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第15話 依頼料と差し入れケーキ
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「えっ!? 依頼料取らなかったんですか!?」
須崎夫妻が帰った後。
いつものように台所の流し台で洗い物をしながら、優奈は素っ頓狂な声を上げた。
「取るわけにいかねーだろ。離婚依頼だったのに離婚がなくなったんだから」
「えー前金ぐらい取れば良かったのに。私だって会社への調査とか色々働いたんですよ?」
「だったら最初に請求しとけ。金の話もしないで、勢い勇んで勝手に安請け合いしたのはお前だからな」
優奈はウッと黙る。それを言われてしまうと、事実だから言い返せなかった。
「それに――」
と言いかけ、何故だか新が口籠もる。
「それに? なんです?」
先を促すとバツの悪そうな顔をした新は珍しく迷った素振りを見せながら言った。
「これから何かと入り用なんだから、そっちに金使わせた方がいいだろ」
その台詞に、ぱりくりと瞬き一つ。それから耐えきれず、クスリと笑みを零した。
「新さんって、なんだかんだ優しいところありますよね」
「あぁ?」
冷蔵庫を漁る新が、不機嫌そうな目を優奈に向ける。なんだかその態度すら、どこか可愛らしく思えた。
「だって最初から気付いてたんですよね。莉奈さんのお腹に赤ちゃんがいることも、離婚も本意じゃないってことも」
「鬼の血は匂うからな。あとはまぁ……妊娠した女ってのは情緒不安定になりやすいって聞いたことあるから、大体そんなとこだろって思っただけだ」
素直じゃないなぁと思う。
「私の給料はちゃんと払って下さいね。電気ポットは我慢しておくんで。今のところ」
「電気ポット……?」
何の話だと言わんばかりに新が首を捻る。
とその時、ピンポーンと玄関チャイムが鳴った。
「はーい! 新さん、手が離せないんで出て下さい」
「めんどくせぇ」
「新さん!」
「出ないとは言ってないだろ出ないとは」
背中からめんどくささを漂わせながら、新が玄関に向かう。手早く洗い物を済ませたユウながら遅れて玄関に赴くと、そこには帆理の姿があった。玄関たたきに立ったまま、框の上の新を見上げて何やら話し込んでいる。
「そうか、進展はないか」
「残念ながらね。一応捜査員を付けさせてはいるけど、どうにも決定的な証拠が……あっ、優奈ちゃん」
帆理が優奈に気付いて手を上げる。もう片方の手には、洋菓子の白い箱が提げられていた。
新が緩慢な動作で、半身を振り返る。
「こんばんは、帆理さん。すみません、お話しを中断させてしまったみたいで」
「こんばんは。いいのいいの、どうせ大した話じゃないから。あ、これお土産ね」
「わあ! これ人気店のケーキじゃないですか! 開けていいです?」
「どうぞどうぞ」
箱に貼られた人気店のロゴシールに、優奈は思わず目を輝かせてしまう。いそいそと開けると、箱の中には色とりどりの四つのケーキが綺麗に収められていた。まるで宝石箱のようだった。
「結構並んだんじゃないですか?」
「そうでもないよ。三十分ぐらい」
なんてことないように帆理は答える。
三十分――ケーキ屋の店先の行列に、女子に交じって並ぶスーツ姿の帆理が思い浮かぶ。周りの女子たちが放っておかなさそうだと思った。
「お前も暇人だなぁ……」
「暇じゃないっての。相変わらずしき事件の足取りを追うので忙しいよ。だから来たんじゃないか」
チラリと、新が優奈を見る。
「ま、それもそうか」
「???」
その視線と言葉の意味が分からず、優奈は首を傾げた。
「おいユウ、お前そろそろ電車の時間じゃないのか?」
「あっ、でもケーキ……」
「持って帰ればいいだろ持って帰れば。さすがに茶ぁしばいてるだけの奴に払う残業代はないからな」
「……大して高い時給でもないくせに」
「あぁ?」
「なんでもないでーす。ケーキ半分置いてきまーす」
パタパタと小走りに優奈は台所に駆けていく。その背を見送って――
「素直に『家でゆっくり食べろって』言えばいいのに」
「何をどうしたらそう聞こえるんだ。……あと別に俺、ケーキが好物ってわけじゃねーんだけどな」
「たまには血とコーヒー以外も食べなよ。霞を食べて生きてる仙人じゃないんだから」
ぼそりぼそり。互いにぼやきのようなものを零していると、帰り支度をした優奈が戻ってくる。
すかさず帆理が声を掛けた。
「駅まで送るよ」
「わぁいいんですか? 新さんと話があるんじゃ……」
「構わないよ。本当に顔を見に来ただけだから」
「ありがとうございます。やっぱり出来る紳士は違いますね」
「喧嘩売ってんのか」
「え、誰も新さんの話なんかしてませんよ?」
その返しに、新が苦虫を噛み潰したような顔になる。対照的に、優奈はにんまりと満面の笑みを浮かべた。
――どうだ、一本取ってやったぞ。
上機嫌でパンプスを履き、半ばスキップするように玄関を出る。鼻歌でも歌い出しそうな勢いだった。
そんな優奈に新は、柱にもたれかかりながら半眼を向ける。
「じゃ、お疲れ様でした」
「……おう、気ぃ付けて帰れよ」
今日は週末、金曜日。だから『また明日』はない。
玄関扉が閉まり、ほどなくして優奈と帆理――二人が乗った車が遠ざかっていく。その音が完全に聞こえなくなってから――
「なんだかなぁ……」
新は頭を掻いて、盛大な溜息を零した。
須崎夫妻が帰った後。
いつものように台所の流し台で洗い物をしながら、優奈は素っ頓狂な声を上げた。
「取るわけにいかねーだろ。離婚依頼だったのに離婚がなくなったんだから」
「えー前金ぐらい取れば良かったのに。私だって会社への調査とか色々働いたんですよ?」
「だったら最初に請求しとけ。金の話もしないで、勢い勇んで勝手に安請け合いしたのはお前だからな」
優奈はウッと黙る。それを言われてしまうと、事実だから言い返せなかった。
「それに――」
と言いかけ、何故だか新が口籠もる。
「それに? なんです?」
先を促すとバツの悪そうな顔をした新は珍しく迷った素振りを見せながら言った。
「これから何かと入り用なんだから、そっちに金使わせた方がいいだろ」
その台詞に、ぱりくりと瞬き一つ。それから耐えきれず、クスリと笑みを零した。
「新さんって、なんだかんだ優しいところありますよね」
「あぁ?」
冷蔵庫を漁る新が、不機嫌そうな目を優奈に向ける。なんだかその態度すら、どこか可愛らしく思えた。
「だって最初から気付いてたんですよね。莉奈さんのお腹に赤ちゃんがいることも、離婚も本意じゃないってことも」
「鬼の血は匂うからな。あとはまぁ……妊娠した女ってのは情緒不安定になりやすいって聞いたことあるから、大体そんなとこだろって思っただけだ」
素直じゃないなぁと思う。
「私の給料はちゃんと払って下さいね。電気ポットは我慢しておくんで。今のところ」
「電気ポット……?」
何の話だと言わんばかりに新が首を捻る。
とその時、ピンポーンと玄関チャイムが鳴った。
「はーい! 新さん、手が離せないんで出て下さい」
「めんどくせぇ」
「新さん!」
「出ないとは言ってないだろ出ないとは」
背中からめんどくささを漂わせながら、新が玄関に向かう。手早く洗い物を済ませたユウながら遅れて玄関に赴くと、そこには帆理の姿があった。玄関たたきに立ったまま、框の上の新を見上げて何やら話し込んでいる。
「そうか、進展はないか」
「残念ながらね。一応捜査員を付けさせてはいるけど、どうにも決定的な証拠が……あっ、優奈ちゃん」
帆理が優奈に気付いて手を上げる。もう片方の手には、洋菓子の白い箱が提げられていた。
新が緩慢な動作で、半身を振り返る。
「こんばんは、帆理さん。すみません、お話しを中断させてしまったみたいで」
「こんばんは。いいのいいの、どうせ大した話じゃないから。あ、これお土産ね」
「わあ! これ人気店のケーキじゃないですか! 開けていいです?」
「どうぞどうぞ」
箱に貼られた人気店のロゴシールに、優奈は思わず目を輝かせてしまう。いそいそと開けると、箱の中には色とりどりの四つのケーキが綺麗に収められていた。まるで宝石箱のようだった。
「結構並んだんじゃないですか?」
「そうでもないよ。三十分ぐらい」
なんてことないように帆理は答える。
三十分――ケーキ屋の店先の行列に、女子に交じって並ぶスーツ姿の帆理が思い浮かぶ。周りの女子たちが放っておかなさそうだと思った。
「お前も暇人だなぁ……」
「暇じゃないっての。相変わらずしき事件の足取りを追うので忙しいよ。だから来たんじゃないか」
チラリと、新が優奈を見る。
「ま、それもそうか」
「???」
その視線と言葉の意味が分からず、優奈は首を傾げた。
「おいユウ、お前そろそろ電車の時間じゃないのか?」
「あっ、でもケーキ……」
「持って帰ればいいだろ持って帰れば。さすがに茶ぁしばいてるだけの奴に払う残業代はないからな」
「……大して高い時給でもないくせに」
「あぁ?」
「なんでもないでーす。ケーキ半分置いてきまーす」
パタパタと小走りに優奈は台所に駆けていく。その背を見送って――
「素直に『家でゆっくり食べろって』言えばいいのに」
「何をどうしたらそう聞こえるんだ。……あと別に俺、ケーキが好物ってわけじゃねーんだけどな」
「たまには血とコーヒー以外も食べなよ。霞を食べて生きてる仙人じゃないんだから」
ぼそりぼそり。互いにぼやきのようなものを零していると、帰り支度をした優奈が戻ってくる。
すかさず帆理が声を掛けた。
「駅まで送るよ」
「わぁいいんですか? 新さんと話があるんじゃ……」
「構わないよ。本当に顔を見に来ただけだから」
「ありがとうございます。やっぱり出来る紳士は違いますね」
「喧嘩売ってんのか」
「え、誰も新さんの話なんかしてませんよ?」
その返しに、新が苦虫を噛み潰したような顔になる。対照的に、優奈はにんまりと満面の笑みを浮かべた。
――どうだ、一本取ってやったぞ。
上機嫌でパンプスを履き、半ばスキップするように玄関を出る。鼻歌でも歌い出しそうな勢いだった。
そんな優奈に新は、柱にもたれかかりながら半眼を向ける。
「じゃ、お疲れ様でした」
「……おう、気ぃ付けて帰れよ」
今日は週末、金曜日。だから『また明日』はない。
玄関扉が閉まり、ほどなくして優奈と帆理――二人が乗った車が遠ざかっていく。その音が完全に聞こえなくなってから――
「なんだかなぁ……」
新は頭を掻いて、盛大な溜息を零した。
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