしむような感覚を覚える。どうしてだろう。これからする行動の選択を、彼に拒まれるような予感を覚えていたからだろうか。

 きっと、彼なら受け取ってくれる、受け取ってくれるはずだ。そう思いながら、私は彼を呼び止めるようにした。

 会話の流れをすべて断ち切った。正直、この辺りの会話を思い出すことはできない。それほどまでに焦りがあったから、自分自身でも思い出したくないのかもしれない。過去に生きている自覚のある私だけれど、どうしてもこの記憶に向き合うことは難しい。

 ほろ苦い記憶、澱んでいる思い出、彼と距離を開いてしまうことになったきっかけ。

 心臓のドクドクが止まらないまま、私は言葉を紡ぎ続けた。

 呼び止めて、言葉を吐いた。私が彼に対して抱いている感情を。

 実は明日一緒に出掛けようと思っていたんだ、遊園地とか楽しそうじゃない? でも夏の遊園地は苦しいかな。そういえば週末に盆踊り大会があるね、一緒に行くのも悪くないよね。楽しそうだよね。ここは地方だから思い切って電車で遠くに行くのもいいよね。中学生のお小遣いじゃたかが知れているけれど、花火大会とか行ってみたり。プールもいいよね。自転車で海に行くのも悪くないね。でも、翔也は運動苦手だもんね。いやかな、いやだったら別にいいんだけど。

 そんな感情を吐き出した。彼は困ったように笑いながら、それを聞いてくれていた。束の間に好きなんだ、とか冗談のように呟いたりもした。彼に私の好意を受け止めてほしかった。

 その時、彼はどんな言葉を吐いたんだっけ。どんな言葉を私に対して紡いだんだっけ。

 ああ、そうだ。悪くないな、って言葉を私にかけてくれたんだ。その言葉に、いつもの翔也の面影を思い出して、少しだけ安心感を取り戻したんだ。

 ──でも。

「ごめんな」

 ──彼は、すべてを諦めたような表情で、そう紡いだ。





 私が望んでいた告白というものは焦燥感に駆られたままで、焦燥感に殺された。望んでいたドラマ性というものは何一つ生まれず、私が望んでいた彩られるはずの季節が目の前にやってくることはなかった。

 距離を開きたくない。そんな気持ちで彼とかかわっていたのに、その日から彼とかかわることをやめてしまった。彼とかかわることが怖かった。違和感を、不和を覚えることにこれ以上耐えられる気がしなかった。どうしようもない気持ちが私を部屋に閉じ込めさせた。

 涙は出なかった。どこか遠くの世界の映画を見ているような気持になった。それが自分自身のことであるという自覚を生みたくなかった。彼とかかわることでその自覚を明確にすることが怖くて仕方がなかった。だから、彼とかかわることはできなかった。

 それから、夏休みの間、彼とかかわることはできなかった。勉強に集中することはできなかった。携帯のアルバムの中に残っている、私の隣で苦笑している翔也の顔を見て、嫌になって電源を落とす日々を繰り返した。食事も喉を通らなかった。少しは食べることはできたけれど、大半を残してしまう結果になった。両親はそんな私に何か声をかけていたような気がする。あの時期は呆然としていたのが常だったために、どんな言葉をかけられたのか、思い出すことはできないけれど。





 夏休みが終わっても、夏という季節が終わるわけじゃない。暑さは体にまとわりついて嫌悪感を覚えさせてくる。でも、不思議と汗をかくことはなくて、日射に注がれても、どうでもいい、という虚無感だけが心を支配した。

 彼とはかかわることができない。その事実を反芻するだけで心が死んでいく感覚を覚えた。安易に死、とかそんな言葉を出すものでもない、と思うけれど、当時の私は引きずってしまっていた。本当に死ぬことを考えていたわけではないけれど、拠り所にしていたものがなくなった気持ちに向き合うことはできなかった。

 このままじゃいけない。そんな思考にたどり着くために、それから何週間ほど経過したのだろう。もしかしたら何か月という時期かもしれない。やはり、うろ覚えだ。

 時間は心を埋めてくれるわけじゃない。でも、空白を相応に埋めてくれる。空いてしまった穴はかりそめの空白で痛みをなくすように作用する。そんな作用に踊らされて、たまに彼がいる教室を覗いてみたりした。でも、休み時間などに覗いてもすぐに授業が始まるし、昼休みは教室にはいない。学校の中を探した。彼は図書室によくいたから、もしかしたら人とのかかわりを避けて、そんな場所にいるのではないか、そんな憶測で図書室に行った。でも、そこにも彼はいなかった。

 そろそろ踏ん切りをつけよう。そう思って彼の家を覗いた。学校が終われば家に帰る。それは必然であると思っていた。

 幼いころに、小学生のころに、ついこないだまでは何度も遊びに行った家。だから、彼はまたそこにいてくれる。そんな期待のままに彼の家に行った。

 だけど、そこに彼はいなかった。そこには彼の家族でさえ存在していなかった。

 そこで気づいたこと。……いや、振り返ってからこそ気づいたこと。

 彼は、帰るべき場所を失くしてしまったという事実。

 当然だと思っていた彼の居場所は、私の居場所だった彼の居場所は、すでにそこには存在していなかったということ。

 後悔、後悔、後悔。どこまでも取り繕うことのできない後悔。

 卒業式になって、ようやく彼を見かけることはできたけれど、その時にはすべてが終わっていた。彼の苗字は変わっていて、普通の日常というものは、私にも、きっと彼にも取り戻せないものになっていた。

 安寧はそこにはなかった。


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