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陛下に贈り物されました
アイディアをまとめるために、蝋板に尖筆を走らせる。蝋板というのは木枠で囲んだ板に蜜蝋を塗ったもので、簡単に言えば古代のメモ帳だ。尖筆は先端が細い針状になっている筆記具。反対側は平たくなっていて、こちらで蝋を削り落とすことで文字や絵を消すことができる。
──アルストリアに転生してから、私の中の本間海南は生身で古代の文化に触れることができるこの日々をちょっと楽しんでいた。実際にこの世界で生活してみると、ゲームでは細かく描かれていなかったことも多く、地球で知識だけあったようなことを体験できるのはなかなか興味深い。
時間遡行前の生活でも、リーリエにとっては当たり前の事柄が、本間海南にとっては新鮮で馴染みの無いものだった。乗馬や馬車での移動とか、もちろん魔術もそのひとつ。
この時代はまだ黎明期といったところだけれど、ブリューヴァルト王国では、魔術は結構生活に根差したものだった。いわゆる生活魔術だ。
生活魔術というのは、生活に使えるちょっとした魔術全般を指す。たとえば火起こし、火加減の調整。換気や冷風、熱風による室温調整や衣類乾燥──これは濡れた身体や髪を乾かす際にも使われる。そして洗浄や消毒。それから怪我や頭痛腹痛の際の鎮痛──つまり「痛いの飛んでけ」というやつ。魔術というより超能力──念動力みたいなやつ、【物体操作】。軽い予知──天気予報や占いもあって、一家にひとり生活魔術の小加護を持った人がいればとても便利だけど、いなかったとしてもそれらの魔術は大体が魔道具として流通していた。
もちろん、文字を書く魔術──というのもある。魔術の文字は空中にも壁にも地面にも、もちろん紙にも書けるけど、通常の記録には向かない。空中に書いた文字は数秒で霧散するし、物に書いた文字もすぐに消えてしまう。消えるといっても目に見えなくなるだけで、文字の痕跡が消えるわけではない。魔力を通せば再び可視化され、痕跡を消すには【消去】の魔術を使う必要がある。だから魔術の文字は普通、術式の【記述】に用いられる。
私──リーリエには生活魔術の小加護もあるので【物体操作】もできるけど、だからといって尖筆を魔術で操って蝋板に筆記するのは、色々な意味で効率が悪い。筆のような軽いものなら、手で持って直接動かした方が魔力も体力も精神力も消耗が少ない。なんでもかんでも「魔術を使った方が楽」というわけじゃないのです。
「まあ、ロマンはあるけどね?」
ファンタジーなフィクションでよく見るやつなので、本間海南としては憧れがあった。フォントのデザイン二十二文字目で躓いたので、気晴らしに尖筆を浮かせてみる。
軽い魔力操作で宙を舞う尖筆。それを適切な角度で蝋板の上に下ろし、一本の線を引く──針状の先端ではなく、反対側の平たい部分で。
本間海南はフォントデザイナーではないけれど、レタリングやカリグラフィーを趣味のひとつとしていた。古代の書体といえば、一番に思い浮かぶのはローマンキャピタルだ。紀元前1世紀頃からローマの碑文に使われていたという書体で、ローマンアルファベットの基礎となっている。
もちろん、この世界で使われている文字はローマンアルファベットではないけれど、文字である以上は線で構成されている。刺繍の書体をデザインする上で、ローマンキャピタルの美しく均整のとれた可読性の高いデザインは大いに参考になった。
(この文字はちょっとOに似てるから難しい)
いっそ直線で形を作ってみようかと思ったけど、それではこの文字に見えない。
「やっぱり曲線で、縦を太く、横を細く、かなぁ」
などと唸っていると、背後でノックの音がした。
「どうぞ」
椅子ごと身体を回して確認すると、扉を開けて入ってきたのはティアーナ様だった。
彼女は今日の午後、隣のアレヤト村とは反対側にある集落付近で魔物が出たという報せを受けて、数人の兵といっしょにそちらへ魔物討伐に向かっていたはず。
「討伐は終わったんですか?」
「ええ、とっくに。もう夕食時でしてよ」
「へっ!?」
言われて背後の窓の外を見ると、すっかり日が暮れていた。そういえば部屋も暗くなっている。
「全然気付かなかった……」
「それだけ集中なさっていたのでしょう。お疲れさまですわ」
「あ。今の響き、ちょっと関西弁でした?」
「ふふっ」
ティアーナ様は前世を告白されて以来、私やゲートルード様の前ではちょっとしたボケというか、軽く冗談をおっしゃるようになっていた。前世の気質によるものだと思うけど、それは「ルプクル」のティアーナ様のイメージを損なうようなものではなかった。
炊き出しの会場である広場には、相変わらず人々が大勢集まっていた。と言っても、人口からの比率で言えば、炊き出しを利用する人の割合は減ってきている。はじめの頃より集落の人口は増えているし、炊き出しに集まる顔ぶれも変わっているのに、人数はさほど変わっていない。
「商会創設から一ヶ月後には炊き出しを終了する計画だよ」
広場の入口でばったり出会ったダイアルート陛下は、今日の夕食である肉料理──羊肉に香草を巻いて蒸し焼きにしたもの──を受け取りながらそう仰った。
「物流が安定してきたからですね」
「それに、今後は物がなくても食料を得られるようになるからね」
商会の運用が始まれば、これまで物々交換が主流だった周辺地域の人々も、金銭による商取引に移行することになる。仕事の収入も、物ではなくお金で得られるようになるだろう。
物々交換では消耗品のレートが高くなりがちだ。特別なときにしか使わないものよりも、毎日使うものの方が皆に必要とされるからだ。当事者間の需要と供給が見合わないと取引自体が成立しないという問題もあった。それに、需要と供給が噛み合っていても公正な取引とは言いがたい場面もあった。野菜がほしい大工さんが、家がほしい野菜農家さんに、家を建てる代わりに野菜をもらうというのは──どう考えても価値が釣り合っていない。基準が曖昧なのでトラブルに発展することも多く、実際この半年間、そういう争いの仲裁に入ることもよくあった。
──取引するものがお金に変わったところでトラブルが起こらなくなるわけではない──というかむしろ増えるだろうけど、明確な基準ができることで争いをおさめやすくはなるでしょう。
「そういえばここに来てからお金を見ていませんが、新しく造幣するのですか?」
「今のところは外貨や旧帝国貨幣が使われているけれど、将来的にはそうすることになるだろうね」
「貨幣が残っているのですね」
「もはや他国にとっては金属としての価値しかないものだけどね」
ダイアルート陛下は少し寂しそうに笑い、懐から皮袋を取り出した。結ばれた紐をほどき、中から一枚の金貨を取り出す。
表面には冠を被った男性の肖像、裏面にはアルス神の肖像が刻まれている。
「これは我が主、我が君、ヨアヒーム陛下が発行させた最後の金貨だよ」
古代に限らず、皇族は自分で買い物をしないので、特に女性はお金を見たことがない人も珍しくない。シュヴァルツリヒト帝国の第七皇女リーリエも、お金に自分の手で触れたことはなかっただろう。
もちろん、ドラグネスト帝国の第七皇女リーリエも同じだ。私の養育やその他の用途に使うための予算はあっただろうけど、自分でそれを管理していたわけじゃなかったし、ブリューヴァルト王国の侯爵令嬢となってからも、十二歳まではお金も財布も持ったことがなかった。
ダイアルート陛下はそういう「リーリエ」の事情を考慮してか、金貨を私に差し出し、てのひらの上にそっとのせてくれた。
サイズは50円玉くらい。厚みがあって少し重たい感じがする。金色の輝きは思っていたより赤みを帯びていて、技術的な問題か形は正円ではなく、縁が歪んでいる。
リーリエの知識によれば、シュヴァルツリヒト帝国の貨幣は表に代々の皇帝の肖像が描かれていて、時代によって金の純度が異なるのだとか。
よく見るとヨアヒームの肖像は、見覚えのある横顔だった。
「お父様」
それは養父クォーツライトではなく、実父──ドラグネスト最後の皇帝。
──ヨアヒームとリーリエの父の間に血縁関係はないはずなのに、どうしてこんなにも似ているんだろう?
じっと見つめていると、なんだか視界が滲んでくる。
「あ、あれ? 私……なんで」
父のことなんて、ほとんどなにも覚えていないに等しいのに。
「リーリエ」
ダイアルート陛下の指先が、私の目許に触れる。それは流れ落ちたものを優しく拭って、すぐに離れていった。
「それは君にあげよう」
──アルストリアに転生してから、私の中の本間海南は生身で古代の文化に触れることができるこの日々をちょっと楽しんでいた。実際にこの世界で生活してみると、ゲームでは細かく描かれていなかったことも多く、地球で知識だけあったようなことを体験できるのはなかなか興味深い。
時間遡行前の生活でも、リーリエにとっては当たり前の事柄が、本間海南にとっては新鮮で馴染みの無いものだった。乗馬や馬車での移動とか、もちろん魔術もそのひとつ。
この時代はまだ黎明期といったところだけれど、ブリューヴァルト王国では、魔術は結構生活に根差したものだった。いわゆる生活魔術だ。
生活魔術というのは、生活に使えるちょっとした魔術全般を指す。たとえば火起こし、火加減の調整。換気や冷風、熱風による室温調整や衣類乾燥──これは濡れた身体や髪を乾かす際にも使われる。そして洗浄や消毒。それから怪我や頭痛腹痛の際の鎮痛──つまり「痛いの飛んでけ」というやつ。魔術というより超能力──念動力みたいなやつ、【物体操作】。軽い予知──天気予報や占いもあって、一家にひとり生活魔術の小加護を持った人がいればとても便利だけど、いなかったとしてもそれらの魔術は大体が魔道具として流通していた。
もちろん、文字を書く魔術──というのもある。魔術の文字は空中にも壁にも地面にも、もちろん紙にも書けるけど、通常の記録には向かない。空中に書いた文字は数秒で霧散するし、物に書いた文字もすぐに消えてしまう。消えるといっても目に見えなくなるだけで、文字の痕跡が消えるわけではない。魔力を通せば再び可視化され、痕跡を消すには【消去】の魔術を使う必要がある。だから魔術の文字は普通、術式の【記述】に用いられる。
私──リーリエには生活魔術の小加護もあるので【物体操作】もできるけど、だからといって尖筆を魔術で操って蝋板に筆記するのは、色々な意味で効率が悪い。筆のような軽いものなら、手で持って直接動かした方が魔力も体力も精神力も消耗が少ない。なんでもかんでも「魔術を使った方が楽」というわけじゃないのです。
「まあ、ロマンはあるけどね?」
ファンタジーなフィクションでよく見るやつなので、本間海南としては憧れがあった。フォントのデザイン二十二文字目で躓いたので、気晴らしに尖筆を浮かせてみる。
軽い魔力操作で宙を舞う尖筆。それを適切な角度で蝋板の上に下ろし、一本の線を引く──針状の先端ではなく、反対側の平たい部分で。
本間海南はフォントデザイナーではないけれど、レタリングやカリグラフィーを趣味のひとつとしていた。古代の書体といえば、一番に思い浮かぶのはローマンキャピタルだ。紀元前1世紀頃からローマの碑文に使われていたという書体で、ローマンアルファベットの基礎となっている。
もちろん、この世界で使われている文字はローマンアルファベットではないけれど、文字である以上は線で構成されている。刺繍の書体をデザインする上で、ローマンキャピタルの美しく均整のとれた可読性の高いデザインは大いに参考になった。
(この文字はちょっとOに似てるから難しい)
いっそ直線で形を作ってみようかと思ったけど、それではこの文字に見えない。
「やっぱり曲線で、縦を太く、横を細く、かなぁ」
などと唸っていると、背後でノックの音がした。
「どうぞ」
椅子ごと身体を回して確認すると、扉を開けて入ってきたのはティアーナ様だった。
彼女は今日の午後、隣のアレヤト村とは反対側にある集落付近で魔物が出たという報せを受けて、数人の兵といっしょにそちらへ魔物討伐に向かっていたはず。
「討伐は終わったんですか?」
「ええ、とっくに。もう夕食時でしてよ」
「へっ!?」
言われて背後の窓の外を見ると、すっかり日が暮れていた。そういえば部屋も暗くなっている。
「全然気付かなかった……」
「それだけ集中なさっていたのでしょう。お疲れさまですわ」
「あ。今の響き、ちょっと関西弁でした?」
「ふふっ」
ティアーナ様は前世を告白されて以来、私やゲートルード様の前ではちょっとしたボケというか、軽く冗談をおっしゃるようになっていた。前世の気質によるものだと思うけど、それは「ルプクル」のティアーナ様のイメージを損なうようなものではなかった。
炊き出しの会場である広場には、相変わらず人々が大勢集まっていた。と言っても、人口からの比率で言えば、炊き出しを利用する人の割合は減ってきている。はじめの頃より集落の人口は増えているし、炊き出しに集まる顔ぶれも変わっているのに、人数はさほど変わっていない。
「商会創設から一ヶ月後には炊き出しを終了する計画だよ」
広場の入口でばったり出会ったダイアルート陛下は、今日の夕食である肉料理──羊肉に香草を巻いて蒸し焼きにしたもの──を受け取りながらそう仰った。
「物流が安定してきたからですね」
「それに、今後は物がなくても食料を得られるようになるからね」
商会の運用が始まれば、これまで物々交換が主流だった周辺地域の人々も、金銭による商取引に移行することになる。仕事の収入も、物ではなくお金で得られるようになるだろう。
物々交換では消耗品のレートが高くなりがちだ。特別なときにしか使わないものよりも、毎日使うものの方が皆に必要とされるからだ。当事者間の需要と供給が見合わないと取引自体が成立しないという問題もあった。それに、需要と供給が噛み合っていても公正な取引とは言いがたい場面もあった。野菜がほしい大工さんが、家がほしい野菜農家さんに、家を建てる代わりに野菜をもらうというのは──どう考えても価値が釣り合っていない。基準が曖昧なのでトラブルに発展することも多く、実際この半年間、そういう争いの仲裁に入ることもよくあった。
──取引するものがお金に変わったところでトラブルが起こらなくなるわけではない──というかむしろ増えるだろうけど、明確な基準ができることで争いをおさめやすくはなるでしょう。
「そういえばここに来てからお金を見ていませんが、新しく造幣するのですか?」
「今のところは外貨や旧帝国貨幣が使われているけれど、将来的にはそうすることになるだろうね」
「貨幣が残っているのですね」
「もはや他国にとっては金属としての価値しかないものだけどね」
ダイアルート陛下は少し寂しそうに笑い、懐から皮袋を取り出した。結ばれた紐をほどき、中から一枚の金貨を取り出す。
表面には冠を被った男性の肖像、裏面にはアルス神の肖像が刻まれている。
「これは我が主、我が君、ヨアヒーム陛下が発行させた最後の金貨だよ」
古代に限らず、皇族は自分で買い物をしないので、特に女性はお金を見たことがない人も珍しくない。シュヴァルツリヒト帝国の第七皇女リーリエも、お金に自分の手で触れたことはなかっただろう。
もちろん、ドラグネスト帝国の第七皇女リーリエも同じだ。私の養育やその他の用途に使うための予算はあっただろうけど、自分でそれを管理していたわけじゃなかったし、ブリューヴァルト王国の侯爵令嬢となってからも、十二歳まではお金も財布も持ったことがなかった。
ダイアルート陛下はそういう「リーリエ」の事情を考慮してか、金貨を私に差し出し、てのひらの上にそっとのせてくれた。
サイズは50円玉くらい。厚みがあって少し重たい感じがする。金色の輝きは思っていたより赤みを帯びていて、技術的な問題か形は正円ではなく、縁が歪んでいる。
リーリエの知識によれば、シュヴァルツリヒト帝国の貨幣は表に代々の皇帝の肖像が描かれていて、時代によって金の純度が異なるのだとか。
よく見るとヨアヒームの肖像は、見覚えのある横顔だった。
「お父様」
それは養父クォーツライトではなく、実父──ドラグネスト最後の皇帝。
──ヨアヒームとリーリエの父の間に血縁関係はないはずなのに、どうしてこんなにも似ているんだろう?
じっと見つめていると、なんだか視界が滲んでくる。
「あ、あれ? 私……なんで」
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