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最終話 ようこそ

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 その日、略取誘拐罪および暴行罪の現行犯で逮捕された真垣陽一は後日、殺人罪で改めて逮捕された。

 通称『屍鬼事件』。

 世間を騒がせたその一連の事件の死者は計十四人にも及び、近年稀に見る大事件となった。

 けれどその猟奇性については、度々メディアで取り沙汰されることはあれど、その事件の規模に反して詳細は報じられていない。

 吸血鬼――人ならざるモノが関与したこの事件を警察、ひいては国は、ただの連続殺人事件として処理している。といっても、人ならざるモノが関与したことは、秘密裏に記録として残されるだろうが――

 郷には入れば郷に従え。
 人として生きるなら、人のルールに従え。

 それが今のこの世界の、この国の、人と人ならざるモノの在り方だった。

 人間として生きてきた真垣なら、なおさらだ。

 真垣陽一は人として生まれ、人として罪を犯し、人ならざるモノとして罪を重ね、人として裁かれる。

 その弁護は――新が担当することになった。

 刑事事件の中には、被告人に弁護士がついていないと法廷が開けない『必要的弁護事件』というものがある。しかし被告人本人が私費で雇う『私選弁護人』を選任できない場合は、国が弁護士を選任するのだ。これを『国選弁護人』と呼ぶ。

 真垣陽一は、小さくとも商社の社長を務めていた。資金面では問題ない。しかし事件内容――真垣当人が吸血鬼である点が、問題視された。

 簡単に言えば、人ならざるモノの存在を、無関係な者に安易に知られるわけにはいかなかった。その辺りの制度がどうなっているか、優奈も詳しく教えては貰えなかったが何らかの力が働いたのだろう。白羽の矢が立ったのが、新だった。

 曰く、人外事件を知っても問題がなく、かつ人外の担当が出来る弁護士はそうそういないとのこと。

「あいつの望み通り、『味方』してやろうじゃねぇか」

 そう言って、心底楽しそうに高笑いした新の姿は、まだ目に新しい。

 梅雨は明け、季節は移ろう。
 妖崎あやかし法律事務所を訪れる客はいない。

 訪れるのは、人ならざるモノだけ。優奈が勤め始めてからも、依頼は月に一度、あるかないか。そんな小さな法律事務所だ。

 事務所である住宅街の日本家屋には、今日も閑古鳥が元気に鳴いている。時に、蝉の鳴き声を交えながら。

 そうして季節は、優奈が死んだ春を置き去りにして、夏へと向かっていく。


   * * *


「おはようございまーす」

 ピンポーンと昭和レトロな日本家屋に、電子音が響き渡った。

 朝の閑静な住宅街。チャイムの音はむせ返るような熱い空気にあっという間に溶け、家には元の静けさが戻ってくる。

 しかし返事はない。

 私服姿の優奈は諦めて鍵を開け、中に入った。我が物顔で廊下を進み、慣れた手つきで雨戸を開ける。それから台所に戻り、お湯は――今日は湧かしている暇もないし、いいかと結論づける。

 七月最後の日曜日。とうに夏本番を迎えた事務所は、暴力的な熱気に包まれていた。
 庭を覆う梛の木を見上げれば、枝葉の隙間から刺すような日差しが降り注いでいる。

 けれど日を浴びてキラキラと輝く深緑の葉は、美しかった。

「なんでお前がいるんだよ、ユウ」

 と、縁側で外を眺める優奈の背に、不機嫌な声が掛けられた。

 妖崎新。この家の主だった。

「あ、おはようございます、新さん」
「おはようございますじゃねーよ。今日は日曜日だぞ」

 妖崎あやかし法律事務所は、基本的に土日祝日が休みだ。

 起き抜けの新は生あくびをして、ダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。縁側でも居間でもないのは、強い日差しを嫌ってのことだろう。

「日曜日だからですよ。あ、コーヒー飲みたければ自分で淹れて下さいね。私、今日は忙しいので」

 そう言って髪をヘアゴムで束ね、臨戦態勢へ移る。

「は? どういう――」

 新が零した怪訝な声は、ピンポーンという玄関チャイムの音に掻き消された。

「お疲れ様でーす。ウサギ印の引越センターですー」

 玄関から庭から、引っ越し業者の声が聞こえてくる。

「あ、はーい」
「………………引っ越し?」

 玄関に駆けていく優奈の背に、大量の疑問符付きの声がぶつかった。

 業者と話を終え、すぐにダイニングへ戻ってきた優奈は、台所の入り口でしかめっ面をする新をしっしと手で払った。

「ほら新さん、今から荷物運び入れるんですから、ぼーっと突っ立ってないで下さい。邪魔です。なんなら手伝って下さい」
「いやおい、引っ越しって――」

 なおも戸惑う新。そんな家主をクルリと振り返って、

「私、今日からここに住みますから」

 微笑む優奈を見つめること、たっぷりと数秒。

「……は?」

 ぽかんと口を開けた新のその顔があまりにも珍しくて、優奈は思わずスマホを構えそうになった。

「言ったのは新さんじゃないですか。いっそここに住み込めばいいとかなんとか」
「いや、まぁそりゃ、言ったが……」

「考えたんですよね。働きながら司法試験の勉強するのって、まず時間的に厳しいなって。だったらまず削れるところを削ろうと思いまして。それにほら、交通費は大きいじゃないですか。浮けば電気ポットぐらい買えるかなと思って」

「電気……ポット????」

「あ、それは二階にお願いしまーす」
「はーい」

 続々と運び込まれる荷物を見ながら、

「まじか……」

 驚嘆にも諦念にも似た呟きが、新の口から漏れた。

「……お前、なんでそんなやる気なんだよ」

 ゲテモノでも見るような目で、新は優奈を見る。

「……弁護士、悪くないなって」

 ややあってから、ぽつり、零す。

「考えたんです。これから先、どうやって生きていこうって」

 新に背を向けたまま、優奈は胸を張った。

「元々、お金のためだったんです。弁護士になろうと思ったの。でも司法試験に落ちちゃって、新卒就職にも失敗して、まぁ簡単に言うと路頭に迷って、そんな時、手を差し伸べてくれたのが、野々宮先生だったんです」

 訥々と、吐露していく。
 新に自分の中にあるものを話すのは初めてで、少しだけむず痒い感じがした。

「いつでもニコニコ笑ってる人だったんですよ。お茶は自分で淹れるし、いつも私より早く出勤して、遅く帰る。手持ち無沙汰な時間があれば勉強していいって言うし、仕事も質問も、いつだって丁寧に教えてくれました」

 雑用係として優奈をこき使う新とは、正反対だった。

「……本当は、私なんて要らなかったんです。だって仕事はそれまで、先生一人で回ってたんですから。でも私は先生の好意になんて気付かないふりして、ずっと甘えて、働き続けました」

 新はじっと、優奈の話に耳を傾けてくれていた。

「なるならこんな弁護士になりたいって、思えてたんです。少しは」

 でももう、野々宮はおらず、野々宮法律事務所はない。
 喉が、声が震えるのは、気のせいではないだろう。

「この事務所は最悪です」

 思いっきり伸びをして、優奈ははっきり言ってやった。

「台所は古いし、クーラーがない部屋もあるし、畳は……今は変えたから新しいですけど、この間まで擦り切れてましたし。時給も高くないし、依頼料取らないとかも謎。電気ポットはないし、真夏にやかんでお湯沸かすって結構地獄なんですよ? あと何より、主が態度も口も悪くて横暴」

「おい」

 最後の一言に、つい新のツッコミが入る。

「でも、悪くないなって」

 新がピクリと、肩を揺らす。

「新さんと一緒に、航さんや綿貫工務店の社長さん。それから天狗さん、莉奈さん。人間じゃない色んなヒトと会って、その悩みを向き合って、力になって――」

 思えたのだ。

「悪くないなって」

 もちろん、仕事は仕事だ。いい話で終わることばかりではないし、恨みを買うようなこともある。それは野々宮の元で経験済みだ。それでも――

「どなたさんの背を追ってみるのもいいなって、自然と思えたんです」

 気負いなく、発する。
 それは紛れもない、優奈の今の気持ちだった。

 新は何も言わなかった。
 肯定しなかった。

 けれど、否定もしなかった。

「それにほら、ここにいれば私もご飯に困らないですし」
「は?」

 くるり。振り返った祐奈の笑顔に、本日二度目の間抜けな声が上がる。こうも意表を突けると、心地がよかった。

「なんか、他人の血を飲むのってやっぱり抵抗あるんですよね。でも新さんだったら傷もすぐ塞がるし身体も人より丈夫だし、飲んでもいいかなって。何より美味しかったですし」
「~~~~~~~~~」

 新が声にならない声を上げて、その場に崩れ落ちる。その頬がほんのり赤い気がするのは――熱中症だろうか。

「お前、それ、意味分かって言ってんのか……」
「? 一層吸血鬼になるってことですよね?」
「いやまぁ、そういう意味もあるが……」
「……どんどん人間から遠ざかってくんだぞ。三百年やそこらじゃ死ななくなるぞ」

 何故だか新はむすっとする。優奈は少しだけ目を細めて、笑んだ。

「三百年も生きたら、五百年も千年も一緒ですよ。……多分」

 その時の気持ちは、生きてみないと分からない。
 それに、と優奈は言う。

「たとえ何になっても、私は私ですから」

 人じゃなくなっても誰かを助けるのと同じように。

 永遠を生きる覚悟はあるか――と、あの時の新は言った。その言葉を理解して、この人生を選んだわけではない。

 けれど、選んだことを後悔しないようにする覚悟はあった。
 ――優奈は優奈で、在り続ける。

「ほらほら、いつまでも路駐してられないんだから邪魔しないでください。あと、午後は野々宮先生のところにお墓参りに行きますからね」
「……炎天下だぞ」
「依頼人にちゃんと事の顛末を報告するまでが仕事ですよ!」

 気付いていたのか。そう言いたげに新は丸い目を優奈に向けて――それから盛大な溜息を吐き出した。

「依頼料、もらってねぇんだけどなぁ……」

 ぽりぽりと頭を掻きながら、心底めんどくさそうに愚痴る。それを聞き流して、優奈は玄関へ足を向けた。

「ユウ」

 その忙しない背を呼び止める声に、振り返る。
 取り替えたばかりの襖にもたれかかりながら、新が笑む。
 月のように、美しく。

「ようこそ、妖崎あやかし法律事務所へ」

 そうして今日も、優奈たちの一日が始まる。
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